【外資系企業】外国人で中間管理職を務めるのは非常に難しい話【海外】
外資系あるあるなのですが、頻繁に海外支社や海外本社から外国人が派遣されてきます。
ですが、海外の人がローカルの中間管理職(例えば課長級)をやるのは非常に難しいです。
どんな外国人がやってくるのか
彼らが日本に縁やゆかりがあることは非常にめずらしく、基本的にはどこか日本以外で非常に大きな結果をたたき出している海外のスター株が彼らのキャリアの一部としてやってきます。
彼らは基本的に非常に優秀です。
外国人でもハードワーカーであり、非常に強いエリート意識を持っています。
そのポジションが部長以上なら純粋な頭の良さや同じくグローバルから来た管理職・役員達やグローバル本国の上司などより馴染みやすい環境で仕事できる部分が多く、まだ戦いやすいと思います。
課長クラスや部長クラスを部下にするのはまだ難易度が低い方な訳です。
なぜかというと、課長・部長であればローカル所属の管理職であっても、会社の中である程度選抜された優秀層です。
また、気に入らなければ自分の好きな部下を海外から引っ張ってきてポジションを挿げ替えることもできます。
問題は外国人中間管理職
ですが、課長以下となってくると海外で活躍するのは非常に難しいと言えます。
なぜなら部下管理により濃いローカル性を求められるからなんです。
日本だったら日本語が喋れないだけで大きなハンデになりうるし、現地の商慣習にも詳しくないといけません。
その場合、微妙な人間関係の機微や文化的適応から始めなければならないわけです。
部長連中や経営陣だったら現場に任せてかわすことができるような問題にも対処しなければなりません。
部下への指示一つとってもゴリっと押し込んでいいのか、いろいろと配慮して仕事を振らなければならないのか。
非常に細部における理解が要求されます。
日本なんかでは関連するステークホルダーのコントロールがロジックや数字のみではない繊細な感情的機微の理解がより重視されます。
それに既に出来上がっているビジネス網の一部になるべく、社内でも社外でもゼロの状態から始めなければなりません。
実は、これは中途採用の管理職にも当てはまります。
殊に中間管理職という職業は会社内部のことやチームの歴史的な流れをよく知っていた方が役に立つ場合が多いです。
それができないと後れを取ったり、不十分な状況に気が付かない場合が生まれる可能性が高くなります。
大なり小なり社内の政局は存在するもので、そこに対して配慮できる人の方がやりやすい。
特に持つ権限が限定されている場合はその政局に影響されやすいと言えます。
そこのお前がいたヨーロッパ本社にはより豊富な事例があるのでちょっと一例を出します。
そもそもチームメンバーが全員違う国籍。
他には社外からやってきたばかりの新中間管理職。
などという超絶エグい環境に放り込まれて機能不全を起こした管理職もいました。
ヨーロッパ本社はローカル昨日はないわけですが、それでもあまりの違いで管理職としての役割が果たせない場合がありました。
中にはそこでもうまくやれる人もいます。
が、多くの場合でサイコパス気味なぐらい攻撃的で自信家、表現上手な人が多いです。
チームが機能しているのかは不明ですが、少なくとも上司としての威厳とプライドは保てている状況を作ります。
が、グローバルでもローカル機能に外国人中間管理職を置くというケースは非常に稀です。
さすがにそこまではやらないし、あまりメリットが見いだせない。
外国人に管理職が務まるケース
社内にこれ以上偉い人が少ない階層にいる場合
部長・役員クラスになってくると社外から招へいしたり、外国人を入れても機能する場合があります。
これはひとえにポジションパワーと最も近いステークホルダーが上記の点を解消しうるからだといえます。
ただし、問題点は以下
外国人管理職や中途管理職が自分の利益のためにすべてを犠牲にする場合、それを止めるすべがないということだ。
彼らの在任期間だけのことを考えて最適化した戦い方を編み出してきます。
彼らの任期の期間だけ走り切れるように設計し、離脱した後にどうなったかは知らないと言わんばかりに短距離走を要求する海外管理職もいます。
特に成果主義を導入する場合には避けられない問題かもしれません。
