そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

【キャリア】仕事に全振した結果得られた4つのもの【人生】

さて、前回の記事では若手の時間を3年程度仕事に全振りした話を2回に分けて書きました。

もちろん金銭的メリットを享受することもできたのですが、それ以外についてももろもろ上げていきます。

 

同時に、別の記事で「全く残業のない世界で得られたもの(仕事を意図的にセーブしたことで得られたこと)」を書きます。

近日公開します!

 

さて、この3年間の超絶仕事人間化ですが、一言でいうと自分自身を使った人体実験でした。

 

期間限定の走り込み

長時間労働を常態化させるというよりは「全力を尽くして仕事をする」ということを質・量ともに追求した期間でした。

あくまで実感ベースですが、この期間限定の走り込みを行う適切な時期はやはり若いタイミングの方がよいでしょう。

 

そこのお前の推測ではありますが、この走り込み期間だけは仕事80、プライベート20のように余力を残すより、思い切って仕事100という状況にしたほうが得られるものは大きいかもしれません。

ずっとそういうゾーンにいるのは常人はお勧めしません。

アスリートや本当にトップを目指す層以外はかなり厳しく、リターンが少ない道になると思います。

 

ただ、サラリーマンとしてのキャリアも適切な時期での走り込みは比較的効率のいい効果を見込むことができます。

 

キーポイントを抜き出すとすると、下記のサイクルに自分を乗せることができるかどうか?

全力を尽くすー>成果を出すー>他者からの評価が上がるー>自己評価が上がる。

 

まずはこのサイクルから始めることが最も難易度が低いと思います。

他者評価を介在させないサイクルもありますが、なかなか難しいですし、現実的なメリットにつながらない評価の自他乖離や偏りを生む可能性もあります。

手っ取り早く自己評価を上げるには他者からの評価を上げてしまうのが効率的と思います。

 

そこのお前はその走り込み期間でこのサイクルをギンギンに回すことを意識していました。

 

その走り込み期間で得られたメリットのうち、金銭部分以外の話を今日は書き添えておきます。

(※金稼ぎ自慢は嫌だし、実際お金以外のメリットをとるために行動したら結果的に収入もついてきたというのが本当のところなので。。。)

 

1、自分の限界がわかる。

この走り込み期間を設けたことで最も良かったことが自分自身の限界に直面し、どういう状態になるかを把握できたことです。

結構リスクがあり、怖いことなんですが、自分をコントロールすることを考えると限界がどこにあるのか、また限界を迎えた時に何が起こるかを把握することで、より効果的に自分を観察することができるようになりました。

 

どういう状態が危険水域でどういう状態がセーフな状態か。

 

これは年齢でも変わってきますし、環境によっても影響されますが、それでも大枠を把握できたことは非常に良かったです。

特に思考内容や体のサインに敏感になることができ、こういう状態になったら止める等の判断に備える事ができるようになりました。

 

将来、育児や介護にもかかわるでしょうし、必ず全力を尽くさなければならない時期が来ると思います。

そこに備えるためにも1日24時間を全力で活きるという経験を積んだことは非常にいいことだったと思います。

 

また、自分の限界は思ったより遠いところにありました。

自分が想定していた限界よりも奥に行くことができるという事も同時に理解しました。

 

少しアスリートっぽいアプローチですね。

自分自身の可能性は無限ではありませんが、自分が思っているよりも大きいという事です。

 

 

2、自信・自己肯定感

 

自分が限界まで頑張ることで、ここまでやってダメならもうダメだと諦めようと素直になることができました。

ある程度働くことをセーブしている時期にはできないことに凹んだり抱え込んだりしていたこともありましたが、全部をつぎ込んで限界まで仕事をすることで、「これでダメならもうどうしようもない。」と割り切ることができたことから、余計なストレスが消えた思いがありました。

 

同時に、全力を尽くすことで当然そうでなかった時よりも圧倒的に成果も出ますし、評価もされやすくなります。

すると全力でやっている自分自身に対しては爽快感が出ますし、自分で自分のことをよいと心から認められます。

 

全力を尽くすー>成果を出すー>他者からの評価が上がるー>自己評価が上がる。

ここに収入面での向上があったことも大きくプラスに作用し、社会人若手時代の「自分が何者でもない感」を払しょくすることができ、主体的に社会で生きているという感覚を獲得することができました。

