相互リスペクトがない男女平等は理想どころか見るに堪えない程醜い件
平等論者の皮をかぶったクレーマーの話
男女差別でも年齢差別でも国籍差別でも宗教差別でも同じ話だが、お互いに敵愾心むき出しの論調で平等を盾にお互いを批判する光景は見るに堪えない程醜い。
これだから男は
これだから女は。
これだから日本人は
これだから欧米人は
なぜか個人や一部の話を全集団で括りたがる人がいる。
その方が話を分かりやすくすることもあるが、平等を語る文脈では気を付けなければならない。
そんな話。
。。。。。
差別発言者への攻撃はリスペクトがあるか?
世間的に求められるコンプライアンス要件が厳しくなり、SNSにて即座に全世界に拡散する環境になった今でこそ極端な差別発言は少なくなった。
かなり丸くなったが、それでもちらほら見かける。
あまりにも配慮のない発言に世界中から批判がなされることもある。
ネットにおける注目度が高まる分、非常に目立つ。
中には難癖、言いがかりレベルの過敏ともいえる反応もある。
が、体験や経験に基づいて実感がこもっている場合なんかは感情を否定はできない。
しかし、平等を実現しようという取り組みがある中で、相互にリスペクトがない主張が現実的に利益になりうる心の持ちようかどうかは考えたほうがいいかもしれない。
差別は男女差別に始まった話ではないが、昔からあらゆるところに「差別」と言えるものは存在した。
そんな中で、現在の男女平等は女性の不平等を解消するところから始まった。
女性差別以外にも人権に基づいた様々な委員会や期間、団体が組織され、平等で公平な世界にすべく多角的な活動を繰り広げている。
男女平等についても、男性に比べて制限されている領域をなくすことを目的として勇気ある行動や毅然とした対応がなされるようになった。
今では、世界的に欧米先進国を中心に女性を優遇し、女性に制限がかかりにくい状況を作って不平等を是正するアファーマティブアクションが活発化している。
男性差別撤廃条約はないが、女子差別撤廃条約は批准国の数がそこまで圧倒的ではないものの確立された。
つまり、この世に男性差別はほぼ問題として存在しないというのが世界の認識だが、女子差別があるという認識は多くの人が持っている。
本当に平等度合いが劣後しているかはわからないが、欧米がもてはやす指標では少なくとも劣っている。
雇用
賃金
管理職比率
家事分担
育児分担
などなど
マクロ視点で見ると男性の方が有利で自由なようなのだが、実に様々な事例が混在している。
一概に「世の男は」と括ると、その時点で既にそれは男女の差を際立たせる。
日本でも男女雇用機会均等法に始まり、女性活躍推進法まで徐々に実効的で法的拘束内容の烈度が高い施策は生み出されている。
それでも欧米と比較して女性平等が遅れている国と言われており、まだまだ対策が必要だと叫ばれている。
実態はさておき、人口減の中で日本が国として戦略的に自力を維持するには刺激を与えることのできるステップだと思う。
国が法律として定めるにはそういった意味もこもっている。
そもそも、女性に限らず、LGBTも含めて性別だけを理由に何らかの制限がかかることは理不尽なことは間違いない。
もちろんそういう発展をしてきた背景には様々な文化的背景や昔には合理的だった理由がある。
だが、それは昔の話。
現代では世界の変化によって昔ほど男性の力や物理的体力等に頼らなくても多くの人間の生存活動は満たされるようになった。
狩りなどほとんどなくなったし、農業や漁業も昔よりも圧倒的に機械化が進んでいる。
もちろん依然として女性では到底手に入れにくい物理的体力が必要な領域は存在している。
スポーツでも肉体労働なんかは典型例だ。
現代は女性ができるかどうかを基準に肉体労働が設計される時代
様々な工場の現場や建築の現場でも昔よりも技術を駆使して人力に頼らない作業を増やしていることから女性でも就職がしやすくなっている。
業務設計も一般的な女性が対応可能な負荷かどうかを気にする場面は非常に増えた。
そして、それらは往々にして男性が考えている。
加えて、サービス業や事務仕事も含めた頭脳・作業労働の増加はさらに必要性を増している。
女性の出陣可能な戦場が拡大していることは間違いない。
男女分業をする必要性がないエリアが増えていることは間違いない。
そのような状況で性別による切り分けをすることはナンセンスである。
それはその通りであって、不要な切り分けは必要ないと思うのだが、どうにも腑に落ちない点がある。
リスペクトのない主張を展開する層の存在
誰かの意見や誰かの特定の行為を指摘・批判する分には構わない。
