【仕事】KPIに振り回された集団の話【KPI】
KPI=Key performance index、ケーピーアイ、重要業績指数
いわば何かを評価するための客観的な数字だ。
多くの場合で組織上の目標を作る時や人に自らを表現する時にはその評価基準を定量的な指標に頼る。
企業であれば売り上げや利益率、あるいは株価
もっと細かく見ていくと、
製品一個当りの原価率
製品購入者のリピート率
広告リーチ層のコンバージョンレート
在庫回転率
などなど
上げれがばキリがないほどたくさんの指標が出てくる。
今はスポーツにだって定量化した指標をたくさん導入しているし、我々が日々書いているブログにだってある。
一日のPV数
月間収益
ページ直帰率
ページ滞留時間
細かく数字を追いかけていけばキリがない。
だがそれを追いかけ続けた時に幸せがあっただろうか。
KPIのみを追いかければ常に完璧なパフォーマンスを達成できるだろうか?
答えは必ずしもYesとはいえない。
だが、KPIを非常に大切にする人種がいる。
大企業のCEOや幹部は多くがそれである。
プロアスリートもそうかもしれない。
この指標がどれぐらい上がって~、どれぐらいの報酬を受け取り~
まぁ、彼らはそういう仕事である。
そもそも、KPIの起こりと何か。
どういう状態をいい状態かを定義し、現在位置並びに目指すべき状態および到達点を客観的に可視化することである。
売り上げが多ければ多いほどいいかもしれないし、利益率がいいといわれる場合もある。
だが、問題は以下である。
KPIを満たしているからビジネスが上手くいっているといえるわけではない。
ビジネスが上手くいっている状況を判断するためにKPIがあるだけだ。
だが、現実にはKPIさえ満たせば彼らのような職業の人間は表面上OKである。
一将成りて万骨枯る。そんなことをしても、在任期間や1シーズンを問題なくやり通せば彼らはそれでいいのだ。
彼らは彼らのKPIさえ達成すればお金をもらうことができる。
クビにもならないし、関係するステークホルダーは満足する。
つまり、このKPI自体に無思考になる。
本当にそのKPIだけが大切なことかは考えない。
なぜなら彼らがその職にいられるかは彼らが持たされるKPIにいかに愛されるかにかかっているからだ。
そんなKPIにとらわれた組織の話
く~ぜんっ!ぜっつごのぉぉぉ!!ちょ~ぜつどど~の数字人間!!!
そう・・・
KPIを愛し、KPIに愛された人間と集団の話。
―――――――
期初めに決めたKPIがあった。
売り上げに占めるコスト比を今期より5%減らす。
人員は現行より減らし、全体で3%人件費削減。
その会社は過去10年、3%以上の年間コスト削減率を記録したことがなかったが、どうやら目標はこうなった。
人員を減らすことについても全社で3%減らすことを目的とするが、当然おいそれとクビにはできないし、過去に十分なリストラは行われてきた。
全員があきらめムードになりながら、疑問を呈した。
が、いわゆる経営のスリム化が至上命題とされたことでこの数字設定になったとの説明がCEOからはなされた。
社員もそのほうがいいことは知っている。
だが、どうやって。
それは誰も答えを持っていなかった。
むろん幹部陣も。
おおもとの目標についての達成可能性については吟味されず、後追いでどうやったらその数字を達成できるかを作ることになる。
そして、幹部の中にKPIだけを追い求める人間がいた。
彼はKPIを達成するためにはどんな手を使ってでも達成することを部下に要求した。
幹部からコスト削減を命じられた人がいた。
まず、その人間は部下にプランを作るように依頼した。
部下はプランを作る。
実現できると確証のある部分のみを抽出し、数字を足しあげた。
だが、足りない。
幹部には見せられないと直属の上司は差し戻す。
部下はプランを練り直し、諸々加える。
実現できるかは不明確だが、可能性のある部分も足しあげた。
だが、まだ足りない。直属の上司は「もう一声」という
部下は考え抜いた結果、新しい案を加えた。
実現可能性も必要なリソースもわからないが、こうすればできるというシナリオを入れた。
だが、まだまだ足りない。直属の上司はこれ以上は限界だと判断し、この数字で幹部への報告を行った。
幹部は怒り狂った。数字に足りてないからだ。
直属の上司は困った。まっとうな努力ではこれ以上の積み上げは期待できない。
だが、そんなことはお構いなく、再検討を命じられた。
幹部からの話は部下にも伝わった。部下も困った。むしろあきれた。
最後、部下は苦し紛れに新しい案を加えた。
そこには真実でない部分が入っていたが、すでに冷静な判断力を失っていた。
