そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

働き方改革。働かせ方改革。働かされ方改革。働かれ方改革。

 

あーもうぐっちゃぐちゃ笑

 

というわけで、思ったことをつらつら書いていきたいと思います。

 

働き方改革

 

 

そこのお前の会社にもがっつり波が来てます。

やれ、残業は何時間までだとか、頑張って効率化しろ!なんてね。

 

残業なし曜日とかいろんな施策・プレッシャーを交えながら業務効率化に取り組んでいます。

仕事は減らないけどねってみんながぼやきながら笑

 

現場サイドの皆さまには

楽になればいいけど、ただ今よりもっと速く走れ!って言われているだけで、実際その通りにもっと早く走ったら残業代がなくなって給料取り分が下がるなんて意味不明。

という不満が根底あります。

 

故に残業が減った分、社員に還元するスキームを用意する企業もありますし、何とかお金をかけて省人化を進める企業もあります。

 

まぁでも、そもそも長時間労働を正義という文化を変え、不要な業務を極力減らして、

・より必要な業務に使う時間と人的リソースを確保する。

・それぞれがベストな状態で仕事に臨めるような環境を整備する。

というのが最も根幹にある目的ですが、イマイチ業務が減ったと実感する人って多くないと思うんです。

 

それってなんでなんだろう?って思うんですが、

  1. そもそも効率化を図るために一時的に負荷が増す。
  2. 結局、減ったところに新しく順番待ちしていた仕事がのっかってくる。
  3. あきらめる勇気を持つ管理職と経営陣がそろっていない。(あきらめる選択ができる企業体系が整備されているかどうか。)

こんな話が周りで噴出しています。

 

会社としてルールを決めて画一的にアプローチしようと思っても、個別具体的な事例に対してすべてに効果がでることがないので、どうしても不平等感・フィットしない感が残ってしまいがちです。

 

一つの理由として、人は機械ではないので、効率の差異がでます。

同時に、寸分たがわぬ全く同じ業務はそれほど存在せず、担当内容によっては全く同じことをするにも必要な時間が異なりますし、重要度も変わってきます。

よって、人のバラつきと業務のバラつきがあることでより複雑化し、結局は細かい部分は自分たちで何とかしろって結論に陥りやすいですね。

 

とはいっても、一律残業上限だとか強制消灯だとかの荒唐無稽で乱暴に見える現場への一方通行的なプレッシャーですが、効果がないこともないです。

 

それは、マジで無意味なただ時間を過ごしているだけの人を駆逐するという意味では基礎的な雰囲気・組織的土壌が出来上がります。

ですが、副作用もあり、超絶一生懸命仕事をしている人にとっては、ただの不要なプレッシャーになってしまい、感情的な反発を招きやすいです。

 

要はどっちの方を重く見るかという話ですが、後者を定量化できないのでどうしても見落としがちになります。 

 

残業自体を区分けすると下記の考え方ができます。

 

これは業務の区分けにも使用されますが、業務に使われる時間のうち

今すぐ必要Or後々必要

重要な価値Orなくても対応可能

この2つの2択で

  1. 今すぐ必要で重要な価値を持つ業務
  2. 今すぐではないが、いずれ重要な価値を持つ業務
  3. 今すぐ必要だが、なくても何とかなる業務
  4. 今すぐ必要でもないし、なくても何とかなる業務

この2×2で分類することができます。

(※この必要性の判断がかなり難しく、部門最適を考えるならばいらないものの、その後の後続ステップを考えた場合、必要とされる業務もありますし、チームや個人の仕事上に存在する周囲との力関係により負担が増えているケースも多々あります。)

 

いったんこれは脇に置きますが、要は2番と4番をやめれば短期的には残業は減らせるからちゃんと選別して!という話はよくあると思います。

 

そして、見落としがちですが、

5、仕事をしていない

これがあり得ます。

要はこういったエリアをまず根絶するという意味で一方的なプレッシャーをかけることには意味があります。

 

 

さらに、こちらでも分けることにしてみました。

仕事をする人の種類も分けることができます。

 

