まぁいいか!ぐらいの方が管理職はうまくいくって話
予想外に弱い人と妥協できない人には管理職は苦しい
ある上司がいた。
非常に真面目で誠実な人柄の上司だ。
様々なことを考えながら配慮できる心構えを持った人だ。
部下時代から周囲の信頼も厚く、頼りにされる人材だった。
いくつか背景がある。
その上司は製造業での会社で工場勤務の経験があった。
工場と聞いて決して侮るなかれ
工場といえばなんとなく土方やブルーカラーなどちょっと粗雑なイメージが付きやすいが、その実、ものすごい精密で緻密である。
基本的にすべて完全にコントロールできる状態を作ることを前提にするし、そういう状態を保持することが業務なのだ。
工場の世界は目の前の世界で方程式のようにAを入れればBが出てくるというわかりやすい世界だが、そこのお前が経験した限りでは、この仕事はそう簡単にできるものではない。
ただ、仕事自体は目の前の製品や機械、現象と格闘する特徴の為、目に見えて結果のわかりやすい職種であることも確かだ。
日本の工場現場には妥協なきこだわりや製品に対する真摯な努力が積み重なった結晶が至る所にある。
上司は工場の管理側として手腕を発揮してきた人間
工場は基本的に作業手順から管理基準まですべてにおいて細かく設定することが正義であるという考え方である。
人が変わっても、いちいち考えさせずとも常に一定のクオリティを出せるようによく考えて設計される。
何かをするにしてもマニュアルがあるし、それぞれに文書や決まった書式を用いてなるべく考えないでいいようにコントロールできる状態を作る。
現場で働く工員は従うことが求められる訳だが、そのもっと前の工場の製造業務を設計・運営する段階では様々な知識と工夫が詰まっている。
なんなら、工員には派遣社員や期間工も混ざるわけだが、それらの人が悪意を持った行動をすることも極力防げるような仕組みづくりさえされている現場もある。
なので、工場での職歴自体が劣っているものという事ではない。
実際、長年の功績が認められ、その上司は管理職になることになった。
実際、その上司の任された範囲では非常にしっかりと業務をこなし、上司についた部下も含めて担当範囲をきちんとコントロールした。
工場においてその上司の積み上げてきた真面目で一貫した働きぶりはよく評価された。
管理職といっても工場においては一般的なホワイトカラーワークに比べて、職場文化が全く違う。
工場では常にトラブルなくすべてを円滑に運用するための工夫を考えるため、結構口うるさくなる必要があったりもする。
定型業務の膨大な積み重ねによって生み出される一つのシステムのようなものだ。
仕事の大半はきれいに整備されたマニュアルの順守ができているかを確認することが多い。
ルールが絶対であり、規律を守ることが非常に重視される。
その上司の最も得意とする分野だった。
そこでその上司は評価をますます高め、安定した評判を構築した。
さらに経験を積み、その上司はホワイトカラーワークの管理職となった。
が、管理職としてはそこで苦しんだ。
その上司は予想外に弱く、妥協できない人だった。
それ自体は悪いことではないが、ホワイトカラー管理職としては致命的だった。
それが上司を苦しめた。
工場文化との違いをアジャストすることができなかった。
とりわけ、彼は自分の思い描いた手順で部下が作業をしないとどうしても口を出してしまいがちだった。
なぜなら、彼の想定と異なる手順で行われた作業に信頼がおけなかったからだ。
それと同時に、新しい異なる考え方を受け入れるアンテナも非常に弱かった。
どうしても過去の事例やこれまでの手法に拘りがちな傾向があった。
それゆえ、イレギュラーな方法を積極的に検討することができなかった。
これは工場での業務経験を考えると非常に関連が強い。
ルールがあってそれに従うことが前提とされている工場で叩き込まれた常識と経験がそれを支えていた。
逆に、ルールにないトラブルが起きた時にどう対処するかという点についてはあまり経験がない人だった。
そのため、予想外に対するメンタルレジリエンスが恐ろしく乏しかった。
