【人生】人が人をコストとして認識する悲しい現実とその末路【企業】
社員の価値や実力はお金や給料では測れない
企業運営において、人はコストである。
今日では当然の考えであって、人件費は管理会計における主要費目だ。
が、コストであるものの、必要不可欠であり、人の質が企業の質を変える。
だからこそ、人の価値はお金や給料では測れない。
人件費をめぐる悲しい現実とその末路の話
そもそも人件費の変動は即効性の高い費目ではない。
一度雇えば、そう簡単には解雇できない。
一度上げた給料を下げるは非常に大変な労力とリスクを伴う。
変動費として扱われるべきものだが、ほとんど固定費として取り扱うべきという見方をすることも多い。
特に年功序列・終身雇用を維持しようと思うと非常に弾力性の低い費目になる。
人の生活にとっての食費のようなもの
食費は家計における変動費だが、食べないわけにはいかない。
食べないわけにはいかないからお金を払ったり何らかの形で食べるのだが、食べるものによって人の体はできている。
食べ物をケチると体は弱っていく。
バランスを間違えると体は弱っていく。
不自然なダイエットをすれば筋肉と体力を失う。
不摂生は効果的な食事にならない。
いい食事をとることは幸せを作り出す。
そんな会社にとって必要不可欠な「人」の話
ちょっと考えればわかるはずだが、様々な企業が直面している現実であり、労使間交渉等を経て苦労する現実の一端。
そこのお前が目にした人の価値を見誤った目を覆う現実
あるチームがあった。
そのチームはコストを削ることを考えることが至上命題とされていた。
彼らは上から降りてくる無慈悲で無根拠なコスト削減目標に辟易していた。
極端になりすぎて、異様な状態に陥っていた。
もうこれ以上頑張ってもどうにもならない。
みんながそう感じていた。
様々なコストがあるが、とりわけ人件費が問題になった時期があった。
まぁ外資系企業と言うのはそういうものだ。
本国から見れば日本という一国の末端労働者なんて目に見えないし、気にしたことすらない。
人件費を削れ削れと積極的なプレッシャーをかける。
人は減らせ。無駄な時間を減らせ。などなど
担当者は度重なるプレッシャーに追い込まれていた。
その担当者も様々な手を考えるのだが、打てる手は過去に打ってきているし、人に対するコストがそう簡単に下がる時代ではない。
だが、上司は言う。
「策を考えるのが君の仕事だろう」
と。
「とはいっても。。。」だ。
担当者は既に限界を感じており、何も生み出せずにいた。
苦し紛れに担当者は社内で会議を開いた。
人件費の現状と目標数値との差、今やっていることなどを説明した。
そして、全員でアイデアを出し合おうという形をとった。
担当者の上司も当然出席することになるのだが、基本的には部長課長級のみの出席である。
基本的に人件費を巡る話は一般労働者を交えてはしないものだ。
管理側だけの会議は実態や労働者目線からかけ離れた議論になりやすい。
何をしたら労働者がどう反応するかという点について見えにくい状態のまま会議は進行する。
来年に引退する人の分で給料でいくら下がる。
実力のない社員を降格させよう。
残業を厳しく監視しよう。
今までは社員がやっていた仕事を外注しよう。
機械化・システム化・自動化をやろう。
人件費と聞いて最初に全員が思い浮かべる部分に関しては既に何度も議論されている。
まぁ、よくある議論だ。
だが、段々雲行きが怪しくなる。
今年はどうせ業績目標行かないから来年は社員の無昇給とボーナスカット分でいくら下がる。
来年はこの人がチームから異動するから補充しなければその分コストが下がる。
社員の昇進を少し引き延ばせばコストが上がらないで済む。
今空席になっているポジションも何とか違う人がカバーできているから補充しないでおこう。
新しく入ってくる人の引継ぎ期間を限界まで短くしよう。
派遣・契約社員はほぼ時給なんだからもっと仕事を出して一秒のヒマもなく働かせよう。
役職定年を作って早めに給料が下がるようにしよう。
新しく入ってくる人はなるべく給料の低い若手を獲ろう。
最後の方は悲惨で耳を覆いたくなるような話しか出なかった。
とにかく人をコストとしか見ない血も涙もない会議だった。
社員に対して還元するという意識は皆無であり、ただ如何にしてお金を出さないかということを全員が真剣に考えていた。
この会議模様を前線で頑張っている人が見たらどう感じるだろうか。
「この企業ヤバいな」って思う。
が、誰一人としてこの状態に異を唱える人がいなかった。
会議議題が人件費を削るということに絞られていたこともあり、全員が設定された課題に向かってアイデアを出した。
