【海外赴任】ぶつかった壁と人見知りの限界【英語】
海外生活でぶつかった最も大きな壁の話
か、敵わねぇ。。。
最も悔しい根元からボッキリとイキそうな挫折がそこにはありました。
そこのお前は欧州本社機能での勤務にていくつか悔しい想いを経験しました。
個人的には日本人が海外に出ても案外普通にやってけるよねって日本人にも外国人にも思ってもらうことが人生における一つの大きな目標です。
人見知りの日本人でも世界的に独特な日本人でも普通に世界に混ざっていけるという風に思える世界にしたいわけです。
そんな中で、味わった思い通りにならない現実の話をします。
コミュ障がぶち当たった限界
そこのお前は人見知りです。
そこのお前は表現が拙いです。
そこのお前は面白くない人間です。
そこのお前は昔からあまり話がうまくありません。
そこのお前は話題に乏しい人間です。
そう、日本語ですら。
日本にいる時からいつもおとなしい方、喋らない方というキャラの人間です。
そんなんなので積極的に自分のテリトリーを広げられないという弱点があります。
それに欧州では周りからも日本人という事で良くも悪くも様子見されます。
欧州ではこの弱点がもろに出ました。
この弱点のもたらす機会損失をまざまざと見せつけられ、過去のコンプレックスから劣等感から一気にゴリッとほじくり返されました。
日本を出ることでぶつかった壁
基本的に企業においてはより目立つ人間の方がいい仕事を得ます。
とりわけ外資系企業なんかはそうです。
より周りによく知られている人の方が評価を得やすくなります。
これは人見知り・ビビり・臆病・つまらないを兼ね備えたそこのお前にとっては残酷な現実です。
そのため、非常に際立つわけです。
自分の存在感の無さが。
欧州という彼らのホームグラウンドにいるわけです。
決して最高とは言えない英語力で。
初めての海外生活で。
そんなハンデを背負いながらでは会話も下手になりますし、かゆいところに手が届かないもどかしさが続くわけです。
これは堪えました。
劣等感をギンギンに掘り起こす強い体験でした。
特に何が苦手って感情表現が恐ろしくへたくそなのです。
喜ぶのも悲しむのも。
対して欧州の人は非常に感情表現が豊かです。
比較的わかりにくいと言われる北寄りの人たちですら日本人に比べると非常に豊かです。
たぶん、同じ言語レベルだったとしても彼らの方が表現力は上、話もうまく、話題も豊富。
そんな気がするのです。
これを苦も無く順応できる人は本当にすごいと思います。
短期間の間には克服しきれませんでした。
かなり手探りでの体験を繰り返しながら、少しずつ上達はしましたが、奇跡はおきませんでした。
そりゃあ、日本の中で日本語を使っても十分ではないのに、慣れない英語でしかも欧州の人相手には敵う訳がありませんね。
笑い話やバカ話での存在感がゼロ。
面白くない人がもっと面白くなくなったら待ち受けていた現実は悲惨な物でした。
面白い話の一つや二つもできないのか。。。と自分で思いながらタイミングを合わせて笑ったりリアクションをするという超絶消極的な状況でした。
会議でも場を和ませることもできなければ、わかりやすい説明ができるわけでもありません。
電話会議ではもっと苦労します。
そもそも顔も見えず、ジェスチャーも何も伝わらない中で言葉だけですべてを伝えようとするわけです。
そんなもんだから人脈が広がらないわけです。
一度仕事をすれば信頼してもらえますし、きちんとした質のものは出せます。
ですが、困ったことにいい評判が広まらないわけです。
簡単に言えば、めちゃくちゃ面白いブログを書いているのに世間的認知度がめちゃくちゃ低い!
みたいな話な訳です。
これ、まぁ損なわけです。
それに、悔しさの残る損なわけです。
敗けていないのに敗けたみたいな。
そう!自分たちのサッカーができなかった日本代表と同じです!!