この場合、“仕事をしていない“というのは論外ですが、

仕事量が早いOr遅い

仕事量が多いOr少ない

この2つの2択で分けることができます。

 

この2×2で見ると、

  1. 仕事が早いが、量が多い
  2. 仕事が遅くて、量が多い
  3. 仕事が早いが、量が少ない
  4. 仕事が遅いが、量が少ない

 

さて、こう分類した時に彼らの仕事の中で、先に分類した業務の種類の何%がこれに該当しているかを見てみればいかに個人感で成果の多寡がばらつくかがわかると思います。

 

この最初の②×②と2番目の②×②を合わせると、どうやって仕事配分を調節すればいいかを見ることができるようになります。

 

超短絡的には、同じ時間で成果を出したければ、1と3の人になるべく仕事を寄せていくしかない。

この1と3のグループに属する人に業務区分けの1(重要かつ短期)を強制的に配分し、それ以外の人には業務区分けの2(重要だが、長期)を寄せていき、すべての3(非重要だが短期)と4(非重要かつ長期)は余裕のある人がカバーするか他社に外注に投げるようにするという論理が成立する。

 

時間効率だけで考えるならばこうなる。

 

じゃあこうすればいいかって?

でも、たぶんみんな違和感バリバリだと思うんです。

 

こんなんうまくいきっこないって。

 

その通りです。

うまくいくわけがありません。

そもそも仕事のスピードだけが違うなんてことはないですし、仕事の質と個人のスピード以外の質にも影響されます。

 

それに、仕事の速い遅いに限らず、個人の適性や周囲の人間関係等も違いますので、そう簡単にコロコロと変えられるわけでもありません。

 

でも、これが今、日本の経営陣や管理職の現場で考えられている働き方改革の多くの現実なんです。

結局、そうなると、よりエースに仕事を集めて何とかするという形になり、エースとそうでない社員の待遇に差が出にくい年功序列制度を採用する企業の場合はエースがより不満を持って、働かないで早く帰れる人が得をするという方向になりがちです。

 

欧米のように個人の守備範囲を明確に決めない限り、同じ時間で勝負させようとするとどうしてもできる人に仕事が偏ります。

そして、年功序列の賃金制度を変えなければ、成果に格差があるのに賃金が変わらないという現象も併発します。

 

エースは常に仕事が終わるか終わらないかぎりぎりの勝負をさせられながら、のうのうと帰っていく仕事の配分が少ない人を見る。

ほとんど同じ給料で。ずっと後に起こりうる昇進があるかないかの差だけで。

 

だったら、エースはさっさともっと稼げる仕事につきます。集められた意味のある業務やトレーニングを行い、スキルをつけて。

 

さて、そもそもこの働き方改革自体が、だれが得するようにできているのか。

 

 

これは今まで労働市場に参入しにくかった人たちとそもそも仕事をあまりしていない人が得をするものです。

(※ついでに無駄な残業を排除する大義名分を得た大企業)

 

既存の企業を支える優秀労働者層が得をするケースは考えにくいです。

だって、難しい局面や大変な仕事は同じ時間でも何とかしてくれる可能性の高い彼らに集中するわけですから。

それに、優秀層は仕事を厭わずバリバリ働きたい人もいるので、彼らにとっては残業代というお金の稼ぎどころも失います。

 

それを、うまく現場を言いくるめるためかどうかわかりませんが、全員が得をすると嘘八百こいているわけです。

長期的にはより多くが得をする論理は通っていますので、社会のためにはよいですが、少なくとも過渡期は”誰か”が変化のあおりを受けます。

それを理想論で隠すので不信感が募るわけです。

 

それに、労働時間が短くなれば働くのが楽しくなるなんていう連中も存在しますが、本当にそう信じているのでしょうか?

 

仕事時間が短くなったら、雰囲気の悪い職場が変わるのでしょうか?

みんなストレスがたまらず、のんびり過ごせるからストレスが減るとでも本当に思っているんでしょうか?

 

ただ、ストレスにさらされる時間が短いだけで、つまんない仕事であることに変わりはないだけなんじゃないでしょうか?

