そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

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成果主義の導入・実施で苦しむ現実が暗すぎる話

今日、ますます主流になる成果主義の暗い部分の話

 

厳密には成果主義の中にもいろいろな考え方がありますが、一般的に日本では年功序列賃金+終身雇用システムの対をなす考え方として掲げられますね。

 

そこのお前が勤める会社も外資系企業なので、成果主義を標榜しています。

個人的な感覚では昇進スピードも大手日系企業と比較しても早く、昇給もある程度は成果に応じて変動します。

 

若いうちからチャンスがあるという意味では申し分ない環境と言えます。

とはいっても洗練された成果主義かというと必ずしもそうとは言えません。

 

結構いろいろなところにしこりや吹き溜まりを抱えた闇のある話です。

 

今日はそんな話をします。

 

成果主義の目指すところ

 

そもそも、この成果主義、より価値のある人間に多くの対価を払うという考え方です。

その中には年齢も性別も国籍も関係ありません。

 

要求される成果をいかに達成するかのみに着目し、ビジネス・企業の本質に忠実な賃金体系にしようというものです。

 

とまぁ、考え方的には非常にクリアで合理的だと思うわけです。

個人的には好きな考え方です。

キャリア的にはまだまだ若く勢いのある序盤においてチャンスをつかむ可能性を高めてくれます

 

現実にはいくつか制度的な限界がある

 

 

成果主義といってもすべての仕事が成果に直接比例するわけではない。

 

成果に応じた報酬の多寡にはルールを作る側の限界があり、これを打ち破ることができない。

 

減点主義的な性質を持つ仕事にフィットしない。

 

個人的にはこの3点が非常に対処の難しい部分だと思っています。

 

あとは、この世が一つのルールによって統べられていない以上、成果主義が普通になればなるほど、成果に対してどの程度お金を払うか?

この点に変化の余地が生まれ、論点が集中します。

 

あの時はどれぐらい払ったじゃないか。

あそこはどれぐらい払っている。

ここではこれぐらい払うのが適切だ。

 

などなど様々な報酬の多寡を巡った議論が生まれます。

単純な金銭だけでなく、昇進のスピードなどで差をつける場合もありますね。

 

ですが、どうしても全員の思う通りにはいかないわけです。

 

むしろ年齢や年次のように誰にでもわかる、しかも不可変システムではない以上、不公平感を感じやすい環境なのです。

 

俺の方がよかったに決まっているのに!

とか

私の方が活躍した自信がある!

とか

上の人から良く見られていない!

とか

絶対に価値があるのに成果として認められていないなんて!!

とか。

 

成果という可変的であいまいな言葉に対して何かと不平等感や不公平感が生まれるのは避けられないことです。

 

こういうことは年功序列+終身雇用でも起きていたのとは思うのですが、それがさらに加速するんです。

競争を煽ることもこの制度の目的なので、がっちり格差をつけていく必要がある訳です。

 

会社からの報酬獲得が「企業に所属した長さ」ではなく「もたらした価値に基づく」という考え方自体は非常にシンプルであるべき姿であるとは思います。

 

それでも、正しくてもうまくいかないのが世の中です。

 

結局、様々な部分で歪みが生まれます。

 

成果主義の途中導入における暗い現実の話

 

 

コンセプトの良し悪しは別にして、この制度の途中導入が暗い現実を生み出します。

具体的には成果報酬をゼロベースで考えることができない場面のことです。

 

成果主義を途中導入する場合、成果に応じた評価・報酬体系といっても基本的に今ある報酬体系の中で誰にどれぐらい配分するかを変えるという程度の話です。

なので、全員の報酬が上がるという魔法の制度ではありません。

 

 

大手企業や歴史の長い企業で先に年功序列や終身雇用を重視してきた企業で特に問題になりやすいです。

これらの企業が年功序列賃金から成果報酬に移行する時に大きな壁となって立ちはだかる点があります。

これが暗い現実を生み出します。

 

この移行で損をする層をどう救済するかという点

 

 

早期退職で追い出しに近い整理を行う場合や分社化による所属整理などを通して区分けする場合もありますが、そう簡単にはいきません。

彼らにも積み上げた技術や経験、貢献してきた過去があります。

 

バッサリとイけるほど無能ばかりということは絶対にありません。

むしろそれをやることで企業を去ってしまい、技術・経験・労働力の流出が起こる方が問題になる場合もあります。

 

つまり、成果主義によって得をする層だけでなく成果主義によって損をする層をうまく懐柔しなければならないわけです。

 

成果主義がもたらす影響

 

得する層は今までよりも活躍に応じた給料を手にできます。

例えば、若手でエースと呼ばれるような人達

彼らはこの制度で最も恩恵を受ける人々といえます。

 

