そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

尊敬する上司が働かないおじさんになった瞬間の話

そこのお前には尊敬する上司がいた。

入社当時から、この人の下で働きたいと衝動的にときめく上司が一人だけいた。

 

残念なことに入社時の配属は異なるチームだったが、初配属のチームの上司に次にどこに行きたい?と聞かれたときには一貫してその尊敬する上司のチームを名指しで言い続けた。

 

普通はやりたい仕事や将来のキャリアに基づいた職種で異動希望部署を指名するらしいが、そこのお前の場合は仕事は何でもよかった。

 

正直、新人だったのと大学の専攻とも関係なかったため、どのチームに行っても新しい仕事であり、キャリアの過程でいずれ全てやるだろうと思っていたため、特にその順番や特化したいエリアは決まっていなかった。

 

それよりも尊敬できる上司の下で働く方が絶対にいいことがあると思ったし、その価値があると思える上司が会社にいるのにそこに行かない手はないと思った。

 

飲み会だろうが正式な人事とのミーティングだろうがあらゆる場面で一貫してそれを伝え続けた。

 

もはや恋かもしれない。

 

 

片思いでもいいからとにかくついていきたいと半ば合理性を超えるほどの何かがあったのかもしれない。

 

ただ、どうやら自分の周りでその上司を推すのは自分一人だけだった。

会社には別にカリスマ性の高い人がもう一人いたため、そちらの方に人気が集まっていた。

 

そこで、「これはヤバい!」とは思わずに「ラッキー!一本釣りじゃん!」と思っていたあたり既にどっぷりハマっていた。

 

そんなラブコールに気が付いてくれたのか、尊敬する上司もそのチームに次にとるならそこのお前がいいと指名をもらえるようになった。

(※外資系企業は人事が次の場所を決めるというよりは各上司陣が話し合いでだれをどう取り合うかを決めるのが一般的だったりする)

 

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そして、入社して1年が経過し、そこのお前等の新人含む若手勢が一斉に異動する時期が来た。

初年度に不本意ながら非常に悪い評価をとったそこのお前を変わらずドラフト一位指名で取ってくれた。

 

そこのお前にとってはそれが嬉しくて堪らなかった。

悪い評価で自信もへったくれもないしょんぼり下降気味の2年目の若手を可能性にかけてとってくれたわけだ。

 

改めて仕事しっかりやろうという気持ちが芽生えたし、その気持ちを察してなのか、よく目をかけてくれた。

 

きちんと育ててもらい、学ぶ機会も仕事の実績を積む機会も得たことから、1年目の悪評価は塗り替えられ、「そこのお前、案外悪くないじゃん!」ってレベルまでには持ち直すことができた。

 

その後も、非常に小規模なチームであったこともプラスに働き、集中して育成をしていただき、若手としては十分な幅広い経験とスキルを手にすることができた。

 

ここで学んだ仕事・上げた成果は欧州本社勤務での礎にもなり、結果的にはその後の人生を大きく変える異動となった。

 

その間、尊敬する上司は、勝手に自分が抱いていた理想像に違わぬ頼りになる上司だった。

 

 

論理的思考力と戦略性

周囲への説得力

周辺知識や背景の幅広い把握

わかりやすい教え方

 

それらをバランスよく過不足なく兼ね備えた素直に頼りになる上司で、仕事における原則や基本を教えていただいた。

 

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苦しい状況やミスがあってもよく守ってもらったし、うまく活躍の場を作ってもらえたことで、非常にのびのびと仕事をさせてもらった。

 

その上司の下でやらせてもらっていた時の上司の年齢が50前後だったのだが、非常に輝いて見えた。

いつかこんな上司になりたいと常々思うぐらいよくしていただいた。

 

 

