会社を親に見立てて、期待するという淡い関係を卒業した話
今週のお題「卒業」
卒業という事でなんとなく、Ad hocに書きます。
会社に面倒を見てもらう思考を卒業した話
そこのお前は外資系企業にて成果主義の下、新卒入社以降そこそこのキャリアを泳いできました。
決して歴史に名を遺すようなスターでもなければ、早々に去るような落ちこぼれでもありません。
まぁまずまず悪くない若手という程度です.
が、それでもこのタイミングにぶち当たりました。
会社が若い個人に対して親のように貢献できる限界が見えてきたわけです。
会社に期待する
どことなく、会社を親ととらえ、子供のような気分でいたことも確かです。
新卒として社会人のイロハを叩きこんでもらいましたし、新卒入社の場合は最初は会社も親のように接しようとしてきます。
(※モンスターペアレントな会社もありますが、そこのお前はいい親でした。)
ありがたい話ですが、それに乗っかって子供のような心を持っていました。
甘い考えといえば甘い考えです。
大企業に入ったり、安定志向でキャリアを構築する場合は無意識にそうなりやすいかもしれません。
今日、大半の会社は社員の面倒を十分に見れる余裕はありません。
リストラをやる会社もあれば、福利厚生を削ることもあります。
昔みたいに社員が集合社宅に住んだり、上司部下の家族ぐるみの付き合いが良しとされる文化でもなければ、どんなことがあっても身内として守るなんて雰囲気でもありません。
今やコンプライアンスも厳しくなり、企業も社員を必要以上に守ることのメリットや気力を感じにくい世の中になりました。
おそらくこの流れは止めることはできないでしょう。
これは日本の企業が十分な成長を享受できない環境の中で、社員も十分な昇給を得ることができずに来ました。
さらに、欧米的なキャリア志向が高まってきたことや、欧米式のコンプライアンスや労使関係が侵食してくることで会社は個人に対して最小限の介入しかしないようになりました。
同時に労働者も会社との密な関係を嫌うようになりました。
飲み会や会社イベントは面倒ですし、長時間労働やハラスメントがあれば内部解決よりも正式に訴える人も増えました。
労働者は気に入らなければ転職もしますし、企業だってリストラなどで整理をするようになりました。
ですが、過渡期の難しいところで大部分の人はまだまだ会社に対して忠誠心をある程度持ちながら仕事をし、様々なリターンを望みながら会社に所属します。
会社にはつい要求に近い期待をしてしまう
給料上がらないかな?
とか
自分のやりたい仕事させてくれるかな?
とか
自分の望んだ時期に異動できるかな?
とか
苦しくない仕事環境にしてくれるかな?
とか
言い出したらキリがありませんが、やっぱり理想は理想であるものです。
会社に期待することはいいことなんですが、期待と要求は違います。
期待はいつしか要求に変わり、思い通りにならない現実を誰かのせいにしている自分がいました。
給料が上がらないのは自分のことを評価しない上司のせい。
と人のせいにしてみたり、
やりたい仕事ができないのは会社の方針がおかしいせい。
と会社が悪いと批判してみたり、
自分の結果が出ないことを周りに原因を作ってみたりしていたわけです。
まぁまるで親のせいにする子供みたいな思考がたまに混ざったりするんです。
上司が理想的な上司じゃないとか、会社が思った通りに自分を扱ってくれないとか。
でも5年以上社歴を重ねてようやく体験を込めて実感しました。
いくら言ってもキリがないし、何も変わらない
会社に期待したり、上司に期待することは結構ですが、要求してはいけません。
要求しても、会社が悪いとすることが何も変化をもたらさないことに気が付きました。
結局、欲しいものは自分で会社からつかみ取るか、会社を去ってつかみ取るしかないわけです。
会社や誰かのせいにすることで、自分は悪くない!という自分なりの防御陣を張ることはできます。
ですが、それは防御であって、何も得るものはありません。
もちろん、自分に非があるとされない程度に防御する必要はありますが、防御の機能はそれまでです。
会社のせいにしたり、誰かのせいにするというのは攻撃手段としては非常に貧弱です。
周囲の反感も買いますし、会社を批判してみたところですぐに会社が変わってくれるのであれば最初からそんなに苦労なんかしません。
つまり、自分以外のせいにし、会社に何かしらの要求をすることで得られるものがあまりに少ないことに気が付いたので、「会社に期待する」ことをやめたわけです。
代わりに、自分に期待することを始める
自分や社会全体に期待し、自分が会社に依存しない状態を作ることに注力するようになりました。
転職は当たり前、副業も徐々に一般的になりつつあるこの時代、会社に対しての自分自身の競争力は比較的作りやすくなってきました。
もちろん、すぐに転職したりすることにはリスクも伴うわけですが、一つの会社に依存しない働き方という意味では非常に幅広く柔軟な選択肢を取ることができるようになったのです。
会社から何かをもぎ取りたければ、自分で考え、行動し、戦略的に勝つ。
会社以外で何かをしたければ、自分で考え、自由に行動する。
結果的に会社や会社以外で何かをつかみ取れるようにするには何をすればいいか?
という思考に切り替わりました。
会社にいることを前提ともしていなければ、会社に対して心を閉ざしているわけでもありません。
ただ、会社ができる限界はどこなのか?自分ができることな何なのか?
とにかく、出来ない理由探しと会社依存の心を脱却したことで、より思考の幅が広がり、自分で考えられる選択肢が増えました。
選択肢が増え、自分なりに行動している時の方が楽しかったりするんです。
こればっかりはやってみないとわからない境地ですが、会社が何かするんだ!って思っている部分が多ければ多いほど不自由な思考に自分を追い込んでいると言えます。
この関係を卒業した結果、実は会社からの見られ方も変わりました。
今までは会社に文句を言っているけど、どうせそれ以外の選択肢はないんだろ?程度にあしらわれていました。
それが、会社としてもある程度きちんとケアしないと愛想をつかされてしまうという危機感を覚えるようになったようです。
つまり、依存しない対等な関係に引き戻すことができたわけです。
会社を親と扱うことは悪いことではないですが、いつかは親離れしないといけません。
いつまでも親離れできないキャリアは不自由なキャリアそのもの
会社に対してコンプレックスを抱く原因になりえます。
会社に依存しているのに会社にわがままを垂れていては親が子供をあやすようにしか対応されないわけです。
いくら理論武装してもキレ散らかしては本心を見抜かれてしまうものです。
これから社会人になる方も、これからバリバリ働く方も、今働いている方も自らと会社の関係の中で依存しているところがある場合は断ち切ることを考えてみてはいかがでしょうか。
甘えられるときは甘えていいですが、甘えても意味がない時に甘えてもただただ疎んじられるだけですし、自分たちの望みも叶いません。
ぜひ、若い世代は強い心を持って会社ではない自分を構築し、自我を持ったキャリアに邁進してください。
会社に飼いならされる人が増えれば増えるほど、賃金も抑えられてしまいますし、不平等な待遇でも上から目線で絞られてしまいます。
これから日本において人は貴重な資源となることでしょうから、ますます立場は対等かそれ以上になりうるはずです。
そういう意味でそこのお前は会社との親子関係を卒業することができました。
会社には感謝していますが、もう親子のような明確な上下関係ではありません。
これからも自由を噛み締められるような人でありたいものです。
ではでは