仕事がやりたい人にとっては物足りなくて逆にストレスをためる場合もあるんじゃないでしょうか。

 

たぶんそこはやり方次第な部分もあるでしょうが、時間へのアプローチとは異なる策が必要だと思います。

 

まぁそんなこんなで時間に注目が行っている働き方改革ですが、仕事の質や仕事をする上での文化についてもっと切り込んでいく勇気がないとただ雰囲気が悪くなるだけになってしまいます。

 

働き方改革コンプライアンスリスクを回避し、さらに企業ブランド価値を上げようと思っている経営陣は結構ですが、その成果を今取りざたされている時間だけに注目して短期的な成果を目指すのはプロフェッショナルぽくない気がします。

 

短期的なKPIや数値目標に縛られる中間管理職と何ら変わりません。

それよりも文化や組織ごと変えていく推進力を与えるような改革を自分の会社には期待したいなと思います。

 

それに、そこのお前も欧州勤務経験者としてできることは表現していきたいなと。

 

ほいでは。

少年野球というブラック企業の疑似体験の話~大人編~

今週のお題「雪」

そこのお前は野球少年だった。

 

今では立派なヤクルトスワローズファンである。

20年変わらず真中が好きだ!

 

 

さて、今回は前回の続き、少年野球がブラック企業の疑似体験だった話。

これを大人目線を持った時にどう見えるかを書いてみました。

 

 

 

地元の少年野球チーム。

 

これ大人の観点から見るとめちゃくちゃ複雑な事情が絡み合っている場合もあるので、その組織模様を見るとそれはそれである意味勉強になるのですが、特徴は下記の通りです。

 

  1. 監督・コーチは基本的には所属選手の父親またはOB Orその父親。(一部の強豪やクラブチームを除く)
  2. 無給+土日祝は基本一日拘束(チーム方針によります。)
  3. 小学校1年から6年まで幅広く見る。(聞き分けのない子からおとなしいお坊ちゃんまで全部)
  4. 全スタッフ誰かの親(試合組んだり、練習のグランド手配から当日の世話まで)
  5. 基本、屋外グランドでメインシーズンは夏。
  6. 親同士での役割分担+序列関係等、チームの秩序維持

 

すると、平日はみっちり働いて、土日は付きっ切りで子供の野球を見るというになります。

これぐらいハードにやるから日本の野球文化・レベルは他のスポーツと比べて常に上位に居続けたのだとは思いますが、やっぱりこれぐらいキツいのは現代には合わず、少子化と相まって野球人口の減少が叫ばれていることは間違いありません。

 

それはさておき、少年野球を親目線で見てみると結構エグいことに気が付くと思います。

  1. 親同士の関係構築
  2. 貴重な休みをがっつり使い切る
  3. わが子がチーム間競争で場合に勝てるかは不明
  4. どんな子か知らない自分以外の子供もきっちりと面倒を見る

 

もしこれを結構高いレベルで実現しようとした時に、平日働いた上に休日もやるというのはもはや仕事レベルにハードなんじゃないかと思います。

(※中には仕事より断然ハードにやるお父さんもいます。。。)

 

これによいモチベーションを維持するには以下の要素が大きく左右します。

  1. 野球が好きで好きでたまらない。
  2. 野球で活躍するわが子に夢を乗せている。
  3. わが子関係なく、子供が好きで好きでたまらない。
  4. 親同士、子同士の関係が非常に良く、休日を使うにふさわしいコミュニティ
  5. チームがとても強く、子供の成長も踏まえ、所属することにポジティブな影響がある。

 

この5要素すべて揃っているようなチームは非常にまれですが、揃う要素が多ければ多いほどいいですよね。

そういうチームは強いですし、5番は1から4の積み上げで成立する部分もありますので、こういう環境の場合、たとえレギュラーでなくとも本当に勉強になる可能性が高いです。

 