 

もちろん、広い世界ではお前誰だよ!ってレベルのそこのお前ですが、少なくとも自分がいるところで頼りにされること、信頼されること、ポジティブな印象を強く持ってもらうことは非常に重要であると思います。

 

広い世界を気にしていては仕方ないです。

まずは自分が今いるところでどれだけ自分と周囲をよく保てるかという点だけで充分だと思います。

 

3、人生における刺激

 

仕事を全力でやるという事は当然業務量も多くなります。

それだけでなく、質の観点からも大きな変化があります。

 

特に成果が出始めると、周囲もどんどん意味のある質のいい仕事を回してくれるようになります。

 

すると、難易度が高くなったり、全く新しい分野が飛び込んできたりと非常に刺激に満ち溢れたものになります。

これは全く同じ仕事を継続すると飽きが来たり、真新しさがなくなったりします。

それとは逆に変化の多い環境に居続けることで獲得できる人生の幅に広がりを実感することができました。

 

入り口に向かうのは大変なことですが、自分の世界が広がったなと実感できることがすごく貴重でありがたいことなので、この軌道に乗ることができたのは非常に良かったなと実感しました。

 

 

4、より有利な社会的地位

一度成果が出ると仕事上では様々なことが進めやすくなります。

できた人間関係やすでに得ている信頼を駆使して、様々な物事がうまく運びやすくなります。

長期間あれば自然に獲得できるものも多いですが、より早く・強くインパクトを残すことはこの関係構築にもベネフィットをもたらします。

 

こうして会社やビジネスの中で主導権を持って行動しやすくなります。

これにより、社会や会社の中での自身の存在が安定し、居場所があると実感できます。

この主導権を効果的に握り、影響力を強めていくことは自分の可能性を広げてくれますし、人生を生きやすくしてくれます。

 

仕事における可能性が広がることで冒頭のサイクルをさらに加速させやすくします。

 

ーーーー

いかがでしょうか。

正直、やる前は半信半疑な自分もいましたが、やり込んだ後は自分を追い込んだからこそ得られる実感とその大きさがあると思いました。

 

仮に、働き方改革の流れに乗って、健全な労働時間のみでセーブし続けているだけでは獲得できなかったと思います。

特に自己コントロールや自分のエンジンの出力は確かに増えましたし、独特の進化を重ねることができました。

 

だからと言って全員がやれ!という事ではありませんが、自分を快適な状態で維持することだけが幸福実現の唯一の手段ではありません。

ガッツリやり込んだ方がすっきりすることだってあるのです。

 

それに、RPGじゃないけど、自分で自分のレベル上げをするのは楽しいなって思う。

 

そこのお前にとってはただそれだけなんです。

 

このレベルが上がったと実感する時が何物にも代えがたい喜びだったりします。

 

そういうことに共感する人はぜひハードワークをやり込んでみてはいかがでしょうか?

やれされるハードワークはとても苦しい道ですが、やろうと思ってやったハードワークはきっと大きく人生を変えてくれますよ!

 

ではでは

【生活】家事のレベルを下げられないストイックさが破滅を招く話【与太話】

 

人生において一人暮らしをする期間は多くの人が持つだろう。

 

それぞれ、誰に教わるでもなくなんとなく自分なりの家事のスタイルを身に着けていく。

いつしか、何も考えなくても家事を回せるようになり、生活が安定し始める。

 

食事、洗濯、掃除、片付け

 

それぞれ個人のやり方があり、外で済ませたり、自分の精神の安定のために少ししっかり目にやったりするエリアも出てくる。

 

これを人と共有するのが案外難しい。

必要なレベルややり方は人によって異なるからだ。

 

夫婦として共同生活を送るとここで大きな論争が起きることも多い。

 

ステレオタイプ的に言えば、妻側が夫の家事に文句をつけるといったところだが、そもそもやらないことに対しての文句とやる内容が拙いことによるトラブル。

 

だが、以下の内容のものも含まれている。

 

自分のこだわりがある内容

あるいは姑が部屋が汚いわねぇなんて言ったりする。

そんな外部要因から常に完璧・ピッカピカにしなきゃという強迫観念を抱く人もいる。

 

だが、それは果たして良い方向だろうか。

実はマインドセットの問題が根深く横たわっていると思う。

 

低いレベルに慣れるってできないのかなって。

 

