まぁいいか!ぐらいの方が管理職はうまくいくって話
予想外に弱い人と妥協できない人には管理職は苦しい
ある上司がいた。
非常に真面目で誠実な人柄の上司だ。
様々なことを考えながら配慮できる心構えを持った人だ。
部下時代から周囲の信頼も厚く、頼りにされる人材だった。
いくつか背景がある。
その上司は製造業での会社で工場勤務の経験があった。
工場と聞いて決して侮るなかれ
工場といえばなんとなく土方やブルーカラーなどちょっと粗雑なイメージが付きやすいが、その実、ものすごい精密で緻密である。
基本的にすべて完全にコントロールできる状態を作ることを前提にするし、そういう状態を保持することが業務なのだ。
工場の世界は目の前の世界で方程式のようにAを入れればBが出てくるというわかりやすい世界だが、そこのお前が経験した限りでは、この仕事はそう簡単にできるものではない。
ただ、仕事自体は目の前の製品や機械、現象と格闘する特徴の為、目に見えて結果のわかりやすい職種であることも確かだ。
日本の工場現場には妥協なきこだわりや製品に対する真摯な努力が積み重なった結晶が至る所にある。
上司は工場の管理側として手腕を発揮してきた人間
工場は基本的に作業手順から管理基準まですべてにおいて細かく設定することが正義であるという考え方である。
人が変わっても、いちいち考えさせずとも常に一定のクオリティを出せるようによく考えて設計される。
何かをするにしてもマニュアルがあるし、それぞれに文書や決まった書式を用いてなるべく考えないでいいようにコントロールできる状態を作る。
現場で働く工員は従うことが求められる訳だが、そのもっと前の工場の製造業務を設計・運営する段階では様々な知識と工夫が詰まっている。
なんなら、工員には派遣社員や期間工も混ざるわけだが、それらの人が悪意を持った行動をすることも極力防げるような仕組みづくりさえされている現場もある。
なので、工場での職歴自体が劣っているものという事ではない。
実際、長年の功績が認められ、その上司は管理職になることになった。
実際、その上司の任された範囲では非常にしっかりと業務をこなし、上司についた部下も含めて担当範囲をきちんとコントロールした。
工場においてその上司の積み上げてきた真面目で一貫した働きぶりはよく評価された。
管理職といっても工場においては一般的なホワイトカラーワークに比べて、職場文化が全く違う。
工場では常にトラブルなくすべてを円滑に運用するための工夫を考えるため、結構口うるさくなる必要があったりもする。
定型業務の膨大な積み重ねによって生み出される一つのシステムのようなものだ。
仕事の大半はきれいに整備されたマニュアルの順守ができているかを確認することが多い。
ルールが絶対であり、規律を守ることが非常に重視される。
その上司の最も得意とする分野だった。
そこでその上司は評価をますます高め、安定した評判を構築した。
さらに経験を積み、その上司はホワイトカラーワークの管理職となった。
が、管理職としてはそこで苦しんだ。
その上司は予想外に弱く、妥協できない人だった。
それ自体は悪いことではないが、ホワイトカラー管理職としては致命的だった。
それが上司を苦しめた。
工場文化との違いをアジャストすることができなかった。
とりわけ、彼は自分の思い描いた手順で部下が作業をしないとどうしても口を出してしまいがちだった。
なぜなら、彼の想定と異なる手順で行われた作業に信頼がおけなかったからだ。
それと同時に、新しい異なる考え方を受け入れるアンテナも非常に弱かった。
どうしても過去の事例やこれまでの手法に拘りがちな傾向があった。
それゆえ、イレギュラーな方法を積極的に検討することができなかった。
これは工場での業務経験を考えると非常に関連が強い。
ルールがあってそれに従うことが前提とされている工場で叩き込まれた常識と経験がそれを支えていた。
逆に、ルールにないトラブルが起きた時にどう対処するかという点についてはあまり経験がない人だった。
そのため、予想外に対するメンタルレジリエンスが恐ろしく乏しかった。
少しでも自分の想定外のことや思った通りに行かないことが起きるとその瞬間に思考が停止したり、感情的安定を失ってしまうタイプの人だった。
