人生の幸福は自分が後悔しないと腹をくくれる選択をした数で決まる
人生数十年生きてきて、なんとなく体感したことがあります
人生の幸福は自分が後悔しないと腹をくくれる選択をした数で決まる。という話です。
とはいっても、もちろん、客観的なステータスや定量化された基準が幸福度合いに影響を与えます。
それも間違いありません。
もらえるお金が多ければ幸せですし、多くの人々に注目・称賛されればそれも幸福です。
それは多くの研究結果が証明しています。
年収の多寡の幸福の多寡の曲線にしてもスポーツの結果にしても相対的に優れた結果を残している人の方が幸福度が高くなりやすいという事は紛れもない残酷な事実です。
そのため、どうしても相対的に不幸や幸福を感じるという環境からは逃げにくい状態にあります。
これを極めていくと、自分の幸福を競争や比較に依存するケースでは何かで一番にならない限り決して幸せが訪れない理屈になります。
特にインターネットが一般的になった社会においては非常に難しい課題です。
昔は「隣の芝は青い」程度で済んだものが、ネットを少し探せば「全世界で一番青い芝」が否応なしに目に入ってくるわけです。
副業で稼ぎまくってセミリタイア!
とか
史上最年少で昇進、過去史上最大の実績を出し続ける!
なんて言葉や他人の実績が怪しく心を揺らします。
うらやましくないかと言われればうらやましいと思うことは否定できません。
とはいっても、人生の幸福が客観的ステータスや定量化可能な基準によってのみ決定されること決してありません。
誰かに共感されるかはさておき、自分の中で留まる絶対的な幸福もあります。
それがタイトルです。
自分が決めたことかどうか
まず第一にこれが重要です。
腹を括る括らない以前に自分が決定するまたは決定したと思い込むことが何よりも重要です。
おれはそう決めた。だからこれで失敗してもしょうがない。
そう胸を張って思えるかどうか。という事です。
後悔しないと腹を括る
そしてその次に自らの決断の内、どういう結果になっても後悔しないと腹を括れる選択や行動が多ければ多いほど幸福や充実を得やすいことになります。
失敗したとしても最大限の策を講じたし、自分がその時取りうる最善の判断をした
これはその時、その時代、その場所、その環境によっても大きく変わります。
だからこそ、比較できない個人の中に留まる絶対的な感覚なのです。
そして、これは他人からは理解されない場合も多くあります。
自分が決めたからやるという考えが最も根源にあるため、決断内容と過程に普遍性があるとは限らないのです。
それでも、これが自分自身を積極的に肯定するためのスタート地点です。
自分自身が人生の選択に失敗に失敗を重ねていると思っている状態ではなかなか自分自身を肯定しにくいわけです。
逆に、結果はどうあれ、自分自身はその時最善の選択をした。
そう言えるのであれば自分で自分を否定しなくて済みます。
それだけで不幸という状態をある程度避けることができます。
これはなんとなくありのままの自分でイイという話ではありません。
自ら決定し、自ら行動した結果を受け入れるという人生における取捨選択の主導権の話です。
これらをいかに自分自身の決定とできるかどうかが大きなポイントです。
これは心理学でいうところの自己決定感です。
若いころに何をしても満足できない、あるいは、いつも何かに飢えているような感覚があるのはそれも原因があると言えます。
年が若ければ若いほど、全て自分で決定して人生を構築するという経験ができない環境に陥りがちです。
なぜなら、いつも親や教師などとても抗えない誰かに何かを決定されますし、自己決定することの幸福感もまだきちんと感じることができる段階にありません。
大人になってくると徐々に自分で自分を決定する機会が増えてきますが、ここでビビってはいけません。
自らの思考と勇気で決断するという練習を積み、決断する技術を育てておく必要があります。
逆に言えば自分自身にそう思わせることができるかどうかかもしれません。
ある種、自分自身を洗脳する技術です。
この感覚と技術、現代では結構得やすくなってきたはずなんです。
例えばキャリアにおける充実・幸福を例にとります。
