【働き方】我慢すべきタイミングを判断する4つの見方【仕事術】
継続は力なり
石の上にも3年
果報は寝て待て
蛍雪の功
串うち三年、焼き8年
。。。。
世の中には我慢し、苦境に耐えることを良しとする格言が多く存在します。
そこのお前も子供のころは我慢することの美徳を散々植え付けられてきました。
我慢強さなんて言葉もありますが、海外ではあまり使われません。
ゆとり世代であるそこのお前たちも徐々に我慢自体の人生における価値や評価比重が下がってきた世代でもあります。
ただ、我慢という習慣または技術は非常に役に立つ瞬間があります。
海外でもすぐに結果が出ないことに左右されず、人より少し粘って意味のある結果を出したときには当然しっかり評価してもらえました。
日本でも、粘り強い姿勢を持っているだけで「若いのにやるな!」とか勝手に言われます。(※その言い回しは失礼だろと思わなくもないが笑)
とはいっても、むやみやたらと我慢することはお勧めできません。
社会に出てみても、
新卒で入った会社は最低3年はいるべきだ
とか、
若い時の苦労は買ってでもするべきだ
などなど様々な我慢と耐久を礼賛する言葉は存在します。
問題は、それが若手の中で認識されている常識というよりは口うるさい年上がやたら強調する言葉としての印象が強いことです。
若い世代から見ると「単に都合のいい言葉を吹いとるだけやないか!」という気がしてならないわけです。
ですが、全部が全部意味のない話であるわけではありません。
これらの言葉、ある部分は正解だと思います。
逆にある部分はすでに時代の流れに合わないものもあります。
未来がないことが見えているのに我慢しても仕方ありませんし、もう少し粘ればいいことがあるのに一時の衝動で行動することが未来を失わせる場合もあります。
人生における我慢とは自分自体の投資に対する判断の一部なわけです。
このまま投資をし続けるか、これまでの投資が水泡に帰したとしても引き上げる選択をするか。
お金と違い、すべてが無駄になるわけではないのが人生における我による自己投資の判断です。
効果的な我慢と継続する選択は将来的にはより大きな利益を生む可能性を秘めています。
そこのお前の人生にもやってよかった我慢と特に意味を感じなかった我慢の両方があります。
さて、今日はそんな我慢にまつわる自己投資の判断の話をします。
人生にはいろいろな場面で我慢を継続するかどうかを悩む瞬間が存在します。
仕事での不満を我慢すべきかどうか
職場での人間関係の不満な部分を我慢すべきかどうか
下積み時期がつらいけど、我慢すべきかどうか
付き合っているパートナーに不満があるけど、我慢すべきかどうか
買いたいものを我慢すべきかどうか
トイレを我慢すべきかどうか
これらに絶対的な正解はありません。
せいぜいトイレは我慢せずに行け!ってぐらいです。
我慢することが絶対的正解でもなければ、我慢しないことが常にいいということもありません。
ただし、我慢に意味がある状況は存在します。
我慢が良い投資対効果を生むかどうかの判断基準
長く続けることに価値が生まれる分野か?
自分が望む方向に進行・成長する状態を継続できるか?
我慢の先に手に入るものがほしい物か。
他の有効な代替手段があるか?