少しでも自分の想定外のことや思った通りに行かないことが起きるとその瞬間に思考が停止したり、感情的安定を失ってしまうタイプの人だった。
逆に決められた作業をきちんと順守すること、明確な目標やゴールが設定されていることに関しては非常に強かった。
故に現場レベルで見ると非常に優れた社員としての評判を得ていたのだ。
だが、管理職となると勝手が違う。
結局、自分自身でコントロールできない領域が増えた瞬間に彼のストレスは増大することとなった。
ストレスが増え、思考力を失い、平静さを保てなくなった。
部下も敏感にそれを感じ取る。
だが、それでも彼らは上司の思い通りに100%到達することはできない。
なぜなら100%のシンクロ率はありえないからだ。
どうしても考えの違いは出るし、アプローチの違いが出る。
ある部分は寛容に対処し、ある部分は厳正に対処するなど適切なバランスを保つには業務への親和性とコミュニケーションのうまさが求められた。
だが、その上司が信じる工場でたたき込まれた経験は上司を支えてくれなかった。
結果的に、彼はチームメンバーと不和を起こし、最終的には機能不全を招いた。
その上司は自分から降りる形で管理職の職を辞した。
管理職として持つ基準
やはり、管理職になると責任が増えることもさることながら、コントロールする範囲が増える割に自力でコントロールできる精度は下がる。
今までは100%コントロールできるものだったことが80%や60%の精度でしかコントロールできなくなる。
ある程度の不確定要素を常に抱えていなければならない。
その状態に慣れない場合、極度のストレスを受け続けることになる。
これは管理する組織の階層の多さや大きさにもある程度の相関関係がある。
だからこそ、予想外に対処できる強さや柔らかさが求められるのである。
仕事をしていれば様々なことで予想外が起きる。
トラブルかもしれないし、たまにはいいことかもしれない。
が、想像の上を行く予想外も含めて起きるものだと考えなければ管理職を勤め続けるのは難しい。
部下時代であれば予想外のことが起きにくいようにコントロールをすることは比較的やりやすい。
私生活でも仕事でもリスクを回避する戦い方は一人であれば自分の中で調整しやすい。
個人の業務に関して言えば不確定な部分を極力排除してうまく構築することもできる。
成果にならない部分は積極的に切り捨て、成果の出る部分に純粋に集中できる。
ある意味一番メンタル的に苦労しない方法で、自分が頑張ればなんとかできるというスタイルで押し切ることも十分可能だ。
だが、管理職になるとそうもいかない。
逆にそうやってしまえばいいと思っていた人が管理職では苦労する。
月並みな話だが、管理職となると部下に仕事をしてもらうことが仕事になる。
そのため、自分の中でのスタンダードにこだわりすぎると非常に難易度が上がる。
逆に自分ではやらない分、常にどうなるかわからない不安を抱えながら過ごす必要がある。
ある程度信頼ができてくると安心できるが、そもそも業務が非定型な時は気にしだすと止まらない。
この場合、仕事のやり方は部下それぞれで、実力も部下それぞれだ。
もっと言えば、世界の見え方や考え方も違う。
そのため、いちいち自分のスタンダードに執着し、やり方が違うと不安になったりすると様々な苦労を抱える。
ある時は部下と理解が違っていたり
ある時は部下の方が正しかったり
ある時は思っていた出来の仕事が仕上がってこなかったり。
とにかく、様々なことが起こりえる。
しかも、対処法も様々であり、正解が常に一定ではないものが多くなる。
そのピリピリが部下に伝播すると部下も安心して業務に集中することが難しくなる。
思っていた状況とは違う現実
理由のわからない目の前の現象
ある意味では度胸が求められる。
管理職である以上、個人的な執着や心理的葛藤に飲み込まれると本来の役割を果たせない。
自分すら管理できなくなっては管理職とは言えない。
状況と求められる到達点を読んで、困らない程度に妥協し、予想外のこともびっくりせずに受け入れられる技術を習得する必要がある。
マネージャー・Manager・Manageとはそういう意味だと思った。