エースでなくても若手は現在の低い水準からさらに下がることは考えにくく、チャンスのみを得ます。

彼らは将来にも昇進を重ねたり、昇給を勝ち取ることが予測されるわけなんですが、それでも現時点では年上世代よりは無条件に低いわけです。

 

この場合、年功序列賃金制度下における活躍は将来にいい地位に就くための投資としての側面が強いですね。

それが、成果主義の導入によって現時点でもより多くの金額を手にできる可能性が生み出されます。

 

ただ、最大の欠点はエースや主力級は企業の中では10%~20%に限られる点

 

そのため、多数決という土俵では強い立場にはなりえません。

 

残り80%にとってはさして有利ではない、または不利な制度に代わってしまいます。

安心して企業に安住できるという環境ではなくなるわけですから。

 

残り80%の代表格

 

不思議なもので、あれだけ会社に尽くせと下の世代に説教を垂れる層がこれに反対するんです。

最近の若者は出来が悪い。

とか

ゆとり世代は人間がなってない

とか

愛社精神や企業に対する忠誠心が足りない

 

などと若い世代にケンカを売ってきた世代が顔を真っ赤にして反対するのです。

 

(※若い世代にケンカを売っている人が無能な人とは限らないですが。。。)

 

もちろんベテラン世代も一枚岩ではありません。

若手に期待する層もいれば、若手の台頭を心底恐れる層もいます。

 

ここで問題になるのは後者の若手実力者の台頭を恐れる層

 

 

理由はいくつかありますがほぼ以下の点に収束するといえます。

・彼らは年功序列制の頂点にいるので、この権益を失う可能性を生み出すことは受け入れられない

・できる人とできない人で埋められない差ができてしまう。

 

そのうち、中堅層からベテラン層の世代特有なのが結局1点目です。

彼らだって全員がエースではないわけです。

 

成果主義にすると彼らの中でも格差が生まれます。

それどころかすでに出世競争の結果や配属経歴からある程度自分のキャリアの限界を迎えた人もいます。

 

ですが、年功序列賃金制であった場合はそれでも高い給料になります。

特に何かを考えなくてもそこについてはリスクのない現実あったのです。

 

 

成果主義はリスクのない安定昇給を取っ払います。

 

 

中堅世代はこれから得られたであろう権益をなくします。

ベテラン世代はこれからは下がることはあっても上がることはないという不利な状態を迎えます。

 

若い世代の台頭を抑えてさらに活躍できる自信がない人もいます。

それに彼らが若い時に得られなかった可能性を下の世代が得ることを受け入れられないのです。 

 

彼らはすでに実力で高い報酬をつかみ取るチャンスと気力がないかもしれません。

そんな中で移行されてしまっては彼らは行き場を失います。

 

なんなら、若い世代に給料で負けてしまう可能性が出る訳です。

 

移行する過程にはそんな世代間衝突が起こるわけです。

 

 

それは当然そうです。

実力のある人間を登用し、より価値のある仕事に報酬を分配しようという風に変わるのだから損をする世代は黙っていられません。

 

すると、そういう刺激と競争に満ち溢れた世界を望む層は少数派になります。

だって、いつの日も勝者の裏にはたくさんの敗者がいる訳です。

 

これでは労使間合意に至りません。

 

 

結局、中堅・ベテラン勢の既得権益にある程度配慮しつつ、若手には成果で評価するといったダブルスタンダードっぽい実態になったりします。

 

結果的には本来意図していた成果に応じた報酬体系には程遠い内容で中途半端な合意形成がなされ、成果主義を謳うのに中身が伴わないなんてケースがありえます。

 

するとより実力のある人間はもっと成果主義による報酬をもぎ取れる環境に流れていきやすくなります。

中途半端な成果主義を持つ企業は逆にトップ層をも失います。

 

中途半端な成果主義ではあまり報酬に差がつかず、かといって年を取ってから報酬を十分に得られる保証もないからです。

 

つまり、どっちつかずな環境にいること自体は損失なのです。

大して差のつかない成果主義にいては若い時にもチャンスが少なく、老後にも確実性のない寂しい現実を迎えるのです。

 

これが企業内で起きている年功序列=>成果主義の過渡期の暗い部分の一つ

 

成果主義にしたらかえって優秀な人を失ってしまったという皮肉が生まれる構造です。

考え方が問題なのではありません。

変化を生み出すには成果を出す側が数の論理上で弱すぎるのです。

 

ここのかじ取りを間違えた場合、実力層も失いますし、高い給料のまま低い成果の人を雇い続けなければならないという不都合な部分だけを被る可能性があるという事です。

 

世の中理想通りにはいかないものです。。。

日本における成果主義が発達するにはもうしばらく時間がかかるでしょう。