ただ、人生は光もあれば闇もあるもので、こういうケースも存在します。

  1. 日頃のストレスのはけ口化している。
  2. 家にいると気まずいので、子供の面倒を見る口実で外に居る隠れ蓑。
  3. 指導に全力を尽くせども、子供が成長しない、またはチームが勝てない。
  4. 子供が所属するからついていくが、そもそもわが子以外には全く興味がない。
  5. 親同士の不仲または子供の卒業後も顔を出す古参の主の存在で淀んだ空気である。

 

少年野球の少年にとっての地獄はここから生み出されます。

 

特にこの3番が今日のミソです。

 

指導に全力を尽くすといっても、本業がある中で子供にきちんとした野球を指導するのは簡単ではありません。

ほとんどのチームは指導者としては素人集団です。

 

野球のベストな技術は日々進化していますし、指導法や指導技術だって時代の流れがありますが、すべての親がきちんと野球を学び、その指導技術を日々進化させているわけではないので、良質なコーチというのは非常に限られます。

 

 

でも、少年野球のコーチがコーチでいられるのは基本は子供の在籍期間内で一人につき最長6年です。

(兄弟の年が離れていて、上の子の小1から下の子の小6までと10年を超えてくるケースもありますが。。。。)

 

その限られた期間と時間の中できちんとしたレベルを要求されるというのもまた大変な話です。だって彼らはボランティアなんだから。

 

この辺、非常に難しい問題が横たわっているので、ぜひ野球界として取り組みがあるといいなと他力本願しているんですが、要はリスクが下記の一文に集約されるんです。

 

子供を育てるプロでない大人が昔の指導法と当時身に着けた技術のみで、子供に対してあたかも絶対的な権力者かのような顔ができる場所になりかねない

 

ということです。

(※決して全てのチームがそうではありません。本当に質の高いチーム・小学生の育成の場としてふさわしいチームはたくさんあります。が、その裏ではこういう負の現実も抱えているという意味です。)

 

少なくともそこのお前のチームはそんな感じでした。

小学生の時点で親を超えてうまくなり、黙らせるには天賦の才があるか、質のよい練習を相当量積まねばなりません。

 

こういった指導者が絶対的な存在であること自体は少年野球に限ったことではなく、プロが出るような強豪校でも同じような例はありますし、この軍隊のような組織構造が必ずしも悪であるとは言い切れませんが、一般に受け入れにくいのは事実です。

 

ただ、高校野球で甲子園やプロを目指すレベルになってくると血のにじむ努力が必要で、一気に追い込んで短い時間で子供を鍛えるというのは、子供にとってその目標が自分のものとして魅力的に存在している限りは一つの方法だとも考えられます。

 

ですが、そこのお前の場合、片田舎の小学生の集まる少年野球チームであり、さして強くもありません。

みんなプロ野球とか甲子園なんて夢のまた夢です。

目指したいっていう人すら超絶少数でした。

 

そんな環境で、相手は子供なので基本的には負けることはありません。

また外部から余計な口出しをされることも少ないです。

 

なので、大会に勝つためとか野球がうまくなるためみたいな純粋で前向きでアツい想いよりも大人の言うことは絶対という教訓もクソもない社会の鉄則みたいなものを刷り込んでいるような現場でした。

 

今は体罰や恐怖統制に厳しい時代になりましたので、どう変わってきたのかを知りませんが、基本的に野球界隈って古き体育会系文化の住処で、そういう育てられ方をした学生たちがそのまま大人になって、その当時の雰囲気ややり方をそのまま再現するんです。

 

特に野球歴が長く、名門と呼ばれるところを出た野球人が高い序列になりがちなのですが、その人たちにとって、野球というのはそうやって鍛えられるものという認識ですから。ほかのやり方や考え方はあんまり入ってこないわけです。その人が周囲より野球がうまければうまいほど。

 

 

それ以外にも

 

もしかしたらそういう空気の会社に勤めているから自覚なくそうなったかもしれません。

 

それとも、ただ単に思い通りにならないイラつきがあったのかもしれません。

 

わが子が主軸となる期間は1年から2年程度で、その間ぐらいチームは強くなってほしい!

のに、なかなか勝てない。だから自分の指導で上達させたい!

