そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

凡人が行く外資系企業勤務やキャリアの与太話や裏話。緩いのと辛いのまぜまぜ。人見知りやビビりだって人生案外イケるじゃんって思ってもらうための与太話。毎週月曜・水曜・土曜日更新予定

【純ジャパの英語】完璧主義と恐怖感・羞恥心が英語の習得を阻む元凶なんじゃね?って話【習得術】

 

 

そこのお前は純ジャパです。

紛うことなき日本育ちです。

 

特別な学習塾に行っていたわけでもありません。

厳しい教育を受けたかといわれると、大学生で強制的に英語を使う時期があった以外は基本的にはゆるい中で生きてきました。

 

なんならBegin / Began / Begunをビギン・ビギャン・ビギュンとか読む先生に英語を教わっているような人でした。。。

DQNかよ笑

 

なので、英語に対して得意意識があったわけではありません。

帰国子女になんかは到底勝てないし、正直文法とかイミフやし。(今でも怪しい。。。)

テストの点も大して高かった覚えがありません。

 

ちなみに、就活時にTOEICスコアを提出させられたのですが、700ちょいでした。

そこのお前より上のスコア保持者はいくらでもいると思うんです。

まぁそれでも通っちゃうんです。外資系。

 

もちろん言語の翻訳がこれから機械に代替されていく運命にはあると推測できますが、日本語と互換性が高い精度で出るのはしばらく先だと思います。

 

何と言っても言語体系が違いすぎますから。。。

 

それに、いまだ、これらのツールは

  1. しゃべる
  2. 機械を通して翻訳が表示される
  3. 相手が読む

この3ステップが必要です。

 

結構会話のテンポを悪くするので、普段一緒に仕事したり生活するレベルではまだまだ改善を必要とします。

 

「喋れた方がいい!」っていう時代はもう少し続くでしょう。

 

それに英語というメジャーな言語で世界中にホームグラウンドを持つ中でこんなシロモノを使ってもいまいち信頼を得られる気がしないんですよね。。。

 

日本に外国人が来てこういうものを使ったとして、ほほえましいですが、一緒にビジネスをする相手としてスピード感持ってできますかね?

 

結構限定的で、接客業などのきちんと時間を使うことを良しとする分野のみなんじゃないでしょうか。

 

なので、もう少し、あと10~20年程度はしゃべれる人の方がいいってなると思います。

 

さて、日本人にとっては世界進出における大きなハードルであるこの英語なんですが、そこのお前、ある時を境に急に上達が早くなりました。

 

それがタイトルです。 

完璧主義と恐怖心・羞恥心を排除する

 

思えば、日本では英語教育を受ける過程で多くの呪いが存在します。

 

言語の目的を考えれば見当違いな気もする一部の「教育」が生み出す呪いの塊であり、英語のやる気を削ぐ元凶なんじゃないかと思います。

 

随所で英語を使う意欲をへし折り、英語ができるようになるメリットを削ぐ呪いが教育課程にはびこっていると言えます。 

 

完璧主義

 

まず、文法や単語の使い分けに関する完璧性です。

発音教育はあまり気にしない割に、文法や単語の読み取りに関する完璧性は非常に求められます。

それも、日本人らしく非常に細部に拘っています。

 

なぜか弁護士や政治家、ニュース原稿などきちんとした言葉の使用が求められる職業のように張りに細かく指導します。

(※これも時代とともに変化するので、日本で教えているものがそのままリアルとも限らないです。)

 

これは本当にフォーマルな文章を書くときやネイティブとして生きる場合は必要ですが、果たしてそうなる可能性がどこまであるのでしょうか。

つまり、最初から不要に高い烈度で英語を教えているわけです。

 

同時に、受験勉強向けの英語なんかは実用レベルのものとは一味違う英語だったりします。

どうも使うことを目的とした英語でない「間違えないための英語」を教えている気がします。

 

受験に通過したいだけだから別にそれでいいという人は多いでしょう。

割り切っているならば割り切って構いません。

 

海外で仕事をしていて感じますが、基本的には3単元のSなんて誰も気にしません。

 

関係代名詞を使い分けるのが面倒だから全部Thatで通してくるヤツだってたくさんいます。

(※実際、多くの場合、間違いではないと解釈されます。)

 

会話ベースでは時制と主語、目的語さえはっきりしていれば、高確率で読み取ってくれます。

 

高級サービス事業や士業などのお堅い場所ではきちんとした英語が良しとされますが、全員が全員、本当にそのレベルを目指す必要があるのでしょうか?

それに今日のグローバル社会、完璧な英語を話す人ばかりではありませんし、それで社会が回っているのです。

 

日本語で考えてみましょう。

 

高級旅館や弁護士が日本語が変だったり、言っていることがたどたどしくてよくわからない医者だと困りますよね?

が、コンビニやマック・吉野家にいるような日本人以外の店員が多少おぼつかない日本語を話していても、わかりますよね?