差別的な発言やルールなどは時に時代にそぐわず、常軌を逸していることがある。
が、これを攻撃的に「これだから男は」、「これだから女は」と一般的にくくりだした時点で、すでに破綻が始まっている。
実は男女平等の準備段階である女性優遇のステップにおいて、何を勘違いしたのか、女性の方が優れているのだから男性社会が問題であると糾弾する極端な主張がある。
今までは女性が折れてきたのだから男性が折れろ!と過剰に攻撃的になる場面が存在する。
そういう主張があるのは何か理由があるんだろうが、あえて男性を積極的に攻撃する意図に疑問を感じる。
これも女性優遇の文脈で律していかなければならないんじゃなかろうか。
それも女性平等を推進する側が。
こういった主張を男性側や社会側が少しでも反論するとそれだけで対立を生み出す。
逆に本当にフェアな平等を目指す過程では弱い立場にいるものが攻撃的になる瞬間を弱い立場側が抑えなければならない。
アメリカにおける黒人差別だって同じ歴史を持つ。
黒人が優れているとか白人が優れているとかお互いがお互いであえて優劣論を語る暴走部分が少なからず存在する。
そんな中で黒人組織が暴走して問題を起こして問題をややこしくした歴史がある。
ガンジーも非暴力不服従を唱え、決して攻撃しないことの重要性を意識づけている。
歴史的に、自分達が思い通りにならないことを不平等でないことに起因すると誤認して暴走することがある。
歴史は繰り返すものだが、男女平等の文脈でも男性への攻撃を許すとひたすらに男女対立をあおる。
お互いにリスペクトのない平等は成立しない。
それは単に足の引っ張り合いだ。
こっちの方が優れているけど、あえて合わせてやる!
とか
こっちの方が劣っているからお前らが合わせろ!
とか
これが始まると、どっちが良くてどっちが悪いとひたすらに差にフォーカスするようになる。
絶対にやめた方がいい。
永遠に埋まらない溝が作りたいのか?
もちろん、そういう場面が目立つように見えることはあるのだが、それが全てではない。
この構図に基づいて、「正義の女性が悪い男性を成敗する」というストーリーを野放しにすると手が付けられなくなる。
いつかは逆転して弱き男性を虐げる女性という主張にターンオーバーする可能性がある。
そのターンオーバーはまた逆のサイクルを迎えるかもしれない。
どこかで流れに逆らって連鎖を止めなければならない。
UN womenや女性人権団体が展開する女性を勇気づけるスピーチやプロモーションは素晴らしいものだが、その強いメッセージ性ゆえか、男性を攻撃する武器であると誤認する層も一定層出てきてしまう。
これは男性側だけでなく女性側も対処しなければならない問題。
お互いをリスペクトしない主張は控えなければならない。
時にはお互いに相いれない部分がある。
それが、目の前の限定的な現象においては男性に非があるように見えたとしても。
限定的な事実をもって男は!女は!と拡大推論することは控えなければならない。
男尊女尊でなければ終わりはない。
男尊女卑でも女尊男卑でもだめだ。
尊敬しろ、優遇しろ!と攻撃的に言われて、はいそうですね!と素直になれるほど純粋で物わかりのいい問題ではない。
それどころか、男性側には男性側の言い分すらある。
男性が女性を下に見ているような発言をするとこれでもかというほど炎上させられたりする割には、逆に女性が男性を貶めることについては男性が寛容なのか不明だが、特に男女差別の文脈で語られることは少ない。
バラエティ番組でも女性から容姿や行動をいじられる男性芸人は数多くいるし、彼らもそれで金を稼いでいるからか気にしていないことにしている。
まぁそれも変な話だ。
男性側だって突かれたくないデリケートゾーンがないと言ったらうそになる。
なので、絶対優遇しなければならないとは思っていない。
男だっていい分は聞いてもらいたいものだ。
だが、基本的に男性=悪い強者、女性=良き弱者
の構図に固定してしまうと平等というバランスを維持する目的において苦労する。
だからこそ、お互いがお互いの尊敬を持たないと解決に至らない。
それに、生物である以上は協力・協調していかねばならない。
不可分な関係にある以上、もめごとが起きることは仕方がないが、それを助長するような平等主張だけは抑え込まなければならない。
いくら制度が整おうが、お互いがケンカ腰ではクソの役にも立たない。
男性でも女性でも個人として尊敬できる部分は尊敬する。
それだけ考えればいいだけの話。
お互いの欠点を突き合っていてはただただ傷つき疲弊するだけだ。
そう思う。