アスリートでも単年や一定期間のハードワークがキャリア全体に悪影響を及ぼすことがあるように、部下をギンギンに走らせて酷使し、精魂尽き果てるまで走らせたときに後々のキャリアで消耗してしまう可能性があり得ます。
上記のように、ある時は社員を限界まで酷使します。
すると、サラリーマンの蓄積疲労はまだそこまで本格的に議論されていませんが、非常に恐ろしいです。
一度酷使ゾーンに入ると、一回できたなら次もできるだろう!という思考が安易に働くようになり、止まらなくなることがあります。
そして、一度壊れた場合は回復にものすごい時間がかかるか戻らない場合すらあるのです。
ですが、そこでさらに外国人が中間管理職だった場合、そのサインを読み取ることが難しい。
気が付かない間に既に手遅れというケースもあります。
また、ある時は取引先を圧倒的に酷使します。
たった数年ですべてのこれまで培ってきたビジネス基盤や良好な関係・持ちつ持たれつの深い関係を一方的に濫用し、破たん寸前まで追い込んでギリギリで逃げていく。
こういうことをしょっちゅうやるのが外資系企業というイメージもあり、うさん臭く思われる場合もあるんです。
残った結果は焼け野原のような大炎上だったりします。
ただ、それは彼らも苦し紛れの行動であることが多いんです。
本国からのプレッシャーと思い通りにいかない現実。
だって、縁もゆかりもないのだから、最後、自分の首と日本の未来を天秤にかけたら自分の首を取るに決まってます。
そもそも、ずっといるわけじゃないってハナから思っているから、10年先など特に興味がないんです。
最後は日本はおれがいなくてもなんとかなるよ!なんて言いながら颯爽といいポジションを得たら去っていきます。
あるいは、難しい手綱取りにさじを投げ、足早に撤退を決め込む外国人管理職も生まれます。
役員クラスの人がそういった短距離走を決め込むと全員疲弊します。
が、在任期間だけはいい成績を残せるから、結果的には外国人役員が成績を引き上げたように見えます。
これが非常に難しい部分で、これに味を占めた本国は次々と外国人を送り込んでくるわけです。
そこのお前の外資系企業経験の中で、日本語が喋れない外国人で中間管理職として抜群の評価を得た人は一人もいません。
理由は上記で述べた通りですが、依然大きな壁が立ちはだかっています。
ローカル機能の強化の観点からも、彼らを登用しなければならない必要性は薄いと言えます。
せいぜいグローバルとの連関が強いことが価値をもたらすケースのみです。
中間管理職の場合はあくまで現状維持か悪い評価の獲得が関の山なのです。
逆に部長以上であればもう少し高い評価を得やすい状況
割といい評価を得る部長クラスもいれば、海外から日本へのテコ入れ人員として強烈に日本を支配した社長だっていました。
だが、その裏には中間管理職以下ビジネスの現場・前線の希望がしっかりしている場合に限ります。
だからこそ、中間管理職に外国人を入れるのはどこの国でもそう簡単なことではないといえます。
いくら外資系企業であっても日本ローカルでの前線に近いところに外国人を置くことは成功率の高い策とはいえません。
たまに謎の采配で外国人中間管理職が誕生することもあるが、非常に大変そうです。
部下も上司も苦労していました。
双方にとっていい経験ではあるのですが、結果にむずびつかないとどちらもトクをしないのが外資系企業なのです。
そうして、どうしてもどこか物足りない部分を感じやすいのは世界共通の現象のなのです。
実は外資系企業はこのようにグローバル本国への中央集権化とローカルへの分散化を歴史的に繰り返しているのです。
企業によって今どちらのフェーズにあるかという事は変わるので、外資系への就職転職を考えている方は自分の好みに合ったスタイルの方の企業を選ぶことをお勧めします。
ではでは
「就活の軸」がハリボテだとキャリアもハリボテになるかもしれない話
社会人として思う、考えておけばよかった「就活の軸」
就活は試験勉強のように美しい物ではありません。
勉強すれば点数が上がる、点数が上がれば合格する。
といったような種類の試験ではありません。
人が人を選ぶ世界、100社100様の基準
ともすれば学生側からは全く理解できない選考基準な場合もあります。
ホームランバッターが欲しい会社もあれば、足の速い人が欲しい会社もいます。
守備の上手い選手や球の速い選手が欲しい場合もあります。