逆に決められた作業をきちんと順守すること、明確な目標やゴールが設定されていることに関しては非常に強かった。
故に現場レベルで見ると非常に優れた社員としての評判を得ていたのだ。
だが、管理職となると勝手が違う。
結局、自分自身でコントロールできない領域が増えた瞬間に彼のストレスは増大することとなった。
ストレスが増え、思考力を失い、平静さを保てなくなった。
部下も敏感にそれを感じ取る。
だが、それでも彼らは上司の思い通りに100%到達することはできない。
なぜなら100%のシンクロ率はありえないからだ。
どうしても考えの違いは出るし、アプローチの違いが出る。
ある部分は寛容に対処し、ある部分は厳正に対処するなど適切なバランスを保つには業務への親和性とコミュニケーションのうまさが求められた。
だが、その上司が信じる工場でたたき込まれた経験は上司を支えてくれなかった。
結果的に、彼はチームメンバーと不和を起こし、最終的には機能不全を招いた。
その上司は自分から降りる形で管理職の職を辞した。
管理職として持つ基準
やはり、管理職になると責任が増えることもさることながら、コントロールする範囲が増える割に自力でコントロールできる精度は下がる。
今までは100%コントロールできるものだったことが80%や60%の精度でしかコントロールできなくなる。
ある程度の不確定要素を常に抱えていなければならない。
その状態に慣れない場合、極度のストレスを受け続けることになる。
これは管理する組織の階層の多さや大きさにもある程度の相関関係がある。
だからこそ、予想外に対処できる強さや柔らかさが求められるのである。
仕事をしていれば様々なことで予想外が起きる。
トラブルかもしれないし、たまにはいいことかもしれない。
が、想像の上を行く予想外も含めて起きるものだと考えなければ管理職を勤め続けるのは難しい。
部下時代であれば予想外のことが起きにくいようにコントロールをすることは比較的やりやすい。
私生活でも仕事でもリスクを回避する戦い方は一人であれば自分の中で調整しやすい。
個人の業務に関して言えば不確定な部分を極力排除してうまく構築することもできる。
成果にならない部分は積極的に切り捨て、成果の出る部分に純粋に集中できる。
ある意味一番メンタル的に苦労しない方法で、自分が頑張ればなんとかできるというスタイルで押し切ることも十分可能だ。
だが、管理職になるとそうもいかない。
逆にそうやってしまえばいいと思っていた人が管理職では苦労する。
月並みな話だが、管理職となると部下に仕事をしてもらうことが仕事になる。
そのため、自分の中でのスタンダードにこだわりすぎると非常に難易度が上がる。
逆に自分ではやらない分、常にどうなるかわからない不安を抱えながら過ごす必要がある。
ある程度信頼ができてくると安心できるが、そもそも業務が非定型な時は気にしだすと止まらない。
この場合、仕事のやり方は部下それぞれで、実力も部下それぞれだ。
もっと言えば、世界の見え方や考え方も違う。
そのため、いちいち自分のスタンダードに執着し、やり方が違うと不安になったりすると様々な苦労を抱える。
ある時は部下と理解が違っていたり
ある時は部下の方が正しかったり
ある時は思っていた出来の仕事が仕上がってこなかったり。
とにかく、様々なことが起こりえる。
しかも、対処法も様々であり、正解が常に一定ではないものが多くなる。
そのピリピリが部下に伝播すると部下も安心して業務に集中することが難しくなる。
思っていた状況とは違う現実
理由のわからない目の前の現象
ある意味では度胸が求められる。
管理職である以上、個人的な執着や心理的葛藤に飲み込まれると本来の役割を果たせない。
自分すら管理できなくなっては管理職とは言えない。
状況と求められる到達点を読んで、困らない程度に妥協し、予想外のこともびっくりせずに受け入れられる技術を習得する必要がある。
マネージャー・Manager・Manageとはそういう意味だと思った。
【生きる】給料って結局不平等だよねって話【謎理論】
引きずりおろし合うより引き上げあう世界へ
いつも思うんですが、給料って不平等な制度じゃありません?