多少家が散らかっててもまぁいいか。

とか

困らないレベルならまぁいいか!って冷静に必要なレベルを見極めることはできないだろうか。

 

何を隠そう、そこのお前は非常にずぼらである。

正直、だいぶ必要性に駆られないと家事に手を回さない。

 

そこのお前、あんまり人に対して苦手意識を持つことはないのだが、どうも潔癖・神経質な人だけは苦手である。

理解不能すぎて困ってしまう。

 

特にあれはこうでなくてはならないとかこれはこうじゃなきゃいけないとか、マイルールを曲げられない人にはついていけない。

 

一人で生きる分には構わないが、共同生活を送る上で問答無用のマイルールを共同ルールにしてくる人はかなりツラい。

 

家事もその一つである。

 

今は共働きが常識化し、家事は分担する時代である。

働き方だけでなく、協働生活のあり方も多様化し、議論が出てきている。

今までのように専業主婦(夫)と外で働く人の明確な役割分担はなくなり、それぞれが両立することをよしとする世の中になった。

世のニュースにはこれにまつわる不満や愚痴があふれている。

 

過渡期であることは間違いないし、そりゃそうだと思う。

 

分担の割合と給料の多寡で決めたり、通勤も含む総外出時間で決めたり、家事内容やエリアで決めたり様々だけど、いままでの専業主婦や一人家事時代の流れをそのまま持ってくると少なからず相いれない部分が出てくると思う。

  

ただ、気になるのが、この分担した家事。

どのように分担し、どの程度までクオリティを求められるか?という話だ。

 

あるある話はこうである。

家事をやりもしない旦那が妻の家事に文句をつけたり、注文を付けたりすると自分がやればいいじゃん!!って言い返してケンカになる。

みたいな。

 

まぁこの例をだしたのは「自分でやればいいじゃん」理論のためなんだけど、人と分担する上において、相手のエリアにどこまで要求できるかという点は冷静に見極めなければならない。

 

 

そうするとこの家事で何を達成するのかって議論に移らざるを得ないよね。

実質的なメリットや意味に基づいて落としどころを決めていくしかない。

 

お互いの好みや要求のぶつけ合いになるとなかなか折り合いがつかない。

キレイじゃないと気が済まない!

とか

汚くてもおれはかまわん!

 

この味がいい

 

このやり方はいやだ。。。

 

大小挙げればきりがない。。。。

言いだしちゃうと決着つかないし、壮絶なバトルの末に破綻するケースだって出てくる。

お互い譲らないっていうのはこういうこと。

 

もちろん、お互いが納得の上で適切な落としどころを決めて家事の内容やクオリティを合意することができれば非常にハッピーです。

場合によってはお金で解決しよう!って合意してルンバや食洗器、なんなら家事代行だって頼むかもしれません。

 

過度に相手に要求することに愛の搾取だとかいろんな理屈が付くけど、気持ちよくお互いの生活を過ごすためのもののはずが、いつしか謎の正義感すら帯びて議論がなされる。

 

相手がいかに間違っているかのへし折り合戦。

そりゃ決着つかんわな。

 

だって、そんな絶対的常識と正義なんてこの世に存在しねぇから。

 

だから、ずぼらなそこのお前は言いたいのです!

 

いいじゃん!

そこそこで!

 

必要最低限で許す寛容さって必要でしょ。

 

お互いの家事基準があったとして、低い方で合わせるっていう考え方を取り入れてもいいと思うのです。

 

人に見せる時は少し変わるかもしれませんが、お互いが困らない範囲においては感情や気分的な好みは無視するという考え方をしてもいいと思うのです。

人に甘く、自分に甘く。

 

家事なんてほっといても困ったらやるんですから。

そもそも誰に採点されるものでもありません。

 

必要なレベルを見直し、下げるということも考えていいと思います。

【管理職】仕事ができる優秀な人が忘れてしまうこと【仕事】

よくあることだが、仕事ができるようになる事や熟練は得るものだけでなく、様々なものも失う。

 

業務や環境に最適化する上で必要のない能力や技術についてはそぎ落とすことも多い。

 

また、その場に応じて人間としての振る舞いも変わっていくものなので人間としても別物に変わっていることもある。

 

これらの変化に淘汰されたモノの内の多くは不要なままキャリアを終えることもできるが、あとあと必要になるものもある。

 

