できる・できないの押し問答の罠の話
人の言う「できる・できない」に超大きな幅がある話
仕事において、できる・できないを判断するのは道路の信号のように3色+方向限定のようなシンプルな構図にはできていない。
もっと複雑な事情や現実があり、怪奇で様々な心理が絡み合っている。
特に問題となるのが頼まれた事務作業をこなすとか、製品の納品をするとかそういった基本的には100%が求められる領域だ。
指定日に納品できなければ取引先は怒るし、頼まれた仕事が期日までに上がらないと怒られる。
要は一発ホームランをかませばいい仕事ではなく、基本的にミスなくエラーをしないことが求められる仕事の話のことだ。
営業活動やマーケティング新企画などの失敗をしてもそれ自体が損になる訳ではないものはこの限りではない。
出来ないならできるまで粘ればいいだけだ。
そういった基本的に失敗が許されない領域において、人に実行可能性を伝える時は以下のようにしている。
例えば、データ分析とアウトプットを出す時
目標納期と目標アウトプット内容が定められたとして、
青信号
どんなに下手こいてもできる。(100%)
いつも通りやればできる。(99%)
黄色信号
頑張ればできる。(80%)
頑張ったらできるかもしれない。(50%)
頑張れば最終目標には届かないまでも少しはよくできる。(30%)
頑張れば最終目標には届かないまでも少しはよくできるかもしれない。(10%)
赤信号
頑張ってもできない。(0%)
まぁ本当にいろいろな程度が存在する。
もちろん仕事は他にもいくらでもある訳だが、類似の例としては取引先との交渉を依頼されたり、顧客からの要求があった時にもこれを使っている。
仕事をするときには便宜上わかりやすくするために、リスクがある理由と共に上記のように成功率や成功度合い伝えたりするものだが、人によって認識が大きく異なる。
問題は頑張ったらできるかもしれない。という黄色信号
出来ない理由も様々だが、この確率の推測は言う側が間違って算定してる場合もあるし、受け取る側が誤認する場合もある。
それの両方が重なるケースだってある。
さらに、同じ言葉を使っていても人によっては%の認識は当然違う。
ただ、多少の違いがあってもある程度リスクレベルと理由の認識がお互いで出来ている範囲においてはまだ問題ない。
が、この不確実な状況や認識を無視して、100%を期待・依存し始めると全体に対して与える不確実性の波が半端じゃない。
工場が対応できるかわからない設計を出して、工場の製造技術エンジニアとケンカになる設計技師
営業の成果欲しさに無理な話をつけてきて、開発現場をデスマーチに追い込むSE営業もいる。
最も質が悪いが、ただわかっていなくてリスクを読めなかった安請け合いもある。
数を挙げればきりがないほどの例が出てくると思う。
もちろん、リスクがあることを正確に認識したうえでその可能性に賭けることが必要な場合もある。
が、これに100%を期待したり、過剰に簡単にできると思い込むことは誰にも得をもたらさない。
だが、問題は詳細の過程や苦労が伝わらずに「実行できた」という結果だけが伝わる場合だ。
想定通りにコントロールしたのか、結果的に運よく何とかなったのかでも違う。
実際、10%~80%の確率でたまたま成功を引いた時でも、一度成功すると、以降100%でできるかのように勘違いする外の連中が出てくる。
そこのお前も若く未熟な頃はそう勘違いしてしまい、手痛い失敗を犯したことがあった。
カジノやギャンブルのビギナーズラックのようなものだ。
一度当たると次も当たるかのような気がしてくるし、一度当たった時の快感が忘れられず、つい心理的障壁が低くなり、危険な道に足を進めてしまう。
仮に低確率なことでもできた時には英雄扱いされたり、大きな賞賛を持って迎えられることもある。
が、待っている結果は「ほらできたじゃん!」という認識と一度できたら次もできると期待する人の増加。
そして、その人たちは必ず当たるわけではないことがわかっていても、当たらなかった時はショックを受ける訳である。
打率3割を超せばいい打者であるとされる打者の世界ですら、チャンスで打てなかったら全員がため息をつく。
そして、低確率であるとわかっていてもいざ外れれば落胆するし、打てなかった本人だってショックを受ける訳だ。
無意味な押し問答と説教
「できるっていったじゃないか!」
「いやいや、頑張ればできるが、リスクは残ると言ったでしょう!?」
なんて押し問答が繰り返される根底にはリスクレベルの認識に齟齬があり、間違った認識のもとに全てが動いている訳だ。
その水際の小手先テクニックとして、相手に頑張ればできるじゃない、できるまで頑張るんだ!なんていう精神論を押し付けてみたり