豊富な経験と人脈を既に持ちながら、常に

「今よりいい未来は何かを考えろ」

とか

「変化していくことを気持ちよく思うようになりなさい」

とか

「お互いに儲かる状況を作ろう」

なんて自己啓発本の受け売りなのかもしれないが、とにかく積極的に局面を動かしていこうという気概に満ち溢れた人だった。

 

下降曲線の発現

だが、50中盤に差し掛かったあたりから急激に雲行きが怪しくなった。

急激に目から光が消え、行動が止まり、未来志向の変革派だったところからてこでも動かない保守論者に変わった。

 

もともと理想論や原則論に縛られることの多い傾向の人ではあったが、さらに柔軟性と積極性を失い、それに伴い周囲の評判もがた落ちした。

 

これまで得ていた信頼も、作り上げてきた上司像もすべてが色褪せ、周囲から理解されない人になってしまった。

しばらく離れているため、当の本人に自覚があるかが未だに不明だが、プライドが高く、扱いにくい存在に変貌してしまった。

 

最終的にはその他の上司陣との衝突回数も多くなり、除け者にされるようになってしまった。

 

正直、そこのお前の会社はそれほど規模の大きい組織ではないので、一度そういう状況に陥るとみんなが知るところとなり、噂が巡るスピードが速く、リカバリーが難しい。

 

結局、瞬く間に半ば老害扱いされ始めた。

 

その頃には、そこのお前はその上司の下を離れて違うチームに異動していた。

たまたま、一緒に仕事をする機会があったのだが、とても驚いた。

 

これが尊敬していた上司なのか。。。と目を疑う状況に変わってしまっていた。

 

世の中では

定年を迎える5年程度前から人の個人のパフォーマンスは下がる傾向にある。

などと言われたりする。

 

それを意図してか役職定年などを設けて役職定年=>定年後の再雇用など段階的に待遇を引き下げる制度を持つ会社もある。

 

成果主義という意味ではパフォーマンスが下がる時期を見越して報酬を下げていくことは非常に合理的ではあるが、全員平等にその下降曲線を迎えるという点だけは違和感バリバリである。

 

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人間の脳機能やそのピークはそう単純ではない。

 

マサチューセッツ工科大学認知科学研究では下記のような調査・研究結果を発表している。
 
脳の処理力並びスピードが18歳頃に最高潮に達することを皮切りに名前の記憶が22歳、顔の記憶が32歳にピークを順次迎える。

 

その後にも集中力(長さ)が43歳頃、他人の感情を読む能力が48歳頃。

 

また、50歳には新しいことを吸収する力や数的処理、全体的な知識の豊富さがピークを迎え、最も遅く67歳に語彙力・言語力がピークを迎える。

 

どうやら長い人生の中で脳の様々な機能が順番にピークを迎えるという事のようだ。

つまり、人生のその時々で発揮できる強みや個性が変わる事を意味すると言える。

 

それでも50歳を過ぎると言語力以外の機能は徐々に低下していくようだ。

肌感覚でも、確かに55歳以降の世代でその他の中間管理職に混ざってなおも圧倒的な実力があるという人が減ってくるという感覚は割と多くの人が抱く感覚のようだ。 

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すでに更なる昇進・昇給の可能性が潰えたからか、それとも単純に体力や脳力がピークから下り坂に突入したからなのか、その他の原因があるのか、バイタリティも変化への耐性・積極性も落ちるように見える。

 

これは人に等しく訪れるものなのか、環境に左右されるものなのかも興味があるが、とにかく年は取りたくないものだ。

 

50を超えてもなお現役バリバリで若い世代の追随を許さないという人はアスリートに限らず、サラリーマンでも少ない。

が、それにしてもその上司は圧倒的な落差だった。

 

それでも、そこのお前にとってはお世話になった恩ある上司である。

 

成果主義外資系企業にあっても、その主義とは別に、最後までその上司に恩返しはしたいと思っている。

 

今でもまだまだ尊敬しているし、偶然、今はパフォーマンスの谷間に陥っていたとしても、何か理由があるはずである。

 