たくさん貰える側に入れればいいですけど。。。
がだ、手っ取り早い話が、自分のコントロールできない範囲の話を気にするのはやめた方がいいと思っているわけです。
給料はどこまで行っても完全平等・完全公平な報酬状況など存在しません。
制度を作る側に回れない限りは、もらえる範囲においてはもらえる限りのものをもらうしかありません。
それか諸外国のように徹底的に昇給に向けたムーブメントを起こすことを世間の流行にするしかありません。
どうにもできない不平等を考え始めるときりがありませんし、不満が募ります。
だったら、不平等でも何でもいいからとりあえず全体的に上げろと企業に迫っていくしかありません。
ということで、これからの世代は上の世代の給料を下げろ!ではなく上の世代よりも働くからもっと給料をよこせ!という風に変わっていったらいいなぁと思っています。
そういう考えに至ったのには下記の出来事がありました。
鬼ほど働いて味わった現実
そこのお前は若かりし頃、鬼ほど残業しました。
もう今は働き方改革により、労働時間の上限に罰則規定付きの天井ができており、そんなことはできませんし、させられません。
が、当時は体力もより充実しており、会社からの期待に対して、できる限りの仕事に時間を突っ込んでいました。
短期間ではありますが、ピークでは12か月累計1000時間をはるかに超えて働いていました。
たまたま仕事がゴリゴリ回ってくる場所を掴んだため、可能な限り仕事を引き受けた結果です。
コンサル・医者・弁護士ぐらい働いたんじゃないかと思っています。
正直に周りに弁護士は多かったので、感覚がマヒしていたのかもしれませんが、異常なほどに時間を使いました。
当然、残業代はかなり増えるわけです。
税金も半端じゃなく増えましたが、それでも使う暇がない&増収でかなり貯金が増えました。
奇妙なことに外資系企業であり、成果主義と言いながら結局残業代が主な増収の柱だった訳です。
もちろん、時間を使って成果を積み増した分、昇給も得ましたし、昇格のスピードも速まりました。
間接的で結果論ではありますが、成果に合わせて報酬を得たとは思います。
が、自分の受け取る給料が成果に本当に比例しているか?と言われると疑問符が付きます。
成果に比例しているのであればもっともっとお金をもらっていいはずです。
だって最大で4人分の仕事をやっていたこともありましたから。
そういう経験のある人結構いると思います。
人よりも多くの仕事をしているのに給料は変わらないとか低いとか。
そこのお前もそういう状況でした。
結局、成果主義を標榜する外資系にあっても非管理職は時間に比例しているといった方が正確なのです。
労働者に有利な報酬の仕組み
この時間比例の報酬について、労働者には非常に有利なルールといえます。
野球に言い換えると、投げた球数で給料が決まるとでも言いましょうか。
普通は投球イニング数で決めるのが一般的です。
200イニング/年が一つのベンチマークだったりしますね。
どんな形でもいいから1イニング3人をアウトにする。
なるべく長い回を低い点数に抑えて投げられる投手がいい投手である。
これは成果主義の考え方からは非常にまっとうな理屈です。
それがもし球数によって決まるとなったらどうでしょう。
イニング数と同じように積み上げ型ですが、少し違います。
むしろ時間比例と同じようにその過ごす時間の質は問いません。
凡打を打たれようが、ホームランを打たれようが1球は1球です。
つまり、いつもフォアボールやデッドボールでランナーを出す投手だけど、最後にはぎりぎり抑える。(抑えられない時もあるけどな!!)
