そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

人見知り・臆病・遠慮がちな人が社会を泳いでいくこと

ちょっと昔話を。

 

そこのお前は昔から人見知りで遠慮がちで臆病である。

今どきの言葉でいえば「陰キャ」である。

ぶっちゃけ、この言葉、ネットで踊っているのを見る度に結構胸が痛いです笑

 

大人になるにつれて、何とか普通レベルと思ってもらえるようにはなったが、結構ひどかった。

実際、今でも居酒屋やバーですぐ知らない人と仲良くなれる人の気持ちがさっぱりわかりません。(そういうのいいなって思ったりするんですけどね。。。)

  

 

こういう特徴を持たない人から見れば、そこのお前のような人たちを見て、単なるチキンに見えたり、やるべきことをやらない怠け者という印象を持たれたりしやすいのですが、当事者にとってはこの自らを縛る癖をはねのけるのが、自覚していたとしてもなかなかに難しいものなのです。

 

ただし、選ぶ環境とやり方によっちゃあ、決して絶対的な弱点にはならないよっていうことが今日のメッセージです。

 

そこのお前のこの特徴。現在の肩書や属性から想像すると、割と誇張した嘘っぽく見えてしまいますが、事実そうでした。

小学校の通信簿でも中学校の内申評定書でも表現は変わりつつも概ねそういったことを書かれました。

(※ちなみに、そこのお前はゆとり世代でいわゆる相対評価ではなく、絶対評価での評価も経験してます。)

 

学校の評価以外にも友達作りが得意ではなく、孤独がちで、それ故に周りに合わせて振舞うことが極端に苦手になり、常に何か指摘されたり、馬鹿にされたり笑われたりするんじゃないか?と怯えていたのが主な理由だったと思います。

 

物心つく前から、最初の幼稚園登園日には泣きわめいて嫌がったと母親からは何度も思い出話を食らうし、新しい環境には強制的に連れ出されないと絶対踏み出さない子だったらしい。

 

その後、小学生になってもしゃべれず、たまに会う幼馴染とは会ってから3時間ぐらいまで完全な無言で、それを超えてからようやく一緒に遊べるようになるとか、仲間に入れてと言えなくて、ドッジボールをコートの外野の子たちに紛れてずっと見てたとか、当時所属していた少年野球チームで遠征に出ると他の子たちは遠征中の車内で大騒ぎして楽しくやっているのに、いつも一人だけ車の外の流れる景色を見続けて、「仏」と呼ばれたりしたとか。。。枚挙にいとまがありません。

(※あ、ここらで苦しくなってきたので、やめさせてください泣)

 

ケガしてもどこか痛くても言えなくて、気が付いてもらえるわけもなく我慢し続けたり、配布物がないことが言えなかったり、みんなが貰えるお菓子とかが回ってこなくても声を上げられなかった。

 

自分のことが上手く表現・説明できなくて、周りに誤解されることもしばしばあったので、それが怖くていつも内向きだった。

だから、いつも「いかに目立たないでしれっとその場をやり過ごすか」ということばかり考えていた。

子供の時はあまり先のことは考えられず、いつも一手先だけやり過ごせればいいという行動を中心に鬱屈とした警戒心が心に満ち溢れる。

 

そして、たまにアッと驚くような目立つ失敗が急に発覚して、余計に周りから注目を浴びるというのがお決まりのパターンだった。

すると、変な注目を浴びて、余計に失敗のみのイメージが付き、一般的に子どもに必要とされるレベルの自己肯定感を獲得するのが難しくなる。

 

その一方で、いつもどのクラスにも驚くほど人の注目を集めることができる生徒がいた。彼らは自分自身への自信と周りが助けてくれるという安心感に満ち溢れているように見えた。

 

そんな彼らは、学芸会・文化祭の主役に立候補することも苦ではないし、授業中に手を上げるもの屁でもない。部活やクラブ、班活動だってキャプテンやリーダーを務めたいし、いつでも周りに人だかりができるようになることが大好きだ。音楽や服装の流行り、はたまた面白いテレビや漫画の話もいつも彼らが先行していた。

 

そういう子たちはクラスや学年を超えて人脈ができているし、そういった明るい面が目立つから先生たちからのウケもいい。そうなると、そういう人たちの言っていることが正しかろうが間違っていようが、みんな言うことを聞く。

正直、暗黙の同調圧力もあるし、信者のように彼らが作った流れを強要する子たちも出てくる(これはこれで彼らの自衛反応でもあるが)。

 

 

こんな流れの上流にいる連中をいいなぁと思いながらいつも見ていたが、それは思春期を迎えるころにはいつしか嫉妬等と相まって、価値のない注目を集めてどうする?人のウケばっかり気にしてどうする?実は間違ってんじゃん?などと今思えばそれこそ何も生み出さない屁理屈をつけ、何とか自分自身を守るための防衛機制を動かして日々をやり過ごしていた。

