そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

【働き方】欧米には残業がないという幻想。~残業は普通に存在する~【謎理論】

残業することが悪だという思い込みについて

 

今、日本に溢れる残業に関する言質の中で気になる言質がある。

 

残業はカッコ悪くて、無能の象徴と扱わなければならない。

 

加えて

 

欧米では残業は悪であり、評価が下がる対象とされている。

 

という話が盛んに主張されるようになった。

 

これ、出元はどこなのだろうか。

 

 

いろいろな残業に関する記事や研究を見ても、一概に残業が絶対悪であると取り扱っているものは少ない。

 

残業が意味を成す瞬間の存在を認める記事やビジネスの前線における証言も紹介されているし、例外の存在は認めざることを得ないことも併記されている。

 

唯一絶対悪とされているのはサービス残業ぐらいだ。

 

どうしてここまで残業が絶対悪扱いされているのだろうか。

 

欧州にいてもその考え方は違和感を感じる。

事実、欧州においても残業する人は普通にいる。

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

が、事実として欧米の残業時間が日本に比べて少ないことは統計データが示している。

 

試しに欧州の統計を見てみたが、問題にならなくて、研究価値がないからなのか誰も労働時間なんか調べないのか、最新のデータの解説を取るのに苦労した。

 

欧州の統計自体はEurostatというサイトで入手できるのだが、2016年の統計では、EU平均で40.3時間、最も高くてアイスランドの約44時間、最低でデンマークの38時間だ。

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欧米 残業

(フルタイム雇用者が1週間のうちに平均的に働く時間数の統計)

 

国や企業によって週での指定労働時間は変わるが、一般的な40時間ベースでみたらほぼ残業がないことがわかる。

欧米の人たちのライフスタイルからしても、プライベートに影響が出るようなハードワークをさせられたくないということは多くの人が思っている。

 

対する日本はこれでは収まらないと思ったあなた!

それが違うようなのだ。

 

平成28年時点での厚労省の統計でいえば14.4時間が日本の平均的な一般的な月間残業時間とされている。

週単位に直すと3~4時間程度だ。

 

詳細は以下から確認できる。

「毎月勤労統計調査 平成28年度分結果確報 第2表 月間実労働時間及び出勤日数」厚生労働省

 

すると週40時間労働で見たとしても残業込みで43~44時間という事になる。

 

先ほどのヨーロッパの統計と比べて圧倒的に差があるとは言いにくい。

 

そんなに働きすぎか?日本人?

てこの数字を見ると思うわけだ。

 

話がいきなりそれるが、そもそも日本の残業時間の統計は信用できるのだろうか。

肌感覚ではもっと多いと思う人は結構いるんじゃないかと思う。

 

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

そこのお前も一時期は12か月の総労働時間が3000時間に到達した時期もある。

周りも毎日1時間程度の残業で終わらせているとは到底思えない。

 

そこのお前やその周囲が例外だとしても経団連の18年の調査では製造業においても3%の人が年間労働総時間が2400時間を超えている。

 

この平均14.4時間は全然肌感覚と一致しない。

 

ちょっと違うなと思うのは欧米も同じ

 

そこのお前は欧州では大企業だが、トップ役員や重要役職の連中になると結局土日も働いている。

連絡は普通に来るし、そうでもしないと必要な結果をたたき出せないというプレッシャーは重い。

 

結果が出なければがっつり報酬が減りかねない世界である。

 

だから、管理職の方がハードワークで高給をもらうことができる。

冷酷な事実ではあるが、より金を稼ぎたければハードワークの可能性が高まるのは欧州でも同じである。

 

それにそこのお前の周りも管理職以外ですら急な仕事が来たり、緊急度が高い仕事は残ってやる人もいた。

 

場合によっては部下に残業を命じることもあるし、いわゆる定時外での労働は起こりうる。

 

どうしても緊急の要件で仕事をすることはあるし、上昇志向の強い人間は仕事をしている。

 

家に帰って仕事をしている人だっているし、工場の作業員やサービス業などの単純な自給換算が可能な仕事には残業代だって出る。 

 

そこのお前はホワイトカラーワークだが、周りでも長く働く人はいる。

彼らは年俸制で残業代という概念がないにもかかわらず。。。

これも日本の基準に照らすとサービス残業である。

 

それにコンサルタントや金融トレーダーは事実長時間ハードに働いている。

 

だから、残業や長時間労働そのものを絶対悪Or無能と扱う考え方は欧州でも見たことがない。

 

とはいっても、欧米には残業に強い規制がある国がある。

ドイツやフランスなんかはそうだ。

 

