そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

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【人生】環境選びの4要件~高校野球で控えを経験して~【キャリア】

そこのお前は高校野球球児でした。

が、大して強くもない高校の控えでした。

 

日の当たらない3年間 

練習はそこそこ激しいものでしたし、真面目にやる部活でした。

その中でついぞ一度も日の目を見ることがなく、控えでした。

 

心理的には地獄の3年間

 

野球がうまくなり切らないまま高校3年を終えました。

そこのお前はキャッチャーでしたので、大体いつもブルペンを根城にしながら、次のピッチャーの準備から投球練習の合間の付き合いなど細かな下働きをしていました。

 

部活の控えって本当に日があたらないものです。

 

そこのお前も決して才能のあるタイプではありませんでしたが、中学生までは問題なくレギュラーを獲れていました。

とはいっても1年や2年生のころは控え側、下積み側を経験しました。

が、ずっと控えだったという経験はありませんでした。

 

もちろんレギュラーで活躍出来たらなぁと思っていましたし、悔しい想いの募る3年でした。

それに、途中何のためにやっているのかわからなくなる時期を迎えました。

 

結論から言うと、この3年間だけ区切ると滅茶苦茶つまんない3年間

 

ただただ、キツい練習の日々を過ごしました。(※全国最高レベルではないですが、学校一ではあり、十分キツい。)

 

レギュラー組に比べてに自分の為ではない下働きやサポート役に徹することも多いです。

 

自分に十分な機会が回ってこないことのフラストレーションもたまります。

 

得られるかわからない出場機会とその間に開いていく経験の差に絶望しました。

 

自分はウマいと思い込んだこともなく、自分のできなさにも絶望を感じます。

 

下手であればあるほど、やたらと怒鳴られ、怒られます。

 

嫌になって怠けたくなっても周囲はそれを許しません。

 

心の底から野球がしたくてたまらないって思ったことなんて高校の間では数えるほどしかありません。

 

挫折・敗北・絶望・焦燥・劣等・無力・孤独・嫉妬・逃走。。。

 

思いつくあらゆる限りのネガティブな感情を経験しました。

 

もともと野球に対してそんなにアツい想いを持っているタイプの人間ではないのですが、人生のどん底に叩き落されました。

 

今となっては大切な経験という事ができていますが、当時はこのまま何にもないまま人生終わっていくんだろうな。

なんて漠然と自分の人生が面白みがないまま過ぎていくものだと思っていました。

 

誰だって控えになりたくて部活に入ることはありません。

 

(※中にはいますが多数派ではないので、ここでは丸っと纏めます。)

 

もちろんマネージャーという役割もありますが、選手として入ってからマネージャーに転身することは稀ですし、そもそもそこのお前の学校にはマネージャーという役割が存在しませんでした。

 

まぁそんな中でひたすらストイックな環境で抑圧された中にいました。

 

とはいえ、それはそれで意味のある経験に変えることはできます。

 

そんな日陰を経験することの意味について。

 

日陰のいる時だけを切り取るとどうも悲惨に見えてしまうものですが、昔から厳しい状況を経験することは悪いことではないと多くの人が言います。

 

むやみに信用するわけにはいきませんが、個人的には意味があると言える場面をある程度特定することができたわけです。

 

いくつか条件が重なっている場合は強い意味を持たせることができる

 

逆にそういった意味を見出せない場合は今すぐ逃げるか道を変えたほうがいいです。

短期的にはロスですが、長期的には絶対に得をします。

 

もちろんこれが会社やキャリアである場合は収入やワークライフバランスも同じように大切になる訳ですが、いったんそれは同じ条件だったとして、どのような環境を選んでおくべきかという話を深堀します。

 

特にキャリアアップを狙う場合は参考になりうる 

 

実際、会社でも短期的な収入の多寡に固執せず、より長い視点で見たほうが10年単位で考えると得をする場合も十分にあります。

 

 

積極的に確保すべき環境面の要件

 

期間限定である事

自分のいる環境が比較的ハードまたは高いレベルである事

今やっている経験を将来に競争力の源泉となる希少性を持たせられる事

学びや成長の機会が残されている事

 

この4点が非常に重要だと思います。

順番に行きます。

 

期間限定であること

 

そこのお前、「鶏口となるも牛後となるなかれ」が持論です。

永遠に日陰で永遠に主体的な活躍ができる場面が回ってこないことは非常につらいです。

 

そういった環境を選ぶことはお勧めできません。

せっかくのネガティブな経験をする時期が無駄に長くなってしまう恐れがあります。

 

もしも今いる環境の区切りが永遠につかない、かつ、浮上の見込みもない場合は自分で区切ることをお勧めします。

プロ野球選手でも出場機会を求めていせきするケースもあるように前線活躍できるところにいることも非常に重要なわけです。

 

期間限定でなく、ずっと封じられてしまうと関係性や立場の変化がないままずっと同じ状況をループする可能性があります。 

これでは人生を無駄遣いしていますね?