 

彼らは彼らでその注目を集めることで、いい面もさることながら、また違う苦労や感情を味わっているのだが、そんなことは知る由もなく、単純で何も考えていなさそうにさらっと注目を集め、自分には到底できないような方法で自身の居場所を不当に得ているように見えていた。

 

こういう感情の裏には、自分も褒められたい・注目を浴びたい・何か表現したいという欲求が隠れているのだが、成功した試しもなければ、成功できる自信がないあまり、臆病な状態から一歩を踏み出すことができず、殻に閉じこもることを選択。

そして、そこのお前は小さいころから、人の注目を集める力を養うことを積極的に放棄していました。

結果、そこのお前の人生の中で注目を浴びることによる成功体験は皆無だったのです。

 

むしろ注目を浴びない方法で静かに人生を構築する方向により傾いくわけですが、幸いなことに地頭の良さには自信があったし、スポーツも両親のおかげで無難にこなせる体に生まれたので、悪い方向に注目を浴びないようにするには十分だった。

だから、常時、中の中~上ぐらい(平均よりちょい上ぐらい)になれればいいやということを自分で自分に刷り込みながら、毎年を凌いでいた。

 

それを見抜かれて、本当はできるのにやらない人だとか欲がないとか積極性がないとか悪い意味でのマイペースだとか随分と書かれたものである。

そうして凌ぎ続けたが、逃げの一手を打ちまくっていただけで、自分自身にいい評価をつけることは決してできなかった。

 

そんな弱気で自分を埋没させようとする自分が消えだしたのはいつからだろうか。

殻を破りたい・破らなければという義務感は年とともに増すけれど、やり方がわからないし、親もいい感じに満足を教えてくれるものだからなかなか実際の結果に結びつかなかった。

結局、はじめてそういう殻を実際に破ったといえるのは高校受験だろうか。

 

意図的に一定の範囲に収まるようにあえて自分を抑圧していくスタイルから、自分自身が最大限活性化する場所・環境を選びに行くようになったのはそれがきっかけだと思う。

それが何かというと、当時、学校・知人・家族・友人の全員が合格不可能と嘲笑した高校にジャンプアップして合格したこと。(偏差値でいうと、半年で20ぐらい上げただろうか。)

 

当初、だれ一人合格可能性があるとは思っていなかったし、受験を止められすらした。

ただ一人、結果に関わらず挑戦する意思に共鳴して多大なサポートをくれた個人塾の先生を残して。

 

まぁ毎年どこかで起こりうるよくある頑張った話の領域を出ないけれど、合格した時に初めて人生で初めてプチ注目を浴びた。学校に当然報告するわけですが、教師連中はそろって目を丸くし、手のひらを返したように持ち上げてくれた。

※最もレベルの高い高校ではないけれど、トップ層というにはぎりぎり属している高校だったので、意外性も含めてそこそこの話題になった。

 

同学年ではクラスを超えて知れ渡ったし、自分のことを殆ど知らない人も急に話しかけてくるようになった。

後輩もなぜか急に尊敬度が上がった。これが、ある種の快感になった。

同時に、急に注目しやがるこのニワカ者達が!という反発心もあったが、純粋に大方の予想を裏切って収めた成功がそれ以上に嬉しかったことは間違いない。

人の期待を上回る何かを実現し、驚かせることがこんなにも気持ちがいいとは知らなかった。

 

それ以来、挑戦をすることに抵抗が薄くなった。途中苦しむことはあれど、ゴールが自分の中でしっかり魅力的で欲しいものであれば、その過程の苦しさはある程度受け入れることができるようになった。

最後に大きな成果を得ることを目指して、進むことに希望を持つ力を得ることができ、臆病・遠慮・埋没の誘惑に負けず、希望を持ち続けることができるようになった。

 

そして、高校・大学と7年の月日は流れ、気が付いたら競争と目立つことを求められる世界に立っていた。

 といっても、生粋の注目を浴びる天才やそれを磨いてきた人と張り合える実力はないので、冷静に自らを見たうえで、人気よりも実力による競争が求められ、そこそこ目立つことができればよしという領域を無意識のうちに探し続けた結果、幸運にも今はそういう場所・環境にいられているといったところだろうか。

 

だが、結局はいつでも、最初は治らない体に髄に染み付いた、人見知り・臆病・遠慮がちな部分が出ることでたくさんの苦労をした。

 