が、残業をしても、質のいいアウトプットが出て、本人のワークライフバランスおよび健康に支障がない範囲においては誰も文句は言わない。

それに本人がコントロールできない周囲の人間に振り回されることによる残業は当然発生するし、それに対応せざるを得ない場合もある。

 

 

問題なのは

残業に対して定められた対価を出さない環境や仕組み
投資対効果に見合わない残業
個人のパフォーマンスを維持できる限界を超えた長時間労働

この3点である。

 

 

労働時間にかかわらず、スピードが遅いことがいい評価を得ないのは万国共通だし、納期に間に合わないことで評価が下がることはある。

 

欧米では~なんていう主義や便利な方便を借りなくても人よりも余計なコストをかけて同じ量の仕事しかできないことは問題であることは簡単に想像がつく。

 

同じアウトプットを人より時間をかけて出していれば、いい評価が得られないのは当然だし、それでさらにいい給料がもらえるとなったら人は真面目には働かない。

 

残業をしたくない人はもちろん多いが、仕事上で必要な成果を出すために時間外にも仕事をする人は割といる。

なんなら、管理職以上になると長時間労働の層の割合がぐんと増えるように感じる。

 

だから、残業そのものを悪と扱う事例は遭遇したことがない。

 

これは欧米の話とは全く別物だと思う。

 

例えば、定時中にダラダラやって、残業だけして帰るというものは問題かもしれない。

が、それは残業が悪というよりは定時中に怠けることあるいはそれを許す環境が悪なだけで本質的には残業の是非の話ではない。

 

サービス残業が統計に入っていないとすれば、それは問題である。

 

払うべき対価をすっ飛ばして成果だけを得ようとしている統計にも表れない厄介な存在だ。

(※これはケースバイケースで、本人が本当に実力がなくて他の人よりも遅くて残業と扱えないのかもしれないが。)

 

働き方改革においてアプローチすべきはこの部分である。

 

が、あまりに過激化した冒頭の主張のような残業抑制の動きに過ぎたるは及ばざるがごとしの匂いを感じている。

なぜなら世界中のどこにも一般的になっていない主張をあたかも当然かのように主張しているからだ。

 

なんならゆとり教育と同じように次の世代には緩くしすぎたことを認めざるを得ない時代が来るかもしれない。

 

このような主張をしたところで一番アプローチしたい残業代も払えないけど社員を酷使しなきゃ生き残れない企業には実効的な効力が限定的に留まるだろう。

 

こんな主張などどこ吹く風で生き残りをかけて働かせているだろうし、社員も必死になって働いているだろう。

 

一番ターゲットとしたい「残業」をあの手この手でもみ消し、なかったことにするブラック企業や正当な対価を払わない部分へのアプローチのはずが、全うにやっている企業や個人の価値ある残業にすら罪悪感を植え付けようとしている考え方はかえって劣化した考え方かもしれないと思う。

 

絶対悪と扱わせるのは少々行き過ぎである。

超絶過重残業を経験し、ほぼ残業ナシの生活も両方経験したが、それでもそう思う。

 

絶対悪とするには常々労働人生と隣り合わせすぎるし、意味がある残業は確実に存在する。

 

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

【仕事】KPIに振り回された集団の話【KPI】

 

KPI=Key performance index、ケーピーアイ、重要業績指数

いわば何かを評価するための客観的な数字だ。

 

多くの場合で組織上の目標を作る時や人に自らを表現する時にはその評価基準を定量的な指標に頼る。

 

企業であれば売り上げや利益率、あるいは株価

もっと細かく見ていくと、

製品一個当りの原価率

製品購入者のリピート率

広告リーチ層のコンバージョンレート

在庫回転率

 

などなど

上げれがばキリがないほどたくさんの指標が出てくる。

 

今はスポーツにだって定量化した指標をたくさん導入しているし、我々が日々書いているブログにだってある。

一日のPV数

月間収益

ページ直帰率

ページ滞留時間

 

細かく数字を追いかけていけばキリがない。

 

だがそれを追いかけ続けた時に幸せがあっただろうか。

KPIのみを追いかければ常に完璧なパフォーマンスを達成できるだろうか?

