そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

【仕事】伝染する「まぁいいか」症候群【慣れ】

集団に蔓延するまぁいいかの病理

上司はメールなんて返さないもんだと思っている人がいる。

部下がそれを意識して備えることはよくあるが、上司側でそれでいいと思っている人がいるから困ったもんだ。

 

中にはメールをすべて読んでいると思うな!

と堂々と宣言する上司もいる。

(※自分はメールを返さないクセに、メールが帰ってこないと怒るのには辟易するが。。。)

 

役員・経営陣クラスになるとそういうこともあるかもしれない。

彼らには膨大な情報が集まり、様々な判断が社内・社外問わず発生する。

 

そのため、位が上がったり範囲が広がれば広がるほど、どうしても情報の取捨選択や漏れが発生しやすくなる。

 

矛盾ではあるが、意思決定側がベースとなる情報を見尽くせない場合があるというわけだ。

 

だが、仕方がない。

意味のある情報の取捨選択を行い自身の限られた能力を行使するにはある程度は致し方がない。

人間一人の能力には限界がある。

 

が、そういった側面は見落とされ、「まぁいいか」は伝染する。

 

経営層や管理職層が致し方なく情報を把握できないことは棚に上げられ、発生した「見落とした」という結果が先走り、誰もがそんな雰囲気でいいかのような認識を持ってしまうことがある。

 

会社に入社した時は驚いたものだ。

 

電話を返さない先輩

 

メールの未読件数の多さを忙しさの尺度として自慢する部下無し管理職

 

挨拶すらまともにしない社員

 

もちろんそれらが完璧にできている人もいるし、そういった人には自然と尊敬が集まる。

 

が、全員がそうではなかった。

中にはびっくりするような連中も混ざっている。

 

自分だけまぁいいやな人たちの存在が物事をややこしくする

 

そんな連中に限って新人であるそこのお前に向かって電話を取れとかメールはしっかりしろ!

なんていっちょ前に社会人の基礎を飲み会で語りだすからやってられない。

 

しかも、世界に展開するグローバル企業がこの有様である。

とはいっても彼らには彼らなりの理由もある場合もあるし、結果的にその方が得をするということもあるのだ。

 

が、そういうだけではない。

 

若い世代が抱く違和感はこの「まぁいいか」の空気にある。

 

若い世代が未熟な人が多いということは認めるが、それでもお手本にならない人に講釈を垂れられる事ほど混乱することはない。

 

同時にお手本にならない人が同じ空間にいるのに若い世代のみ厳しく教えられる場合に不公平感を感じずにはいられないのだ。

 

ある程度社会人としてのキャリアを積めば、彼らが諦められているからこそ放置されていることや、腫物として無視されていることを理解するのだが、新人の時にはまだまだよくわからない。

 

まじめであればあるほどその乖離に驚く。

そうでなくとも、テキトーな部分をうまくごまかしながら切り抜ける人もいる。

 

そんな会社での何となくの空気感や慣れに徐々に馴染んでいく。

 

この点、自分自身の行動とあるべき理想がきちんと固まっている人間を除いては環境がもたらす文化に大きく左右される。

 

若手なんて自分なりの一本筋が通った人なんてほぼいないし、まだまだ社会人としては骨格の形成段階である。

その段階では基本的には周りの人を見て育つ。

 

守・破・離の守の段階なのだ。

 

そして、言葉よりも雄弁に行動が物事を語るし、よく見ている。

 

つまり、お手本のクオリティが低ければ出来上がるものも低いままである。

 

あ、先輩電話とらねーし、自分も取らなくていいか。

とか

先輩メール返さねーし、自分も返さなくていーか。

とか

とりあえず怒られなければそれでいいや。

 

「まぁいいか」ってなる。

 

これがまぁいいか症候群の始まりだ。

 

妥協の塊なわけだ。

 

あの人も見逃してたし、オレも見逃してもいいよな!とか、まぁ差し当たって大問題ではないからギリギリセーフだよな。

 

なんて。

 

厄介なことに「まぁいいか」上司や先輩が知らない間に進行し、拡大する。

 

一度それが始まると、ティッシュの端を水につけるとすぐに全体に広がるように爆速で拡大する。

 

人によっては力の抜き方を覚えるとかさぼり方を覚えると表現したりするが、これによって逃している潜在的機会を把握した上での行動でない限り、適切な使い方ではない。

 

もちろん、効率化のために手数を削減したり、不要な仕事をそぎ落とすことは問題ないのだが、単なる怠慢や他者軽視が入ってしまうと大きな問題を孕む。

 

しかも特定の個人に起因すると結論付けるには広範囲すぎており、手を付けづらい。

要は人を変えようとするよりも環境的な影響を変えなければならない。

 

メール一つとったって、部下から上司へのメールは営業ダイレクトメールでもあるまいし、何らかの意図をもって送られている。

 

それに反応がないとさすがに凹む。

 

社会人として慣れていくと何も感じなくなるものが、その時点で既に伝染するまぁいいか症候群はがっつり進行している。

 

だが、事後対処的にそれを指摘しても現実的メリットを取れる可能性は低い。。

結局、指摘された側は意固地になるだけだ。

 

忙しかっただの、意味がなかっただの、よくわからなかっただの、テキトーに理由をつけようと思ったらいくらでも理由が付く。

 

時には意味のないメールだって混ざっているじゃないか!とか電話は相手の時間を奪う行為だ!

 

とか正論に似た独りよがりの恣意的な主張を展開することができる。

 

もちろんそういった議論にも筋が通っている場面もあるのだが、便利な言い訳として使われてしまう場面も同じように多く経験してきた。

 

さらに、メールで送りました!とか電話で言いました!

の言った言わない議論や責任の押し付けあいが始まると割を食うのは決まって位が低い方だ。

 

もちろんそれに屈せず、逆に上司を虐げるモンスター社員も一定数存在するわけだが、上司部下に関わらず他方を虐げる構図ができている時点で破綻している。

 

多くの場合はその破綻に至る前に、現実的な落としどころとして、お互いなぁなぁにするというフェーズを通過する。

 

これがまぁいいかの正体であり、一度の指摘では簡単には修正されないものだ。

同時に自分に原因があるかもしれないのだ。