 

自分のいる環境が比較的ハードまたは高いレベルであること

 

自分が高いレベルでの武者修行をしている分には問題ないといえます。

周囲の意識の高さや取り組みレベルの高さ、積み上げてきた歴史など様々な環境的アドバンテージがある場合は非常に貴重な環境になりえます。

 

たとえ自分にとっては活躍の場がないとしても盗めるモノ、学べるものはたくさんありますし、高いレベルでしか経験できない点はたとえ日陰でも享受できるメリットはあるものです。

この後に違う環境に行ったときに役立てやすい場合はなおのこと耐える意味があります。

 

やっていることに競争力の源泉となりうる希少性を持たせられること

 

当時はここまで考えることができませんでしたが、これが意外と重要です。

自らの能力に希少性がなければ個人としての魅力は落ちてしまいます。

 

みんながやっている物で勝負をかけようとするとなかなか差別化されません。

自分自身がこの環境で何かを体験することで将来、どこかほかの場所で役立てられるかどうかということになります。

 

何か1分野だけでなく、いくつかの技術や知識、戦い方の柱になりうるか?ということです。

例えばそこのお前は野球部を最後まで継続しましたが、それで得られたものは体力と集団での秩序保持です。

 

これが非常に様々なところで役に立ったのと同時に周りには同じような人間がいなかったことが非常に役に立ちました。

その後、法律を学び、ある程度の論理的思考能力を高いレベルで学ぶ経験をしました。

 

基礎戦術としては論理的思考能力×体力という戦い方ができる訳です。

これを高いレベルで備える人ってそう案外多くなかったわけです。

 

要は将来に備えてなにがしかの掛け算をすることを考えた時に希少で価値のある人間となれる可能性があるかどうかという点を検討すべきということです。

 

それはもしかしたら表現力かもしれませんし、プログラミングスキルかもしれません。

あるいは対人交渉力かもしれませんし、記憶力かもしれません。

 

様々な能力があり、それを何か他のものと合わせることで希少価値を生む場合は非常に意味があります。

たとえその能力単独で芽が出なかったとしても汎用性が高いもので得にくいものを得られるのであれば続けることによって将来に資する可能性は上がります。 

 

学びや成長の機会が残されている事

 

惰性でやっていてはただ時間を無駄にするだけです。

少なくともそこに学ぶことや成長できる機会が残されていることが重要です。

特に、立派な集団にいてもその中での下っ端でただの雑用しか巡ってこない場合は非常に厳しいです。

 

また、いかに意味のあることができるとしても本人にとって学びや成長につながらない環境や内容であれば仕方がありません。

つまり、同じことを繰り返したり、何かをなぞり続けるというだけでは不十分ということです。

 

何度も同じことを反復することも価値はあります。

が、もしその環境や仕事に永住したり、骨をうずめたりしないのであれば基本的には成長曲線の伸び率が鈍化するタイミングと必要なレベルの成長を遂げたかどうかのバランスを見て見切り時を決断せねばなりません。

 

高校野球経験は結局どうだったか 

 

これを読んだ皆様はいろいろと自分自身に当てはめながら、考えておられる方もいるとは思います。

 

そこのお前にとっての絶望の高校野球3年間を当てはめてみると以下の通りになります。

 

期間限定だったか?

 

=>◎;3年という期間限定。その先はなく、それまでに結果が出なかったら泣いても笑っても終わり。

 

比較的高いレベルだったか?

 

=>〇;体力・対人関係能力・生活力をつける上では学内では最も高いレベルであり、効率を考えても校外ではなく学校内でこの選択ができるという意味では最善の選択だった。

 

希少性を持たせられるものだったか?

 

=>〇;将来、頭脳寄りで生きていくことを予感していた中では体力を両立するという部分において非常に大きな意味があった。

 

学ぶ機会や成長の余地があった

 

=>△、野球という意味では自分に限界を感じていたが、集団行動の下から上の立場までを経験。が、最後の方は成長曲線は鈍化気味だった。

 

こんなところでしょうか。

ちょっと先々の成長可能性に難ありでしたが、総合的にみて良い環境でした。

 

それに期間は決まっていたので先々の話はもう考えなくてよかったわけです。

期中は苦しいことだらけでしたが、続けることに意味があるとは理解していました。

 

現実問題、すぐに環境を変えるというのは難しい

 

仮に環境に魅力が薄まってきたとしてもそう簡単に次の最適な環境が見つかるとも限りません。

 