 

答えは必ずしもYesとはいえない。

 

だが、KPIを非常に大切にする人種がいる。

 

大企業のCEOや幹部は多くがそれである。

プロアスリートもそうかもしれない。

 

この指標がどれぐらい上がって~、どれぐらいの報酬を受け取り~

まぁ、彼らはそういう仕事である。

 

そもそも、KPIの起こりと何か。

 

どういう状態をいい状態かを定義し、現在位置並びに目指すべき状態および到達点を客観的に可視化することである。

売り上げが多ければ多いほどいいかもしれないし、利益率がいいといわれる場合もある。

 

だが、問題は以下である。

KPIを満たしているからビジネスが上手くいっているといえるわけではない。

ビジネスが上手くいっている状況を判断するためにKPIがあるだけだ。

 

だが、現実にはKPIさえ満たせば彼らのような職業の人間は表面上OKである。

一将成りて万骨枯る。そんなことをしても、在任期間や1シーズンを問題なくやり通せば彼らはそれでいいのだ。

 

彼らは彼らのKPIさえ達成すればお金をもらうことができる。

クビにもならないし、関係するステークホルダーは満足する。

 

つまり、このKPI自体に無思考になる。

 

本当にそのKPIだけが大切なことかは考えない。

なぜなら彼らがその職にいられるかは彼らが持たされるKPIにいかに愛されるかにかかっているからだ。

 

 

そんなKPIにとらわれた組織の話

 

く~ぜんっ!ぜっつごのぉぉぉ!!ちょ~ぜつどど~の数字人間!!!

 

そう・・・

KPIを愛し、KPIに愛された人間と集団の話。

 

 

―――――――

期初めに決めたKPIがあった。

売り上げに占めるコスト比を今期より5%減らす

人員は現行より減らし、全体で3%人件費削減

 

その会社は過去10年、3%以上の年間コスト削減率を記録したことがなかったが、どうやら目標はこうなった。

人員を減らすことについても全社で3%減らすことを目的とするが、当然おいそれとクビにはできないし、過去に十分なリストラは行われてきた。

 

全員があきらめムードになりながら、疑問を呈した。

が、いわゆる経営のスリム化が至上命題とされたことでこの数字設定になったとの説明がCEOからはなされた。

 

社員もそのほうがいいことは知っている。

 

だが、どうやって。

 

それは誰も答えを持っていなかった。

 

むろん幹部陣も。

 

おおもとの目標についての達成可能性については吟味されず、後追いでどうやったらその数字を達成できるかを作ることになる。

そして、幹部の中にKPIだけを追い求める人間がいた。

 

彼はKPIを達成するためにはどんな手を使ってでも達成することを部下に要求した。

幹部からコスト削減を命じられた人がいた。

 

まず、その人間は部下にプランを作るように依頼した。

 

部下はプランを作る。

実現できると確証のある部分のみを抽出し、数字を足しあげた。

だが、足りない。

幹部には見せられないと直属の上司は差し戻す。

 

部下はプランを練り直し、諸々加える。

実現できるかは不明確だが、可能性のある部分も足しあげた。

だが、まだ足りない。直属の上司は「もう一声」という

 

部下は考え抜いた結果、新しい案を加えた。

実現可能性も必要なリソースもわからないが、こうすればできるというシナリオを入れた。

だが、まだまだ足りない。直属の上司はこれ以上は限界だと判断し、この数字で幹部への報告を行った。

 

 

幹部は怒り狂った。数字に足りてないからだ。

 

直属の上司は困った。まっとうな努力ではこれ以上の積み上げは期待できない。

だが、そんなことはお構いなく、再検討を命じられた。

幹部からの話は部下にも伝わった。部下も困った。むしろあきれた。

 

最後、部下は苦し紛れに新しい案を加えた。

そこには真実でない部分が入っていたが、すでに冷静な判断力を失っていた。

なんとかぎりぎり必要とする数字を積み上げた。

 

彼は直属の上司に報告した。

直属の上司は事情を理解した。

 

そして、諸々後ろめたい部分の体裁を整え、幹部に報告を入れた。

 

幹部はようやくしぶしぶ納得した。

それどころか、彼は最初からこの数字が出てこないことに不服なようにすら見えた。

 

シーズンが始まった。

1年間を通しての長い戦いだが、積み上げさせられた砂上の楼閣のようなプランはいくら時間があっても足りなかった。

 

だが、問題が起こった。

人が足りないのだ。

イデアはあってもそれを実行するために動くことのできる人間がいなかった。

 

だが、元々の計画では人はさらに減らさなければならない。

だから、部下が仕事量を増やし、補うことを目指した。

残業時間は増えた。

 

そうこうしている内に膨大な業務量と非現実的な目標設定に嫌気がさした人間が増えた。

人が辞めた。

 

現場寄りの人間は悲しんだ。

幹部は喜んだ。

 

人員の補充はされなかった。

このまま減った状態を維持すれば目標達成に近づくからだ。

 

人が少なくなったことでさらにやりくりが厳しくなった。

本来達成できるはずのコスト削減にも滞りが出た。

 

これを是正するためにさらに残った人員は残業を増やした。

この時点で組織の体力は極限まで削られており、一番最初の時点での計画部分すら達成が怪しくなった。

組織の体力がないことを察したのか、幹部は今回だけのお願いとして各所を奔走して無理を聞くように嘆願した。

 