ずっと一つの会社にいることが幸せだと思えるならばそれでも良いでしょう。
そこに確かな自己決定がある限りはいい状態と言えるでしょう。
その一方で、現在では転職も一般的になりましたし、それに伴う負荷も下がってきました。
副業を行う流れも出てきましたし、労働負荷を下げる流れが主流になり、様々な選択肢が手元に用意できる状態になりました。
つまり、働くという行為に対して自分自身が主導権を握ることができる時代になってきたと言えます。
インターネットの台頭は上には上がいるをめちゃくちゃ絶望的なまでに見せつけますが、同時に様々なやり方や方法を教えてくれます。
これは本当に便利な時代になったと思います。
自分で決めたうえでギャンブルに身を投じることができる場合はそれで構いませんが、めちゃくちゃなギャンブルに頼ることなく、自分自身と会社をマッチ具合を確認する手段が豊富にあります。
そのため、今までは割とコンサバめだった人たちにも消極的選択ではない積極的な自己決定への障壁が下がってきて、自分の中での決断が下しやすい環境になってきていると思います。
割と計算づくでコントロールできる時代が来ています。
逆に選択肢が多すぎて決めるための努力が必要とされる時代にすらなりました。
そこのお前はまだ転職経験はありませんが、社内での異動部署を決めるにあたって、会社の言いなりになるのではなく、自律的に決定できたことが大きくキャリアを前進させるきっかけとなりました。
ただ、ここに異動ね!などとは言われず、自分でここならば行く意味があると思いますと積極的に宣言して異動できたことは非常に大きな意味があったと思います。
自分で決めることがパフォーマンスの向上にもつながりましたし、他の選択肢のタラればを考えず、決断したシナリオで最善を目指すことができるようになりました。
下手に何でも知っているより、限られた情報と取捨選択した選択肢に基づいて全力を尽くす方が反って自分を否定しないで済みました。
まとめると以下の2点が重要になります。
迷わずに全力を尽くしているという充実感
自分が最善の選択をしているという思い込み幸福感
実は、これは心理学および脳科学的な観点からも実証されています。
非常に簡単な話ではありますが、あるゲームをする時に、使用する道具を自分で選ぶか無作為に与えられるかでも脳の活性度合に差が出ることがわかっています。
つまり、同じ野球で同じ場面で打席に立つにしても、自分でバットを選ぶか、前の打者が使ったバットをそのまま使うかの違いだけでも差が出ることになります。
自己啓発書などが自分が使う道具にお金を掛けろというのはそういった効果を狙わせているのかもしれません。
自ら投資したり、積極的な行動を起こすことで自己決定感を高め、ポジティブな感覚を積み上げることでいい結果を生み出す一つの例ですね。
実際、人生でなかなか味わえない希少価値のある充実感が存在します。
誰かと結婚する時がそうかもしれません。
自分が抱いていた夢をかなえた時かもしれません。
自分の限界を打ち破ったと実感する時かもしれません。
これらは全て自分が決定した何かでないと幸福感は最大化されません。
ですが、現在の社会では全て自分で決定したものだけで生きることはできません。
ある程度定められた義務や最低限の生活を維持するために自分以外のために生きる時間やコストを支払わなければならない状態は存在します。
この状況にあって、これを単なる義務ととらえるか、むしろ自分自身の中で別の目標を併設し、自分自身の主導権をもって上記の状態を律することができるかが重要になります。
イヤなことをやるにしても、自分の中で必要であることを理解した上でやると決定したと思い込むことで人はパフォーマンスは低下を防ぐことができるのです。
決断自体が幸福をもたらすことはありませんが、決断した後の行動には少なからずいい影響がもたらされます。
この自己決定を伴う行動でよいパフォーマンスが出ることで報酬を得たり、自らの決定や目標を達成することでさらに強い自己肯定感と充実感を得る可能性を高めるわけです。
だから、自分が後悔しないと腹を括れる選択が多ければ多いほど人生は輝くのです。