【キャリア】英語ができる人が外資系に行くことの罠【英語】
鶏口となるも牛後となるなかれ
そこのお前、現実的に仕事において手堅く、堅実に幸福や充実を得るためには
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
であるべきだという持論があります。
もちろん、低いところで満足していいという事ではない。
ただ、もっと上と比較すると「お山の大将」とか「井の中の蛙大海を知らず」などといくらでも自分を否定できてしまう訳です。
ですが、ほとんどの場合、終わりがありませんし、自分自身を追い込み続ける道です。
学生時代までは偏差値や成績などもうちょっとわかりやすい世界で比較されます。
ですが、これ自体は幸せで充実した環境とは言いにくいですし、一定の年齢までに終わる将来に向けた投資・トレーニングとして厳しい環境の側面が強いです。
ですが、社会人となるとひたすらにその厳しさを維持することは簡単ではありませんし、簡単に比較できない多様化した世界が目の前に広がります。
そのため、何が「鶏の口」で何が「牛の後」かも一定ではないわけですが、必ずしも大きな集団に所属することだけが幸福や充実を決定するとは限りません。
もちろん、アドバンテージは得うるでしょうが、それでも100%確実ではありません。
というわけで、仕事をするのであれば、無理して高いレベルの集団や分野に所属するよりも自分がある程度活躍できる分野や集団をお勧めします。
実はこれ心理学的にも立証されています。
「小さな池の大きな魚」効果とも呼ばれていますが、集団内における自身の相対的優位がモチベーションに影響を与えるという話です。
要は自分の一番得意な所が最も生きる場所にいる方がモチベーションに対してはよいでしょうという考えです。
モチベーションが高ければ最も活躍できて、よい評価を得て、収入向上や仕事時間の充実につながる可能性を高めると合理的に信じることができる訳です。
もちろん、全てをかなぐり捨ててでも達成したい目標や夢がある場合はこの限りではありません。
やりたいことのために艱難辛苦を重ねても成果を勝ち取ったほうが幸福も充実も得られることでしょう。
さて、そんな話を考える中で思い出した話があります。
昔、ある学生の話を聞いていた時の話です。
その人は留学経験もあり英語に関しては自信をもっている人でした。
ただ、それ以外の部分については必ずしも外資系に向いているかという意味では疑問符が付く感じです。
昨今の学生は外資系というとなんだかスゴいというイメージを持つ学生が多いわけですが、その人もそのイメージにとらわれている人でした。
(※現実は必ずしもそうではありませんが。。。)
事実、この状況では英語ができるから外資系に行くという発想はお勧めできません。
いくつかの記事では書いていますが、日本の外資系企業というのはあくまで日本支社です。
日本でのビジネスが主要な機能になりますし、海外とのやり取りも多いわけですが、その部分が全てに優先して強力な要素になることはありません。
なので、英語ができるというだけで採用になるという事はありません。
英語ができなくて落ちる事はあっても英語ができるから採用されるという事は少数です。
英語も日常的に使うことから基本的に意思疎通には困らない人が多いです。
事実、入社後にTOEICやTOEFLの点数は一切聞かれません。
業務上支障があるかないかで評価にダイレクトに関わるため、全員いやでも必要な英語は身に着けます。
つまり、英語に自信を持っていても、他と比べて目立つことはありません。
それ故、英語を一番の強みとする人が外資系企業に進んだ場合、自分の一番の長所が相対的に長所になりにくいない環境に飛び込んでしまうということです。
それどころか、もっともっとえぐい道に進みます。
よっぽど英語ができる人でなければ基本的にはちょっと野球の上手い子が野球強豪校に入っていくというものです。
となると日本の世間一般では十分なレベルを持っていたとしても、強豪校内で認められる可能性は低くなるというものです。
そのため、そこのお前は素直に言いました。
英語に一番自信があるんだったら、外資系企業ではないところに行った方が活躍できる。
英語以外のところで売り込むものがないならば無理する必要はない。
自分が外資系に所属することよりも自分の一番の長所を一番高く買ってくれる場所を選んだ方がいい。
と。
現実的に考えると外資系での英語力はWinnerになりえない要素なのです。
より高い英語力が欲しい場面では日本人ではなく、外国人が登用されてしまいます。
つまり、英語が欲しいポジションというものが日本人に回ってくる確率は低いわけです。