その間は我慢が必要になりますし、環境を変えるにしても決断に勇気がいります。

なので、そう簡単に行かないわけですが、ただ自分がいる環境というものを客観的にとらえる場合は上記の点を意識してみてはいかがでしょうか。

 

そして、将来にわたってより満たされた状態を確保できるかを見通したて次の環境探しに進めばよいと思います。

 

結果論ぽいですが、そこのお前も高校野球でたっぷりと味わいました。

 

多少苦しい状況でも継続することの強さを

 

逆境においても我慢できる強さを

 

人生の悪い時の過ごし方と粘り方を。

 

あまり定量化できるスキルではありませんが、これが今でも自分を支えてくれています。

 

後悔しない環境選びと逃げ道、将来の可能性が常に豊富に持てるような戦略を立てるのに役に立てばいいなと思っています。 

 

ではでは

【海外赴任】もう一周欧州生活を繰り返すとしたらどうしたか?その2【人生】

さて、続きです。

 

もう一度欧州赴任をループできたとしたら?

前回の、なぜ違いにアジャストできなかったかという点についての続きです。

ここからはどのような行動をとればよかったか?という点を突き詰めていきます。

 

1周目で不足だった点。

 

具体的な話は企業秘密もあるのでここでは書けませんが、特に日本で出来ているのと同等レベルで何かをするのであれば下記の点がこれまでに比べてできていなかったと言えます。

  1. 断られるのを恐れずに積極的に何かを発し続ける
  2. トップダウンの組織構造を理解する
  3. わからない場合は食い下がる

これを考えてみた時に気が付きました。

 

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なんと並べてみると新人研修で教わるような内容ばかり。

 

結局、新人の頃に教わったことが100%できていたとはいいがたい内容だったように思います。

 

これって結構痛いことだと思いませんか?

 

同時に、これが100%できなかったことでいろいろ後悔が残りました。

その後悔はどこから来たかというと、結局はビビる心が全てをダメにしました。

 

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何周するとしても「怖がらない心を持つ」これに尽きる

 

ある程度環境が安定してくると失敗を恐れたものですが、見知らぬ環境で失敗を恐れても失うものもなければ得るものもありません。

 

ビビって中途半端に行くと何も得られないままで、うまくコミュニケーションが取れないもどかしさを抱えることになる。

逆にそのもどかしさが枷になって何もできないということが起こりうる。

 

じゃあ、なぜ怖がったか

 

やっぱり嫌われるのが嫌だったし、最初に拒否されてしまうとそのままずーっと行ってしまうんじゃないかと思ってしまったわけです。

 

年を重ねてある程度経験や知識を積んでできるようになったことは増えました、

ですが、新人の時に強く意識させられたことが完全には徹底できていませんでした。

 

これってそこのお前だけが特別にできていないことじゃないと思うんです。

 

多くの大人も完璧にできているとはいいがたい

 

そのくせ若手の時だけやたらと報連相とか礼儀とかをひたすらに叩き込まれてできないとすぐに怒られていたわけです。

年上の人は何も言われないのは不公平だと思っていたりしたわけですが、むしろ気が付かなくなるわけです。

 

そんな基本が徹底できていなかった自分は新人に対して胸を張れる社員じゃないということです。

逆に言えば新人でもそれができていたら大化けする可能性があるし、自分を信じていいのです。

 

やはり新しい環境で全く新しい人と異なる言語で仕事をするということはいろいろなことを思い出させてくれました。

 

ちゃんと見本になれる人であるべきだと思いました。

 

これからはいつまでも若手のような気持ちを脱してきちんと甘えを排除していかねばなりません。

それにただただ傲慢でいけ好かない年上にならないためにも質実剛健でなければなりません。

 

管理職として、誰かをコーチング・ティーチングする立場としてはこのことを忘れてはいけないと改めて認識しました。

 

なぜビビるかの掘り下げ

 

なぜなぜ分析のさらに奥の第3階層について掘り下げてみます。

 

ビビる理由って簡単です。

上記にも書いた通り、

変な人だと思われたらどうしよう

とか

恥ずかしい想いをしたらどうしよう。

とか

ネガティブな印象を与えたくないという気持ちが強かったわけです。

 

拒否されるのが怖くて積極的にコミュニケーションをとれなかった

とか

誰が何を把握しているのかがわからなくてうまく連携を測れない

 

こう言う部分っていったんわかってしまえばなんてことないですよね?

