間違えらえれない大人のジレンマの話
ある上司がいた。
彼はいつも部下や若手・新卒にはリスクをとれ!と公言してはばからなかった。
事あるごとに
「近頃はリスクを取る人間が減った。」
「チャレンジ精神が足りない」
とぼやきまくっていた。
まぁそうかもしれない。
会社自体はすでに成熟したマーケットの中で安定したビジネスを構築しており、着実な展開を保持している企業だったから。
事実、ある程度成功事例が積みあがって安定したビジネスの中では毎回新しいことをやる必要もなく、毎回素晴らしい進化が生み出されるものでもない。
それでも新卒や若手は飲み会の席や部署全体で行うワークショップなどで常にその話をされた。
自分の武勇伝の語りがくどくなることもあったが、総じて若手を勇気づけたいという熱のこもった上司なりのメッセージだった。
とはいっても、「リスクを取る」ということが何を指すかの具体的な内容についてはその上司が特にいつも言及しているわけではなかった。
そうはいってもいつまでも胡坐をかいていられるほど安泰な環境でもなかったため、経営陣は何か今までにない解決策を編み出して競合他社に差を付けることを考え始めていた。
その上司も、この状況を背景にますます豪語して憚らなくなった。
昔と比べる発言の賛否はさておき、経営陣の意図をくみ取り、「何等かの形で進化・変化を図っていくことにトライしたほうがいいかもしれない」というメッセージの発信であった。
しばらくして、上司や経営陣のメッセージは徐々に浸透し、会社としての共通認識となりつつあった。
そんな折、上司と部下で議論が生まれた。
この時、あるコスト管理業務で活用する指標を巡って、部下は思い切って今までにない提案を選択肢として提示していた。
指標自体の考え方はすでに他社での活用事例もあり、確立されたものではあったが、過去にその会社で実行された例はなかった。
コンセプトの段階では、今までに見えていなかった部分にもスポットライトを当て、新たな課題と結論が導き出されるように見えた。
だが、上司は部下に言った。
理屈はわかるが、既存の部分に対して今まで通りの管理ができなくなる恐れがある。
なるべくリスクは取りたくない。
と。
部下は混乱した。
「いや、でも、リスクを取れと日頃からおっしゃっていたので少し思い切ってみたのですが。。。。」
自分の温めていた考えに少し思い入れがあった部下は食い下がって説明を続けた。
「既存の方法で管理する部分で抜け落ちている部分を把握しなければ更なるコスト管理は難しいと思います。」
だが、上司はいくつかの問答を繰り返した挙句、
「これで正しく現実を見れなかった時の責任が取れるのか?」
と言い放った。
部下は凍り付いた。
責任は取れない。
そもそも責任を取るというのが何を表すのかもわからない。
こうして彼は折れ、上司の指摘通りに直した既存のやり方のファインチューンで落ち着くことになった。
彼の望む今まで見えていなかった部分に対するアプローチはかなり弱体化されて取り込まれることとなった。
これ以降、新しい提案をすることは控えるようになった。
部下はあきらめたのだ。
そして、上司はまた言い続ける。
「この会社はリスクを取れない人間しかいないな」
と。。。。
リスクをとれと奨励する癖にリスクをとれない体質
こういったハチャメチャな自己矛盾に出くわしたことがある人は少なからずいると思う。
わからないなら聞け!と言われたと思ったら聞く前に考えろ!
とか
やりながら慣れていけばいい!と言われたと思ったら、やる前に考えろ!
とか
世の中は謎の矛盾に溢れている。
その中でも、上司が壮大な自己矛盾や一貫しない癖を持っていると困る。
これを指摘して素直に受け入れてくれるならまだしも、顔を真っ赤にして自分の立場や権威を守ろうとする人だっている。
上記の事例のように、普段からきれいごとをぶちかましておきながら、最後にはこちらが反撃できない正論やキレイごとをぶつけて自己矛盾を切り抜ける大人は間違いなく後者だ。
結局、冒頭の上司はリスクを取りたくなかったのだ。
いや、取れなかったのだ。
安定するビジネスの一端を担う管理職として、既存のやり方の良いところも悪いところも知っている。
過去の様々な経験が新しいモデルを採用した時に起きうるネガティブな可能性を即座に頭に教えてくれる。
得られるかもしれない利益の前に被るかもしれない損害が頭にちらつく。
それだけに、そのいいところを捨てるかもしれない勇気を持てなかったのだ。
だが、それを素直に言っては日々演説してきた彼らに対して示しがつかない。
だから、苦し紛れに責任が取れる範囲でやりなさいというメッセージを込めた。
だが、部下にとってはその二つのコメントの違いはハナクソ程の価値もない。
あれだけリスクを取り、チャレンジしろと豪語した大人は実際の職務においてはガッツリ自分に負けていた。
まるで、練習せずに俺はできるぜ!って生意気かましていた中途半端にうまい人のようだ。
残った事実は部下の「リスクを取るために冒険する心」を根元からぼっきりへし折られたという事実だけ。
部下はまた諦めずに挑戦するかもしれない。
だが、その意思にも限度がある。
何か踏み出すたびに自分ではコントロールのできない部分で理由をつけられて押さえつけられてはただただ不快な思いをするだけだ。
さらに、余計な不快感を味わうなら最初から挑戦しない方がマシだと考える。
いつしか学習性の無力感にすべてを飲み込まれ、面倒事を避けるためだけに生きるようになる。
そして、いつしか部下が上司になった時にはリスクの取れない人間になっている。
リスクを取らせるにはしかるべき用意をしたうえで、ちゃんとした技術と方法に基づいてリスクを取る仕組みを構築しなければならない。
鶴の一声でみんなが変わるほど甘くはないし、簡単ではない。
上がリスクを取らない姿勢を見て、下がリスクを取りたいとすぐに変わるわけではない。
管理職も結果が求められる職位であるがゆえに間違えられない意識が働く。
大人のジレンマだが、このジレンマに飲み込まれた時点で組織としては変化する推進力を失うことを痛感した。