あるいは昔は強かったのに今のやつらは。。。と過去に強かった代を引きずっているのかもしれません。

 

それらの想いの空回りだったかもしれません。

 

様々な思いが交錯する場で、コーチも一人の人間・親であり、一概にすべての攻撃的な態度を悪いものと断ずるのはナンセンスですが、少なくとも当時前向きでアツい思いを感じることのできるコーチはいませんでした。

 

超絶ガチ指導するものの、子供との温度差ばかりが広がり、感極まって一人で泣いているコーチ。

 

弱い奴らはやる意味ないとばかりに怒鳴って場を支配するコーチ。

 

そんな周りに当てられて同調するほかのコーチ。

 

いろいろな人がいましたが、当時はなんでこんなにキレてばっかりいるのかさっぱり理解できませんでした。

今では少しはわかる部分もあるんじゃないかと思います。

 

ですが、子供心には結果的にはその時代の「甘え」観や「育成」論というのを生で学ぶ機会でした。

そして、それらの親たちは今、50~60歳程度でまだ現役で社会で働いてる世代の人たちです。

 

そこのお前は今では普通にサラリーマンですが、当時の絶対的に逆らえない怖い大人たちは、なんと、今では会社で肩を並べていてもおかしくない関係に変わりました。

 

当時、大人たちの暴力的・攻撃的なアウトプットにより少なからずそこのお前の主体性や純粋な向上心の育成は損なわれたと思います。

 

でも、それって、少年野球だけじゃなくて企業でもそういうのあるよねって思います。

何この上司??とか何この先輩?とか疑問を感じることって山ほどあると思うんです。

本当にいくつになってもありますよね・・・

 

だから、ものすごい早い段階での社会体験だったんじゃないかって思っています。

 

ちょっと早すぎて、そこのお前は臆病さと遠慮しすぎる癖を強化する結果になってしまいましたが、良くも悪くも人生における決して消えない痕跡になっています。

同世代の集団に溶け込むスキルをつけるという父親の当初の狙いよりもそっちを先に経験したという・・・

 

 

 

結びに入ります。

少年野球とブラック企業、唯一違うのは、少年野球には人生が掛かっていないことだと思います。

ダメでも親がいるし、その後の中・高でいくらでも取り返しが効きます。

一回入ってしまった企業のその後とは全く重みが違うといえます。

 

それでも、“ちびっ子”そこのお前にとっては強烈な原体験であり、父親の狙いをはるかに超えて多くのことを学習させられました。

そして、大学・社会人と年経るにつれて、その意味をより実感し、人生において10年を超える長~~~~い伏線回収になりました。

 

人生の出来事は変えられなくても、その出来事の持つ意味はいくらでも変えられる。

 

今後も、この体験がもっと生きてくれるといいなと願っています。

 

 

じゃね~

 

少年野球というブラック企業の疑似体験の話~少年編~

子供ブラックな少年野球の話

そこのお前は野球少年だった。

 

いや、野球少年と呼ぶにも中途半端だったかもしれない。

まぁ、小学生時代はたまたま少年野球チームに所属していた。

 

元々、野球をどうしてもやらせたかったのと集団に溶けこませることを覚えさせたかった父親の強い勧告と行動で入団することになった。

 

今ではこのことに感謝しているし、たとえ子供が嫌がろうとも社会で生きる上で高確率で必要になるであろう要素を学ばせようとした父親のことは素直に親として尊敬している。

 

が、その時は地獄だった。

 

何が地獄って練習がきついとか周りのみんなと仲良くなれないとかそんなことじゃなかった。 

 

大人たち(コーチ陣)が怖かった。

さすがに暴力(まだ少しは残っていた時代)は滅多になかったが、精神論・根性論ベースの怒声・罵声・恫喝のオンパレードだった。

 

何かあると怒声を飛ばし、とりあえず暴言もセットにしておく。

 

あんまり因果関係のない結果と原因の結び付けも勢いと大人の威厳で押し切る。

いわゆる昔ながらの体育会系の“悪いところ”を凝縮したような空間だった。

 

まぁ1年生も含めた聞き分けのない子供をラクに律するという意味では効率的でシンプルなやり方だったともいえる。

 