そういうのが抵抗なくできる人にとっては何が難しいのかわからないかもしれません。

 

そこのお前のような超絶人見知りにとっては非常に難しい

 

それがちゃんとできるようになるまでに時間がかかるのはなぜだろう。

 

実はこれ、効果的な第一印象の植え付け方を知らないからこそ起こるんじゃないかと思っています。

やり方を知らないのと同時に自分自身に自信もないわけですが、その弱い部分が最も極端に出るのが海外という環境だったわけです。

 

海外に限らず、日本でもそこのお前は初対面という現象に強い苦手意識を持っています。

初対面から踏み込んでいくことが得意ではありません。

 

一から人間関係を築いていく状況に置かれたならビビってはいけない。

そうわかっているのですが、改めてまだまだ未熟であることを思い知らされました。

 

ビビりで損したことを痛感した1年だった。

まぁ、この結論にたどり着くまでにいろいろと理屈をこねくり回してみたわけですが、非常に簡単です。

 

ただ、ビビっていたことで損した 

ということです。

 

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そこのお前、やっぱり開拓者には向いていません。

 

人間関係に関してはとてもへたくそなのです。

まぁその弱点による悪影響をもろにかぶったことをいい加減反省し、改善しなければなりません。

 

もちろん慎重にやった結果、いい人だとは思ってもらえます。

すごく優しい人だと思われますし、日本人の海外における評判に恥じない穏やかさと控えめさをよく思ってもらえます。

 

人格として悪い評判は特にありませんでした。

ただ、結果が出たか?という意味では非常に難点のある内容になりました。

 

 

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いい人であり続けることは必ずしも結果をもたらさないわけです。

特に、短期間で信頼と結果を同時に作り上げるということは土台難しいわけです。

 

もちろん悪く思われないというのはいいことではあるのですが、同時にものすごく魅力的にはなりにくいわけです。

 

自分自身もその自覚はある訳です。

もっとアグレッシブで魅力的な人間であれたらと思うわけです。

 

更に、最後に振り返って真っ先に頭に浮かんでくるのは、消極的な失敗だったりします。

 

もっとこうすればよかったとかなんでこれができなかったんだろうとか。

積極的に失敗したというよりも本当はできたのにビビってできなかったとか、遠慮して機会を逸したというようなことでした。

 

次の機会はあれど、今回でもできたはずなのにできなかったというのは自分自身の心に深く突き刺さります。

 

そして、自分の脳は本当に便利なものです。

 

こんな嫌な瞬間も、時間と共に自責の心を紛らわす防衛機制が上手く理屈をつけてくれます。

あるいは無意識の領域に追いやったりして考えないようにコントロールしてくれちゃうのです。

 

失敗を考えなくて済む環境にいれば勝手に新しい情報に押し流されて忘却の彼方に消えます。

それに、今まで人生が大失敗したと思っているわけでもないのでそのまま何となく現状維持をさせるように脳がコントロールしてくるわけです。

 

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何となくでまた忘れて緩やかに同じことを繰り返すわけにはいかない

 

繰り返して同じ失敗をしないためにも改めて自分に対して強く意識させねばなりません。

 

もう子供ではないことを。昔のように弱弱しい自分ではないことを。

 

もう一度欧州生活を繰り返すとしたら、今よりもっと何か周りに刺激を与えて場を動かすことに努めます。

 

 

安全圏になるまで動かないというやり口をやめます。

 

 

様子見しかしない戦い方をやめます。

 

外資系企業というフィールドで戦うことを選んだのであれば求められる行動を再現できるように成長の足を止めないようにします。

 

たぶんそれは欧州じゃなくても日本に帰ってからも時として必要とされる考え方だから。

 

そして、来るべきチャンスを再び虎視眈々と伺い、モノにするためには日本に戻って忘れるわけにはいきません。

 

人見知りでビビりな人間がそれを克服できる日が来るようにまだまだ長い人生歩みを止めぬようこの欧州生活を深くとどめます。

【海外赴任】もう一周、欧州生活を最初から繰り返すとしたら?その1【キャリア】

欧州生活は非常に悔しい想いの残るものでした。

 

自分自身への期待や想像を超える1年にはできませんでした。

ある程度やれるという手ごたえはあったものの、克服しきれなかった大きな課題を認た年でした。

 

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やはり日本で出来たようにはできない

 

とはいってもからきしダメということはなく、ある程度の成果と信頼を得ることはできました。

 

ですが、パフォーマンスも下がるし、結果としても満足いくようなものが達成できなかったと思っています。

赴任前直近3年程度から比べるとはるかに悔いの残る消化不良の時期でした。 

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それもそのはず。

そもそも、メジャーリーガーやサッカー選手等に代表されるアスリートでもそうですが、日本時代に比べて比較的成績は下がる傾向にあります。

特に海外が本場のスポーツであればなおのことですよね?