故にあくまでQualifierです。
WinnerとQualifier
これの違いは、
Winner=決め手(重要決定要因)
ないしは
Qualifier=足切り(最低要件)
です。
つまり、同じ英語ができるから採用したといっても、
英語ができることを理由として採用した
なのか
英語もできるから採用した
のか大きな違いがあるわけです。
今日の日系企業がどうだかは正確にはわかりませんが、外資系企業に比べて英語のQualifierとしての要件は比較的低い傾向にあるといえます。
逆に英語のできる度合いをWinnerにするのは
接客業(特に観光)
通訳・翻訳者
英語教師
など、英語を使うことやその出来の多寡が目的(もしくは目的に限りなく近い手段)になっている場合といえます。
逆にどんなに有能でも英語ができない人はQualifierを持たないので、外資系には比較的少数になります。
だからと言って英語ができる人がWinnerになっているわけではありません。
できる方が有利なことは間違いありませんが、それでも周りにできる人が多い中で力を見せねばなりません。
つまり、ちょっと大変な競争環境になる訳です。
これでは自分の強みでよい点を出せなくなってしまいます。
すると、他に強力な手札がありません。
冒頭の就活生の例に戻ります。
仮に英語が最も自信のある領域であるならば、むしろ、他に英語ができる人が少ない環境の方がその強みを生かすことができる確率が上がります。
すると、英語での相対的な強さをベースに活躍をすることでモチベーションが上がり、他の能力が伸びたり、活躍をもとにいい仕事が舞い込んで成功を手に入れられる可能性も上がります。
英語ができるのであれば経験を積んだ後に外資系に来てもいいわけですし、もちろんそのまま元の企業でさらに総合的に活躍してもいいのです。
残酷な話ですが、明確なトレーニング目的やその場で活躍する以外の目的がない限りは「牛後」はお勧めできません。
ただただレベルの高いところに行くというよりは、自分に合ったレベルの環境(鶏口)を選び、そこで期待を乗せてもらう方が現実的には成長・幸福・充実の全てを高いレベルで得やすいわけです。
なので、ただ英語ができるから外資系に来るという事は非常に危険な発想と言えます。
外資系は英語ができることだけにはお金は払いません。
むしろ日本には英語ができることでお金を払ってくれる企業は比較的多く存在します。
なので、そういった企業に勤めた方が長所を長所としてキャリアを構築できますし、モチベーションも高く、自分自身に誇路を持って仕事ができるようになると考えられます。
外資系企業の場合は言語もさることながら他の要素を磨いておくことの方が大きな意味を持ちます。
そんじゃ
【新社会人】新人が言われる嫌味を気にしない方がいい6つの点【メンタル】
新社会人は会社でいわれる嫌味を気にしている人がいるかもしれません。
嫌われたらどうしよう・・・・とかいじめられたらどうしよう・・・・とか。
人見知りでビビりなそこのお前もたくさんの不安感を心に積み込んで入社しました。
そんな嫌味ですが、何かいい効果を生み出そうと思って嫌味を言う人を見たことがありません。
大抵、性格の悪いジョークか明確に傷つける意図、相手を落とす意図で構成されています。
嫌味を言いまくって周囲を困らせる人のことをお局(つぼね)さんと呼び、会社では疎まれたりしますよね。
天然な新人が「おきょくさんがいて困ってるんです!」とかいって相談に来た事がありましたが。。。。
まぁこういった話は誰もが経験する通過儀礼のような位置づけを持っていますが、正直、これを通過して何の役に立つかは不明です。
嫌味を言う側の自己正当化のために勝手に慣習化しないでくれって感じです。
そこのお前もたくさんの嫌味を言われてきました。
中には嫌味のつもりがなかった発言や本気で指摘しようとしていた発言もありますが、一つのミスをあの手この手でグサグサ・チクチクさされ続けたことは何度もあります。
そこのお前はビビりで臆病なのでよくシュンとしていました。
すると相手はもっと攻勢を強めてきます。
それに根拠もくそもないレッテル張りやステレオタイプに苦しむことも何度もありました。
ゆとり世代がどうとか最近の若者がなんだとか、まともに反論しても仕方がないことも多いです。
ちゃんとした指摘やメッセージのこもっている苦言ならまだしも、特に伝えたいことがない攻撃的な発言に対してはポジティブな感情を持つ人はいません。
結局、そういうことを言われるたびに心の中で「チッ ウルセーナ」なんて思いながら取り繕うだけです。
ですが、それにいちいち腹を立てることも無駄でしかありません。
それこそ
アホとは戦うな!