これを年の間に数回繰り返した。

だが、人が補充されることはなかった。

関係する取引先も疑念を抱くようになった。

 

さらに状況は悪くなり、売り上げに影響を及ぼすようになった。

上げられる売り上げを逃したり、追い上げに向けた追加業務に対応できなかった。

だが、影響を最小限にするために追加のコストを臨時で支払った

ここまでくると幹部はアツい想いのこもった叱咤激励を全員にとばし、モチベーションを失わせまいと躍起になった。

 

この時点ですでに大敗が見えた戦場だったが、幹部は起死回生の一手を放った

彼はあらゆる数字を嘗め回し、見つけたのだ。

彼の管轄コストと扱われている数字の中に会計定義上は他人のコストとして扱ってもよい数字が入っていることを。

 

数字の計算定義を確認し、この数字を他部門に付け替えた。

この数字が膨大であり、彼の管轄で今まで被ったロスともともと足りなかった目標との差をすべて埋めきった。

彼はこれをCEOに非常にうまく説明し、あたかも本当にコストを削減したかのように見せた

 

何も変わらない社内数字だけの話であるが、この数字を特定し、洗い出すのにはもちろん人手と時間がかかっている

 

繰り返すが幹部はKPIを達成するためならどんなこともする人間だ。

そう。文字通りどんなことでも。

 

結果、幹部は以下のことを行った。

 

・数字の計算定義を分析し、その穴を突き、コストでない扱いに変える。

 

・部下・相手に理屈が通らない要求を押し通させる。

 

・本来残しておくべきリソース余白や定常運用における保険部分を削り取る

 

・KPIが定義されない部分にすべてのしわを寄せる

 

などなど枚挙にいとまがない。

 

彼の考えはこうである。

より多くの部下が彼らのKPIを達成すれば自身のKPIが良くなる。

 

そのためには強烈すぎるプレッシャーも構わずかけていく。部下はなすすべもなく従う。

部下およびその傘の下の孫部下はこのマネジメントに苦しむ。

 

そして、彼の放った起死回生の一手はそのまま大逆転の一手となり、彼は期末には彼の必要とされる目標数字はすべて達成していた。

 

結果として

・売り上げは下がった

・部下の残業時間は増えた。

・いくつかの関係先はこの会社の顧客としての優先度を下げた。

・人が少なくなった分、元々できると予定していたコスト削減取組の実現すらできなかった。

・会社全体のコストはむしろ増えていた。

 

 

だが、彼は評価された。

目標を達成したからだ。

 

だが、幹部の部下たちは全員評価されなかった。

なぜなら彼らが幹部の目標達成に寄与したことがほとんどなかったからだ。

 

つまり、幹部だけが得をした。

会社すら損をしているのである。

 

これがKPIのリアルの一つである。

残酷な話だが、彼の部下たちの中で冷静な判断力を持つ人間はほとんど社外に出た。

残った人間はイエスマンか他の会社に行くことのできない選択肢のない人間だけである。

 

会社はその一部に今後少なくとも5年は癒えない傷を負った。

 

KPIは追いかける対象ではない。

自分たちの取り組みについてこさせるものだ。

 

KPIファーストにするとこの前後関係を見失う。

 

犬を散歩しているはずが、犬に散歩される。

 

そして迷走する。

 

本当にあった怖い話。

【キャリア】中間管理職という種族【与太話】

中間管理職という種族はどんどん苦しい状況に追いやられている。

という話

 

これを中間管理職目線でつらつら。

 

昔のような体育会系、絶対服従主義はどんどん居場所をなくし、

 

働き方改革で部下は改善されど、自分たちは半分蚊帳の外。

 

ストレスを発散しようにも、パワハラアルハラ・セクハラ。ハラスメント縛りのオンパレード。

 

何かをするにも上司だけでなく、部下の感情に配慮することを非常に高いレベルで求められるようになった。

 

今までは階層が上がるごとに少なくなる目上の人間に対してのみでよかったが、それがより数が多く、多様な下の世代にも同じようにせねば大きなリスクを抱えるように変化した。

 

ぶっちゃけ、人として当然といえば当然の話なんだが、ビジネスとしての結果も求められ、部下を不快感を与えないよう配慮すべしという全てを本気同時に満たそうと思うと確かにハードルは高くなったなぁと思う。

 

特に社交辞令が多い文化の日本ではさらに難しいだろう。

 

それに輪をかけて

 

人手不足

人材の流動性加速による定着率の低下

少ない裁量、増える義務

 

これだけの負担が中間管理職にシワが寄るようにシフトしていると思う。

 

まぁ欧米の基準に寄せていくという事はそういう事だ。

 