ざっくりこの4点を同時に考えることをお勧めします。
我慢に必要な物
我慢をする、結果が出るまで粘るという取り組みは時々・内容によって、
時間的投資
労力の投資
精神的負担への対処
お金の投資
これら全部または一部を必要とします。
それらを費やしてまで本当に必要な物どうかを冷静に見極める必要があります。
長く続けることに価値が生まれる場所・分野か? (環境面)
継続は力なりとは言いますが、必ずしも長くいることがそのまま力につながらない場合があります。
例えば、流行に左右されやすいものや現在流行しているもので、賞味期限が比較的早いものに時間と労力をかけても仕方ありません。
キャリアも似たような部分はあります。
昇給・昇進が見込めないゾーンで長く勝負しても得られるものは多くありません。継続したとしても上限値が限られてしまいます。
これをわざわざ我慢してまでやる必要はありません。
逆に経験と実績をより積み重ねることができる部分では多少最初に苦しんだとしても、続けることで得られるものは多くあると考えられます。
自分が望む方向に進行・成長する状態を継続できるか?(個人面)
我慢において、自分がいい状態につながらる見込みがない我慢をする必要はありません。
自分が行きたい方向に行けなかったり、やりたいことができる見込みがない状況で我慢することは成果をもたらしません。
例えば人間関係の中で自分の思った通りの努力ができないところでずっと人間関係に我慢していてもしょうがないです。
結局都合のいいように使われて終わらされてしまいます。
目の前に餌をぶら下げられてただ走らさせれている状況なのか、確実に自分の望む進行方向に行くための我慢なのかを見極めてください。
我慢の先に手に入るものがほしい物か。(対象面)
いくら我慢すべきと言われても、いらないものを手に入れるために我慢したっていいことはありません。
子供が勉強しないのはここに依存する部分も大きかったりします。
逆に欲しいという感情が大きければ大きいほど圧倒的な我慢力を生み出すことになります。
いくらでも自分の時間と労力を投資してリターンを待てるようになるのです。
子供が社会的に成功することの意味や勉強がもたらす様々なアドバンテージを理解しないまま我慢して勉強せいといわれても気が乗らないのは、手に入れたいものが大人と大きく違うからです。
大人になれば長期的に戦略を立てる技術や意識は醸成されやすくなりますが、子供のころに大人の考える戦略と同じ目線でモノを見ることは非常に難易度が高いです。
いずれにしても、我慢した先に待っているものが何かについて吟味する意識を持つ必要があります。
何か追いかけるもの、欲しいもののために我慢するという状態は健全な要素を含みます。
目的のためなら何でもかんでも我慢する必要があるとまでは言いませんが、目的に対してネガティブな効果をもたらすものを我慢するという事は考えていいと思います。
目指す先が魅力的でない状況での我慢は抑圧と無思考を招きます。
他の有効な代替手段があるか?(効果面)
仮に、他に楽な手段があったとして、わざわざ我慢する必要はありません。
他に取りうる手段がない状況では我慢しないことにほしい結果にたどり着かないかもしれません。
世の中には既得権益をガチガチに固めて他のやり方をつぶして我慢させるやり方を取る人たちも多いです。
そういう場合に諦めて我慢をする前に他に既存のやり方があるか?あるいは新しいよりよいやり方を作り出すことができるか?
これを考えることになります。
これをほったらかしてむやみに我慢しろ!と言ってくる押し込みに屈してはいけません。
――――――
ざっくり書くと以上になります。
ここでは能力的な制約や個人の実行可能性は考慮に入れていません。
これを入れてしまうと判断が恣意的になる恐れがありますし、無意識に無理だと自分の可能性を限定しかねません。
そのため、これはまずは判断から除外することをお勧めします。
ここでの話はあくまで計画的に我慢するかどうかを判断する時の考え方です。
計画的戦略的でない我慢をして、結果的にいい成果を得られる場合もあります。
その時に意味がなくても、後々大きな意味を持つものに変わる可能性もあります。
という意味では一見無意味に見える我慢も一概に悪いものという事はできません。
むしろ我慢力を鍛えるトレーニングもやる意味はあるかもしれません。
我慢も極めれば何かを成し遂げることはできます。
まったく我慢することなく人生を駆け抜けられる人はそう多くはありません。
日常の中で、人生の中で我慢しなければならない時期を迎えることはほとんどの人があります。
そこで、冷静な判断を失って逃げたり諦めたりして得られる利益を逃さないように我慢する判断と我慢する技術を身に着けるよう意識してはいかがでしょうか。
我慢するかを判断する時にはぜひ上記の4つを軸に、必要で意味のある我慢をして、最後にほしい結果を手に入れてください。
そして、我慢することに対するネガティブなイメージを払拭していただければと思います。
ではでは