が、誰もそのアイデアがもたらす結末には関心を払わない無責任なものだったともいえる。
それも当然だ。
彼らも管理職としてクビが掛かっており、何かしら手を打たなければならないことはわかっている。
が、それが同じ会社の他の人たち、あろうことに部下たちを犠牲にして守ろうとしている。
そもそも根拠のない目標設定や無謀なプレッシャーの方が大問題なのだが、学習性の無力感からか目標設定に文句を言っても仕方ないと全員があきらめていた。
そんな一幕だった。
労働者の人件費削減の健全性
特に日本では簡単ではない。
労働者を解雇するには慎重に事を運ぶ必要がある。
これが日本特有かというとそうでもない。諸外国だってそこまで簡単にはいかない国は多い。
が、日本の場合には根強く残る年功序列・終身雇用が特殊性を加える。
システムに置き換えて省人化するのはまだいい方だ。
が、投資対効果が見合わない小規模企業もあるし、結局だぶついた人員を抱えても戦力化しないケースもある。
結局、実力のない部分や切りやすい部分から着手する。
派遣・契約社員・定年が近い社員・実力のない社員
解雇規制をかいくぐって、日本では様々な人件費対策が編み出されている。
派遣切り、急な雇止め、早期退職制度、業務委託による外注・自動化、福利厚生の廃止、給与形態の変更
様々な手管によって人件費を削る方法を考え出す。
ひどい場合には給料自体が下がる。
少ない人数でやらせる割に給料は上げず、ただ酷使する。
すると労働者側は不満を抱きやすい。
だが、問題は簡単な仕事がなくなり、全体的に仕事の難易度が上がった中でも給料は変えないという姿勢だ。
もちろん、いくら仕事が難しくても会社が稼ぐお金が伴って上がらなければ給料に還元されにくい。
当然だ。
それに、削減目標が厳しい場合、人件費を無条件に上げることなんてできない。
もはや人の給料すらコストに見えて、いかに削るかを考えてしまう。
上記の会議は完全に事故っている。
自分たちで自分たちの首を絞める方向に嬉々として進んでいる。
結局、食べる量を制限したり減らしたりすればあるゾーンを境に体のパフォーマンスにも影響が出る。
そして、アイデアのいくつかは実行に移された。
何が起こったか。
確かにコストは下がった。
目標に完全到達しないまでも、ある程度見栄えする数字になった。
が、同時に以下の状況を生み出した。
・進めるはずのプロジェクトは一切進行せず、やりかけで止まり、将来得うる利益が見込めなくなった。
・少ない人数で多くの業務をカバーさせるようにしたことで、一つ一つの精度が下がり、成果を取り切れなくなった。
・競合他社・同職種に仕事と報酬のバランスで逆転を許し、転職が流行した。
・残る社員も昇給や昇進の希望を失い、勤務意欲が上がることはなかった。
結果的に会社は体力を失った。
まるでダイエットをしすぎた人のようにエネルギーがなく、非活動的になった。
結局、しばらくこの切り詰めた状態を経た後、限界が来た。
リバウンドである。
あまりに切り詰めすぎた結果、最も根幹の基礎業務にも支障をきたすようになった。
プロジェクトや新しい取り組みを置き去りにしてきたことや人が少ない状況での潜在的リスクを看過したツケが回ってきた。
一度ケガをすると治りが遅くなり、ケガ状態が慢性化した体がついに限界を迎えた。
トラブル対処に追加のお金を支払い、炎上している場所を鎮めるために人を入れた。
結果的に以前よりも多くのお金を支払う体質に変わってしまった。
スキルの高い人間が積極的に転職したこともあり、組織としての出力は以前ほどの力にならない。
臨時で入れた人もそう簡単には切れず、結果として人数は増えた。
人をコストとしての物差しでしか測らなかった結果、もう片方の大事な部分を見逃した。
給料や支払うコストは人の価値を表すものではない。
会社から返せるものは報酬だが、報酬の多寡で人の価値を測ることはできない。
それに人だって会社を値踏みする。
コスト削減ばかり考えていると、値踏みされる側に回ってしまう。
人が会社から失うのは報酬と仕事だけだ。
代わりの報酬と仕事は人によってはとても簡単に新しく手に入れることができる。
が、会社が失うものはもっと多岐にわたる。
大事なものは大切に抱えておかねばならない。
体のようにどんなに冷遇しても一生付き合うというわけにはいかないのだ。
冷遇した部分はいとも簡単に抜けていく。人体と違って自らの意志で。
交換も適合も容易なのだ。
企業が人件費削減を考える時、報酬分の金額と引き換えに目に見えないものを削っている。
ただ、そんなこともわからなくなるまでプレッシャーをかけられた悲しい現実の末路。
人件費に関するリテラシー、日本全体であげていった方がいいんじゃないかと思う。
企業側も働く側も。