労働者に対して求められる負担に一定の制限がかかり、管理職としてはケアしなければならない項目が増えるという事だ。

 

実際ヨーロッパの管理職も結構大変そうなんだが、担当する部下の人数を絞ることで対応していることもある。

 

一説には管理職一人当たりの最大人数は6人が適切とされている。

これに適合する形にするというものである。

 

実際、そこのお前の会社も欧州では傘の下につく人が増えるとそれに合わせてその中間の管理職を増やす形にして、管理職一人当たりの労力を絞っているようだ。(※欠点として、給料が上がらない準管理職ができているが。。。)

 

日本の管理職体系がそのように推移するかどうかという点では企業によるが、どうしても中間管理職層を適切に育成し、パフォーマンスを最大化させるためのスキームが弱いように感じる。

 

彼らは仕事ができるとみなされた人を選抜した集団なのだからいちいち教える必要がないという事なのか、それとも単純に社内のほかに機能がものを言える環境が存在しないのか不明だが、どうしても研鑽すべきという意識が働きにくいようになっている。

 

あるのはあくまで結果を達成し、問題なく部下をコントロールせよといった点だけだ。

ほとんどの領域の評価が結果の良し悪しに縛られる。

 

プレイヤーに戻る方がいいって思う人も数多くいるようだし、確かに自分がやらない分、面白みがないことも言われている。

まぁ、若い世代が興味なくすのも当然といった状況が加速している。

 

そもそも、場合によっては見たくない人の面倒を見なければならないし、自分の思い通りにならない状況に対して心理的に強くあらねばならない。

 

男性諸君ですら逃げられたらどんなにいいことか!なんて思いながら過ごしている人が増えている中で、外部からは女性管理職の比率が少ないことが嘆かれている。

これらの主張をする人は全員管理職経験者なのだろうか?

 

正直、この超絶重い負担をあえて男女平等の名のもとに女性に積極的に背負わせに行くのか理解に苦しむ。

 

なりたい人がなる道を確保する分には構わないが、なぜ同割合であることにこだわるのだろうか。

個人の権利を尊重するはずが妙な全体主義に陥っているように見える。

 

それに、労働者と同じで女性が働きやすい管理職の職場環境を作れ!

という話は労働者文脈の働き方改革と比べるとその活発さに歴然の差があると思う。

 

だって、労働時間数が取り沙汰されない職位だから。

すると目に見えて客観的に違反といわれない状況であれば企業は対策を後回しにするし、上司自体が母数が少なくて声を上げにくい「サイレントマイノリティ」になるわけだ。

中間管理職はいつでも言われる。部下の働き方を変えて!って。自分の働き方は一層えぐくなるのに。

 

だから女性管理職比率を平等にして働きやすいようにするのだ。

というロジックはいささか飛躍しすぎている。

 

なぜなら、現在の世界は女性が参入するから働きやすくなるという風には回っていない。

多様な働き方に合わせるように様々な変化や制限を加え、男性も意識を変えるようにドライブしていったから女性も参入しやすくなるという構図である。

 

前後関係が逆なのだ。

 

そして

このムーブメントで割りを食っているのが中間管理職という種族である。

 

変化の兆しが見えない中間管理職の職務領域にはまだまだ高い障壁が待ち構えているのだ。

特に上司としての完璧性がこれまで以上に求められる世界ではプレイヤー時代からは大きく勝手が異なるようになった。

 

時に、女性の方が仕事ができても、男性が管理職に昇進することもあり、これがまた嘆きを生んでいるようなケースもある。

確かに納得がいかない。仕事ができる方が昇進すべきだという考えは非常にわかりやすい。

男女平等に反しているとそう訴えることもある。

 

だが、果たして本当にそれだけでいいのだろうか。

 

多くの部分では、仕事ができる方がチーム管理できる可能性が高いと論理的には考えることができる。

業務上、困難な事柄への対応力

 

仕事の熟知度合

 

成果に対する意識や実際の結果

 

業務上での人脈

Etc Etc 

それぞれに各人に得意不得意はあれど、「仕事ができる」といわれる人は総じてこれらをチーム内で高いレベルで持ち合わせていることが多い。

 

管理職という生き物

が、「管理職」というのは上記に加えて少し特殊な能力が求められる。

 

管理職に上がりたいのに上がらない人というのはこの視点が欠けている可能性を考えてみてもいいかもしれない。

チーム最強戦士が最強上司になるとは限らないのだ。

これはワンピースの世界ともキングダムの世界とも違う。

 

プレイングマネージャーならいざ知らず、通常の管理職ってプレーヤー時代に求められる行動と大きく異なる。

そして、本当のところの昇進って実力やスキルよりもマインドセットや非常事態への物理的・心理的対応柔軟性によるところだったりする。

 