それと同じです。大多数の場面では多少崩れていても「相手がわかればよい」のです。

 

そこからのスタートであると意識できている先生と子供は何人いるでしょうか・・・・

(※先生も全然英語しゃべれなかったりしますしね。。。オーラルの外国人と普段の英語の日本人先生がちゃんと英語で会話で来ている場面なんか見たことないです。)

 

恐怖心

伝わらなかったらどうしよう。よくわからないって顔されたらどうしよう。内心へたくそって思われてたらどうしようなんて。。。

英語を使うのにビビりますよね。

 

すごい気持ちわかります。

そこのお前もヨーロッパではめちゃくちゃビビっていました。

 

1の完璧主義と併せて、ダメって思われたらどうしようとか、変な風に思われたらどうしようなんて考えちゃいます。

そこのお前はビビりで臆病で人見知りな性格も併せて余計にしゃべることができなくなっていました。

 

それを考えて続けて英語が使えず、余計に黙ることがよくあります。

 

特に英語と日本語程の違いがある言語だと、頭を働かせないと使えないので、拒否感がだけが強くなります。

 

ですが、結果的にはラッキーなことにそこのお前は恐怖を感じても逃げ場のない強制的な場所に追い込まれたことでこの恐怖心を打ち破ることに成功しました。

 

結論、この恐怖心は最初だけなんです。

 

一回使い方がわかったら以降同じことをやればいいだけなんです。

ゲームの技と同じ、料理と同じです。一回やり方がわかればそれまでで、使えば使うほど恐怖はなくなります。

 

それに、勇気を出して使えば、使ったこと前よりうまくなったことを褒めてくれる人はたくさんいます。

それを糧にまた度胸持って使っていくことができるようになるのです。

 

羞恥心

 

今はどうかはわかりませんが、昔は中学校の英語が始まったばかりの頃には帰国子女がにわかに注目を集めました。

 

最初からできるなんて、ずるい!なんて子供感覚では当然の抗議をされながら純ジャパと混じって授業を受けました。

 

お手本として発音をさせられたりして歓声が上がるのがあるあるでした。

 

ですが、他の子が頑張って英語に似せようとすると笑ったり、中途半端な形になると嘲笑したりと結構不健全でいびつな空気だなぁと思います。

 

逆にあまりに滑らかにできると学校で悪目立ちするからあえて日本語発音を覚えてカスタマイズする帰国子女もいるぐらいに日本では発音と会話の教育比重が低いです。

 

そこのお前もあえて英語っぽい発音に対応せず、日本語ぽい英語で話していましたが、それで結構壁に当たりました。

 

なんだかんだで日本人英語って外国人にはとても聞き取りづらい場合が多いです。

RとLの言い分けだったり、THの発音だったり、母音のアクセントの入れ方だったり、結構怪訝な顔をされます。

 

これも羞恥心と人を笑う態度の積み重ねが健全な上達を奪っている原因だと思います。

発音なんかは大人に比べて子供の方が文字で音を認識しない分、簡単に再現出来ちゃったりするものですが、どんどん手遅れを量産していくわけです。

 

・・・

 

・・・

 

この3点がやっぱり日本の英語教育に影を落とす呪いに思えて仕方ないんですが、もう変わっているんですかね?

そこのお前が英語教育課程を通過して10年は経っていますが、もうそんなレベルの低い呪いは時代遅れなんですかね?

 

あんまり変わっている気はしませんが、英語教育の関心が高まっていることは事実として、教育がそれに追いついているんでしょうか。。。

 

例えば、SNSで海外の生徒とリンクさせてやり取りするなんてプログラムとか組んだら現代っ子は興味惹かれるんですかね??笑

 

こんな思い付きも含めて、いろいろなメソッドの英語学習が乱立していますが、単純です。

 

どれだけの量を積めるのか?

どれだけ脳に注意を払わせる工夫があるか?

この2点が肝です。

 

聞き流して英語ができるようになるのは幻想です。

 

頭で聞いた音をそのまま再現することだけでは上達しません。

 

テキストを無心で移したり、人のいう事をリピートするだけでは定着しません。

それでよかったら、日本の英語教育はここまで苦しむことはなかったと思います。

 

結局は自分の口を動かし、脳を動かす必要があるんです。

 

先行する頭のイメージや思考を英語に変える作業を繰り返す必要があります。

 

慣れるとスピードロスとエネルギーロスなくできるようになりますが、最初は非常に頭を使います。

 

ですが最後は頭の良さは量と慣れの前に屈します。考えてどうなるというよりも愚直にやるしかないのです。

 

そのために不要な完璧主義と羞恥心は捨てて、開き直っていけ!って話です。

 

効率を上げるとしたら、

伝えたい頭のイメージや日本語があるのに伝わらない・・・

何とかして伝えよう!

試して何とか形になった!

繰り返して完ぺきな形になった!

 

この苦しみと克服したときのすっきり感を両方経験することです。

 

これがないと脳は言語を覚えたがりません。

暑いも寒いも楽しいもつまらないも、かゆいもいたいも全部頭のイメージを言葉にして伝えたい!

って思うことがあると単語と文法の定着力が抜群に強くなります。

 

伝わった時の快感が脳をやる気に導いてくれます。

 

テストや受験勉強など英語のコミュニケーションとはまた違うので、それはそれ専用の勉強をすればいいです。

「使う英語」とは切り離して考えたほうが効率的になります。

 

それはそれで問題ですが、とりあえず不完全でも「使う」これができたら最高です!

余計なことを考えず、使っていけば、鬱々と悩むことはないと思います。

 

それに、ここのアプローチができないと、どんどん日本人は世界に対して自分たちを効果的に伝える言葉を持たないまま遅れていく気がするんですよね。

 

言葉がなくても完璧に察してくれるなんてことはまずありえないので、とにかく何かを発信していく技術が必要とされている気がします。

 

もうちょっと細かい体験談はまた書きますね。