です。
そもそも嫌味を言うというのがどういう場面で出てくるか?
これを分析してみると、
- 面と向かって怒るのは大人げないし、リスクだけど少しは傷つけてやりたい
- 反撃されない Or 反撃されても、ねじ伏せられる・かわせるという確信がある安全圏からの攻撃
- 自分は嫌味を言える人間であると認識し、相手より上であることを認識し、安心する。
などなど大半が子供同士でやる嫌がらせの大人版です。
多くの場合、嫌味を繰り出される条件とは基本的に自分が相手より同じか格下であるとみなされた場合です。
時には上司すらなめられて部下から嫌味を言われることもあります。
嫌味を言われないようにするには相手がこいつには手を出さなくていい、または、出せないと思わせる必要があります。
人間という生き物は不思議なもので、嫌味を言いたくなってしまう瞬間が存在します。
特にストレスがかかっている状態だったり、余裕がない状態だったりするとなおのこと嫌味率が上昇します。
何でもないアドバイスや指摘も嫌味っぽくなったり、いちいち人の神経を逆なでしないと済まない心理状態になったりするものです。
この心理状態を便宜上、嫌味心理と名付けます。
日本人が根詰めて全力で働くことを良しとする文化である以上、ある程度のストレス負荷がかかる環境で嫌味心理になることを避けることはできません。
将来的にはなくなってくれればいいですが、それを今新社会人が考えても仕方ありません。
その理由についてはさておき、
嫌味を嫌味として受け取ると損をします。
というのも、嫌味に屈した時に起きることを考えてみて下さい。
嫌味が建設的な文脈で発生することはありません。
ほとんどが嫌味心理に基づく感情的で攻撃的な物であり、心の中で何か快感を得たいというケースが多いです。
場合によってはストレス解消、場合によっては自分は頑張っているんだからお前が頑張らないのはおかしいという気持ちの裏返し、場合によってはマウンティング
建設的な嫌味というものがあったら聞いてみたいものです。
誰か体験したことある方は教えてください。
それほどにいいところの見当たらない嫌味ですが、これを受けて気にすると損です。
以下、羅列します。
嫌味を気にして起きるデメリット
1 嫌味を言ってシュンとしているのを見て楽しむ連中を喜ばせてしまう
2 逆に嫌味だと自覚がなかった人には勝手に凹む弱いヤツだと思われてしまう
3 そもそも自分自身が平静でいられなくなる
4 言った言わない、意図していた・していない、どっちが格上・格下などの余計な対立を生む
5 嫌味(類似発言含む)を重ねたら、いいように振り回されてくれる奴だと思われる
6 一度嫌味に屈すると、その部分が反撃できない弱点だと認識される
予防策、次の嫌味を防ぐ面で一番シンプルで理想なのは
その人は自分に何をどうしてほしいのかというのを冷静に理解し、実行する。
要は嫌味が言いたくなるような火の付きどころを作らないという事です。
最も効果的ですが、それがすぐにできるとは限らないし、一度言われた嫌味をなかったことにすることはできません。
またいちいち相手の感情的な波に付き合っていられないこともあります。
嫌味を言われた時に重要なのは、嫌味を言って気持ちよかったという快感を相手に与えないことです。
一番得なのは、嫌味をかけてきていることを理解した上で、知らないふりをするという行動ができれば一番効果的と言えます。
嫌味を言っても意味ないなと感情的に知らしめる必要があります。
そのためには受け入れるでも反撃するでもなく、嫌味だと認識しなかったことにする。
という事なんです。
あまりにポジティブすぎて嫌味をいっても受け取られないからあきらめたという場合もあるあるですよね
また、天然っぽい子が嫌味家からの攻撃を受けにくいという評判もこの理由になります。
結局、嫌味に敏感に反応するのは損という事です。
表情を変えたり、相手のペースに乗ってしまっても相手に何らかの嫌味を言う快感を与えてしまいます。
嫌味に嫌味で返してもただのケンカになるだけですし、新社会人にとってはむやみに自分の評判を落とすリスクになりかねません。
新人の頃は社会人の諸先輩方とは常識も違いますし、考え方もまだ染まり切っていない部分が多いです。
いろいろなところでそういう若さゆえの違いや未熟な部分が目立ってしまいやすい時期はあります。