これこそわかりやすい指標で測れないものである。それに管理職の責任を考えるとただ仕事ができるだけじゃダメなことが加わる。

 

管理職になると最強戦士はその剣を収める場面が出て、参謀としての要素も持ち合わせなければならない。

 

部下に最強戦士がいる参謀上司・部下に最強参謀がいる戦士上司

こんな風に補えるといいが、現実はそううまくはハマらないことも多い。

 

そうなると、上司が足りない部分は上司が補い、部下が足りない部分も上司が補うことになる。

すると最強戦士時代の長所をひたすら生かして戦うという方法だったり、短所を上司に補ってもらうという手札が切れなくなる。

 

管理職はチームに何かあったら責任を取らなければならない。

欠員が出たら補充やカバーを考えなければならないし、部下の様々な個人的事情にも配慮した上で日々の業務の取り回しを決めねばならない。

 

部下の育成にも時間を取らなければならないし、非常事態が起こればコントロールに駆り出される。

一つのトラブルが起きる可能性が月に10%だったとして、自分が担当プレイヤー時代は10か月に1回起こるかもしれないトラブルをピークとして乗り切れればよかったし、自分で防ぐ努力も直接的にできることが多い。

だが、上司として仮にチームメンバーが5人いたとしたら、10%×5で50%に跳ね上がる。

それも、日々直接当たっているのは部下であり、自分ではない。

結果的に、2か月に1回はコントロールできない偶発的なピークが生じることがある。

 

もし同時多発的に起きたらそれこそ大騒ぎである。

 

そのため、必要とあらば労働者時代の常識を超えて長時間働ける準備をしておかなければならないのである。

 

部下の評価をしなければならない。

 

正直、これが一番ハードルが高いと思う。

どうしても100%部下に寄り添って見れなかったり、思い通りに関係構築ができなかったとしても評価をしなければならず、適切なフィードバックと育成を行わなければならない。

非管理職時代のようになんとなく私見を持っていればいいだけではない。

必要とあらば苦言を呈さねばならないし、場合によっては強く主張して部下の評価を担保しなければならない。

 

人材の流動性が高い今、退職リスクも勘案して部下との関係は非常に神経を使って構築しなければならない。

そのもっとも根幹である評価をしなければならない。

 

逆に、部下は部下で悪い評価が付いたりした場合に、理屈などお構いなく、コミュニケーションが取れない!とか丸投げだ!心がない!寄り添ってくれない!理解してくれない!とぼやかれて信頼を失うリスクすらある。

 

ーーーーーー

 

このように、純粋に自分だけの時間・人生にならない部分を抱える生き物なのである

良くも悪くも自分だけの人生ではなくなる。

 

だから、実力もさることながら、人生を自分だけでなく人に使う時間も含めて対応できる人を管理職に上げたいと考える方がメリットがあるように判断される。

 

そう。管理職という種族はどんどん苦しい状況に追い込まれ、労働市場とは真逆で参入への勇気がいる職位になったのである。

ちょっとの給料増と引き換えに。。。

 

いつ頃中間管理職への対策は打たれるだろうか。

しばらくは中間管理職がさらに苦しい状況が続くだろう。

 

 

  

追記。

この中間管理職の悲哀、欧米でも結構同じなんです。

労働者は時間外は働かないからまだ安心できますが、管理職連中は平気で土日もメールのやり取りをしています。

休んでんだか仕事してだかわからないぐらいプライベートと仕事が融合して不可分になっています。

 

また、比率という意味では女性管理職の比率はそこそこ高いですが、彼女らは鬼働く人か男勝りにパワーで押す!とばかりに強い人たちが多いです。

欧米の女性の性格・タイプと日本のそれが同じであると言い切るにはあまりに雑すぎるほどに違いがありますが、女性自身も変化して欧米化していくんですかね。

日本人女性がそうなりたいと考えているかどうかはわかりませんが、あまりそういった議論は出てきませんよね。

そのあたりを無視して男女比率同数にしたがるのは何か意義があるんですかね・・・

 

(※ちなみに、もし日本人女性が欧米管理職の方々のように変化することを目指した場合、そこのお前の実感ですが、男性目線では恋愛の魅力はなくなります。ちょっとあの人たちついていけない。。。)

会社の近くに住んだらいいことしかなかった話

どうも。そこのお前です。

 

今日は会社の近くに住むことのメリットを力説します。

正直、東京勤務であれば、できるだけ会社の近くに住むことこそ最強です。

 

そこのお前はある程度お金をため、社会人3年目の時点で実家から出る決断をし、晴れて一人暮らしを開始しました。

 

これが本当にいいことしかなかった。

何がいいって、ざっくりまとめると

 

  1. 自分の時間が増える
  2. 睡眠時間が増える
  3. 休日の充実度が上がる
  4. 出会いが増える
  5. 仕事の成果が上がる
  6. 収入が増える
  7. 自分に自信がつく
  8. 生活力が身につく

 

こんなところでしょうか。

もっと挙げればきりがないですが、これぐらいにしておきます笑

そして、この順番でいい影響が加速していきます。

 

「会社近くに住む」モデルがそこのお前の人生を100倍ぐらい改善したといっても過言ではありません。

 

このモデルを始める前には本当にいろいろなことを言われました。

 

会社の近くなんて絶対住むべきじゃない!