そんな、一度失ってしまったモノの中で、一つ思いあたるモノがある。

 

出来なかった頃の余計な心

 

恐い

ビビる

不安

などなど

 

これらのネガティブな感情だ。

 

時には自信の無さからくることもある。

もどかしい現実に耐えきれなくて出てくるものもある。

 

だが、仕事ができるスーパースターの中にはそもそもこれを忘れるどころか持っていないこともある。

 

最初からバリバリ行くことができたら、それはさぞ苦労がない最高のキャリアだったことだろうってうらやましく思う。

 

思えば、新人の頃はすべてに緊張し、震えあがっていた。

 

ビビりで人見知りで臆病なそこのお前にとっては不安で恐怖な日々だった。

 

実際、無事に社会人生活をスタートできていたかというとそんな順風満帆ではなかった。

むしろ、周りに心配されるぐらいだったことを覚えている。

 

今でこそ、少しは安心感を持って仕事ができるようになってきたが、今思えば無用な心配や不安を重ねながら過ごしていたと思う。

少しでもわかっているようにしなきゃとか、堂々としなきゃなんて考えながら聞きたいことが聞けなかったり、出来ないことが素直に伝えられなかったり。

 

不安や恐れだけでなく

 

プライド・虚栄心・自分はなんとかなると思い込みたい弱い心

 

これらのものに囲まれた決して健全な状態ではなかった。

正直何度も手痛いしっぺ返しを食らったし、そのたびにますます凹んでいた。

 

だが、着実に成長してきた人でもこれらがあることを忘れてしまうことがある。

 

仕事の熟練度

人間関係上の苦手意識

常識・感覚の違いからくる不安

 

新人の頃に感じていたこともまだ10年とたっていないが、結構考え直さないと思い出せない。

 

やっと中堅クラスの人間と認識され始める年次になったが、そんな浅い年次でも新人のころの気持ちはすでに失っているのだ。

 

仕事への慣れだろうか?

社会人として成長した証だろうか?

 

仕事に慣れるというのはこれらの感情がなくなることを意味する。

だが、それは必ずしも成長とは限らない。

 

単なるサイキックナミング(心理的麻痺)かもしれない。

 

とにかく、当時どんなことを感じていたかとか何が怖かったかということの記憶はどんどん失われていく。

たまに出る就活セミナーで学生と交流しても、年を経るごとに話が合わなくなってきている。

 

正直、今でも仕事をする上で怖いものはあるし、不安やプレッシャーは日々付きまとう。

同時にそれらを克服し、次のステップに進むことは非常に充実感をもたらす良いサイクルである。

 

ただ、人の育成が課題として与えられるようになった今日、当時感じていた不安や恐怖を忘れてしまっていることはものすごくもったいないことだと思い知らされた。

 

最近思うことだが、これらのネガティブな感情は年齢など関係なく発生する。

つまり、若さとは本質的には関係ないのだ。

 

若い方が脆弱性があるものの、年齢にかかわらず、職場やその環境における相対的な関係においていかなる場合でも発生しうるものだ。

 

だが、その逆もしかりで仕事ができる優秀な人は年齢など関係なく、スーパースターとしてバリバリとキャリアを駆け上がっていくものだ。

特に成果主義を導入する会社ではそうである。

 

スーパースターが管理職になる時に補う必要がある欠点 

スーパースターは確かに会社にとって価値がある。

他の人では簡単に代わりが利かない役割だったり、難易度の高い仕事にて大きな利益をもたらす可能性が高い人だ。

 

さて、そのスーパースターの会社での存在分布を計算しよう。

 

仮に会社で最もパフォーマンスのいい人間と定義する。

他社との比較はさておき、各社のトップ10%と認識される程度の社員をスーパースターとする。

 

さて、ここで会社の構成分布を見てみる。

 

ある研究では管理職が持つ部下の人数は6人が最適とされている。

一人が直接管理する人数の限界を6人としてチームを構築するというコンセプトだ。

この数字自体はMBA取得コースの教材にも記されるぐらい広く世に出ている。

 

もちろん業務内容の画一性や権限の集中度合いによっても変わるが、一般的なホワイトカラーワークだと約6人程度とされている。

 

実際Googleなどの企業もこの原則を維持することを念頭に置いているし、この数を採用している企業はそこのお前の会社も含めて他にもある。

 

