そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

上司に求められる完璧性と部下がありのままでいい文化について

 

今までは部下が完璧性を求められ、上司がありのままでいい文化だったようです。

 

タイトルと比べて、どっちがいいかの答えは不明であるが、まぁ片っぽだけが楽をできて、片っぽだけが頑張らされるという状況はどう見ても不公平感が漂います。

 

正直、Give and takeであり、上司に完璧を求めるなら部下としても完璧を追求する。

ないしは、人間どーせこんなもんって割り切って上司も部下もありのままになる。

この2つのバランス感覚だと思います。

 

部下はありのままでいいけど、上司は清廉潔白・クリーンで理想的な存在でなければならないというのは上司としての心がけという意味では非常に意識が高いが、部下が自らの上司に要求するにはちょっと筋が通らないんじゃないでしょうか。

 

とはいっても、高い給料をもらってその立場にいるのだから、部下よりも高いレベルであらねばならない。という言い分も理解できるが、その要求内容は部下が決めるものではないとも思います。

 

まぁ、こういった逆転現象がトレンドになる背景として、昔は教師も上司も完璧じゃない点を勢いと文化および組織的カルチャーでごまかして絶対的な存在と位置付けました。

それは年上こそ偉いという文化と年功序列制度が融合してさらに強固になり、年上が多少理不尽でもその通り尽くすというカルチャーを培養してきました。

 

そういった硬直したヒエラルキーや統制機構の不在が体罰パワハラ・セクハラなどの一部の悪行を生み出してきたことも事実です。

 

しかし、成果主義の広がりに伴い、柱の一つであった年功序列制度は緩やかに終焉に向かいつつあります。

同時に、年上こそは偉いといういわゆる儒教を起源にする文化も圧倒的に早くなった社会の変化やグローバル化によって、その合理性を失い、昔ほど顕著ではなくなりました。

(※年上世代の自己認識はさておき、少なくとも若い世代から順に無条件年上崇拝という認識を持たなくなったと感じます。)

 

更に統制機構も欧米をモデルに強化されつつあり、役職や組織上の立場関係の絶対性も各種ハラスメント防止等のコンプライアンス働き方改革の文脈で制限されたものになってきました。

 

そして、過去20年程度を失われた20年などと呼び、成功が少なかったことから上の世代も自分たちに絶対の自信を持つ客観的説得力に乏しく、下の世代も上の世代に対する信頼感や尊敬感が醸成されにくいという点がさらに拍車をかけているんじゃないかと思う。

(ゆとりVSバブル世代や氷河期世代などの世代間の差の拡大も大きく影響?)

 

部下や年下世代にとっては、不満や理不尽を我慢して強制的に自己消化させるという時代から、きちんと表明し、行動していけば環境を変えられるという時代が来ていると言えます。

それは特に東京などの選択肢が豊富で競争が激しい場所で顕著で、「嫌ならやめればいい」という手段の取りやすい場所で加速しているかと思います。。。

 

とりわけ外資系企業なんかは人材の流動性も高く、中での下克上も起こりうるので、我慢するぐらいならやめるか実力で黙らせるという主義に寄っています。

 

とはいっても、閉鎖的な環境や狭い環境、非常に少数で構成された環境などの選択肢が少なく、個人の評判が広まりやすい状況下では、個人が受けるダメージを比べると我慢したほうがリスクが少なく合理的に見える場合も多いので、日本全体がそういった傾向にあるというわけではないけれども。。。

 

ただし、そういった物理的に遠かったり、特殊な場所であっても、少なくともSNSの台頭で物理的な場所にとどまらない選択肢を獲得することができるようになりました。

 

少し大きな話にそれてしまいましたが、こういった変化を受けて、法整備の改善で守られたかつ他の選択肢が多い環境の中で自らの組織を健全に保つためには、適法性と労働・組織環境の点での魅力を担保しなければならなくなりました。

これによりたくさんの制約を受けるのが会社側であり、その最前線は部下を預かる中間管理職です。

この中間管理職により多くの制約がかかるようになりました。

 

まぁ、中間管理職というのは昔から論点になりやすいもので、名ばかり管理職だったり、プレーヤーを兼ねさせられるプレイングマネージャーだったりとその立場につくことに魅力を感じにくい世の中になっていきています。

ちょっと多めの昇給と引き換えに超絶負荷が高まる立場になりたくないなと感じる人が増えています。

そりゃそうですよね。自分が部下時代にさんざん上司に要求できるようになって苦労しているのを見てきているわけですから、自分もそっち側に行きたいかというと二の足を踏む状況は当然出てきますよね。

 

これは自営業で社員を抱える人とっては当たり前の話ですが、大なり小なり人を束ねるポジションにつくと、自分の仕事だけでなく他人にも責任を持つように変わります。

逆に多くのサラリーマンにとっては超守られた環境で残業代も潤沢に出て、責任範囲を限定できて、かつ成果の多寡に縛られにくい環境が目の前にあるものだから、自ずと管理職になりたい人間は減ってきます。

 

当然そうですよね。年功序列でもなく、優位性やチームコントロールに様々な制限が増え、非常に繊細なバランスを保って結果と部下の両立をしなければならないわけですから。

 

実は欧米も結構そうです。管理職に興味がない(もしくは、絶対なりたくない)人って結構多くて、バリバリキャリア志向の人間とのんびり働いて嫌になったら会社変えようってあっさりした人の両極端さが激しかったりします。

 

そして、日本人がイメージするほどクビってなくて、日本と同じぐらい解雇に対するハードルは存在するので、すぐに首を切られるということはありません。

そのため、欧州式の働き方を入れていくと、管理職がとても苦労する仕組みに変わります。

 

すると、超絶勝ち気で上昇志向の強い人間か、どうにかしてたくさんお金を稼ぐ必要があるまたは稼ぎたい人、仕事が楽しくてしょうがない人やその先に夢を見る人しかそういった管理職に就かないようになる。

 

もちろん会社事情や成り行きで仕方なくそうなる人もいるだろうが、その場合はモチベーションは恐ろしく低くなることが懸念される。

もはや被害者意識すら感じる人も増えるだろう。

 

それは果たして健全だろうか?

 

どうも、管理職が疲弊している企業のほうが圧倒的に企業・部下にもたらす悪影響が大きいんじゃないかと思います。

働き方改革は中間管理職を楽にすることも含めて、幅広く対象を広げないと浸透もしないでしょうし、職位間対立もあおってしまうんじゃなかろうかと。

 

とはいっても、おそらく、しばらくの間は労働者保護を重視したトレンドは続くんじゃないかと言えます。

この話以前に労働者が過度に虐げられてきた事例が山ほどありますから。

 

たとえ、それによって権利を盾にわがままを繰り返すモンスター社員のようなものが増えたとしても、しばらくの間は対策に手を焼くでしょう。

 

それでも時間がたつと、昨今の教師をあおりまくって体罰を誘発させた生徒や土下座強要などで話題となったモンスターカスタマーのように逆の労働者保護の闇の部分も問題視される日がそう遠くないうちに来ると感じています。

 

それまでに健全な組織となるべく、中間管理職にもスポットライトが当たったほうがいいんじゃないかと思った次第です。

 

そんなところです!

 

そんじゃ