やらされる仕事からやる仕事に変貌する瞬間
人はいつ化けるかわからない
というのがそこのお前の持論なのですが、そんな瞬間を書きます。
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そこのお前は漢字練習の時間が超絶苦痛だった。
ただただ漢字をなぞり、止め、跳ね、はらいが少しでもだめだと減点されて、字が汚いことを延々と指摘され続ける苦痛の時間。
ただ、漢字の勉強を能動的にしたきっかけがある。
子供ながら漢字検定のように合格・不合格と点数が学校のクラス規模ではなく全国規模になることに興味がわいた。
クラスの国語の時間だけの面白みのない存在だと思っていたのが、日本中で年も何も関係なくみんなが受けるという試験の存在で一気に自分の中で好奇心と競争心をあおるものになった。
これを感じて以降、ぐっとやる気が出るようになった。
そして、常用漢字の範囲においては十分なレベルの漢検2級を小学生6年生で取得した。
相変らず、字は汚かったが、それでも自分なりに丁寧に書くように努力をするようになった。
時間もかかったが単純に努力が結果という形で報われるのがうれしかった。
中学校に入った
相変らず、学校の授業はさして面白くないし、成績の良しあしもあまり興味が持てなかった。
受験に備えて多くの人が内申点集めに必死になり、学習塾で試験対策を行うようになり、ノートをカラフルできれいにまとめてみたり、態度が良く見えるようにアピールしてみたりする中でどうにも興味を持てずにいた。
ノートは依然汚い字で、色もなく、板書をちょこちょこっと書く程度、態度に至っては積極性ゼロ。
それでもテストの点だけはなぜかそこそこよかった。だから、そこそこの勉強量で、そこそこの点数が取れればそれでいいと思っていた。
が、高校受験がすべてを変えた。
寮生活ができる学校があった。
そこのお前は寮に入りたかった。
そう思った瞬間から目の前が違って見えた。
勉強もやり方を変え、積極的に教えを乞い、自分の足りないところ、できないところに非常に敏感になった。
そして、自分が元々できるところももっとできるようになろうという風に変わった。
高校に入った
念願かなって寮生活もしたし、なんとなく続けた野球も異様にきついだけで目が出ず、なかなか目標もモチベーションも見いだせない中、なりたい職業が見つかった。
今では全く違うが、当時は弁護士になってみたいと思った。
以降、改めて勉強するようになった。
野球はどうひっくり返っても甲子園には届きそうにないが、法学部と弁護士は頑張れば届くという気持ちがわいてきたからだ。
野球とは大違いのモチベーションで取り組むことができた。
そして、そこのお前は法学部への切符を手にした。
大学に入った
念願かなって法学部に入ったものの、やはり成績に興味がなく、弁護士に対する魅力も薄れていた時に既存の国内法曹とは全く別の枠組みの国際法というフィールドに立った。
英語が苦手だったが、縁あって英語で法律について議論する場を得た。
この国際大会に参加することになったのだが、歴史的に日本人は英語が堪能でないことから、非常に弱かった。
国際大会の外国人は皆一様に、日本は頭いいけど、しゃべりが弱いよね!って言っていた。それも欧米系の英語ネイティブではなく、普通の他のアジアの学生にそういわれるのだ。
今まで日本で受けてきた、日本は世界的には素晴らしいという刷り込みは音を立てて大きく崩れ去った。
その弱い日本の中でもさらに弱いそこのお前にはとても深い劣等感の原因となったが、同時に強烈な闘争心ともう一つの感情が芽生えた。
純ジャパだって海外にもっと接点を持てるようになりたい。
日本人でも海外で普通に勝負できるって海外の人に証明したい。
日本人も海外で普通にやっていけるって認識できるようになりたい。
そして、そこのお前は外資系企業に入ることを視野に入れ始めた。
会社に入った
日系企業に入って集団として世界展開する道ではなく、外資系企業の中にあって個人として日本人が世界の中で活躍できるという認識を広めるために。
最初はバカにされたような目で見られた。
意識の高い最近の現実が見えていないゆとり世代とも言われた。
日本特有なのか知らないが、日本の方が優れているから海外なんて目指すなという人もいた。
だが、そこのお前はつかんだ。
海外で日本人が身一つで挑む環境を。
まだまだ道半ばであるが、それでも着実に進んでいる実感はある。
。。。。
漢字検定にときめいた瞬間から、もっと広い世界に飛び込むことが好きだった。
ちょっとでも自分の世界が広がることを感じる瞬間が楽しかった。
今はそういう好奇心の充足を求めて生きている。
いつの日も、勉強のための勉強、練習のための練習、学校の成績のための努力はできなかった。
それが高いレベルでできる人をうらやましく思うこともあるが、どう頑張ってもマネできなかった。
ただ、その先にある意味や目標が認識できた時に初めて強烈な行動力が生まれた。
勉強や練習、成績向上が手段およびプロセスとして認識された瞬間から怠惰な感情を持たないで済むようになった。
やはり、人間はそうでなくては。
目標の達成のためなら、どんな犠牲も払う価値がある。そう思えるほどの目標があればそれはとても強い動機になる。
時として毒だが、それでもこの強い気持ちなくしてはバイタリティも生まれないし成長は最大化されない。
だが、それは人が狙って作ることは難しい。
そこのお前にもきっかけをくれた人はいるが、これらの強烈な動機たちを狙って作ることができた人間は一人もいない。
自分ですら狙って作ることができたことはない。
環境と運がもたらす一瞬の火花がたまたま大きな火をつけ、輝きをもたらしてくれただけだ。
その結果、あとから見れば大きく化けたことになるが、それはどこでどう起こるかわからないのである。
だからこそ、人生は楽しまねばならない。
そして、他人の狙い通りに生きなければと思ってはならない。
だが、自分でもコントロールすらできない自分自身の変化を自分自身が最も興味を持って眺め続けなければならない。
人はいつ化けるかわからない。
だが、化けるチャンスは一瞬の閃きであり、火が付いた瞬間を逃してはならない。
その瞬間、今やっていることや考えていることはやらされているものからやるものへ変わる。
やる仕事になった瞬間、バイタリティの出方は大きく変わる。