そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

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【欧州】他を引きずりおろすのか、自分を引き上げさせるのかの話【メンタリティ】

今日は欧州の経験の中にいろいろな話をして感じたことを書きます。

 

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

日本人とは思考が全く違う彼らですが、その中で「あ!いいな!」と思った違いがあります。

 

ちょっと下記のケースを考えてみてください。

 

さて、会社で全く仕事をしないのに、ものすごい給料をもらっているGさんがいたとします。

 

その一方で、ものすごく仕事ができるけど、給料が低いAさんがいたとします。

 

もう少し具体的にイメージが湧きやすくしてみましょうか。

 

Gさんはただただ作業が遅く、他の人の倍かかって仕事をします。

残業もかさみ、年次も高く、給与ゾーンは非管理職のほぼ上限です。

 

若手で何倍も仕事できて、定時で帰るAさんと比べると給与には3倍程度に開きが出ます。

仕事量はAさんの3倍勝ち、給料はGさんの3倍勝ちです。

 

単純に仕事量に報酬が比例するならば、Gさん基準で行くと、Aさんは本来の9分の1しかもらえていません。

 

少しデフォルメされてはいますが、これを例題とします。

 

さて、これを見た時にどう思うでしょうか?

 

 

A,その働かないどうしようもないGさん(じーさん)の給料を下げろ

 

B,その働かないじーさんが損ぐらい貰うならAさんの給料も上げろ

 

C,今の給料ならジジイの3分の1しか働かねー!

 

私怨がこもっているのか言葉が悪くなってしまいました。

さて、この現象、割と多くの人が経験しているまたは周りにそういう状況があるんじゃないかと思います。

もちろん、歴史的な経緯も含めてそうである理由も存在します。

若い時はひたすら低い対価で労働し、年を経た時には仕事に対して比較的高い給料をもらうというトータルで見れば±ゼロであるという主張も成り立ちますが、今は時代は変わりました。

 

さて、このケース。

 

欧州にいてものすごく驚いたのが、

Bの思考に人が圧倒的に多いという事です。

あるいはCですね。

 

日本にいた時は、あの働かねーヤツの給料は下げろ下げろという話が連呼されていたのですが、欧州にいると、じゃあ俺にもよこせ!

あるいは、もらった分の仕事しかしねーぜ!

 

となるわけです。

 

この違い、最初は驚きこそしましたが、違いを感じる上でものすごく決定的だったなぁと思います。

 

日本にいた時は、同じコストを使うならという無意識のバイアスがかかっている人が多かったです。

会社の人件費増を気にしたりしながら、同じ人件費という会社の支出の中で限られたパイを食い合うなら仕事ができるやつに比較的多く食わせろという考え方ですね。

 

日本人、まじめですね!!

 

 

ですが、欧米の人はそんなことは考えません。

いかに会社から搾り取ってやろうという事の方を先に考えます。

 

ですから、もっとよこせとなるわけです。

 

もし、給料が高いヤツが仕事をしていなくてもその額をもらえるなら人件費というパイを大きくして低いヤツを高くしろ!という思考が働きます。

 

会社の人件費なんて会社が考えることだからね!って感じです。

 

できないならもっと売れや!とか値段上げればいいじゃん!とか広告投資や設備投資を少しでも減らせや!なんて考えです。

 

もしかしたら日本人のデフレを引き起こすメンタリティはそこにあるのかもしれません。

 

不当に低い方が上げるんじゃなくて、不当に高い方を下げる。

 

どっちが正解かというよりは人の思考の癖の違いです。

正直、絶対的正解はありません。

状況によりますし、実行可能かどうかの壁に阻まれることだってあります。

 

ですが、このメンタリティの違いを見た時に、個人的には高い方に合わせろや!って方が幸せになる人は多いなぁなんて思ってしまいました。

人は会社を発展させるために生きているわけではありません。

 

逆に会社は人や社会を発展させるために存在することがほとんどの基本です。

会社が用意するサービスでも提供するものでも働く人でも。

 

となると、あまりに会社のことを慮りすぎることは美しい側面もありますが、それで愚痴まみれ・不満まみれになってしまっては本末転倒だと思ってしまったのです。

 

なぜここまで差が出るかの理由はちゃんとはわかりません。

国民性の問題なのか、教育の問題なのか、ただ単に会社の問題なのか。。。

 

もちろん、十分なお金をもらっていれば文句もそこまで出ないかもしれません。

全員が十分な水準の給料が出ていれば誰が高かろうが特に気にならないものです。

ですが、現実はそういう風にはできていません。

 

特に日本では、それでもどんどん生活する上での最低物価は上がっているにも拘わらず、平均年収が未だに平成1桁年の水準から変わらず、むしろ超えない世界が広がっている訳です。

 

同時に、Gさんたちがもらえるような高い給料をもらえる期待可能性のある年功序列賃金と終身雇用制度は過去の幻想と化してしまいました。

 

それではAさん世代からは当然文句が出るようになります。

 

20年間平均年収維持ですからね。企業は企業で物価を上げている癖に。

 

やってくれたな!

 

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

って思っていいはずです。

 

ここで、上げるという風にはならず、周りを引きずりおろす方向に行くのはどうも不健全なように見えるのです。

それに世界的に周りも上がっている中で日本が労働力確保における競争力を保つにはどうしても高い方に合わせるしかない気がするわけです。

 

それに、個人的な感情では、やっぱりもっとくれ!って思うことは多々あります。

それを隠して高いヤツを下げろ!っていうよりは俺も上げろ!といった方がはるかに健全と思った次第です。

 

なんて。

今日は全く論理的でなく、感情的な部分に終始しましたが、欧州のメンタリティ、個人が幸せになるうえではいいな~なんて思ってしまいました。

 

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

逆に欧州の人たちはお金がなくても幸せそうに生きているアジアの国々の人がうらやましい!なんてテキトーにかましてきたりしますけどね。。。

 

どの世界も自分以外のどこかに幸せを投影するという癖は抜けないようですね。

 

でも、この考え、一つ参考にできる状況がないかな?っていつも考えています。

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

ではでは