これだと球数はばっちり増えます。
そうすると何が起こるでしょうか。
同じイニング投げても球数を多く投げた人の方が給料を高く得る制度
3人ですぐに終わるよりもランナーを出しまくって投げた方が高い給料をもらえることになります。
残業代という制度は、論理的には球数比例報酬のようなものです。
それが証拠に、一時期そこのお前と同じぐらいの残業をしていたベテラン社員がいました。
彼はどちらかというと自らの不始末のカバーをするために残業がかさむ人でした。
そのため、一つの仕事において使う時間は非常に長く、その分残業代も増えるというわけです。
法的には出さなきゃいけませんし、業務上の理由で拘束していることは間違いありません。
更に、そこでカバーリングをしないと、往々にしてもっとヒドいことになるので残業してでもやってもらった方がいいことは確かです。
が、労働者間の比較でみると質のいい労働者の方が給料が低くなるという現実を生み出します。
これ、全国どこでも起こっている寒い現実だと思います。
成果主義というイニング報酬を導入すると言いながら、法規制上用意しなければならない球数報酬も同時に用意してしまっているという奇妙で歪んだ状況。
同じ残業による手当をもらうにしても、質が違います。
そこのお前も不平等さを感じずにはいられませんでした。
時間は同じだけど出すアウトプットの質は違う事を意識せずにはいられませんでした。
もちろん、成果による評価でそのベテラン社員がこれ以上昇給・昇進する可能性はありません。
本人も実力があると思っているわけではありませんが、不真面目でもありません。
それに、残業を狙ってわざとミスをするような人でもありません。
ただ、給料はやたらに高いのです。
まぁ不平等で面白くない現実です。
仮にそこのお前と全く同じ残業時間だったとすると給料に1.3倍程度開きが出ていました。
同じ給与水準でほぼ同じ仕事内容で普通に仕事をする同僚と比べても、残業時間の差分で1.5倍ぐらい差が出ていたんじゃないでしょうか。
この場面は残業=悪と取り扱われるべきポイントです。
ただ、故意にやっているわけではないのが、また取り扱いずらいとも言えます。
が、これを悪用しようと思えばいくらでも悪用できてしまうわけです。
トラブルを生み出し、自分で対処するなどの劇場型仕事人が最も得をするわけです。
波風の立たない安定した仕事が理想の中で、そうでない人が最も給料をもらえるという状況が発生するわけです。
普通のビジネス関係ではそうはいきません。
品質不良があったら、無償で交換しなければならないですし、トラブルがあればトラブルの原因になった側が損を被ります。
フリーランスだって成果物に対して対価を得る契約形態であればいくら時間をかけても成果物の出来しか見られません。
ですが、労働者の場合はちょっと違います。
時間を切り売りするという考え方が主流です。
成果主義が主流になりつつある中で、まだまだ残業という概念は強く残っています。
冒頭の例でも残業代は払わなければいけないわけですが、払いたくないとみんなが思うわけです。
それに周囲の同僚も、あの人であれぐらいもらえるんだったら、おれもわざと遅くやるわ!