とか

近くに住むと仕事との切り替えができなくなる!

とか

実家って楽でいいぞ~!

とか。

 

そんな意見は大概クソです。

まず、そういう意見を言う人が本当に皆さんの人生を考えて言っているかを見直してから聞くかどうか決めてください。

 

そういうそこのお前の話もあくまで体験ベースですが、このモデル、確実に活路はあります。

 

仕事場の近くに住むというモデル

 

 

これ、元々は大手事務所の弁護士やコンサル、経営者や企業役員など激務で十分お金がある人なら高確率で採用するモデルです。

十分なお金があって、少しでも良質な人が仕事を積み重ねることが収入に直結する人にとっては非常に合理的な手段です。

 

じゃあ、上記に当てはまらないサラリーマンでも、下記4つの内、2つ以上当てはまる場合はこのモデルをお勧めします。

  1. 成果主義を導入する企業やインセンティブのある職など、自分の努力によって収入を比較的変えやすい人
  2. 収入を上げたい、または年功序列でも昇進を狙う人
  3. 混雑する電車沿線に住んでいる人で往復で2時間以上かけている人
  4. 独身

 

というのを以下のそこのお前の状況から説明します。

1,自分の時間が増える

一人暮らしを始めた時点で、片道1時間強の通勤の場合、体力の消費を2時間×5日=10時間/週、500時間/年をより自由な自分の時間にすることができます。

電車内でもできることはありますが、せいぜい読書やスマホ、落ち着かない環境下での思考のみです。

これをより制限のない自分の時間に帰ることができます。

500時間も2年、3年と続けると1500時間と無限に膨らんでいきます。

この500時間をスマホゲーや特に目的のないサイト巡りからもっと自由に使えると思うだけで魅力じゃありませんか?

 

そもそも通勤電車、1時間とかだからまだいいですが、業務と同じように9時から17時まで乗ることを想像してみてください。

仕事よりもハードでイヤじゃあありませんか???

つまり、人生における時間の消費の内、もっとも意味がなく、ツラい時間であるということを強調したいのです。

 

 

2、睡眠時間が増える

1の年間約500時間、睡眠に充てると非常に効率的です。

他にも使い道はありますが、そこのお前にとっては一日もう2時間寝られる、7時間30分以上寝られることがとても魅力的でした。

これによって、毎日頭をクリアに保つことができるようになりましたし、ストレスも効率的に解消していくことができるようになりました。

 

3,休日の充実度が上がる。

 

都内の会社のあるような場所は得てして人も多いですし、各所へのアクセスもいいものです。

たっぷりとれる睡眠時間で充実した体力で都内で遊ぶことができます。

友人と遊ぶにしても、何か一人で出かけるにしても時間も短く、やれることが多くなります。

 

近くにバーがあったら通ってみたりとか、ジム・運動ができる施設に行ってみたりなど、さまざまなことができます。

買い物も近場にいろいろな選択肢を手に入れることができます。

そこのお前は出不精なので、あんまり外には出ませんでしたが、その分友人を家に呼んだりしながらマイペースな時間を過ごしていました。

電車に乗るよりも思考がはかどりましたし、交友関係のメンテナンスにも非常に強い効果がありました。

 

4,出会いが増える

 

交友関係のメンテナンスもありますが、もう一つ魅力的なものとして、そもそも新しい出会いを取り込みやすくなります。

人見知りでビビりで自分から積極的に行くのが苦手なそこのお前にとって、住んでるところが近いだけで呼ばれやすくなったことはとても大きなことでした。

これによって、仕事の上でもプライベートの上でも本当に刺激的な経験がありました。

もちろん嫌な関係は断ち切ればいいですし、いい関係もたくさんあります。

少なくとも機会が生まれたということに大きな意味がありました。

 

5、仕事の成果が上がる。

そこのお前にとってはここが最大のメリットでした。

 