ですが、それこそが誰しもが通った道であり、成長するために必要な一つの過程です。
嫌味を言われることが通過儀礼なのではなく、社会人としての「洗礼」なんて粋なものでもありません。くだらない嫌味に乗せられてエネルギーを使うのは時間の無駄です。
若い世代の皆さまは嫌味に振り回されることなく、社会人として、使うべきところにエネルギーを使い、自分のことは自分で守るためにもこの嫌味に対処する考え方を意識してみてください。
ちなみに、ある程度慣れてきたのに嫌味を言われたり、年を重ねても嫌味を言われる場合は上記とは別の理由で嫌味を言われている可能性があります。
非常に見分けにくい問題ではありますが、社会人新人や職場の新人でない限りはちょっと嫌味を言われる理由を気にしたほうがいいかもしれません。
ある種の最後通告として利用されている場合もあります。
ほいじゃ
そこのお前が外資系企業にいる理由
そこのお前が外資系企業にいる5つの理由を書き連ねてみたので今日は書いておきます。
ここに書いてあることはそこのお前が勤務する上での実感ベースで、「外資系企業」というよりは「そこのお前がが務める会社」にいる理由です。
今、会社にいる上である程度心地よいなと思うのは下記の5点です。
-
面白いから
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自分を中心としたキャリア構築ができる
-
実力・成果の応じた報酬・待遇の還元がある。
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学歴差別、学閥等、上下関係、慣習等の縛りが少ない
-
日本人も日本外の環境で普通に戦っていけるっていう状況を身近にしたい
この5つです。
順を追って説明していきます。
面白いから
何と言ってもこれにつきます。
なんだかんだで仕事が楽しいのです。
イヤだったらもっと違う企業に行ってたんじゃないかと思います。
普段仕事をするにしても、ああせい!こうせい!と型にはめられることなく、論理と数字に基づいて行動することが許されるので、“自分”が仕事をしている気がして気持ちがいいです。
自由度が高く、自分が決断したという状況を作りやすいわけです。
ただ指示され、やらされている状態でない状況をキープできるのは非常に精神衛生上好ましいなと思っています。
思い通りにいかないことがあっても、自分で何とかできるかもしれない余地が残っている。
失敗しても取り返せる余地も残されているし、すぐに梯子を外されないで済む環境にいます。
全体を覆う「何も変えたくない雰囲気」や「現状を維持する圧力」が少ない環境のため、常に新しいことに取り組むことが奨励されるため、日々何かを進めている気がするのです。
自分を中心としたキャリア構築ができる
これも非常にシンプルですね。
特に若い時期に自分がどうなりたいか、どうすべきかを尊重してくれる環境があることが重要です。
全部の外資系企業がそうであるというわけではありませんが、そこのお前の勤務先は非常に柔軟な対応があります。
管理職以上を目指す人には管理職以上のキャリア構築を奨励します。
これにより、会社の都合で部署を転々としたり、拒否する選択肢のない異動をさせられる可能性を低く抑えることができます。
スペシャリストとして専門性に特化を目指す場合にはそのための待遇が用意されています。
従業員の均質化は目的とせず、従業員の特徴に合わせて業務内容やアプローチの仕方を変えるやり方を取ります。
専門職に特化したキャリア・管理職を目指すキャリアそれぞれに色を付けることを良しとする文化がありますので、様々なロールモデルに触れることができます。
実力・成果の応じた報酬・待遇の還元がある
特に若手の時に得する部分です。
ダメだった場合、ボーナスをマイナスにされることもありえます。
ですが、いい場合は年齢にかかわらず、昇給・昇格等を積極的に行っていきます。
若手の世代で年上の給料を抜くこともざらにあります。
逆にいくつになっても油断はできないという側面はありますが、特に若い時はそのリスクはないので行けるところまで行けます。
通常の日系企業の給与上昇曲線よりも早い上昇曲線を描くことができます。
この分で先取りした後に日系企業や他の企業に移籍しても悪くはないのです。