なんてなる訳です。
極端な話、全員が結託して滅茶苦茶遅く仕事をすれば全員潤沢な残業代を手にすることができる訳です。
それも周りと差がつくことなく。
労働者全員が意図的に労働の品質を落として不当に値段を釣り上げることもできてしまうわけです。
球数報酬とイニング報酬の混在は解消できるか。
この混在は実は日本だけでなく、欧米諸国にも見られる現象です。
ただ、欧米ではちんたらやるよりはさっさと終わらせて自分の時間を取ることを優先するのが文化的な土台ですので、これが大きな問題として目立つことはありません。
ただ、あまりに酷いケースでは残業時間を根拠に評価を下げるという事はあります。
これを完全に解消するには裁量労働制にするなど、時間に比例する部分を削らなければならないわけですが、これだと難点が出てきます。
結局全員同じ時間でぴたり揃えて仕事を分配することが不可能な場合がある
個人レベルで見ても、自分ではコントロールできないトラブルに対処しなければならないこともありますし、時期によってピークが出る場合もある訳です。
そのため、一概に時間に比例する部分を削るとそれはそれで問題が生じます。
元々の日本の制度を考えると非常に取り組みづらい部分です。
これからは上限が決まるので、格差は縮小傾向に行くとは考えられます。
が、仮に少なくした時間で回らない場合は人を増やすことになります。
それでも仕事量ともらえる給料の不平等感は消えません。
もちろん効率をあげよ!とかミスなくやれ!というのは簡単ですが、それができたらとっくの昔からやっている訳です。
だって、現在進行形で余計なコストを使っているわけですから、今に始まったことではないのです。
なので、制度やルールの調整によって解消するには限界がある訳です。
そして、残業が規制されると結局、人の数か仕事量を減らすことでしか対応ができないわけです。
でも一度上がった給料を落とすことが容易ではない日本ではあまり根本的な解決には至りません。
低いパフォーマンスであることに対する調整が一切ないのであれば給料を上げ続けるしかありません。
むしろ、現行の給料で最も高い水準をベンチマークに、世代関係なく有能な人間から順に給料を上げ、全体の給料レベルを一気に引き上げる具合の形にしてほしいものです。
それができず、後発世代が上がり切らずに伸び悩むのは見てられません。
若い世代にはそこのお前も含まれますし、本気で企業として成長するならば老人を虐げよとは言いませんが、実力のあるプレーヤーをそれ以上に優遇するというレベルまで明確にしてほしいものです。
そんな消費税増税と生活物価のインフレに撃沈しそうな若い世代の叫び。。。。
ほいでは
【与太話】武勇伝を語る人がその武勇を見せてくれた試しがない話【謎理論】
武勇伝!武勇伝!!武勇伝でんデデン伝っ!!!
ジジエンタルラジオです!
よろしくお願いします!
おっちゃんいつものやったげて
Oh、聞きたいか俺の武勇伝
その凄い武勇伝を言ったげて
爺の伝説ベストテン!
Let’s Go!!!
昔は3徹当たり前!
すごい!今は勤務中に居眠りしてる!
俺は昔はモテたんだ!
すごい!今は家庭内順位が最下位だ。
残業記録は200時間!
すごい!ストレス出すぎて煙草休憩も最高記録!
昔は上司にたてついた!
すごい!いまでは部下がそっぽを向く!
昔はテキーラボトルで飲んだ!
すごい!今はショットで終電寝過ごす!
俺があいつを鍛えたぞ!
すごい!そいつはあなたの上司になった!
武勇伝!武勇伝!!武勇伝でんデデン伝っ!!!
さて。。。。
懐かしのネタを引っ張り出してきました。
対処に困る武勇伝
まぁ、リズムに乗りきらない武勇伝も多いので、ここのはライトでネタっぽいものばかりです。
上の話は冗談だとして、武勇伝をひたすらにぶっ放され、それをよいしょするという耐久レースを経験した人は多いんじゃないかと思います。
こうして後でネタにするにはまぁくすっと笑えますが、その時は必死で場をとりつくろったりするわけです。
飲み会だったりするとついでにお金まで払わされちゃったりして。。。
2次会、3次会と連れまわされ、ひどい時にはタクシーで帰る羽目になったりしますね?