この原則に基づいた単純計算では7人に1人が管理職になる計算になる。

 

すると同時期に在籍する管理職は全体の14%程度だ。

 

その時点でかなり率は低い。

管理職になった時点でほぼスーパースターだ。

まぁ、管理職の内20%程度はスーパースターでない管理職という事になるが。

 

もちろんもっと上の部長職・役員職も入れれば少しは数が膨らむが、それでも管理職の割合が20%を超える場合は少ないだろう。

 

なぜなら、中間管理職6人を束ねる部長がいたとして、43人に1人の割合だ。

つまり、2%程度。

その上の部長を束ねる役員または社長であれば約300人に1人だ。

もう1%を切る。

 

だから、15%程度しか管理職以上にはいられないことになる。

が、そもそも上位15%なんてそう簡単に入れるものではない。

 

トップオブトップ

 

そんなスーパースターたちの中でさらにトップ10%となると全体の1.5%となり、ほぼ部長以上のみという事になる。

 

が、それらのトップオブトップたちもかつては平社員から中間管理職とスーパースターとして出世街道を驀進していたころがあるはずだ。

 

そんな彼らは仕事ができるから優先的に管理職への道が切り開かれるというのが現状だ。

 

だが、彼らは往々にして忘れてしまう。

 

仕事ができなかった頃のことを。

 

すると、部下をよく見ることができなくなる。

見切りもつけられなくなるし、原因も見落としてしまう。

 

自分ができるようになったメソッドを再現しようとするが、そう簡単にはいかない。

だって、彼らが下位50%に入っていた経験なんてほぼないに等しいのだから。

 

自分の出来ることを最大限やるのが一般社員だが、管理職になるとそうもいかない。

全体でできることを見極めながら可能な限りの成果を出さねばならない。

 

時にはできない人に合わせなければならないし、同時にできる人の限界にふたをしてはいけない。

 

この時に必要なのが、部下の気持ちの診断力だったりする。

スーパースターはここに弱点があるケースが多い。

 

管理職になった瞬間、上位10%だった自分だけでなく、残りの90%にも目を向けなければならなくなる。

時には下位10%とも根気良く付き合っていかねばならない。

 

このことを考えた時に、人間、初心忘るべからずだと思った。

 

いっそのことスーパースターはスーパースターのままひたすら突っ走り続けるポジションや場を与え続けたほうが活きるかもしれないと思ったりもする。。。

 

とはいってもね。。。

逆に凡人であるそこのお前はスーパースターを部下に持った時にその活かし方がわかりません笑

 

スーパースターの感覚を理解できる日が来るのだろうか。。。

 

いや、そうじゃないもっと庶民的な管理職になっていくことの方が強みが生きるはず。

だから、より一層、昔のコンプレックスにまみれた自分を忘れないようにしたい。

 

酷かったころの話はまたあとで書きます笑

 

ではでは

【ブログ】ブログ運営で一息ついて思う事【振り返り】

このブログを書き始めて、徐々にいろいろな変化が起き始めています。

 

その一つの例にいままではそこのお前の情報網には入ってこなかった

「ブログでたっぷり稼げている」

という方々をよりたくさん目にするようになりました。

 

これってどこまで本当なんだろ?と思いつつも「すっげーーー!!!」って思いながら見ています。

 

もともと、過去数十年の人生でいろいろ経験させていただいた中で、本にするには平凡だし、みんなが興味あるような人生じゃないけど、誰かが感化されてくれたら嬉しいというスタンスで、あくまで本業ファーストで無理な負荷はかけないでやるスタンスです。

ですので、まだまだ稼ぐというよりは何かしらで多少お小遣いになればいいか程度でマイペース運営が続く日々です。

 

とはいえ、こういうのを見ても一切欲が出ない程に枯れているわけでもありません。

こういう風になったらいいのになぁとか思いながら、まぁ焦らず行けばいいか。。。なんて自分のブログに愛着を持ちながら進めています。

 

ただ、ブログを持ったり、SNSを用意したりすると必ずどこからともなく湧いてくるのが下記です。

 

OOO万稼ぎました!

月1000万円目指してます!!

アフィリエイター!!!

ラクに稼げるアフィリ!!