 

あのイチローですら日本と比べて成績は下がったし、大谷もホームランはそん色ない数字なものの打率自体は下がっています。

逆にメジャーリーグからきても思ったような活躍ができずに帰っていく外国人だっているわけです。

グリエルとかユーキリスとか

 

例にもれず、欧州で成績が下がることは避けられなかった。

 

まぁポジティブに考えるならば、日本で積み上げたことは間違いではなく、それなりの成果を挙げていたとも言えます。

が、それは純粋な個人の力量ではなく、周りも含めた環境との組み合わせのおかげということです。

 

将来にわたっていい意味にするとすれば、自らの周りの環境に感謝するという心を強く感じたことでしょうか。

 

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これだけは日本を離れてみないとわからなかった気がします。

 

これからあまりそういった真新しい経験をリスクなしでできる機会は少なくなると思うので、そういう意味では非常にありがたかったです。

 

欧州で文句なしと言えるパフォーマンスではなかった原因

 

理由は主に4点で説明できます。

なぜなぜ分析の第一階層でいうと以下の通りです。

  1. 言語の違い
  2. 人脈や人間関係の違い
  3. 企業規模・組織文化の違い
  4. 孤独な私生活環境

基本的には環境の変化が直接大きな影響要因になっています。

敗因はその変化に対応しきれなかったことだと思います。

 

では、なぜこの4点の環境的要因に強く影響を受け、対応しきれなかったのか?

 

ここからが、なぜなぜ分析の第2階層です。

 

本当だったらもっと効率よく出来たかもしれないと自分でも思うシーンもありました。

本当は高い評価が欲しいところでしたが、胸を張って高い評価をくれと主張できる立場ではありませんでした。

 

さて、そんな欧州生活での悔いの残り方ですが、今日はたらればの話をしてみます。

 

普段は仮定の話などしても仕方がないと大見得切ってどや顔をしていますが、今日だけはしっかりと自分自身と向き合ってみたいと思います。

 

もう一度欧州生活をループできるとしたら何をするか?

 

上記のなぜ1に基づいてどうしたら環境の変化に負けない個人の実力を持てるかを考えてみました。

もちろん、環境選びが非常に重要なのは言うまでもありません。

自分が活躍できる環境で活躍すればいいといつも言っているわけですが、それだけではありません。

 

競争優位性だけでなくキャリアとしての生存力を高めるにはより多くの環境で活躍できる方が強いわけです。

 

欧州生活のテーマはいかに慣れない環境の中でも生きることができるか?だった。

 

結局、最高のパフォーマンスを出すにあたっては、環境に最適化することが求められます。

日本に最適化した人がいきなり海外に出た時にそう簡単に同じパフォーマンスを出せるわけではないといえます。

特に単身で乗り込んだ場合はなおのこと簡単ではありません。

 

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ある企業に最適化しすぎると、そのほかの企業で活躍できなくなるなんてていうのは国内の転職でも起こりうる話です。

だからこそ年齢が行き過ぎた人の転職活動は敬遠され、難航される傾向にあります。

 

どんなスーパースターでもこの3点から非常に大きな影響を与えられてしまうことは避けられません。

そこのお前だけでなく、そこのお前の会社から海外に行った多くの日本人も日本と同じ評価を得るということは非常にハードルが高いです。

 

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悔しい想いはありますが、幸いなことに長い人生、次のチャンスはまだまだあります。

が、無策で挑むのはさすがにもったいないわけです。

 

次の海外赴任リベンジのチャンスに備えた考察 

 

PDCAなんてかっこよく言う人もいますが、簡単に言うと次もっとうまくやるならどうするか?という話です。

 

言語の違い

 

キャリアのスタートとして5年以上を過ごした日本と全く初めての欧州ではさすがに積み上げたものが違い、スタートラインが異なりすぎました

なんなら、日本語でのコミュニケーションと英語でのコミュニケーションの差なんて20年以上の積み上げの差があります。

 

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それに英語力ももともと高いレベルにあったとは言えません。

 

日本の中では高いエリアに位置していたのは間違いないですが、欧州できちんと張り合っていけるレベルではありませんでした。

特にテンポの速い議論についていくのに本当に苦労しました。

 

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日本でやっていたように同じようにできると思ったら甘いですね。

 

ただ、もっと改善できたんじゃないかとか、もっとうまくやれたんじゃないかと思うわけです。

 

人脈・人間関係の違い

 

日本で保持していたレベルと同じぐらいの人脈や人間関係があったとしたら?

という問いに関しては、もっとよくできたハズだと信じたいです。

 

特に誰が何を知っていて、どういう癖がある人なのか?