なんとかぎりぎり必要とする数字を積み上げた。
彼は直属の上司に報告した。
直属の上司は事情を理解した。
そして、諸々後ろめたい部分の体裁を整え、幹部に報告を入れた。
幹部はようやくしぶしぶ納得した。
それどころか、彼は最初からこの数字が出てこないことに不服なようにすら見えた。
シーズンが始まった。
1年間を通しての長い戦いだが、積み上げさせられた砂上の楼閣のようなプランはいくら時間があっても足りなかった。
だが、問題が起こった。
人が足りないのだ。
アイデアはあってもそれを実行するために動くことのできる人間がいなかった。
だが、元々の計画では人はさらに減らさなければならない。
だから、部下が仕事量を増やし、補うことを目指した。
残業時間は増えた。
そうこうしている内に膨大な業務量と非現実的な目標設定に嫌気がさした人間が増えた。
人が辞めた。
現場寄りの人間は悲しんだ。
幹部は喜んだ。
人員の補充はされなかった。
このまま減った状態を維持すれば目標達成に近づくからだ。
人が少なくなったことでさらにやりくりが厳しくなった。
本来達成できるはずのコスト削減にも滞りが出た。
これを是正するためにさらに残った人員は残業を増やした。
この時点で組織の体力は極限まで削られており、一番最初の時点での計画部分すら達成が怪しくなった。
組織の体力がないことを察したのか、幹部は今回だけのお願いとして各所を奔走して無理を聞くように嘆願した。
これを年の間に数回繰り返した。
だが、人が補充されることはなかった。
関係する取引先も疑念を抱くようになった。
さらに状況は悪くなり、売り上げに影響を及ぼすようになった。
上げられる売り上げを逃したり、追い上げに向けた追加業務に対応できなかった。
だが、影響を最小限にするために追加のコストを臨時で支払った。
ここまでくると幹部はアツい想いのこもった叱咤激励を全員にとばし、モチベーションを失わせまいと躍起になった。
この時点ですでに大敗が見えた戦場だったが、幹部は起死回生の一手を放った。
彼はあらゆる数字を嘗め回し、見つけたのだ。
彼の管轄コストと扱われている数字の中に会計定義上は他人のコストとして扱ってもよい数字が入っていることを。
数字の計算定義を確認し、この数字を他部門に付け替えた。
この数字が膨大であり、彼の管轄で今まで被ったロスともともと足りなかった目標との差をすべて埋めきった。
彼はこれをCEOに非常にうまく説明し、あたかも本当にコストを削減したかのように見せた。
何も変わらない社内数字だけの話であるが、この数字を特定し、洗い出すのにはもちろん人手と時間がかかっている。
繰り返すが幹部はKPIを達成するためならどんなこともする人間だ。
そう。文字通りどんなことでも。
結果、幹部は以下のことを行った。
・数字の計算定義を分析し、その穴を突き、コストでない扱いに変える。
・部下・相手に理屈が通らない要求を押し通させる。
・本来残しておくべきリソース余白や定常運用における保険部分を削り取る
・KPIが定義されない部分にすべてのしわを寄せる
などなど枚挙にいとまがない。
彼の考えはこうである。
より多くの部下が彼らのKPIを達成すれば自身のKPIが良くなる。
そのためには強烈すぎるプレッシャーも構わずかけていく。部下はなすすべもなく従う。
部下およびその傘の下の孫部下はこのマネジメントに苦しむ。
そして、彼の放った起死回生の一手はそのまま大逆転の一手となり、彼は期末には彼の必要とされる目標数字はすべて達成していた。
結果として
・売り上げは下がった
・部下の残業時間は増えた。
・いくつかの関係先はこの会社の顧客としての優先度を下げた。
・人が少なくなった分、元々できると予定していたコスト削減取組の実現すらできなかった。
・会社全体のコストはむしろ増えていた。
だが、彼は評価された。
目標を達成したからだ。
だが、幹部の部下たちは全員評価されなかった。
なぜなら彼らが幹部の目標達成に寄与したことがほとんどなかったからだ。
つまり、幹部だけが得をした。
会社すら損をしているのである。
これがKPIのリアルの一つである。
残酷な話だが、彼の部下たちの中で冷静な判断力を持つ人間はほとんど社外に出た。
残った人間はイエスマンか他の会社に行くことのできない選択肢のない人間だけである。
会社はその一部に今後少なくとも5年は癒えない傷を負った。
KPIは追いかける対象ではない。
自分たちの取り組みについてこさせるものだ。
KPIファーストにするとこの前後関係を見失う。
犬を散歩しているはずが、犬に散歩される。
そして迷走する。
本当にあった怖い話。