A,100%の出力を出せる時間を延ばせる。

起きてから歩いて通勤するわけですが、朝の散歩のように歩き、活性化した頭のまま仕事を始めることができるわけです。

これによって、スピードも上がりましたし、最も思考力が高まる時間を仕事に充てることができました。

正直、満員電車通勤時代は会社に到着した時点ですでに肉体的にも負荷がかかり、頭脳もややピークを過ぎた状態になっており、仕事を始める時点での100%の出力を出せない状態が続いていました。

 

B,仕事のピーク時の追い込みの効き方が爆発的に向上する

夜遅くなったとしても帰りの時間や体力を気にする必要もなく、自分がやる気がある時間まで好きに動くことができるようになりました。

また、まとまって時間が必要な短期集中型の仕事にも臆することなく自分の100%、120%を出すつもりで動くことができました。

 

C,仕事以外のストレス・負荷・時間の削減

通勤にかかる負荷・ストレス、休日にやることがないストレス、実家にいて誰かと同居することで使う時間

こういったストレス源から解放され、本当に自分が集中すべきことに対して集中して自分自身のエネルギーを使うことができることで、より研ぎ澄まされた生活を送ることができました。

もともと一人が気にならないタチだったので、ワークライフバランスというよりはワークライフインテグレーションを目指すにあたって本当に効果を上げることができました。

 

 

6,収入が上がる

そこのお前はまず、1で増えた年間500時間で残業時間の拡大を狙っていました。

年間500時間をそのまま残業に充てるとすると、その人の給料次第ですが、結構な差が出ますよね??(詳しくは皆さんの状況に当てはめてください。)

もちろん、ただ残業することが目的でありません。

いい質の労働時間を組み合わせ、いい仕事をもらえる確率を少しでも上げ、それに対して惜しみなく時間を使ってもらいたいという期待を会社からもらう。

その上で、成果に対して真摯に時間を使って取り組む。

もちろん管理職でないうちは時間単価としてダイレクトに帰ってきます。

そして、そこで積み重ねた成果がそのまま昇給・昇格を早めてくれるわけです。

 

結局増えた残業代と早まった昇給によって家賃分なんてカバーして余りある金銭的メリットも得ることができました。

このご時世であれば副業のために使ってもいいかもしれません。

 

 

7,自分に自信がつく

 

これも非常に重要な要素です。

社会人の若手のころのなかなか自分自身に自信を持てない時期から進化を図り、仕事でもプライベートでも充実しているという実感や自分なりの成功体験を持つにあたって、

・実家を出る、または家賃のある程度高いところに住む

・仕事で成果を出す

・プライベートも成熟していく

 

これらを手にすることは社会でも立派に生きているという自覚を得るとともに、他人からの見られ方もおのずと変わっていきます。

どうも自信があるように見えたほうが人生が上手くいくようで、その自信を身に着けるという意味では役に立ちました。

(※多くの自己啓発本や成功者へのインタビューで、自信を持つことはいいことだといわれていますよね。。。)

 

8,生活力が身につく

自炊・洗濯・家事等全部自分でやることになるので、基本的には生きる力が身につきます。

まぁこれはおまけみたいなものです。

家事全般、やればできることの組み合わせなので、慣れてしまえば特に大きな負担を感じることもありませんし、リズムはできてきます。

お手伝いさんや家事代行を入れない限りついて回りますし、将来的にずっとやらなくていいという可能性は非常に低いので、いい実践の場になりました。

 

 

最後に、このモデルを取ることによるデメリットは

  1. 支出が増える
  2. つい遊びすぎてしまう

ですかね。

 

飲み代等交遊費で月に10万以上使うことはザラでしたし、すぐ帰れるからついつい朝方まで遊んで翌日に影響出ちゃったり、歯止めが利かないのは自分で律する必要がありますね。

収入も増えましたが、支出も増えました。

最終的には貯金のペースも上がったので、損をしたという意味ではありませんが、ついついお金を使ってしまう環境や誘惑が増えるのは事実です。

 

会社の飲み会でも、金曜日の友人との飲み会でもつい遅くまで時間を使ってしまいます。。。

 

もう一方の、結局個人家計の中でベースとなる家賃支出ですが、この物件探しとお勧めの方法はまた別の記事で書きます。

 

このモデル、全部のメリット総取りとまではいかなくても、家賃が安いエリアに住んで節制するよりも大きなリターンを見込むことができます。

一方で最初に否定的な意見を述べた人たちが懸念するようなことは何も根拠のない“評論家”目線の意見でした。

もちろん家賃が高いことはあっていますし、実家は家事負担はなくて楽ですが、それだけです。

自分自身の人生を切り開く上でどちらがメリットがあるかは明白です。

 

もちろん住む場所によっても変わりますが、会社近く暮らし。

本当におすすめです。

 

20代・若手のころは特にお試しあれ。

 

 

それでは。