キャリア全体の中で駆け出しのころに所属する意味はあると言えます。
学歴差別、学閥等、上限関係、慣習等の縛りが少ない
正直、そこのお前にはこれがありがたかったです。
誰も学歴なんて気にしません。
これが黄金の出世コース!なんて決まったルートも存在しません。
東大からこの部署に入って、この業務を歴任して。。。。
とか慶応卒、早稲田卒が出世しやすい会社だ。
なんて、わけのわからないしがらみに溢れた企業は日本企業の中にはあるようです。
まぁそれはそれでいいです。
それが企業のカラーであり、企業が望んでそうやっているなら、それで社会に迷惑をかけない限りで好きにすればいいです。
ですが、中で働くことを考えた時にそれを気にするのは不毛としか言えません。
大学のたった4年間で人生の残り全てに影響するという思考回路はいまいち理解ができません。
会社に入ってからの10年、20年の方がはるかに大きな期間であり、可能性を秘めています。
それこそ大学4年を全て消して洗い流せるほどに変化することだって十分できるのです。
同時に会社に一定の出世コースがあるのも不思議な話です。
全員がそれをめがけて競争することが全体に資するならいいですが、正直理屈は不明です。
スター街道に乗れば幸せかもしれませんが、それ以外のキャリアに一方的に劣等イメージをつけるのはあまり健全なことではない気がします。
それこそ、どこに行ったかで人生が決まるという肩書や場所に依存する人間になるのは幸せが待っていないと直感したのですが、そういった縛りがほとんどない環境が心地よいです。
日本人も日本外で普通に戦っていけるっていう状況を身近にしたい
これはそこのお前のひそかな野望です。
大学在学時の英語ディベートでの惨敗経験が忘れられず、日本人が海外に出たとたんに小さくなってしまうことが苦痛でした。
海外に対して抱くコンプレックスや複雑な心情が極力少なく成ったらいいなぁと常に思っています。
海外に出るハードルを低くし、みんな普通に海外でもやっていけるじゃん。って思える世の中になったらいいなぁと常々思っています。
これのために外資系企業で虎視眈々と海外ポジションを経験し続けることを狙っているのです。
以上5点がそこのお前が会社にいる理由です。
外資系企業
派手なイメージや給料がいいとか激務とか実力主義などのシビアな世界観が先行しがちですが、その実、非常に様々な生き方があります。
超絶実力主義の企業、個人を徹底して尊重する企業、個性的な世界観を持つ企業から、ものすごくまじめで淡々とした企業まで。。。
ただ、中に入ってみると案外生きやすい場所があります。
日系企業でのキャリアに行き詰まりを感じる人は一度経験してみるといい刺激になることもあります。
外資系企業は会社に尽くすものではなく、会社を利用するものぐらいに考えてキャリアの中でのステップとしてみてはいかがでしょうか。
そんじゃね
【考え方】学習・成長し続ける知人の5つの信条【就活】
萎えない向上心を持つ人の5つの基準
そこのお前の知人には恐ろしくポジティブな知人がいた。
ポジティブというよりはどんなに逆境に落とし込まれても萎えない強い向上心の持ち主と表現すべきだろうか。
どんなに苦しい場面になっても諦めない。
勝てなくても最後まで頑張る。
根性と青春が人の皮をかぶって歩いている。
そんなレベルでガッツのある人だった。
ただし、元々器用だったり特別才能に恵まれているというタイプではなかった。
それでも、特別光ったのは普通の人が諦めるような状況でも最後までやる。
ということだ。
だから、最初には他と比べて劣っていても、最後には勝っているなんてことが多かった。
まぁそうそう満塁逆転サヨナラホームランをかませることはない。
人生は漫画のようにはいかない。
現代で漫画のように行くのは大谷翔平だけだ。
事実、最後まで頑張っても負けることはあった。
だが、彼は負けても気にしていなかった。
彼なりの最大限を発揮しても及ばない限りは結果は気にしなかった。
事実、彼は途中でやめることが合理的でないことは知っていたが、その中でも決してあきらめることなく虎視眈々と次に勝つ方法を考えていたし、何を学べるかを常に意識していた。
というよりはむしろ、少しでもまだできるという思いを残したままではやめられない人間だった。