 

なんてのが無差別にネットワークを広げているのか、ある日突然Twitterをフォローしてきたり、接触を図って来たります。

まぁどういうものなのかはよくわかっていないので、いつも放置してしまいますし、なんだか怪しいニオイのするものもあるので、どうも警戒心が働いてしまいます。

 

彼らはやけにポジティブな表現が目立ちますし、裏に何があるかとかの透明性は一切ゼロなのでよくわかりません。

特に就活の同期だったような人が急にFacebookにバブリー演出投稿を上げては数か月~1年程度で姿を消すのを見ると「これはどういうことなんだ??」なんて思ってしまいます。

 

より身近になったブログという存在 

が、それよりも少しづつ身近になってきたブログという存在について、どうやって体裁を整えたりすればいいか?ということを考えていたりすると、様々な指南をしてくれるありがたいブログに出会います。

 

彼らはブログ運営術を指南する記事を多く保持しており、

中には収益報告をしているブログもあり、月収100万とか本業以上の収入の成果がある事例があります。

とか会社員はやめて、ブログ専業になったなどの多くの成功事例を見ることができます。

が、気になることがあります。

 

特に

副業の本業化をただ単に金稼ぎの成果の多寡のみで判断することは適切なのか?

ということ

 

例えば会社にいることが健康や精神に悪影響を及ぼす、会社所属に未来がないという場合は当然あり得る選択肢だと思います。

同時にほかにやりたいことがある、リスクをとっても突き進みたい道があるということであればまた違う判断基準ですので問題ないです。

 

ですが、収入を謳うブロガーの収入の多寡の観点から会社勤めを辞めたというが本当に主要な理由であるかどうかが非常に気になります。

上記の金額を実際に稼いているとして、

 

  • その領域への到達割合

ってどうなんですかね?

人によっては数か月、人によっては数年ですが、問題は全体の中でどれぐらいの人がそうなったかという点です。

 

データの中には1年以上続くブログは約10%なんてデータもありますが、それらの生き残った10%のブログのうちの何%が上記に類する所得を得ているんでしょうかね。。。

 

少数の大成功者と死屍累々と言った状況なのか、ある程度続けるだけで低いながらも上昇させることはできる程度なのか気になります。

 

また、彼らも稼ぐにしても稼げる限りはずっとやるのかある程度したら飽きて、ブログ寿命のようなものを迎えるかが気になります。

 

  • 各種ゾーンの到達時間

もう本当に長いことブログをやってらっしゃる人もいますが、基本的には多少の停滞はあっても基本的には維持している人が多い??

 

  • ブログで稼ぐという業態はまだ歴史は浅めですが、その累計所得

サラリーマンの生涯所得はもう研究しつくされていますが、ブログおよびそこから発展する取り組みによる累計所得は単独で人生を支えるに足るものなのか?

当然、残る可処分利益(税金・諸経費・そのた必要コスト除外後の金額)に注目が行きます。

 

  • 永続性・継続性(破綻リスク)

サラリーマンの最大の楽なところは一つの仕事に飽きても違う仕事を行うだったり、嫌になっても環境を変えるだったり、長期的な計画の中で代替選択肢に比較的容易にリーチできるところであると思っています。

 

その一方でブログ関連やネット上のビジネスは一発当てるというイメージやなかなか安定しないイメージをリスクとしてなかなか踏み出せない方もいると思います。

 

そんな心配を他所にブログ専業化をするほどのメリットが得られると判断した方々のどういった食い扶持戦略で進んでいるのかが気になっています。

 

アメリカではYoutubeで何億稼ぐ。などの事例が踊っていますが、そういう一部のOutlierはさておき、ブログを本業化する分岐点というのは非常に興味があります。

 

もう少しブログを続けたらいろいろ見えてくるかもしれませんが、今のところは全くイメージがわきません。

 

どうも若ければ若いほどブログに夢を持つ人もいますが、かつて流行ったフリーター文化の亜種なのか、全く違う進化した生きる手段なのかもうちょっと詳しく理解したいと思っています。

 

まぁブログで稼げるようになっても本業は本業で楽しいからやめない~って言えるような状況を作りたいです。

そういう意味で人生を最大化するにはもう少し本業とブログの関連性が上がればいいですけどね。

 

 

次は、こういうことを考える時にしか改めて考える機会のないサラリーマンであることで知らず知らずのうちに享受しているベネフィットや魅力を見てみたいと思います。

 

 

ではでは