あと一つ相手に切り込むことができないという非常にもやもやの残る敗けです。
全く歯が立たずに完敗したわけでもなければ、全て出し切って負けたわけでもありません。
人に影響を与えるパワー
そもそも、そこのお前は日本人としてもあまりトーク力がない自覚があるわけです。
致命的に無いとは言いませんが、弱いです。
欧州の人たちはその技術が恐ろしく高い。
議論や会話を通して人に働きかけていくことが非常にうまいです。
どうやってギリギリセーフなレベルにしたかというと、大学時代に周りから大学デビューだ!などと揶揄されながらも積極的にコミュニケーションが取れるようにするように進化を図った時期があります。
かなり苦しかったですが、とにかく人と関わる、とにかく人と話す、とにかく自分を表現する。
これを無心で繰り返しました。
今となっては黒歴史的な部分もあるわけですが、量をこなしたことで少なくとも致命的な弱点である状態からは脱却したわけです。
技術的にマネしやすい部分までは何とか習得できた程度
まだまだ周りの上手い人に比べるとダメダメなわけですが、それでも何とか社会的にやっていけるレベルにまではなったわけです。
それでも営業ができる自信なんてありませんし、雑談からぐいぐい相手の心を引き寄せていくなんてこともできません。
なんだかんだ話が上手な人は強い
英語の慣れの問題もありますが、本当に話がうまくないことで苦労しました。
英語での議論や対話を繰り返すことである程度克服できる技術的部分ではありますが、本質的にはセンスの問題です。
相手にうまく伝えるシンプルさ
相手の思考を読み取る観察眼
要所でジョークやたとえ話を挟む機転
抑揚の付け方や話の展開力
これらは練習しようと思って練習できるかというとそう簡単ではありません。
身の回りにお手本があればマネすることができますが、日本にいながら独力で身に着けるのはそう簡単ではありません。
親が外国人とかパートナーが外国人とか親友が外国人ってレベルまでいかないと難しいわけです。
なんなら口説く技術とかモテトークをする技術とも似ています。
日本の教育ではそんなこと教えてくれません!!
純ジャパで外国人を英語で口説き落としたことなんてありません!!!
(※日本語でも別にうまくねーだろって話ですが。)
まぁそう言うわけで貧弱なボキャブラリーと貧弱な説明テクで戦うわけです。
みんなが機関銃を持って戦争している時代に気の棒っ切れもって相手陣地まで突撃に行ったようなもんです。
頼れるのは己の頭脳と実力のみという状況です。
ぼろ負けです。
苦しい状況からひっくり返すみたいな粘り腰はほとんど作れません。
それも仕事ですから、負ければアウトなわけです。
単なる英会話や雑談と違って、きちんとした質が求められる高い壁です。
気の利いた返しもできません。
議論における反応スピードも英語の時に比べると格段に下がります。
感覚的には70%ぐらいでしょうか。
どうしても反応が遅れてしまいます。
英語でやろうとすると脳での処理上で手数がかかります。
英語で聞くー>日本語脳に日本語で流し込むー>日本語脳で思考するー>日本語脳から英語脳に流し込むー>英語でしゃべる
日本語でやった場合は
日本語で聞くー>日本語脳で思考するー>日本語でしゃべる
たったこれだけです。
このサイクルを繰り返すわけなんですが、結構な手数の差が出ると思いませんか?
結構なタイムロスが生まれていると直感的に理解できると思います。
特に日本語で思考した内容に英語のボキャブラリーやフレーズが対応していないとさらにスピード・クオリティのロスが発生します。
なんならどれぐらい遅くなるかについて測ってみたいぐらいです。
文書で表現する場合はまだ問題ありません。
考える時間があるわけです。
(※そこのお前は文章もそんなにうまくありませんが。。。)
が、書くだけで終わるわけありません。
多くの場合はしゃべって伝えなければなりません。
しゃべってしゃべってシンクロ率を上げなければなりません。
これに積み重ねが少ない経験不足の壁を感じました。
思ったことが言えないもどかしさやイライラ
これって子供の時に持つ言葉にならない時の感情的衝動と同じなんじゃないかと思ったりします。
伝えられた時の喜びたるや言いようがありません。
だからこそ、また挑戦したいと思う訳なんですが、同時に自分が限界を感じる部分でもあります。
もちろんこの1年でかなり上達したことは間違いありません。
最初よりは格段にしゃべれるようになりましたし、最初よりはずっと思ったことを伝える精度も上がりました。
ですが、理想とするレベルには程遠く、このままでは勝てない。と限界を感じたわけです。
それでも評価的には問題なく張り合える評価をもらいましたし、戦力としては十分機能していたわけですが、それでもスターにはなれませんでした。
誰もが認める素晴らしい人材となるには至らなかったわけです。
日本でやるようにはできなかったわけです。
最後に及ばなかったのが、人見知りでコミュ障という30年近く抱えてきた弱点という事にそこのお前自身の限界を感じたわけです。
もうできるところまでやってダメなら力及ばずでした。
って悔いなく諦められるのですが、まだ限界までは挑んでいません。
まだまだ長い人生やり返すチャンスとやり残した努力がある
だからこそ、もう一度壁にぶつかっていこうと思うわけです。
この挫折を糧にして改めて日本語における日本人としての人格も英語におけるコミュニケーション力もさらにワンランク上へのレベルアップを図っていきたいものです。
純ジャパなりのささやかな反骨心です。