だから、一度決めたことは必ず最後の限界までやり通すタイプではあった。
それにしても、何がそこまで彼を駆り立てるのか。
聞いてみたことがある。
すると彼は答えた。
出来ないことができるようになる瞬間がたまらなく幸せ。
彼曰く、
少し料理ができるようになった
とか
少し人からおしゃれを褒められるようになったとか
それでもいいらしい。
それでも幸せを感じるし、失敗したらそれはそれで笑い話に変えてやろうぐらいに考えているようだ。
ただ、昨日までできなかったことできるようになることが重要だと。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
同じ日々を過ごさない自分に幸せを感じるそうだ。
その中で、最初の負けが大きければ大きいほど燃えるし、成し遂げた時の幸福感が大きいそうだ。
「最後に必ず俺が勝つ。」
そういうメラメラと燃える気持ちが生まれるかどうかで何をするかを決めている。
という事だった。
あまり最終成果には拘ってはいないが、それでも人の予想を裏切り、はるかに上回って成功を勝ち取ること充実感に病みつきになっているらしい。
彼は常々言っていた、みんなが無理だと思っているなら思わせておけばいい。
でも、誰かがその予想を裏切ったらみんなは驚くだろうし、それができたらみんなにとっての世界は変わる。
オリジナリティがあればあるほど自分の人生は輝く。
彼はそれが信条だった。
そして、彼は就活をした。
彼の就活も非常に独特だった。
年収も働きやすさもそれはいい方がいいけど、自分が最もノビノビ行動できるところがいい。
そう言っていた。
おそらく彼は求めている。
人の予想を裏切り続けられるようなキャリアを歩めるところを。
誰もやったことがないことに挑戦できるところや、多くの人が無意識に諦めているけどもっとよくしたい理想を現実にすることに挑戦できる環境を求めていることだろう。
彼はそこのお前と同じく外資系企業の事業会社に進んだ。
おそらく、日系企業として型にはめられるよりは個を大事にしてくれる環境を選んだのだろう。
正直、ぴったりである。
外資系企業も彼のような自律的で人の予測の枠にとらわれない人を求めていると思う。
実はそこのお前が外資系企業を選んだことにも少なからず影響を与えている。
人の期待を裏切るぐらいの目標でないと自分からは行動できない。
自分が全力を尽くす動機を作れない。
会社に言われた仕事とそれに対する明確で決められた対価をもらい続けるだけで過ごすには人生のキャリア40年は確かに長すぎる。
もう一つ重要なのは、人が自分自身の人生の充実感や幸福感を感じる上においては「自己決定感」が重要なのである。
この「自己決定感」が人生の行動に内発的動機を与え、やらされる仕事はやる仕事になる。
彼は自然にそういうものを心の中に持っていたのだ。
だから、人に言われずとも粘れる。
目の前の成果や結果によらない大局観のある行動決定ができる。
事実、彼が負けても粘ったことの内、すべてが無駄になったかというとそうではない。
素早く諦めて何もしなかった人よりもずっと多くの学びと次に向けた心理的な動機要因を蓄えている。
彼はどこに行っても活躍できると思う。
この萎えない向上心がある限り、どこに行っても自分で自分を律することができる。
この先も会社組織に無理に要求されない、自由に翼を羽ばたける環境にいてほしいと思う。
彼の5か条をまとめてみる。
1、一度決めたことは普通の人が諦めるような事も最後までやる。
2、オリジナリティのある人生を求める。
3、自分で自分の目標を持ち、行動を決定する。
4、昨日よりも今日、今日よりも明日。
5、目の前の成果や結果によらない大局観のある行動決定をする。
この5つが彼から学ばされた自らの手で自らの動機を作り、人生を切り開く考え方だった。
このことを思い出すたびに、目先の結果でオロオロオタオタする自分を戒めることができる。
そして、また心をリセットすることができる。
こうでなくては人生において学習し続けることができない。
また、自分で自分の行動を律することの大切さに気が付かなかっただろう。
給与や昇進、その他社会的評判に左右されるオリジナリティのない人間になっていただろう。
これから先もこの原則を胸に人生を構築したいと強く思い返した。