そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

管理職の女性比率というKPIの違和感の話

ちょっと誤解を招きやすいので、まず前提のスタンスを明らかにしておきます。

そこのお前、基本的には男女平等であるべきだと思いますし、女性が活躍することに何も特別な感情はありません。

 

至極日常です。

 

今の上司は女性ですし、男女の違いかは不明ですが、今までの男性上司にはないかかわり方もあったりして頼りにしています。

 

ただ、気になる点があるのです。

女性の管理職比率が低いことを以て、女性が平等を享受できていない環境であり、女性が輝く社会でないという説明です。

 

まず思うのが

 

はて、人は働いたり、社会的な地位を得ないと輝いてないのだろうか?

 

 

ということです。

 

そりゃ社会的に目立ったり、活躍していれば輝いているさ。

男も女も関係なくそうじゃんね。

 

逆に何でもいいから、やりたいことをやりたいようにできる環境と状況で本人が全力で生きていることを輝いているとは評価しないだろうか?

あえてより平均的でそこそこの環境で細く長くやろうとしていたり、育児も含めて家庭に対して強くコミットすることを輝いていないということなのだろうか?

 

逆に女性が社会進出し、男が育児や介護を主目的として専業主夫になったり、何か他のことをしていた場合、夫は輝いていないということになってしまう。

 

本当?

 

そもそも、社会的に昇進したり、成功することを以って輝いていると定義するのは逆に女性の社会進出を推し進める側が旧来の男性社会に染まってはいないだろうか。 

 

当然、社会的地位を獲得するということは一定程度は名誉になる。

男だって上昇志向が強い人はいるし、逆にそこそこでいいと思っている人もいる。

女性が子育てに集中することだって、一つの選択だし、社会進出を叫ぶ一方で、ぶっちゃけ専業主婦がいい!って思っている人もいる。

 

これを管理職比率だけに求めると、女性の働き方や人生に多様性を持たせるという目的が明らかに拡大して暴走している。

 

そもそも、男女平等は機会の均等性や平等性における差異をなくすことを当初の目的としており、結果的な男女割合や同質性・同率性を保証しない。

ジェンダー論の文脈でも自体も性別固有の印象やステレオタイプをなくすことが目的であって、結果の同質性・同率性を必要不可欠な条件とはしていない。

 

さらに、性別を理由に何らかの差を与えるのが男女差別ですが、因果関係はしっかり見られなければならないでしょう。

 

女性だから管理職として不適格と判断されている状態なのか、必要な要素を持つ個人を選抜したらたまたま男性の方が割合が多かったのか。など。

 

同時に100歩譲って数字で評価するにしても、同じグループ内で昇進を目指す人グループの性別割合に男性の方が多いというデータも出ている中で、管理職だけ50%50%に合わせるのは果たして妥当なのか?など。

 

非常に多くの定量化しにくい要素が複合的に関係しあうテーマなので、どの段階でも数字の使い方と確認はしっかり吟味、調節されるべきだと思います。

それをきちんと分解せず、結果的に男女の差があることへの不満をそのまま表現すると、逆の被害を生み出し、ターンオーバーするリスクを孕んでいんじゃないかと。

まぁ、中には便利な方便だから使えるだけ使ってしまおうって考えている人やそういう男女間の抗争がやりたい人がいるのかもしれないが。

 

ただ、一部の例外がいまだ女性は禁止または男性に明らかな優遇を与えている場合もある。高野連だとか、相撲界とか、話題になった医学部入学試験も概ねそうといえるでしょうね。

 

昔はすし職人は男だけとか各種業界が女性だから敬遠するということはよくあった。

こういった極端な事例はもう時代の流れに淘汰されゆく思想で、人権条約や国内各法の観点からもこれを正当化する根拠はどんどん少なくなっている。

 

ただ、このすでに非常に開かれているホワイトカラー労働者市場にあって、管理職比率という指標で男女不平等を押し通してくるのはどうしても「男女平等」の皮をかぶった、異なるイデオロギーの主張に感じる。

 

男女が同割合・同程度に輝いていないと男女間の性別差による不平等が存在する結論付けるように見えるのですが、こういう風に数字で条件付けを行うことはとても世の中を生きづらくする。

 

その場合は、この結果自体を責めるのではなく、それを選択せざるを得ない根本の状況に対してアプローチすべきでは。。。?

(医師であれば圧倒的な長時間拘束の風土、ホワイトカラー市場であれば管理職の役割変更ないしは組織体制の変革など)

 

それでも女性活躍の条件に管理職が男性と同割合でなければならないと強引に主張するし、めちゃめちゃ粒度の粗い全体統計をスタート地点に据えて男女に収入格差があるという。

 

日本の現実は管理職になりたい女性社員の率は男性に比べて低く、男性ですら昇進に興味がない人の率が上がっているといった調査結果が出ているような世の中である。

 

果たして、何を以って”女性が輝く”社会進出というのだろうか?