部活の上下関係や大学の人間関係を経験する過程で緩やかにそれなりの付き合い方を痛みと共に学ばされてきたわけだが、会社勤めとなってからも上司にメール一つ送るにも怖くて何度も見直したり、迷ってる間にタイミングを逃していい結果を逃したり、気を使いすぎて逆に何もできなくなって白い目で見られたり。

こんなことでメール送っていいのかな?とかこんなショボい仕事・プロジェクトで人に話しかけていいのかな?とかぐるぐる考えていたり。

 

なんてビクビクしまくってたら、あれよあれよという間に1年目の評価は同期中で最悪、同じチームの中で最悪、全体で見ても下位15%という形で容赦なく外資系企業の洗礼を受けた。

この洗礼はボーナスがマイナスという笑えない事態と共に自分のキャリア観と心に深く刻まれた。

そんな中で、やれゆとり世代だ、最近の新人はこんなもんなのねぇ。などと世間にあふれるテンプレート苦言を大量に頂いたものである。

 

まぁ、それでも人生とキャリアは続くわけで、一回悪い評価をとっても次の年にはご破算になるもの。だが、悪い評価をとった新人がいるというレッテルで追い込まれたそこのお前はなにふりかまっていられず、ビビっている場合じゃない状況に置かれた。

そして、この弱点はどこに行っても隠せるようなものではなく、組織に属する以上、外資系だろうが日系だろうが何だろうが区別なく必ず直面する課題といえます。

 

ここで出てくるのが、どういう環境を自らが選んだかということなんですが、そこで外資系企業を選んだことは幸運でした。

そこのお前が最も苦手とする、暗黙のルールを察し、それに合わせて行動するという点において、外資系はその負担が少なくて済んだ。

 

複雑な機微を察し、波風立てない融和を察することを要求されるよりは、合理性を重視し、議論を言葉通り受け取り、ロジックと目的によってあるべき姿を決める文化の外資系のほうがはるかに理解しやすかった。

土俵際まで追い込まれると同時に、この会社では過去にやたら気にしていたことを気にしなくていいことに気が付いたのである。

 

下記の6ステップは後々別記事で詳しく書きますが、

1、これで過去に怯えた失敗を気にするバイアスが偶然にも取り除かれた。

2、失敗を気にしなくなったら、徐々にビビりが取れてくるようになった。

3、徐々にビビりが取れてきたら、周囲も理解してくれるようになった。

4、周囲が理解が得られたら、人見知りも遠慮もしなくてよくなった。

5、人見知りも遠慮もしなくなったら、勝手に本来の実力が出るようになった。

6、勝手に実力が出たら、ほかの人の予想をいい意味で裏切り、上回り続けることができるようになった。

 

人見知りしない人、遠慮しない人、臆病な自分をコントロールできる人はこのサイクルを体感的に知っている人も多いんじゃないかと思う。

そして、そのサイクルを回すためのテクニックもいくつも身に着けている。

それは誰にでもできるもので構成されているものもあるようだ。

 

それを纏めた人に好かれる技術とかだれとでも仲良くなるコツといった本はあふれんばかりにあるけど、その前に、まずは自分のことを直視・理解した上で、広い社会には自分と同じような特徴を持つ人たちものびやかに活躍する場所と環境があるということを知り、世間の評判や思い込みに惑わされず、どういう場所がそれに該当する場所なのかと考え、自ら環境を選んだ方がずっと簡単だった。

 

それに気が付くのに20年以上を要したわけだが、結局、人はどこで化けるかわからないし、いつ化けても遅くはない。

やらないよりはマシだなとか思いながら行動すれば、ズッコけながらも案外積み重ねていくことができるようになる。

昨日より今日。今日より明日。明日より明後日。ちょっとずつ変化を起こすことができる。

社会に多大なインパクトを与える偉人ではないが、凡人は凡人なりに少しづつ尻上がりに成長することの喜びを感じることができる。

 

少しの殻を破るのに20年以上かかったとしても、いわゆる世間の言う外資系大手企業で泳いでいくことができている。

 

相変わらず人見知りと遠慮を発揮しながらも、日本人のいない海外生活をつつがなく過ごすことができている。

 

結局は、まぁ世の中は広くて、たとえ海外であっても場所といる人が違うだけで、世界ってそんなもんって思えてくる。

 

すると勝手に壁を感じなくていいハズって自分に言い聞かせる難易度が低くなる。

 

国内であっても、国外であっても、そんな感覚をもってくれればいいなと思います。

 

自分自身を変えることも重要ですが、環境を選ぶことも大きな違いを生み出します。

現代はSNSや様々な選択肢を自ら用意できる手段が増えていますので、より自分で環境を選んでいくことの効果が大きくなると思います。

 

必要以上に卑下せず、虚勢や見栄ではなく、胸を張って日々を過ごせる環境を吟味してみて下さい。

 

またね~