【働き方】欧米には残業がないという幻想。~残業は普通に存在する~【謎理論】
残業することが悪だという思い込みについて
今、日本に溢れる残業に関する言質の中で気になる言質がある。
残業はカッコ悪くて、無能の象徴と扱わなければならない。
加えて
欧米では残業は悪であり、評価が下がる対象とされている。
という話が盛んに主張されるようになった。
これ、出元はどこなのだろうか。
いろいろな残業に関する記事や研究を見ても、一概に残業が絶対悪であると取り扱っているものは少ない。
残業が意味を成す瞬間の存在を認める記事やビジネスの前線における証言も紹介されているし、例外の存在は認めざることを得ないことも併記されている。
唯一絶対悪とされているのはサービス残業ぐらいだ。
どうしてここまで残業が絶対悪扱いされているのだろうか。
欧州にいてもその考え方は違和感を感じる。
事実、欧州においても残業する人は普通にいる。
が、事実として欧米の残業時間が日本に比べて少ないことは統計データが示している。
試しに欧州の統計を見てみたが、問題にならなくて、研究価値がないからなのか誰も労働時間なんか調べないのか、最新のデータの解説を取るのに苦労した。
欧州の統計自体はEurostatというサイトで入手できるのだが、2016年の統計では、EU平均で40.3時間、最も高くてアイスランドの約44時間、最低でデンマークの38時間だ。
(フルタイム雇用者が1週間のうちに平均的に働く時間数の統計)
国や企業によって週での指定労働時間は変わるが、一般的な40時間ベースでみたらほぼ残業がないことがわかる。
欧米の人たちのライフスタイルからしても、プライベートに影響が出るようなハードワークをさせられたくないということは多くの人が思っている。
対する日本はこれでは収まらないと思ったあなた!
それが違うようなのだ。
平成28年時点での厚労省の統計でいえば14.4時間が日本の平均的な一般的な月間残業時間とされている。
週単位に直すと3~4時間程度だ。
詳細は以下から確認できる。
「毎月勤労統計調査 平成28年度分結果確報 第2表 月間実労働時間及び出勤日数」(厚生労働省)
すると週40時間労働で見たとしても残業込みで43~44時間という事になる。
先ほどのヨーロッパの統計と比べて圧倒的に差があるとは言いにくい。
そんなに働きすぎか?日本人?
てこの数字を見ると思うわけだ。
話がいきなりそれるが、そもそも日本の残業時間の統計は信用できるのだろうか。
肌感覚ではもっと多いと思う人は結構いるんじゃないかと思う。
そこのお前も一時期は12か月の総労働時間が3000時間に到達した時期もある。
周りも毎日1時間程度の残業で終わらせているとは到底思えない。
そこのお前やその周囲が例外だとしても経団連の18年の調査では製造業においても3%の人が年間労働総時間が2400時間を超えている。
この平均14.4時間は全然肌感覚と一致しない。
ちょっと違うなと思うのは欧米も同じ
そこのお前は欧州では大企業だが、トップ役員や重要役職の連中になると結局土日も働いている。
連絡は普通に来るし、そうでもしないと必要な結果をたたき出せないというプレッシャーは重い。
結果が出なければがっつり報酬が減りかねない世界である。
だから、管理職の方がハードワークで高給をもらうことができる。
冷酷な事実ではあるが、より金を稼ぎたければハードワークの可能性が高まるのは欧州でも同じである。
それにそこのお前の周りも管理職以外ですら急な仕事が来たり、緊急度が高い仕事は残ってやる人もいた。
場合によっては部下に残業を命じることもあるし、いわゆる定時外での労働は起こりうる。
どうしても緊急の要件で仕事をすることはあるし、上昇志向の強い人間は仕事をしている。
家に帰って仕事をしている人だっているし、工場の作業員やサービス業などの単純な自給換算が可能な仕事には残業代だって出る。
そこのお前はホワイトカラーワークだが、周りでも長く働く人はいる。
彼らは年俸制で残業代という概念がないにもかかわらず。。。
これも日本の基準に照らすとサービス残業である。
それにコンサルタントや金融トレーダーは事実長時間ハードに働いている。
だから、残業や長時間労働そのものを絶対悪Or無能と扱う考え方は欧州でも見たことがない。
とはいっても、欧米には残業に強い規制がある国がある。
ドイツやフランスなんかはそうだ。
が、残業をしても、質のいいアウトプットが出て、本人のワークライフバランスおよび健康に支障がない範囲においては誰も文句は言わない。
それに本人がコントロールできない周囲の人間に振り回されることによる残業は当然発生するし、それに対応せざるを得ない場合もある。
問題なのは
残業に対して定められた対価を出さない環境や仕組み
投資対効果に見合わない残業
個人のパフォーマンスを維持できる限界を超えた長時間労働
この3点である。
労働時間にかかわらず、スピードが遅いことがいい評価を得ないのは万国共通だし、納期に間に合わないことで評価が下がることはある。
欧米では~なんていう主義や便利な方便を借りなくても人よりも余計なコストをかけて同じ量の仕事しかできないことは問題であることは簡単に想像がつく。
同じアウトプットを人より時間をかけて出していれば、いい評価が得られないのは当然だし、それでさらにいい給料がもらえるとなったら人は真面目には働かない。
残業をしたくない人はもちろん多いが、仕事上で必要な成果を出すために時間外にも仕事をする人は割といる。
なんなら、管理職以上になると長時間労働の層の割合がぐんと増えるように感じる。
だから、残業そのものを悪と扱う事例は遭遇したことがない。
これは欧米の話とは全く別物だと思う。
例えば、定時中にダラダラやって、残業だけして帰るというものは問題かもしれない。
が、それは残業が悪というよりは定時中に怠けることあるいはそれを許す環境が悪なだけで本質的には残業の是非の話ではない。
サービス残業が統計に入っていないとすれば、それは問題である。
払うべき対価をすっ飛ばして成果だけを得ようとしている統計にも表れない厄介な存在だ。
(※これはケースバイケースで、本人が本当に実力がなくて他の人よりも遅くて残業と扱えないのかもしれないが。)
働き方改革においてアプローチすべきはこの部分である。
が、あまりに過激化した冒頭の主張のような残業抑制の動きに過ぎたるは及ばざるがごとしの匂いを感じている。
なぜなら世界中のどこにも一般的になっていない主張をあたかも当然かのように主張しているからだ。
なんならゆとり教育と同じように次の世代には緩くしすぎたことを認めざるを得ない時代が来るかもしれない。
このような主張をしたところで一番アプローチしたい残業代も払えないけど社員を酷使しなきゃ生き残れない企業には実効的な効力が限定的に留まるだろう。
こんな主張などどこ吹く風で生き残りをかけて働かせているだろうし、社員も必死になって働いているだろう。
一番ターゲットとしたい「残業」をあの手この手でもみ消し、なかったことにするブラック企業や正当な対価を払わない部分へのアプローチのはずが、全うにやっている企業や個人の価値ある残業にすら罪悪感を植え付けようとしている考え方はかえって劣化した考え方かもしれないと思う。
絶対悪と扱わせるのは少々行き過ぎである。
超絶過重残業を経験し、ほぼ残業ナシの生活も両方経験したが、それでもそう思う。
絶対悪とするには常々労働人生と隣り合わせすぎるし、意味がある残業は確実に存在する。