 

という点を把握することにすごく時間がかかりました。

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特に必要な人間にたどり着くのに多大な時間を要しました。

追い打ちをかけるように、限られた時間内にリーチしないと捕まりません。

日本のように遅くまで連絡が通じるなんてことはありません。

 

これにより、最初は様子見でおとなしくするスタイルのそこのお前にとっては不必要に時間を要しました。

 

本当だったらもっとアグレッシブに行かなければならなかった

 

そうでなくては短期間の間に爪痕を残すことは不可能でした。

日本のように5年かけてたどり着くなどではなく、もっと短いスパンでアピールし、インパクトを残す必要があるわけです。

 

それに気が付いた時に、自分自身の実力が日本において築いた人脈や長い時間をかけて積み上げた人間関係に依存していることを痛感しました。

そりゃ当たり前の話なんですが、ちゃんとは認識できていなかったようです。

 

企業規模・組織文化の違いの話

 

そこのお前の勤務する外資系企業は世界的には大手ですが、日本支社はせいぜい中小企業規模です。

そのため、自分で考えた事がそのまま自分で動いて自分で成果を刈り取るスタイルでした。

 

逆に欧州本社は押しも押されもしない大企業

 

同時に欧州全土を見るという非常に幅の広い業務範囲でした。

 

そうすると当然一人でやるのは無理なわけで、自分の役割は非常に細分化されますし、様々な人と協力しなければなりません。

 

すると当然働き方も変わる訳です。

 

個人個人がバラバラに動こうとするとどこかで不一致が発生するので基本的にはトップダウンで決めます。

上がやると言ったらやる。

それ以外のことは優先順位を落とすわけです。

 

日本だとそれでも何とかねじ込めたりするわけですが、海外ではそういうわけにはいきません。

優先順位の落ちたものは誰もやりませんし、やらなくても誰も責めません。

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すると非常に長期間を必要とする仕事が増える訳なのですが、単年でやってきて一からはまり込む点が上手くいきませんでした。

大企業は大企業らしく組織の中で泳いで大きくなるのに時間がかかります。。。

 

企業文化の違いだけでなく、個人行動の違いもありました

 

何か会議をしたとして、どういう立ち回りをすればどう人が動くかという点も理解するのに時間がかかりました。

 

とりわけ日本と比べると大きく違います。

日本よりも誰が何をいつまでにやると明確に指定しないと、するするっと逃げられてしまったり、なかったことにされたりという落とし穴がありました。

 

本当に明確に他人の守備範囲にボールを落とさないと誰も拾いません。

 

境目にボールが転がっていても誰も拾いやしません。

まぁそうかなとも思うのですが、働き方としては効率的です。

 

本当はもっと頑張れるけどあえて頑張らない。

 

 

全体的に漂うこの感じが最も印象的でした。

なぜなら一人で頑張ったところで動く部分はたかが知れているから。

とか

無理してやればやるほど搾り取られるだけだから

 

といったところでしょうか。

 

さすがはビジネスに余裕がある大企業です。

 

結局はマンパワーというよりはシステムによって動いています。

 

もちろん一人で頑張って効果が出るものはやればいいのですが、一人だけが先走っても動かないわけで、結局は遅い部分に足並みを合わせることになります。

すると、優先されない一人では動かない仕事はやらない。となる訳です。

 
これは非常に不平等な部分を抱えたシステムだと思う。

もし運よく自分のやっている事が優先的な仕事になれば一気に物事が動き出しますが、逆に優先されないとなると一切のチャンスが生まれなくなるわけです。

 

小さい企業であればまだひっくり返すチャンスはありますが、大きくなればなるほどそれが難しくなります。

そういった大企業としてトータルでは効率的な働き方を理解するのに時間がかかりました。

 

孤独な私生活環境

 

 

単身赴任だったわけですが、結構ツラいです。

親友や家族はすべて日本に置いてきています。

時差もあるのであまり時間も取れません。

 

日々の何でもないことを共有し、共感できる人が恐ろしく少なくなった

 

まぁちょっとこれには参りました。

外国人の友人もできないことはありませんが、それでも本質的に共感できるかというとなかなかそうはいきません。

 

英語で深い話をできるほどの表現力はありませんし、彼らも彼らの生活があり、あんまり甘えるわけにもいきません。

 

これは日本人に限らず、同じ欧州の他の国からきている人でも感じる

 

やっぱり親友や友達の存在は大きいわけです。

そこが満たされないと寂しい気持ちは募るのは世界共通のようです。

 

それを感じないで済むような場合もありますが、それなりの運と努力を必要とします。

まぁ気が合う人が出てくる場合もあれば、からきしダメな場合もあります。

 

こういうのは留学などの学生の方が関係を作りやすいんじゃないかと思います。

会社勤めだと結構な確率で同僚たちがみんな夫が妻が子供がと家族の方に行ってしまうので単身赴任者には寂しい日々が待っています。

 

こんな気が付きがあったわけです。

 

 

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学んだことを活かしてもう一度仕事するならどのように戦っただろうか

これは次の記事で書きます。

 

一度ここで切ります。

 

 

できる・できないの押し問答の罠の話

人の言う「できる・できない」に超大きな幅がある話

 