ゆっくり聞いてみたい。

 

そういつも思うものだが、どうしても難しい。

客観的に苦しい状況であることを指摘する勇気がない。

 

それを伝えてみたところで、何か生産的な話し合いに転じるイメージがわかない。

ぶっちゃけ、社内では最も相思相愛度が高く、甲斐甲斐しい部下だった自負はあるが、それでも面と向かって現状を伝える勇気がない。

 

・・・

 

・・・

 

ジレンマである。

 

目の前にあるのが、世間で揶揄されるところの「老害」の現実の一つなのだ。

そして、若い世代や中堅世代でダメな人と決定的に違うのは、一度ある程度の実績と地位のある領域に到達すると、大きな顔ができてしまうということだ。

 

その上司は仮にも役職を持つ人間である。

多少なりとも決定権や裁量は多く保持している。

 

他部署の人は触らぬ神にたたりなし。と無駄な争いを避ける。

衝突した時にもろに被害を受ける部下は無碍にはできず、無難な付き合いをする。


 

すると関係性や態度はますます硬直化する。

 

結局、議論を重ねたり、疑問はすべてぶつけて指摘しあうカルチャーをよほど強固に作っていない限り、どうしても社歴が長い人や先輩・役職者は無条件で立ててもらえやすい。

 

上司自体もそれに慣れているものだから、頭ではわかっていても今までは自分が教える立場だった部下やその他の低い立場にいた人の指摘に慣れることができない。

 

だから、上司の話が多少支離滅裂だろうが、だれも同意しなかろうが、怒らせたりへそ曲げさせたりするよりは建前を並べてうまくかわした方がリスクは低いとなるわけで、もう、誰も面と向かって現実を指摘しなくなっていた。

 

それをあえてやるのは下克上を狙うほかの管理職候補や失脚を狙う若い管理職たちが容赦なく業務を通して潰しにかかるぐらいだ。

事実、当時からカリスマ性があった他の中堅世代の管理職が見事なまでに叩き潰している場面はいくつか見たことがある。

 

その他の人々はプライドを刺激したくないし、年上だし、偉い立場に居続けたことは変わりがなく、これまでの関係性が邪魔をする。

そして、上司本人だけでなく、周囲の心理にも重い蓋がなされ、お互いの溝だけが広がり続ける。

 

上司は逃げ切り体制に入り、現状維持の意識を強く働かせ、孤立してもその道を歩み続ける。

周囲は心理的な障壁を跳ね除けてまでリスクを冒すよりはやがて消えゆくまで我慢を決め込む。 

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そして、言っても変わらないという周囲の諦めと、誰もわかってくれないという上司の孤独感だけが残る。

この付き合い方の変化を実現するのも働き方改革の一つに組み入れるべきかもしれない。 

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女性の積極的な社会参画と同様にシニア世代の活躍できる環境の整備ないしは戦力化に向けたサイクルの整備だ。

 

少なくなる人口で一人当たりの労働負荷を減らすなら年上世代の戦力寿命の長期化も対象に入れていい。

 

そういった議論なくして、「老人は~」、「おっさんは~」みたいなよくあるネガティブな論調になってしまうのが嫌だ。

事実、自分の尊敬する上司がやがてもう一度復活し、輝きを取り戻してくれたらこんなにうれしいことはないと思う。

 

それができない限り、今のような渦巻く不満の中での理不尽や非効率でも触れない聖域が形成されてしまうし、周りもそれでいいやと思ってしまう。

 

そこのお前もきちんと伝える勇気が欲しい。

 

恩ある上司に誇りある理想の上司としてのキャリアを最後まで送ってほしい。

 

それで救われるのは部下や周囲だけじゃなく、上司本人もそうであると信じている。

 

なにかいいきっかけを探し続けたい。

 

だって、これはやがて老いゆく自分たちだって直面する課題なのだから。

 


 

 

 

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