。。。

 

とりあえず怒鳴って言うことを聞かせる。

 

それ以外にもちょっと思考力がつけば、目的が野球の技術の向上と直接関係ない理不尽があふれていることに気が付く。

 

試合や練習でよいパフォーマンスが出ないと気合が足りないのでランニング。

 

元気がないと根性が見られないので長くてありがたいお説教

 

打てなくても、走れなくても声さえ出ていれば、なんとなくあいつイイネ。

 

考えて夢中になっていても、集中していなくても、声が出ていなければやる気がないのでランニング

 

。。。 

 

合理性・論理とか目的意識とかが少ない環境だったのは間違いない。

 

大人自体が子供を従わせれば勝てると思い込んでいるような集団だった。

ただ、みんなそのチームの雰囲気や掟に反しないようにしながら、気合と根性ありますアピールをする。

 

選手個人の課題ややるべきこと・必要なことの特定よりも“気合があれば結果はついてくる”論。

それも、大人たちは子供を勝たせるために全力で取り組んで苦悩していると信じ込んでいるところがまた恐ろしい。

 

今までそういう場にはあまり出る経験がなかった小学生のそこのお前には超絶激しいショック体験だった。

 

そういう意味不明の圧力に自分だけが狙われたとかいうわけではなくて、ただ単にそういうチームカラーだった。

他のチームでもう少し緩いところはあったが、とりあえずゴリゴリやるというのがマジョリティだったと言える。

 

やらせられる子供たち

 

そして、そこのお前はただただ怖くて、怒られないように普通にやっていたら何となくうまくなり、何となく定位置を掴んだ。

 

正直、心から野球が楽しかったと感じたことのある瞬間は数えるほどしかない。

野球自体は好きだったが、プロ野球選手になりたいと思ったこともなかったし、野球をやっているときに自分が自由かつ純粋でいられると思ったこともなかった。

 

確か、最初のころは父親にやらされているという気持ちでいっぱいだった。

 

そして、そこのお前が何となくでポジションとれるようなところだから、チーム自体もさして強くなかった。

 

小さい小さい所属地区でまぁまぁぐらいのレベルでいわゆる県大会や全国大会には程遠いチームだった。

野球エリートもいなければ、名指導者と言われるような人もいない。

 

自分よりうまい連中なんて星の数ほどいたし、ほかのチームからの注目を集めるほどではないそこそこの選手だった。

 

だからこそ、冷静に、何この大人たち?ってよく思いながら練習を凌いでいた。

 

大人になってようやくそれがクリアになった。

 

これについては下記の記事参照。 

。。。

 

sokono-omae.hatenablog.com

。。。

 

そして、そんな少年野球時代が本当に苦痛だった。

 

最初は土曜日になるのが憂鬱で仕方なかった。

 

ただただ苦痛だった。

 

そして、淡々とやった。そこそこ活躍もできたから心が折れないですんだ。

 

スポーツの中では比較的得意な方になったからたまたま中学も続けた。

 

野球に未来はないと知ってたけど、運動すること自体に意味があるという考えで一番できるからと選び続けた。

 

いつもとりあえず罰を食らわないように、目を付けられないように組まれた練習とトレーニングをこなした。

 

そして、高校で硬式野球までやった。

 

高校野球では意味不明なこともあったが、さすがにブラックとは思わなかった。

ただ、結果が出ない集団であることは間違いなかったが。

 

そして続けた。ただ淡々と。

 

最後までやる義務感と将来への投資という綱がそこのお前を繋ぎとめた。

 

野球で純粋にアツくなったことって思い出してもほとんどない。

ただ唯一、中学時代にバッテリーを組んでいたピッチャーが甲子園にベンチ入りし、その後も大学社会人と続けた子がいる。

 

少年野球の時は相性がよく打ちまくっていた子だったが、成長と共にとんでもないピッチャーになっていた。

 

彼の活躍を遠くから見る時はいつも純粋な気持ちになれた。

 

一方、そこのお前はあっさりと高校野球の夏が終わり、もともとそんなに燃えてもいない野球に対する気持ちは線香花火が落ちるように静かに燃え尽きた。

 

