部下を迷わせない上司が最強だって話
よい結果を出せる人は迷わないし、迷わせないって話
明確なゴールとその条件の理解
経験の有無・対応方法の練度
回避策・逃げ道の設定
明確な優先順位
これらがきちんと定まらない場合、常に様々な迷いを生み出すことになる。
最近、面白い本を読んだ。
めちゃくちゃ昔の本であり、知っている人は知っている割と有名な本だが、
「失敗の本質」
というタイトルの本だ。
内容としては太平洋戦争で旧日本軍がアメリカに負けた理由を組織論の観点から分析した内容で、今日でも当てはまる組織として敗ける理由を丁寧に分析した本だ。
戦争の是非やどうしたら勝てたかという話というよりは単に組織的な構造や行動に着目した本。
当時の状況の考慮具合にある程度の限界はありつつも、かなり細かく一つ一つの行動と背景思想を洗っていた。
それを読みながらある迷いまくった体験を思い出した。
そこのお前のチームには一人の新任上司がいた。
彼は優柔不断だった。
とにかく決められない人だった。
心配性で、気にしいで、優しいとても人のいい上司だった。
だが、上司としては決定的に頼りなかった。
チームメンバーに仕事を依頼するにも気にしすぎるし、上司の上司に配慮しすぎて、Must haveとNice to haveの線引きができない人だった。
本当は自分の雰囲気を読んで行動して欲しいとすら思っているような人だった。
結局、そこのお前を含む部下はそれを読み取るのに苦労した。
部下側は曖昧な結論に逐一迷いを抱えた。
結局どうしてほしいのか?
時間が足りない中で何をそぎ落とせばいいのか?
そういった融通の利かせ方が不明でいちいち上司とすり合わせをしなければならなかった。
上司も部下も時間をたっぷり使うわけだが、結局上司側がパンクした。
当然だ。上司となると部下の人数分だけ時間を使わなければならない。
上司側がパンクするといかに部下が優秀でも、会社のさらに上での考えとの統合や他の部門との連携がままならない。
最終的にチームは機能不全を起こし、迷いは不信を生み出した。
結局、本来であれば迷わなくていい仕事すら疑いの目を向けられたり、自分たちで自信が持てなくなり、部下自体のパフォーマンスも落ちた。
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迷いは連鎖する。
何らかの迷いがあると、他の無関係の仕事にも集中が散らされ、行動力が落ちることがある。
たとえ話であるならば、二兎を追う者は一兎をも得ずだ。
ちょっと本来の意味からはずれているが、実はそういう含蓄もあると思う。
本の中では選択と集中の効果を実際の事例に照らして当てはめて説明していた。
つまり、個人の力量を最大限発揮するには明確な選択と集中が必要という結論だったのだが、それと真逆を行く組織的なマルチタスクが生み出されていたことが敗戦の原因だったと指摘している。
もっと身近な迷いに関するたとえ話をするとすれば、以下である。
ボールが一球飛んでくればキャッチできる。
が、2球同時に飛んでくると両方キャッチできないし、それどころか1球もキャッチできないことがある。
ひどい場合にはその場で反応できなくなって無様に当たってしまう。
変化球を待ちながらストレートが来て完璧にホームランをかっ飛ばせることは少ないし、素人であればあるほど対応できなくなる。
何か一つの球種に絞って打席に立つよりもスイングに迷いが出やすくなるわけだ。
それと同じような迷いを生む場面は学校や仕事の上でもある。
他の仕事で引っかかっていることがあったり、何か悩んでいることがあるとする。
なぜか全く関係ない仕事でも行動力やパフォーマンスが落ちる。
アレの納期いつまでだったな。
とか
この話片付いてないけど、他のこともやらなきゃまずいなぁ。
とか
迷いが完全な集中を奪う瞬間
個人のタスクはマルチタスクではなく、一つ一つ集中して行うべしといわれる。
が、常にそういう状況に入れる人は多くない。
こっちの仕事をしていていいのかな?
