そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

文句を言う人はいつだってどこからともなく湧いてくる話

まぁ人生数十年生きる中でようやく何となくわかったんですが、

 

気にしすぎる人に心が軽くなってもらえればと思ってこの記事を書きます。

 

そこのお前はずっと強調している通り、ビビりで臆病です。

それを克服し、より自由な人生を送りたいと常々思いながら生きています。

 

どれぐらいビビっているか?とか自由か?とかはなかなか他の人と比べることが難しいわけですが、それでもいつも消えない弱い心と闘う日々です。

 

「人に文句を言われるのが怖い」という心

正直、そこのお前、この心が強いです。

プライドが高いと表現されたり、自己愛が強いとか、いろいろな過激な表現方法がありますが、まぁ心の中を説明すると以下の通りになります。

 

なんか間違っていたらどうしよう

とか

他者に不快な思いをさせてしまったらどうしよう

なんて考えてしまいます。

 

とてもそうは見えないと言われる場面も多いのですが、要はその配慮が苦手だから、そういうのをしなくていい気の置けない場面では問題ないのですが、社会に出るにあたって重要な場面やよく知らない人との関係でビビってしまうという事が多いです。

 

何にビビっているかというと「文句」を言われること。

 

何かしらのネガティブなフィードバックや相手が感情的に受け入れられない事があった時に起きやすいですね。

 

いつもその恐怖におびえていました。

 

おそらく必要以上におびえている気がします。

 

嫌われたらどうしよう

とか

攻撃されている

などの恐怖心を感じることで防御反応がギンギンに働いてビビって手が出なかったり、委縮して動けなかったりすることがあります。

 

ありもしない心配をして、変なところ気にするよねなんて言われることもあります。

 

もし自分が文句など恐れず、自分の道を貫ける人だったら。

 

もっと積極的に行ける人だったら。勇気のある人間だったら。。。

 

なんていつも思っています。

 

そういうことができる周りのエリートたちをうらやましくいつも見ています。

 

さて、それでも亀のごとくちょっとずつは前進している気がします。

 

 

そんな折、ある程度大人になって気が付いたのですが、全部の「文句」を怖がっていてはキリがなく、その中には取るに足らないものもあるという話です。

 

 

文句を言う人の話

 

 

世の中にはいつも何かしら文句をつける人がいます

文句を言うにもいろいろなタイプの人がいるわけです。

 

  1. 文句をつけて自分が優位に立たない時が済まない人
  2. 文句を言うことが正しいことだと本気で信じている人
  3. ただ、攻撃的で自己中心的な人
  4. 本当にこちらのことを思って言ってくれている人
  5. Etc etc…

 

とまぁ、細かく見ていけばキリがありませんが、いろいろいる訳です。

 

ここでは文句と表現していますが、

指摘

苦言

批判

注意

様々な物を包含しています。

 

それぞれ、ニュアンスが微妙に違いますが、ここではマルっとひとくくりにします。

基本的にこれらの点が総合的にビビる心を掻き立てるので、違いについてはここでは細かく論じません。

 

さて、全部の文句を相手にしていると本当にキリがありません。

 

 

中にはわざと乱してやろうするような足を引っ張る文句も存在します。

 

もう一つの問題は文句を言われることを恐れて自分を抑えるのは正解か?という点があります。

 

ちょっとでも文句を言われるのが怖くてあんまり自分を出せなかったというか、自分を押し込める方が精神的には楽な道なので抑え込んでいました。

 

どっちの方が精神的に楽かは人によって分かれれると思いますが、個人的には自分を抑えたほうが楽だったのでそういう方向を選んできたわけです。

 

ですが、社会人としてキャリアを積むにあたり、こうしていてはらちが明かない場面に数多く直面しました。

 

あっちを塞げばこっちが漏れるとでもいうのか、とかく関わる人たち全員が満足できる場面でない時が数多くあります。

 

直接関係ないのに外から文句だけ言う人もいれば、結局なにかしら不満が生まれることが避けられない場合にあれは嫌だこれも嫌だとごねる人もいます。

 

これは個人的な感覚ですが、

すぐ文句を言う人に限って別に具体的な話があることはありません。

なんとかして自分の思い通りにしてよ!ぐらいのものです。

 

 

まぁ、極端な話、何かをすれば必ずどっかから文句が生まれる訳です。

 

ごね得という言葉はこういう場面の為にあるかもしれません。

誰よりも先に何かしら要求する。

 

これの持つ効果は侮れません。

 

それはさておき、何をやってもどこかから文句を言われることは生きている以上避けられないことなんじゃないかとすら思っています。

 

まぁそういうものです。

世の中は様々な矛盾に満ち溢れているわけです。

 

 

勉強すれば誰かが運動しろといい、運動すれば他の誰かが勉強しろという。

 

上司に従えば、自分で考えろと言われ、自分で考えて突き通せば上司の意見を聞けと言われる。

 

収入を上げればお金が全てじゃないといい、収入がなければお金がないせいだという。

 

ポジティブに捉えるならば、矛盾と表現するよりはバランスと表現すべきかもしれませんね。

 

いろいろな人がいろいろな場面でいろいろなことを言います。

 

 

なので、発想の転換をしてしまえばいいという話です。

 

文句を言われないようにしようというのも無駄な完璧主義です。

もちろん、文句を言わせないほどに圧倒的であることが気持ちいいこともありますし、それが価値を生む場合もあります。

 

ですが、現実はそうはいきません。

 

いかなるスポーツ界のレジェンドにも一定のアンチ層がいるように。

 

あれだけの実績を残したイチローですら批判が飛び交う世界です。

 

ネット等の匿名性の高い場合では攻撃性が増してひたすらに攻撃的な文句を受ける場合もあります。

 

そんな中で、凡人そこのお前が文句なく物事を進めようとすること自体がおこがましいのです。

 

むしろ、文句は言われるものだと認識しておいたほうがずっと心がラクです。

 

そして、楽になることで行動ができるようになるんだったら行動したほうが得であることは多くの先人たちが指摘するところです。

 

どこからともなく湧いてくる文句にすべてをつぶされるよりも、文句ともうまく付き合いながら、もう一方で得られる称賛や評価のことも同じぐらい大切にして進んでいければいいんじゃないかって思います。

 

最善の追求をやめる必要はありませんが、文句を恐れるあまり、最善を追求できなくなることが実は最も問題です。

 

これは目に見えない損失ですが、確実に自分の時間とエネルギーを浪費する道のようです。

 

減点方式的な思考をする傾向のある日本のよくないところかもしれません。

 

文句を言われたとしても成果を積み上げて他を凌げばよいとする加点方式的な思考に切り替えることですこしはビビって手が出ない恐怖心を克服できた気がします。

 

重要なのは、誰かしら文句を言うものだから、文句を言われること=失敗とダイレクトにリンクすることはありません。

 

文句すらも自らの行動が世界に与えた影響なのです。

それぐらいに考えることができるようにようやくなってきたので、ちょっと大人になった気がします。