まぁそれが我々若い世代が飲み会に付き合いたくない理由なのですが、まぁ慣れると楽しいもんです。
一緒に飲む人によりますが、こんな武勇伝をきっかけに真面目な話をしたり、ふざけた話も交えて仲が良くなったりなんてことはあります。
仕事以外ではなかなか関わりのない世代の人の話は徐々に付き合い方や魅力がわかってくるものです。
が、まぁやっぱり武勇伝が非常につまらないこともあります。
こればっかりはもうしょうがない話ですが、自分を褒めてほしくてしょうがない人と飲みに行ってしまった日は最悪です。
といっても、すべての武勇伝を受け付けないわけではありません。
お世話になっている人とは、たまにはお付き合いもしますし、状況次第では心情も察しますので、部下・後輩としてはサービスしたりもます。
人間ですから、誰かに慰めてほしかったり、同情してほしい時だってあります。
それをお互いにし合うことは悪いことではありませんし、職場で一緒に過ごす人間としては当たり前の配慮だと思っています。
こちらも多少時間を使いますが、それでも話を聞くことで落ち着いてくれたり、気持ちよくなってメンタルが安定してもらえらえばそれはそれでうれしいです。
が、あまりに脈絡なく武勇伝&褒めろ褒めろオーラが出てくるとちょっときついです。
そして、所かまわず武勇伝をぶっ放す人に限って、語る武勇を見せてくれることはほとんどありません。
昔すぎる武勇伝やちょっとズレた武勇伝、とにかくカッコいいとは思えない話を大きく語られると反応が難しい。
同じ武勇伝を繰り返し始めるともう絶望です。
十八番の武勇伝だと誰にしゃべって誰にしゃべっていないかわからなくなるのかもしれませんが、聞いた方は案外覚えているものです。
同じ決め球で自分がいかにすごいかを説得しようとしてくるわけです。
結局、昔にやったベストパフォーマンスや目立つ何かをあたかも普通にやっていたかのように言ってたりします。
それが再現性があったかとか本当に学んだことは何だったかとかは背後に隠れ、俺の方がすごかったとかお前は大したことないとかクソの役にも立たないお説教をもらうわけです。
仮にその武勇伝が本当で、今も話に違わぬ武勇を今も見せてくれるのなら何も疑わず尊敬します。
それに、素直に負けを認め、現状に甘んじている愚かな自分を反省してついていきます。
が、年齢を言い訳にしているのか、多少盛ってしゃべっただけなのか。
あるいは、ただお説教をするために無理やり引っ張り出したのか。
あんまり正面切って反論することはありませんが、とにかくじゃあ今は何なの?って言いたくなる状況もあるわけです。
発破をかけてきている割には話が脈絡なかったり、お説教の割には同じ穴の狢じゃねぇかと思ったり。
やっぱり、追いかける背中じゃない武勇伝に魅力はないなぁと思っています。
そのゾーンに陥るともう厳しいです。
いくらその人が武勇伝を重ねてもむなしく響くだけになるんです。
あまり積極的に突っ込みを入れない人もしれっと適当に流すか距離を取るんです。
特に若い世代なんかは無用な衝突は好まないので、スーッと引いていきます。
その結果が飲み会に来ない若手な訳です。
というか個人的には、今、現在進行形で武勇のある人とは積極的に飲みに行きたいし、いろいろなことを教えてもらいたいと思うものです。
武勇伝を語り、武勇を見せる人にこそ本当の魅力がある
あたかもその人と同じカテゴリであるかのようにしょぼい武勇伝を聞かされても響かないし、同じようには魅力を感じられないのです。
極端な話、すごい人のみが武勇伝を語れるという事になりますが、そういう事ではありません。
自分の経験を共有したり、伝えるのはいいんです。
ただ、大したことでもないのに大したことにしようとする感じが伝わった瞬間、説得力を失いだすという事です。
自分の理想の反応を押し付けないでほしいわけです。
面白くないギャグを笑わないことに怒っている芸人と同じようなもんです。
プロ野球選手が高校時代の栄光を自慢するようなもんです。
せっかく飲み会に付き合うならば、今か未来の話をしたいものです。
今会社で苦楽を共にするなら、昔の終わった話を聞きたいんじゃないんです。
未来の話ができる人は昔の武勇伝なんてしゃべらんわけです。
今の悩みや考えていることに夢中な人だったりします。
そういう人には武勇伝なんてなくても人はついていくものです。
自分も気をつけねばなりませんが、常に昨日より今日、今日より明日と変わっていくことを通して昔の話に執着しない人間でありたいです。
でんっ!
