そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

【生活】家事のレベルを下げられないストイックさが破滅を招く話【与太話】

 

人生において一人暮らしをする期間は多くの人が持つだろう。

 

それぞれ、誰に教わるでもなくなんとなく自分なりの家事のスタイルを身に着けていく。

いつしか、何も考えなくても家事を回せるようになり、生活が安定し始める。

 

食事、洗濯、掃除、片付け

 

それぞれ個人のやり方があり、外で済ませたり、自分の精神の安定のために少ししっかり目にやったりするエリアも出てくる。

 

これを人と共有するのが案外難しい。

必要なレベルややり方は人によって異なるからだ。

 

夫婦として共同生活を送るとここで大きな論争が起きることも多い。

 

ステレオタイプ的に言えば、妻側が夫の家事に文句をつけるといったところだが、そもそもやらないことに対しての文句とやる内容が拙いことによるトラブル。

 

だが、以下の内容のものも含まれている。

 

自分のこだわりがある内容

あるいは姑が部屋が汚いわねぇなんて言ったりする。

そんな外部要因から常に完璧・ピッカピカにしなきゃという強迫観念を抱く人もいる。

 

だが、それは果たして良い方向だろうか。

実はマインドセットの問題が根深く横たわっていると思う。

 

低いレベルに慣れるってできないのかなって。

 

多少家が散らかっててもまぁいいか。

とか

困らないレベルならまぁいいか!って冷静に必要なレベルを見極めることはできないだろうか。

 

何を隠そう、そこのお前は非常にずぼらである。

正直、だいぶ必要性に駆られないと家事に手を回さない。

 

そこのお前、あんまり人に対して苦手意識を持つことはないのだが、どうも潔癖・神経質な人だけは苦手である。

理解不能すぎて困ってしまう。

 

特にあれはこうでなくてはならないとかこれはこうじゃなきゃいけないとか、マイルールを曲げられない人にはついていけない。

 

一人で生きる分には構わないが、共同生活を送る上で問答無用のマイルールを共同ルールにしてくる人はかなりツラい。

 

家事もその一つである。

 

今は共働きが常識化し、家事は分担する時代である。

働き方だけでなく、協働生活のあり方も多様化し、議論が出てきている。

今までのように専業主婦(夫)と外で働く人の明確な役割分担はなくなり、それぞれが両立することをよしとする世の中になった。

世のニュースにはこれにまつわる不満や愚痴があふれている。

 

過渡期であることは間違いないし、そりゃそうだと思う。

 

分担の割合と給料の多寡で決めたり、通勤も含む総外出時間で決めたり、家事内容やエリアで決めたり様々だけど、いままでの専業主婦や一人家事時代の流れをそのまま持ってくると少なからず相いれない部分が出てくると思う。

  

ただ、気になるのが、この分担した家事。

どのように分担し、どの程度までクオリティを求められるか?という話だ。

 

あるある話はこうである。

家事をやりもしない旦那が妻の家事に文句をつけたり、注文を付けたりすると自分がやればいいじゃん!!って言い返してケンカになる。

みたいな。

 

まぁこの例をだしたのは「自分でやればいいじゃん」理論のためなんだけど、人と分担する上において、相手のエリアにどこまで要求できるかという点は冷静に見極めなければならない。

 

 

そうするとこの家事で何を達成するのかって議論に移らざるを得ないよね。

実質的なメリットや意味に基づいて落としどころを決めていくしかない。

 

お互いの好みや要求のぶつけ合いになるとなかなか折り合いがつかない。

キレイじゃないと気が済まない!

とか

汚くてもおれはかまわん!

 

この味がいい

 

このやり方はいやだ。。。

 

大小挙げればきりがない。。。。

言いだしちゃうと決着つかないし、壮絶なバトルの末に破綻するケースだって出てくる。

お互い譲らないっていうのはこういうこと。

 

もちろん、お互いが納得の上で適切な落としどころを決めて家事の内容やクオリティを合意することができれば非常にハッピーです。

場合によってはお金で解決しよう!って合意してルンバや食洗器、なんなら家事代行だって頼むかもしれません。

 

過度に相手に要求することに愛の搾取だとかいろんな理屈が付くけど、気持ちよくお互いの生活を過ごすためのもののはずが、いつしか謎の正義感すら帯びて議論がなされる。

 

相手がいかに間違っているかのへし折り合戦。

そりゃ決着つかんわな。

 

だって、そんな絶対的常識と正義なんてこの世に存在しねぇから。

 

だから、ずぼらなそこのお前は言いたいのです!

 

いいじゃん!

そこそこで!

 

必要最低限で許す寛容さって必要でしょ。

 

お互いの家事基準があったとして、低い方で合わせるっていう考え方を取り入れてもいいと思うのです。

 

人に見せる時は少し変わるかもしれませんが、お互いが困らない範囲においては感情や気分的な好みは無視するという考え方をしてもいいと思うのです。

人に甘く、自分に甘く。

 

家事なんてほっといても困ったらやるんですから。

そもそも誰に採点されるものでもありません。

 

必要なレベルを見直し、下げるということも考えていいと思います。