さすがに野球はもういいだろ。って。

 

甲子園の青春ぽい輝きを見るたびに心を打たれつつも、心の奥底の鈍い感情がもぞもぞと寝返りを打つ。

 

楽しいか楽しくないかでいえば今やってる草野球のほうがよっぽど楽しいし面白い。

 

なんだかんだ厳しかった高校野球まで続けた経験もそこのお前の大きな構成要素ではある。

 

今は少年野球から続いた呪いは消え去り、ただずっと20年続く野球好き(ちなヤク)となった。

野球において勝ち癖が付いてないからヤクルトファンでいられるんだと思う笑

敗けてもまぁいいかって思ってしまう。笑

 


 

 

が、もし少年野球のような環境を普通だと認識していたらと思うとゾッとする。

時代に淘汰されつつある化石のような文化の継承者になっていたかもしれないのだ。

 

少年野球=>中学のクラブチーム=>高校野球=>大学Or社会人野球と連綿と続く軍隊式統制の文化。

そういう意味では大学の野球部は非常に歴史があったが、本当に異世界のように違う。

sokono-omae.hatenablog.com

 

ほとんどの人にとっては生きる上で必要がないシステムのため、一般社会に出た時に逆ショックを受けた覚えがある。

が、ある意味護身術にもなる。

 

そういう恐怖統制をしたがる人が会社にもいたり、実社会でかかわらなければならなくなった場合、ショックを受けずに済む。

そこそこのいなし方ができるようになる。

sokono-omae.hatenablog.com

 

でも役に立つのはそれぐらいだ。

学んだことよりも学ばされたことが多いし、絶対にこうはなりたくないと思うような体験の連続を正当化するにはとても説得力が弱い。

 

そして、そこのお前は子供ながらに強く感じた。

環境選びこそが人生において最も重要であるということを

 

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こういうショック体験を人にさせるのは偶然いい影響をもたらすこともあるが、明確に狙ってやっていない以上、ただのギャンブルと変わらない非常に危険なものであると思い知らされた強烈で印象的な原体験である。

 

今度は続きで大人から見た少年野球を書いてみる。

 

ではでは

【あるある】「はじめてのかいがいきんむ」失敗4選【外資系企業】

今日は海外勤務でやらかした話を。

 

そもそも海外で暮らすのが初めてのそこのお前、いろいろな失敗がありました。

 

そう。すべてが新しい世界で、何もかもが「はじめてのおつかい」状態です。

笑い話も、笑えない話も、マジな話もアホな話もたくさんありました。

 

何回かやれば慣れるようなものでも最初はあたふたするものです。

 

文化の違いからくる決して埋められない差であることもありますし、いろいろ混乱していたからこそ起きた偶発的なこともあります。

 

その中で今日はプチ恥ずかしい体験を集めてみました。

 

プチ恥ずかしい体験

 

大失敗というほどではないけど、恥ずかしくて目をそむけたくなる思い出たちです。

 

1 オフィスの閉館時間を聞き、驚愕される。

 

そこのお前、日本時代は超絶ハードワークでした。

2019年4月以降ではやってはいけない水準での労働時間でした。

 

そんな激務耐性MAXの状態でヨーロッパ赴任が始まりました。

 

せっかくヨーロッパに来たので、身に着けられることは何でも身に着けてしまおうとか思いながら、とりあえずは気合入れて頑張ろうと思っていました。

 

ついて早々、自己紹介も含めヨーロッパの上司と会話を交わした時に何気なく聞いた質問がこれでした。

「このオフィスは何時まで空いてる?」

 

上司は一瞬、凍り付いてから大爆笑しました。

 

なんでも人生でそんなことを聞かれたのが初めてだそうで。。。

17時になったら帰って当たり前だと思っていたようなので、初日からぶちかましたことになります。

 

それ以降、全ての飲み会や会食でこの話をネタにされます。。。

 

そんな上司は今日はオフィスにいないなぁ~と思ったら予告なく家から働いているような自由な上司です。

 

なんなら、

 

ちょっと起きるのダルいから家から働くね~

 