仕事において、できる・できないを判断するのは道路の信号のように3色+方向限定のようなシンプルな構図にはできていない。

 

もっと複雑な事情や現実があり、怪奇で様々な心理が絡み合っている。

特に問題となるのが頼まれた事務作業をこなすとか、製品の納品をするとかそういった基本的には100%が求められる領域だ。

 

指定日に納品できなければ取引先は怒るし、頼まれた仕事が期日までに上がらないと怒られる。

要は一発ホームランをかませばいい仕事ではなく、基本的にミスなくエラーをしないことが求められる仕事の話のことだ。

 

営業活動やマーケティング新企画などの失敗をしてもそれ自体が損になる訳ではないものはこの限りではない。

出来ないならできるまで粘ればいいだけだ。

 

そういった基本的に失敗が許されない領域において、人に実行可能性を伝える時は以下のようにしている。

 

例えば、データ分析とアウトプットを出す時

 

目標納期と目標アウトプット内容が定められたとして、

青信号

 

どんなに下手こいてもできる。(100%)

いつも通りやればできる。(99%)

 

黄色信号

 

頑張ればできる。(80%)

頑張ったらできるかもしれない。(50%)

頑張れば最終目標には届かないまでも少しはよくできる。(30%)

頑張れば最終目標には届かないまでも少しはよくできるかもしれない。(10%)

 

赤信号

 

頑張ってもできない。(0%)

 

まぁ本当にいろいろな程度が存在する。

もちろん仕事は他にもいくらでもある訳だが、類似の例としては取引先との交渉を依頼されたり、顧客からの要求があった時にもこれを使っている。

 

仕事をするときには便宜上わかりやすくするために、リスクがある理由と共に上記のように成功率や成功度合い伝えたりするものだが、人によって認識が大きく異なる。

 

問題は頑張ったらできるかもしれない。という黄色信号

出来ない理由も様々だが、この確率の推測は言う側が間違って算定してる場合もあるし、受け取る側が誤認する場合もある。

それの両方が重なるケースだってある。

 

さらに、同じ言葉を使っていても人によっては%の認識は当然違う。

ただ、多少の違いがあってもある程度リスクレベルと理由の認識がお互いで出来ている範囲においてはまだ問題ない。

 

が、この不確実な状況や認識を無視して、100%を期待・依存し始めると全体に対して与える不確実性の波が半端じゃない。

 

工場が対応できるかわからない設計を出して、工場の製造技術エンジニアとケンカになる設計技師

営業の成果欲しさに無理な話をつけてきて、開発現場をデスマーチに追い込むSE営業もいる。

最も質が悪いが、ただわかっていなくてリスクを読めなかった安請け合いもある。

 

数を挙げればきりがないほどの例が出てくると思う。

 

もちろん、リスクがあることを正確に認識したうえでその可能性に賭けることが必要な場合もある。

が、これに100%を期待したり、過剰に簡単にできると思い込むことは誰にも得をもたらさない。

 

だが、問題は詳細の過程や苦労が伝わらずに「実行できた」という結果だけが伝わる場合だ。

 

想定通りにコントロールしたのか、結果的に運よく何とかなったのかでも違う。

 

実際、10%~80%の確率でたまたま成功を引いた時でも、一度成功すると、以降100%でできるかのように勘違いする外の連中が出てくる。

そこのお前も若く未熟な頃はそう勘違いしてしまい、手痛い失敗を犯したことがあった。

 

カジノやギャンブルのビギナーズラックのようなものだ。

一度当たると次も当たるかのような気がしてくるし、一度当たった時の快感が忘れられず、つい心理的障壁が低くなり、危険な道に足を進めてしまう。

 

仮に低確率なことでもできた時には英雄扱いされたり、大きな賞賛を持って迎えられることもある。

が、待っている結果は「ほらできたじゃん!」という認識と一度できたら次もできると期待する人の増加。

 

そして、その人たちは必ず当たるわけではないことがわかっていても、当たらなかった時はショックを受ける訳である。

 

打率3割を超せばいい打者であるとされる打者の世界ですら、チャンスで打てなかったら全員がため息をつく。

そして、低確率であるとわかっていてもいざ外れれば落胆するし、打てなかった本人だってショックを受ける訳だ。

 

無意味な押し問答と説教

 

「できるっていったじゃないか!」

 

「いやいや、頑張ればできるが、リスクは残ると言ったでしょう!?」

 

なんて押し問答が繰り返される根底にはリスクレベルの認識に齟齬があり、間違った認識のもとに全てが動いている訳だ。

 