【外資系企業】外国人で中間管理職を務めるのは非常に難しい話【海外】
外資系あるあるなのですが、頻繁に海外支社や海外本社から外国人が派遣されてきます。
ですが、海外の人がローカルの中間管理職(例えば課長級)をやるのは非常に難しいです。
どんな外国人がやってくるのか
彼らが日本に縁やゆかりがあることは非常にめずらしく、基本的にはどこか日本以外で非常に大きな結果をたたき出している海外のスター株が彼らのキャリアの一部としてやってきます。
彼らは基本的に非常に優秀です。
外国人でもハードワーカーであり、非常に強いエリート意識を持っています。
そのポジションが部長以上なら純粋な頭の良さや同じくグローバルから来た管理職・役員達やグローバル本国の上司などより馴染みやすい環境で仕事できる部分が多く、まだ戦いやすいと思います。
課長クラスや部長クラスを部下にするのはまだ難易度が低い方な訳です。
なぜかというと、課長・部長であればローカル所属の管理職であっても、会社の中である程度選抜された優秀層です。
また、気に入らなければ自分の好きな部下を海外から引っ張ってきてポジションを挿げ替えることもできます。
問題は外国人中間管理職
ですが、課長以下となってくると海外で活躍するのは非常に難しいと言えます。
なぜなら部下管理により濃いローカル性を求められるからなんです。
日本だったら日本語が喋れないだけで大きなハンデになりうるし、現地の商慣習にも詳しくないといけません。
その場合、微妙な人間関係の機微や文化的適応から始めなければならないわけです。
部長連中や経営陣だったら現場に任せてかわすことができるような問題にも対処しなければなりません。
部下への指示一つとってもゴリっと押し込んでいいのか、いろいろと配慮して仕事を振らなければならないのか。
非常に細部における理解が要求されます。
日本なんかでは関連するステークホルダーのコントロールがロジックや数字のみではない繊細な感情的機微の理解がより重視されます。
それに既に出来上がっているビジネス網の一部になるべく、社内でも社外でもゼロの状態から始めなければなりません。
実は、これは中途採用の管理職にも当てはまります。
殊に中間管理職という職業は会社内部のことやチームの歴史的な流れをよく知っていた方が役に立つ場合が多いです。
それができないと後れを取ったり、不十分な状況に気が付かない場合が生まれる可能性が高くなります。
大なり小なり社内の政局は存在するもので、そこに対して配慮できる人の方がやりやすい。
特に持つ権限が限定されている場合はその政局に影響されやすいと言えます。
そこのお前がいたヨーロッパ本社にはより豊富な事例があるのでちょっと一例を出します。
そもそもチームメンバーが全員違う国籍。
他には社外からやってきたばかりの新中間管理職。
などという超絶エグい環境に放り込まれて機能不全を起こした管理職もいました。
ヨーロッパ本社はローカル昨日はないわけですが、それでもあまりの違いで管理職としての役割が果たせない場合がありました。
中にはそこでもうまくやれる人もいます。
が、多くの場合でサイコパス気味なぐらい攻撃的で自信家、表現上手な人が多いです。
チームが機能しているのかは不明ですが、少なくとも上司としての威厳とプライドは保てている状況を作ります。
が、グローバルでもローカル機能に外国人中間管理職を置くというケースは非常に稀です。
さすがにそこまではやらないし、あまりメリットが見いだせない。
外国人に管理職が務まるケース
社内にこれ以上偉い人が少ない階層にいる場合
部長・役員クラスになってくると社外から招へいしたり、外国人を入れても機能する場合があります。
これはひとえにポジションパワーと最も近いステークホルダーが上記の点を解消しうるからだといえます。
ただし、問題点は以下
外国人管理職や中途管理職が自分の利益のためにすべてを犠牲にする場合、それを止めるすべがないということだ。
彼らの在任期間だけのことを考えて最適化した戦い方を編み出してきます。