「できますよね?出来るってことですよね?」と誘導尋問を重ねて、「頑張ればできる」を「できる」と言わせ、責任をすべて相手に押し付ける
なんていうやり方もあったりする。
そんなテクニックを使われては困るから余計に保守的に確率を見積もったり、守りに入ったりする人も出てくる。
本当は90%ぐらいの確率でできるけど、60%ということにしておこう。
とか
どうせ無謀にプレッシャーをかけられるだけだから、最初は低めに見積もっておいて、後で上げました!頑張ったでしょう!って言おうとか。
100%を期待するということはそういう闇を生み出す。
やってもらう側はできれば儲けもんだし、安易に受けてできなかった時に割を食うのは何とかする側だ。
何とかさせる方は往々にしてリスクレベルを剥がして認識し、不確実性がある事実は忘れて、結果的にできなかったことを責めることすらある。
これでは溝は深まるばかりだ。
どういう心理状態なのか。
要は関係する各人は自分のコントロールが及ぶ範囲でのリスクを取りたくない。
大人になれば大人になるほどにどんな時もうまく切り抜ける逃げ道を周到に用意しておく。
全部が一人の処理・判断プロセスで動いていればいいが、大人数が関わり、自分がコントロールできない範囲に不確定なリスクが生まれるようになると、リスクの読み合いとリスクレベルの剥がし合いに多大な時間を使うことになる。
短期的な業績に目がくらみ、長期的な利益を逃してきたケースはいくつも見てきたし、反対にリスクレベルを多く見積もって守りに入っている人の限界をぶち壊し、新しいスタンダードにアップグレードできたケースも同じぐらいある。
いずれにしても、結果が業績や目標に対する到達度合いを左右する場合、人は冷静に判断がしにくくなる。
ある人は過剰に大胆になり、ある人は過剰に慎重になる。
だからこそ投資は人じゃなくて機械にやらせた方が固いということでルールだけ設定して後は自動で動くサービスが成長しているわけだ。
この相手との話し合いや調整は仕事の中でもかなりの割合を占めることがある。
管理職やさらに上の職位になればなるほどその傾向にある。(理想では違うはずだが・・・)
実際、会社における交渉でもそういったことはよく起こるし、会社内の会議でも起きる。
日本なんかでは根回し、事前調整、ご挨拶、意見交換、裏交渉。。。いろいろな名目で様々な狸同士の読み合いが必要とされる。
交渉戦略とか言いながら、実態はうまく相手を言いくるめるためのトークを練っているだけだったりするし、上司からのプレッシャーを回避するための方便を常に用意している人もいる。
それに、頑張ればできるという抽象的な「頑張り」の中には、通常以下レベルの行動を頑張ったと勝手に自認する人もいる。
そもそも、100%可能というのはどの世界にも存在しないし、逆にすべてのリスクを心配しだしたらキリがない。
そういったせめぎあいはどこでも起きてしまうものだ。
そんな状況にイライラすることもあるし、時には上役のガッツフィーリングでいや、できるはずだ!
と突き進むことだってある。
もちろん成功する場合もあるが、外れる場合もある。
こういった判断ミスの数や判断の精度を測ることは非常に難しく、信頼のある定量的なデータは見つからないが、100%ではないことは確かだ。
いつでもそういったエラーは起こりうる。
どのようにしてそういう状況が起きることを防ぐか。
結局、ネガティブな結果を防ぐために正しい判断ができると肌感覚で思われる人に信頼と素直な情報が集まりやすくなる。
実はそういう人ほどうまくいく。
逆に人のいう事が信頼できなかったり、信頼されていないと本当の情報が集まってこない。
だからこそ人に信頼させる能力が必要になるわけだ。
その能力を活かして精度の高い情報を得て、精度の高い分析ができるようになる必要がある。
意思疎通が密にできていて、いつでも共有できる状況であればいいが、階層が離れれば離れるほどそれはやりにくい。
社外の人であればもっとやりずらく、初対面であればもっと難しい。
それでも判断をしなければならいのが経営陣だ。
そういう読み合いの効いた判断の積み重ねで出てくる情報を吟味しなければならない。
本当はもっと細かく把握したくても時間と体力には限りがある。
やはりできる、できないは永遠の課題だが、関係する部分の因数分解となぜを徹底的に把握する意識を持たねばならない。
一々聞かずとも認識が合う確率が高くなるように努力し続けなければならない。
リスクレベルの認識が正しいかどうか把握できていなければならない。
それができているかどうかを常に振り返る姿勢が判断の精度を上げ、ひいては周囲からきちんとした情報を得ることができる地道な正攻法なんだろう。