その水際の小手先テクニックとして、相手に頑張ればできるじゃない、できるまで頑張るんだ!なんていう精神論を押し付けてみたり

「できますよね?出来るってことですよね?」と誘導尋問を重ねて、「頑張ればできる」を「できる」と言わせ、責任をすべて相手に押し付ける

なんていうやり方もあったりする。

 

そんなテクニックを使われては困るから余計に保守的に確率を見積もったり、守りに入ったりする人も出てくる。

本当は90%ぐらいの確率でできるけど、60%ということにしておこう。

とか

どうせ無謀にプレッシャーをかけられるだけだから、最初は低めに見積もっておいて、後で上げました!頑張ったでしょう!って言おうとか。

 

100%を期待するということはそういう闇を生み出す。

 

やってもらう側はできれば儲けもんだし、安易に受けてできなかった時に割を食うのは何とかする側だ。

何とかさせる方は往々にしてリスクレベルを剥がして認識し、不確実性がある事実は忘れて、結果的にできなかったことを責めることすらある。

 

これでは溝は深まるばかりだ。

 

どういう心理状態なのか。

 

要は関係する各人は自分のコントロールが及ぶ範囲でのリスクを取りたくない。

大人になれば大人になるほどにどんな時もうまく切り抜ける逃げ道を周到に用意しておく。

 

全部が一人の処理・判断プロセスで動いていればいいが、大人数が関わり、自分がコントロールできない範囲に不確定なリスクが生まれるようになると、リスクの読み合いとリスクレベルの剥がし合いに多大な時間を使うことになる。

 

短期的な業績に目がくらみ、長期的な利益を逃してきたケースはいくつも見てきたし、反対にリスクレベルを多く見積もって守りに入っている人の限界をぶち壊し、新しいスタンダードにアップグレードできたケースも同じぐらいある。

 

いずれにしても、結果が業績や目標に対する到達度合いを左右する場合、人は冷静に判断がしにくくなる。

 

ある人は過剰に大胆になり、ある人は過剰に慎重になる。

 

だからこそ投資は人じゃなくて機械にやらせた方が固いということでルールだけ設定して後は自動で動くサービスが成長しているわけだ。

 

この相手との話し合いや調整は仕事の中でもかなりの割合を占めることがある。

管理職やさらに上の職位になればなるほどその傾向にある。(理想では違うはずだが・・・)

 

実際、会社における交渉でもそういったことはよく起こるし、会社内の会議でも起きる。

日本なんかでは根回し、事前調整、ご挨拶、意見交換、裏交渉。。。いろいろな名目で様々な狸同士の読み合いが必要とされる。

 

交渉戦略とか言いながら、実態はうまく相手を言いくるめるためのトークを練っているだけだったりするし、上司からのプレッシャーを回避するための方便を常に用意している人もいる。

 

それに、頑張ればできるという抽象的な「頑張り」の中には、通常以下レベルの行動を頑張ったと勝手に自認する人もいる。

 

そもそも、100%可能というのはどの世界にも存在しないし、逆にすべてのリスクを心配しだしたらキリがない。

 

そういったせめぎあいはどこでも起きてしまうものだ。

 

そんな状況にイライラすることもあるし、時には上役のガッツフィーリングでいや、できるはずだ!

と突き進むことだってある。

 

もちろん成功する場合もあるが、外れる場合もある。

こういった判断ミスの数や判断の精度を測ることは非常に難しく、信頼のある定量的なデータは見つからないが、100%ではないことは確かだ。

いつでもそういったエラーは起こりうる。

 

どのようにしてそういう状況が起きることを防ぐか。

 

結局、ネガティブな結果を防ぐために正しい判断ができると肌感覚で思われる人に信頼と素直な情報が集まりやすくなる。

実はそういう人ほどうまくいく。

 

逆に人のいう事が信頼できなかったり、信頼されていないと本当の情報が集まってこない。

だからこそ人に信頼させる能力が必要になるわけだ。

その能力を活かして精度の高い情報を得て、精度の高い分析ができるようになる必要がある。

 

意思疎通が密にできていて、いつでも共有できる状況であればいいが、階層が離れれば離れるほどそれはやりにくい。

社外の人であればもっとやりずらく、初対面であればもっと難しい。

 

それでも判断をしなければならいのが経営陣だ。

そういう読み合いの効いた判断の積み重ねで出てくる情報を吟味しなければならない。

本当はもっと細かく把握したくても時間と体力には限りがある。

 

やはりできる、できないは永遠の課題だが、関係する部分の因数分解となぜを徹底的に把握する意識を持たねばならない。

 

一々聞かずとも認識が合う確率が高くなるように努力し続けなければならない。

リスクレベルの認識が正しいかどうか把握できていなければならない。

 

それができているかどうかを常に振り返る姿勢が判断の精度を上げ、ひいては周囲からきちんとした情報を得ることができる地道な正攻法なんだろう。