とか
このままこっちの仕事に集中して忘れてしまったらいやだな。
なんて。
イヤでも頭にちらつくことがある。
チラつく迷いが脳のリソースを食い、目の前のタスクに100%の出力を出せない。
自分の思考や注意力をコントロールできていない時に起きがちだ。
脳は記憶には優れているようだが、同時処理の瞬間出力強度の方が先に限界を迎えるようだ。
迷いが生み出すマルチタスクの障壁
それでもどうしても同時処理をしなければならない場面は出てくる。
そもそもマルチタスクは脳内の同時処理を達成するものではない。
脳機能の観点からはマルチタスクに見える人は実は高速で脳の切り替えを完全にできる人のことと言われている。
その脳の切り替えにも当然パワーを要するわけだが、切り替えまくっているとだんだんスタミナを消耗する。
マルチタスクが高いレベルで成立しやすい状況を定義するならば、同時に進める物事達に懸念や迷い、意識の偏りがない時だ。
何かの懸念があるものと同時に進めると実はその懸念の方に脳が引っ張られてしまうことがある。
すると、もう一方へのリソースの割合が必要なレベルに満たなかったり、スピードが落ちたりする。
これがそもそも組織起因でこの懸念を生み出す場合、個人の実力や考えではいかんともしがたくなる。
同時に個人の力量で解決しようとすると統制を失うことになる。
マルチタスクの恐ろしい部分
いかに切り替えのうまいマルチタスカーといってもその間完璧に他方の考えを排除できる人はほとんど見たことがない。
逆にそれが完璧にできる人は日常生活に支障を来すはずだ。
なので、ある程度のマルチタスク能力は必要なのである。
迷いが原因で脳が過負荷状態になることがある。
特に、どうしていいかわからないものや対処の目途が見えないものが頭の中に横たわっているとそれだけで脳のパフォーマンスが落ちる。
それは人間関係かもしれないし、目先の苦境かもしれないし、ある時は病気や体調不良の不安かもしれない。
とにかく何かしらの迷いや不安や不透明感は少しは気になったりするものだ。
しかも無意識レベルで悪影響を与えることもあるから質が悪い。
試験勉強があるのに好きなこのことで頭がいっぱい。
とか
本当は英語をやらなきゃいけないのに数学の課題が頭から離れないとか。
会社でもそうだ。
多方面から仕事が大量に舞い込んできてアワアワするケースは誰しも経験があると思う。
それだけではない。
仕事を振られた時に様々な条件が付いたり、曖昧な読み取りにくい条件があったりするとその塩梅を逸脱しないようにすることに時間がかかる。
同時に、気が付かないうちに認識が食い違っていることがある。
もちろん経験すれば慣れて対処法も学んでいくことができるのだが、ただ根性論で乗り越えられるほど甘くない。
最初は2球でもいっぱいいっぱいだった3球以上の数でお手玉ができるようになるように、複数の対象を同時に相手にするということはできるようになる。
が、迷いなくマルチタスクをするには練習や慣れが必要である。
慣れによって不確定要素を感じない状態を確保し、難なく状況をコントロールできるように脳内でシンプル化する必要がある。
こういう時はこう、違う時はこう、というように脳や感覚内で自動的に動くプロセスに簡素化する必要がある。
それができない時に人は迷う。
迷い、行動力が落ちる。
組織的マルチタスクを生み出す仕組み
会社でいえば、管理職以降は往々にして多くの矛盾や対立を同時に抱える。
だからこそ、平社員時は選択と集中によってパフォーマンスを発揮してきた人が自分自身では選べない何かによって機能不全を起こす。
そうすると部下も様々なことを同時に判断しなければならなくなり、苦手な人から機能不全を起こす。
これが組織的に起こりうる。
働き方改革の時代では迷いの環境の維持に特に気を付けなければならない。
昔のように自分で考えさせて、壁にぶち当たらせて自分流の解決策や感覚を身につけさせるトレーニングは多くの場合で非効率的と扱われるようになった。
細かいカスタマイズや対応への柔軟性を個人個人が養う現場第一主義のは終焉を迎えようとしている。
日本人が歴史的に得意としてきた極限まで技能を向上させるために追い込むという方法は使いどころがなくなった。
今は徹底して迷いを排除し、シンプル化しなければならなくなった。
つまり余計なことを考えないようにコントロールすることが是とされるようになった。
いかに簡素化・アルゴリズム化を促進し、機械に代替させ、人手を介さないようにするか。
この考えが主流となっている。
迷いマネジメントのスタイルの転換期
今までは迷い、成長することが是とされていた。
どんな細かいことでも本人に悩ませるためにあえて手出しをしなかったり、答えを教えなかったりする指導スタイルは非常に一般的だった。
なので、管理側はあまり細かい指定をしない大いに考える余地のある指導でよかったのだ。
だが、時代は変わった。
言葉では説明しずらい部分を「背中を見て盗め!」とする乱暴な指導も「自分で考えて乗り越えるのがいいんだよ!」という上から目線も今の時代はフィットしない。
それらのいい部分を切り捨てても時間を短縮していかねばならない。
それどころかそんな曖昧なものでは組織は迷い、動けない。
明確にできない上司から順にバカ上司のレッテルを張られていく。
基本に忠実に非常にシンプルで迷いなく行動できるように明確な整理をする。
これが今の管理職により強く求められるようになった。
無骨な不器用上司や雰囲気で押す剛腕上司の時代は終わった。
いかに戦略を組み立て、それをシンプルで具体的なゴールと誤差範囲・条件を示して標準化した作業に落とし込むことができるかどうかに比重が寄るようになった。
元々の日本的組織が要求する察する能力や感情に配慮して自治に任せる範囲を広げるには非常に長い時間と我慢を要する。
終身雇用慣行や閉鎖性の高い同じ時間を長く過ごす関係性であれば一定の合理性はあったが、もう時代は変わってしまっている。
旧来のスタイルでは間に合わないほど世界の変化のスピードは加速している。
もちろん、高度に標準化された環境に居続けると、想定外や予想外での自己調整の能力を得るチャンスを失うという欠点はある。
が、その難点を飲み込んでも、極力標準化して効率的にとれる範囲だけをとっていくというスタイルをとらざるを得ないようになっている。
なぜなら時間には上限が定められ、労働者集団自体もそういったフロンティア的状況を望む人はどんどん少なくなってきているから。
逆に管理職は自分自身で迷いに対処する力を強力に持たなければならなくなった。
また、これから上司を目指すには迷わない環境に甘んじることなく、迷いのある状況で迷わない力を手に入れなければならなくなった。
働き方改革の裏に隠れて、その点を忘れてはならない。