なんてこともありました。

 

もはやカルチャーショックを超えていますが、まぁ上司がそれでいいなら、部下としてはありがたい限りです笑

これも日本に戻ったらできないだろうな。。。笑

 

 

2 美男美女に見とれる

 

そこのお前は健全なアラサー男子です。

やっぱり美人が多いのでつい見とれたりしてました。。。(はい、すません)

 

そこのお前はかわいいとかより断然モデル体型で美形が好みの人間ですので、ヨーロッパはすごかったです。

 

特にポーランドと北欧はびっくりするぐらいの美人がわんさかいました。

 

本当に天使か?って思うぐらいの美人

 

モデルだけがそうなわけじゃなくて、全体的に全員レベルが高いのです。

ウォッカ飲みまくれば美人になるのかな。。。

 

不思議なもので、そんな美人軍団からニコって挨拶されると頭ではわかっていてもドキッとする。。。(中学生レベル)

 

当然時間がたつと慣れては来るのですが、「あいつじろじろ見やがって。。。」とか思われてたらどうしよう。。。

 

 

それだけでなく、男のそこのお前が見ても「かっこいい」って思うようなイケメンもたくさんいました。

 

背も高いし、体も大きいし、遺伝子からして圧倒的な格差を感じました。

そりゃ平均的日本人男子のそこのお前では太刀打ちできないわけだ。

 

そんなイケメンに言い寄られたらイチコロやろなぁ。。。なんて思います。

日本人は女性はモテるんですけどねぇ。。。

 

 

 

3 中途半端に和食に手をだし、喜んで行くも落差に絶望する。

 

そこのお前の勤務するオフィスには食堂がありました。

世界各国から人が集まることから、各国の食事をアレンジしたものが出てくるので、飽きが来ず、非常にありがたかったです。

インドカレー、タイカレー、ステーキ、パスタなどなど本当に豊富なメニューが日替わりで食べることができました。

 

その中で、ある日お好み焼きが出るとのうわさがありました。

 

その日を心の中で楽しみにしながら、喜び勇んで列に並んだわけです。

 

お好み焼きがいかにうまいかなんて周囲にしゃべりながらわくわくMAXでご対面したわけです。

 

出てきたのは謎の小麦粉を焼いた物体。

 

キャベツも使わないし、肉は厚切りだし、なぞのふりかけかかってるし。。。

 

味が同じなのはソースだけでした。

まぁソースが割と味が近いから良しとするか。。。

 

と無理やり妥協。。。

 

海外で安易に和食を手を出すのはやめましょう。

 

いいお値段払えばいいラーメンも寿司も食べられます。

 

ラーメンは20€(2600円)ぐらいしましたが。。。。

 

 

4 誕生日ケーキを振舞う風習で何が普通なのかわからず、抹茶ケーキを出し、大失敗

 

ヨーロッパでは誕生日には自分で自分のケーキを職場に振舞い、祝うスタイルの地域があります。

 

普通にド定番ケーキを持っていけばいいかぐらいに思っていたのですが、日本で最も定番とされる「生クリームにイチゴ」みたいなのがありません。

 

さて、困った、どうしようと迷った挙句、抹茶ケーキで日本ぽさをアピールするという暴挙に出ました。

 

激失敗。

 

流れる気まずい空気。

 

溢れる「残りはお前が食えよ」感。

 

正直、思い出したくありません笑

 

周囲のフォローが痛い。

 

いい異文化経験だった!とかいって。。。

まぁそうだよな。。。

 

あまり一般的でないものをぶっこむにはしたたかな計算とリスクヘッジがいります。。。

 

――――――――

 

 こんな感じです。

正直、ビビりで人見知りなそこのお前は派手な失敗はありません。

 

幸いなことにつつがなくヨーロッパで生活を送っています。

今日は今思い返してみると、変な話だったなぁなんてことを集めました。

 

初めての海外生活には冒険がつきものですが、この程度で済んでよかった!

なんて思いながら締めます

 

正直、大学時代に行ったインドのほうがよっぽどヤバかった!!

 

じゃ~