自己啓発本の罠について考えてみた件
そこのお前は結構この手の本を読むのが好きです。
(※好きですが、本当に活用できているかは不明←)
自分が日々やっていることがこういう本に書いてあったら、問題の答え合わせの結果、合っていたみたいな感じで少し嬉しくなります。
同時に、自分がこれから直面するであろう難局に答えが見えていない時に、関連することが書いてあるタイトルを読んでみたくもなりますし、それをもとに思考を広がった感じを得られると開放感を得ることができます。
例えばこんなのw
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とはいえ、本を読む過程で思ったことがあるんです。
どうしても、人のまねをするには限界があるし、微妙に状況や環境が違うのか、それともそこのお前の意思が超絶弱いのかわかりませんが、きっちり実行に移せる場合ってものすごく少なくないですか?
同時に、この手の本ってスタートの着想と結果の掘り下げはしっかりしているけど、どういう環境でどう続けるまたは実行することができたかについての掘り下げができてる本ってものすごく少ない。
これがあるかないかで説得力も変わるし、これを自分でできる人は自己啓発本なんていらないんじゃないかと思うわけですが、じゃあ誰のための本なのかということです。
もちろん読者のためでもありますが、本である以上自費出版でもない限りは出版社の利益が絡むのでまず前提として著者と出版社のための本なわけです。
ただ、そこのお前は見事に養分で、たまに無性に読みたくなって買ってしまいます。
こういう時って、基本いいことありません笑
特に以下の2つのシチュエーションで本を買ったときに
・何となく充足を得たい、何かわからないけど不安だから安心を得たいとき。
・キャッチコピーやタイトル・著者の肩書にひかれてそのまま半ばジャケ買い
この二つの場合はまずお金と時間だけ失います。
まあ、考えてもみろ。って話ですよね。
今まで読んできた自己啓発本で完璧に実行できた本が一つでもあっただろうか?
と自分に問うた時に。。。
その体験がある人は読むべきと思った本は読み続ければいい。
それがない人は現実に気が付いたほうがいい。
あまり実になっていないことを・・・
とはいえ、そこのお前も何年かに一冊は衝撃を受ける本に出会い、タイムリーさも相まって、本当にいい影響を実際に享受できることもあります。
だからやめられないんですが、やっぱりしっくりこない本は全くしっくりきませんし、中には内容の薄いものもたくさん混ざっています。
でも、ある種仕方ないなって考えることができるようになってきました。事実、自分で書けと言われても結構な制約があるなぁと思ってしまいます。
そもそも、なるべくたくさんの人または多く売れないと商売にならないので、より大衆向けにかつプライバシーや企業秘密な部分は隠して、当たり障りなくトゲを丸くしながら書いていくわけです。
つまり、もともとの人に対して伝えたいという思いと内容の割合が様々な現実的制約に阻まれて、どんどん本の中での居場所が減らがされ、その神髄を伝えきることができないまま本になってしまったものが多いはずなんです。
それでも、欲しいものや情報が明確な時、数を絞ってこの分野で買う本はいったんこれだけ。と決められるときは買おうかと。
20代も終わりに差し掛かってようやく受け入れることができるようになってきたのですが、自己啓発本やその他の学びは食事と同じで、入れられる量には一定の限界がある気がします。
とにかく読み漁ったり、とにかく入れまくってオーバーロードしても非常に効率が悪くて、むしろちゃんと本の通りに変わらない自分にイラついたりするものです。
もはやできないことをやろうとしてもしょうがないです。
できそうなことからやっていく前提でインプットしたほうが圧倒的に気持ちよく進めます。
自己啓発本を消費型コンテンツとしては扱わず、きちんと己の中で厳選し、きちんと自分自身と付き合いながら、先人たちの学びを取り入れていこうと強く感じた。。。。
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ほいじゃ!