彼らの任期の期間だけ走り切れるように設計し、離脱した後にどうなったかは知らないと言わんばかりに短距離走を要求する海外管理職もいます。
特に成果主義を導入する場合には避けられない問題かもしれません。
アスリートでも単年や一定期間のハードワークがキャリア全体に悪影響を及ぼすことがあるように、部下をギンギンに走らせて酷使し、精魂尽き果てるまで走らせたときに後々のキャリアで消耗してしまう可能性があり得ます。
上記のように、ある時は社員を限界まで酷使します。
すると、サラリーマンの蓄積疲労はまだそこまで本格的に議論されていませんが、非常に恐ろしいです。
一度酷使ゾーンに入ると、一回できたなら次もできるだろう!という思考が安易に働くようになり、止まらなくなることがあります。
そして、一度壊れた場合は回復にものすごい時間がかかるか戻らない場合すらあるのです。
ですが、そこでさらに外国人が中間管理職だった場合、そのサインを読み取ることが難しい。
気が付かない間に既に手遅れというケースもあります。
また、ある時は取引先を圧倒的に酷使します。
たった数年ですべてのこれまで培ってきたビジネス基盤や良好な関係・持ちつ持たれつの深い関係を一方的に濫用し、破たん寸前まで追い込んでギリギリで逃げていく。
こういうことをしょっちゅうやるのが外資系企業というイメージもあり、うさん臭く思われる場合もあるんです。
残った結果は焼け野原のような大炎上だったりします。
ただ、それは彼らも苦し紛れの行動であることが多いんです。
本国からのプレッシャーと思い通りにいかない現実。
だって、縁もゆかりもないのだから、最後、自分の首と日本の未来を天秤にかけたら自分の首を取るに決まってます。
そもそも、ずっといるわけじゃないってハナから思っているから、10年先など特に興味がないんです。
最後は日本はおれがいなくてもなんとかなるよ!なんて言いながら颯爽といいポジションを得たら去っていきます。
あるいは、難しい手綱取りにさじを投げ、足早に撤退を決め込む外国人管理職も生まれます。
役員クラスの人がそういった短距離走を決め込むと全員疲弊します。
が、在任期間だけはいい成績を残せるから、結果的には外国人役員が成績を引き上げたように見えます。
これが非常に難しい部分で、これに味を占めた本国は次々と外国人を送り込んでくるわけです。
そこのお前の外資系企業経験の中で、日本語が喋れない外国人で中間管理職として抜群の評価を得た人は一人もいません。
理由は上記で述べた通りですが、依然大きな壁が立ちはだかっています。
ローカル機能の強化の観点からも、彼らを登用しなければならない必要性は薄いと言えます。
せいぜいグローバルとの連関が強いことが価値をもたらすケースのみです。
中間管理職の場合はあくまで現状維持か悪い評価の獲得が関の山なのです。
逆に部長以上であればもう少し高い評価を得やすい状況
割といい評価を得る部長クラスもいれば、海外から日本へのテコ入れ人員として強烈に日本を支配した社長だっていました。
だが、その裏には中間管理職以下ビジネスの現場・前線の希望がしっかりしている場合に限ります。
だからこそ、中間管理職に外国人を入れるのはどこの国でもそう簡単なことではないといえます。
いくら外資系企業であっても日本ローカルでの前線に近いところに外国人を置くことは成功率の高い策とはいえません。
たまに謎の采配で外国人中間管理職が誕生することもあるが、非常に大変そうです。
部下も上司も苦労していました。
双方にとっていい経験ではあるのですが、結果にむずびつかないとどちらもトクをしないのが外資系企業なのです。
そうして、どうしてもどこか物足りない部分を感じやすいのは世界共通の現象のなのです。
実は外資系企業はこのようにグローバル本国への中央集権化とローカルへの分散化を歴史的に繰り返しているのです。
企業によって今どちらのフェーズにあるかという事は変わるので、外資系への就職転職を考えている方は自分の好みに合ったスタイルの方の企業を選ぶことをお勧めします。
ではでは