男性だってなりたくなくなりつつある管理職というもののあり方が問題であって、男女関係なく解決される問題ではなかろうか。

 

そして、そんな思想を重視した結果、より現場レベルに目を落としていくと本当にちぐはぐな現状が見られる。

 

無理くり女性を管理職にして、現場になじめずやめたとか、周囲が気を使いすぎて成長の機会を奪ってしまったとか。

本当は実力で昇格させたのに、女性だから上がったんだななんてあらぬ嫌疑をかけられたりすることも。

女性を積極的に管理職に登用した結果、それよりも実力のあった男性社員が不遇となり、会社を去ってしまったとか。

 

こういうのって、目的が手段と化してしまっているし、かえって男女の違いをくっきり認識させてんじゃん??本末転倒。

 

本音、別に男性だろうが女性だろうがチームや部門を引っ張るにふさわしい人だったら誰でもいいっす。

 

加えて、男女で収入格差があるとされるが、同じ職場・同じ職位で男女に差があったら大問題で、それこそ完全なOUTだ。

 

が、そういうのってめちゃくちゃ粒度の粗い切り口で最終的に全部まとめたら女性の方が低かったですっていうデータを使っていることが多い。

 

主に女性の方が非正規雇用者が多いということが理由として説明されますが、一度非正規社員になった後に正規雇用になるのは男であっても簡単ではないです。

 

特に、十分な給料を得られる仕事であればあるほど、難易度は上がりますよね。

(※ちなみに、そこのお前の感覚ではその他の理由として、男性の方が残業代を多く獲得することを狙って、長時間労働の傾向があるんじゃないかと思ってます。残業代という制度がさらに事態をややこしくしますね。)

 

が、それでも非正規雇用者に女性が多いのは社会進出ができないから。と短絡的に論じられたりする。

 

さらに、上記を正しいとすると、非管理職も含めた正社員は男性の方が割合が多いということになるのだが、それでも管理職は男女同数にならなければならないのだろうか?

そして、女性管理職の割合が多ければ多いほど企業として価値向上に直結するといえるのだろうか?(それこそ男女差別じゃなかろうか。)

 

女性の社会進出具合の評価を所得の高さや管理職比率に求める人たちはこういったある種感情的な主張を繰り返すことで、むしろ労働または社会進出を主軸としない人生の選択をした女性にまで半ば強制的に活躍しないことに対する罪悪感を植え付けていることに気が付いていないんじゃなかろうか。

 

それどころか、むしろ働かない選択をした女性に罪悪感を植え付けているのは男ないしは彼らの望む姿ではない社会のせいだと責任転嫁すらしてくる。

 

自らの選択肢として派遣社員や非正規雇用のスタイルを選択している人は全員、男性のせいで女性の社会進出が妨げられているからそう選ばされたのだ。とでもいうつもりだろうか?

 

問題は男女平等の文脈から逸脱したことまで男女平等の殻をかぶって、やおら使命感や義務感を帯びて社会に蔓延することだ。

 

身近な事例で疑問を感じている人は少なからずいると思う。

こういった主張をする集団は口では男も女も働きやすくするといいながら、男女比をめぐって殊更に数値を強調し、やれここは男を優遇しているまたは女性が活躍していないといいまくる。

まるで女性が活躍したらが全てが上手くいくとばかりに。

 

本当?

 

男女関係なく、活躍できる人が活躍できるところで活躍するというのが理想の状態だとして、女性の選択肢を増やすために、いま男性が多く、女性が一人ないしは少数で本来の力を発揮しにくい状況に対してアファーマティブアクションのような積極的に下駄をはかせて女性が本来の力を出せるように促進するという考え方はわかる。

 

逆に男女平等を追求した結果、男性が入ってくることとなり、女性側が困惑したというケースもある。

つまり、男女平等にすることが最適解であるとは限らない現実が存在する中で、一つ一つの事例をひっとらえて平等でないことを批判したり、無理やり変えたりする。

 

そして、これはあくまで主観だが、そういった主張は都合がいい時になされていると感じる。それも圧倒的においしいポジションに限って。

 

どうせなら、女性が極端に少ない長距離ドライバー、大工等建設業、自衛隊にもその数値を導入しろと迫り、男性が少ない職業である看護師や美容業界にも男女同数を要求していくぐらいの潔さが欲しいものだ。

 

個人の好きなように環境を選ばせた場合、そこに偏りが出ることは自然なことだ。

適性がある個人に男性が多い仕事もあれば、女性が際立つ仕事だってある。

それを丸ごと変えていくつもりだろうか?

 

その結果、競争力や求められるサービスレベルを失う可能性もある。

男女同数を意識した結果、本当に実力のある人を採用できなくて企業は人材の機会損失を被るかもしれない。

 

女性の管理職比率を上げるために本人の望まぬ昇進や実力不足からくる苦悩があり得るかもしれない。

医者だったら医師不足の中で労働時間を絞って24時間対応にならなくなるかもしれない。

女性から受けたいサービスも性別をもとに選ぶことが許されなくなるかもしれない。

 

それでも社会はこの比率を優先したいと思うだろうか。特に同じ女性が。

 

・・・

 

・・・

 

違和感の正体は結局、管理職比率を平等にするということは本当に女性が望む男女平等、ジェンダーの撤廃と関係しているだろうか?

ということです。

 

 

こういう議論は言葉尻をとらえて反論や批判をするのは簡単だろうし、いくらでもツッコミどころは生まれるので、ケンカを売っている意図はありません。

が、見落としている視点があったら是非書いてほしいです!

(※こういうケンカって生産性がないから基本的に嫌いです。)

 

繰り返しますが、純粋に男性と女性という差だけで何らかの違いを設けることに合理性は全くないと思っています。

ただ、いつも思うのが、防衛機制の合理化の発現で、自分が被った不利益を男女が平等でないっていう理由にすりかえて認識する状態と本当に性別差だけで明確に差をつけられているのか吟味しないと社会は息苦しいんじゃない?って話です。

 

それを前提として、今主張されている男女不平等論がこれって本当に純粋に男女の差からくるものなのか?という点に疑問を感じることが多々あるということです。

 

その象徴的な内容として、管理職比率っていう指標の違和感について今日考えながら書いてみました。

 

そんな感じです~

 

ではでは