そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

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【英語】たった1点、早期に英語を始めた方がいいと痛感した話【挫折】

そこのお前は純ジャパである。

 

どの記事でも繰り返しているが、帰国子女でもなければ短期留学すら言ったことがない。

 

まぁそういう意味では、そのプロフィールで突入する海外赴任経験は日本の英語教育が試される試験体のようなものだ。

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

どの言語でも最初は同じだが、常にもどかしさとの闘いである。

が、やってやれないことはない。

 

そんな、そこのお前が日本にいたころは以下の英語教育論をよく耳にした。

 

1、英語教育の早期化は不要

2、日本語とは別の英語脳を育てよ

 

1、英語教育の早期化は不要

英語教育は日本語の素地ができるまでは不要だという話がある。

その後からでも十分英語学習は間に合うという説である。

 

まぁその通りだと思う。

実際、今はそういう領域に到達した感覚も出てきた。

英語をかじりだしたのは小学校高学年、ちゃんとやったのは大学からである。

後からでも遅すぎるという事はないというのは間違いないだろう。

 

これらに関する研究や本もたくさん出ているし、あとからメソッドも溢れている。

 

が、絶対的正解も不正解もないと思う。

 

ただ一つ確かなのは「よりたくさん英語に触れよ」

これだけである。

多くの人の期待を裏切って申し訳ないが、失敗も含めて数多く接したもの勝ちだ。

 

英語に限らず、あらゆる言語はそう。

効率の良しあしももちろんあるが、量の多寡が圧倒的に成果を左右する。

 

だから、何も考えずに英語を使う練習するということしかない。

巷にあふれる英語教本は「英語に触れる機会がないけど英語ができるようになりたい人」に売り込むのに必死である。

 

本とか方法自体を論じるよりもどれぐらい量を積めるかを見るしかない。

すると量を積むには幼少期の方が適しているから、英語ができるようになりたければ早くから英語をやった方がいいことは間違いない。

 

量をこなすには最もまとまった時間があり、かつ、余計な癖もついていない効率的な環境でできるからだ。

 

だが、成長に合わせて英語力を鍛える環境がなければそれも意味がない。

 

それを考えると、日本で英語を徹底的に触れられる環境は限られている。

その上で高いレベルでの頭脳的処理や思考と英語を両立できるところはさらに限られている。

 

要は伝達する言語としての教育しかしない。 

それでは結局英語教育レベルの最大値が上がらず、どんなに早くしても無駄になってしまう。

 

最大値の到達するのが早いだけで、その後の更なる育成の扉が開かれない。

だから、長期間留学や仕事でもしない限り、頭脳的処理や思考と英語の両立に関する最大化が図られない。

それが必要ない日常会話レベルならば、あとからでも十分巻き返せる。

 

逆に日本国内で純粋培養するならば、日本語で高度な頭脳的処理と思考を先に学び、後から英語に変えていく方がまわりまわって効率がいいというのは的を得ている。

 

日本の英語教育の現場が変わらない限り、この傾向は続くだろう。

 

2、日本語とは別の英語脳を育てよ

 

これもその通りだと思う。

最近になってようやくはっきりと日本語脳と英語脳が違うことを意識的に識別できるようになった。

 

純ジャパそこのお前の英語脳は大学在籍時以降で形成された。

sokono-omae.hatenablog.com

 

正直、高校ではTOEICで300点台をたたき出すような人間だったが、それでも間に合うものである。

 

英語を早くから始めたことで何かが変わったかどうか?という問いについては正直答えかねる。

 

そこのお前も人生は1回だけなので、どっち良いかを身をもって体感したことはない。

 

が、一回だけ強烈に早く英語を始めていればと思う瞬間があった。

 

英語脳、確かに後からでも作ることはできるのだが、それでは遅い決定的な理由を痛感させられた。

 

日本語の議論よりも圧倒的にパフォーマンスが落ちるのだ。

 

これをもう少し説明する。

 

先ほどの英語脳は後からでも作れるという話にはもう一つ先がある。

日本語脳と英語のは脳のエリアの中で異なるエリアを使っていることが研究で判明している。

つまり、同じ部分を違う使い方をしているのではなく、そもそも違う部分だという話なのだ。

 

ここからはやや感覚論だが、上記の研究結果を考えて、明らかにパフォーマンスが落ちたという欧州に行ってから抱き続けた違和感の答えが出た。

 

言語はあくまで手段であり、言語を使って何をするかが重要になる。

そこまでは理解していたが、

 

言語の果たす役割は単純ではない。

しゃべる(伝達)・聞く(認識)・読む(認識)

 

以外にも、

思考する、記憶する、イメージする、理解する

 

これらの要素が加わってくる。

 

つまり、同じ人でも日本語で思考するのと英語で思考するので思考結果が異なるし、英語で覚えていることと日本語で覚えていることは同じではないということだ。

 

言語による理解も片っぽの言語で理解したら両方の言語で理解できているというわけではない。

 

過去に積み上げた抽象的な思考や感覚・経験の言語化は日本語では終わっているが、英語脳にはその蓄積がないため、即座に出てきにくい。

 

つまり、英語脳を駆使して英語を英語のまま理解し、英語で返そうとしている時にはせっかく日本語脳にしこたま蓄積してきた思考や概念理解がフル活用されないまま来ているのである。

 

これは結構深刻な問題である。

 

新たに積み上げた学習領域であればいいが、日本時代に無意識に獲得してきた膨大な量の思考の結晶は一から英語脳に互換性のある形で変換してやらないと出せるようにはならないのである。

 

英語で学習し、英語でアウトプットすることで英語脳ができる。

 

が、通常の純ジャパであれば日本語で過去に積み上げたものを英語でアウトプットするには日本語脳と英語脳の両方をフル活用しなければならない。

 

これを外国人やネイティブスピーカーに負けないスピードで精度高く出すには限界がある。

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そして、そこのお前はそこまで頭がよくなかった。

 

これが英語流の表現力とは別にあと一歩議論で踏み込めなかったり、言い返す力が足りなかったりする原因だと思う。

 

長年使ったiPhoneの簡単なデータ移植だって結構手間と時間を要するのにそれを全部iOSからAndroidに移植するようなもんだ。

しかも人生丸ごと。

 

人生数十年分の英語脳への移植なんて考えただけで震える。

 

無理やな。って思う。

 

これがまだ10年以内で済んでいたらどんなに楽だっただろうか。と思ったりする。

やっぱり早いうちから日本語脳と英語脳をリンク・同期する状態にしておく訓練が必要だと唯一思った瞬間だった。

 

ボキャブラリーやリスニング能力だけではない。

言葉を扱う時に起きる感覚と思考を英語で持っていないと海外ではフラストレーションがたまる。

 

日本語での思考が重要なのは言うまでもないし、そこをおろそかにしては全く意味がない。

 

また、両方の言語でギンギンに深くまで思考できるようになれという話ではない。

 

ただ、ひとつ思い知らされた。

日本語脳を鍛えても英語脳の作動中には即座には呼び出せない。日本語脳を鍛え、英語脳を鍛え、相互に脳のデータを共有するようにしなければならなかったようだ。

 

だったら英語を早くやっておけばよかった。。。

思考や感覚、概念を移植するトレーニングを。。。

 

そう思った。

 

これからは単なる伝達するための英語だけじゃなくて、この議論におけるスピードと思考の速さに対するアプローチを真剣に考えようと思った。

 

純ジャパは純ジャパなりにあがくとします。

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