本当に企業の好みとその時の状況次第だったりします。
採用側も常に100%正しい判断ができるわけではありません。
そんな残酷で理不尽な世界の中でよい縁を手繰り寄せなければならないのです。
そんな就活における個人の心の在り方を長らく考えていましたが、早いものでそこのお前も学生を選ぶ側に回る立場になりました。
徐々に就活関連のイベントに呼ばれることも少なくなり、当時の記憶も薄れてきた中で、遅まきながらも長らく鬱々と考えてきたことについても一定の答えが出てきたのでここで書いておきます。
自分の120%を引き出し続けてくれる企業を選べ
といったところでしょうか。
サラリーマンをやるならば会社内だけでなく、世間に通用する人間にしてくれるかどうかのイメージが湧く会社が理想形だと思います。
就活の“軸”
当時はこの言葉を聞くたびに軽い寒気と借り物の概念の薄っぺら感を感じていて、口に出したくない言葉でした。
どうも多用されすぎて元々使われていた意味が拡大解釈されてぼやけてしまっている気がします。
内定を取るためのキャラ付け
この意味に勘違いをしやすい状況になっているんじゃないかと感じています。
ただ、これはある程度仕方がないことだとは思います。
日本での一般的な就活はいわゆる「受験」のような要素を多分に持ちます。
将来のキャリアよりもまず「内定」という関門を通過することが重要だという考え方になりやすい環境です。
これは昔からの終身雇用慣行の考え方の名残なのか、会社に入ったらあとはもう変えられる可能性が低いから入り口にすべてを賭けるという考え方と言えます。
そのため、より成功率の高い行動を組み合わせて軸とするというようなアプローチが多いです。
これが就活生からいつも聞かれるどんな「就活の軸」がいいですか?
という質問でした。
個人的には就活における優先決定要素ぐらいで認識していましたし、実際その程度のものです。
「自分が一番ノビノビ働ける場所に行こう」っていう程度に決めていました。
他の人にその呼び方で話をすると伝わらないのでここでもわかりやすく“軸”という言葉を使います。
この就活の軸を決めるにあたって、大まかに2軸を考える必要があります。
自分軸
(自分が)何がしたいか?
(自分が)何ができるか?(または何をやってきたか)
企業軸
(企業から)何が求められているか?
(企業で)何をすることになるか?
この4点を主な要素として就活における取捨選択をすることが重要なわけですが、このバランスを間違えるといい選択をしにくくなります。
そこのお前でいえば、自分が一番ノビノビできる場所は
- 数字や論理で勝負できる環境
- チームで何かの目標に向けて努力するチーム仕事
- 日本以外の環境が身近なところ
この3点が自分が一番やる気が出る場所と思っていたので、これらを高い割合で満たす場所を探しました。
収入や休日、福利厚生については付随的な物だったので、あんまり参考にはしませんでした。
結局、配属されたチームや業務内容によっても変わるのであまりアテにならないなぁとは思っていたので。。。
(※実際、残業していないように見せかけたり、休んでいるように見せかける社員も多くいるようですしねぇ。。。)
とは言っても、新卒で入る会社にすべてを賭けていたわけではありません。
なぜかというと。。。
平成が終わった時代の就活
すでに平成が終わった時代、終身雇用制度も少なくなり、第二新卒やキャリアチェンジも非常に活発になりました。
もちろん、新卒で自分の望む企業に入り、きちんと自分の望むキャリアになればいいです。
が、それが叶わない場合に自分を支えるのは企業ではなく自分自身となる時代になりました。
一度、入る会社に失敗しても後で取り返しが利く可能性は十分に高くなっているのです。
現代では就活はすでに「新卒として入社する企業の質」に全身全霊をかけるよりも、自分自身と向き合い、理解し、社会や会社を分析して考える「過程とその精度自体」の方が意味がある時代に変わったんじゃないかと思っています。
ちょっと前の就職氷河期と言われたような内定率が非常に低い場合ならいざ知らず、現在のように大学生の内定率が90%を超えてくるような世界ではますます企業側に寄せることが重要な戦略であるとは言えない状況になってきました。
内定を得やすくなったことで、むしろ、わざわざ企業にすり寄らなくても内定を得る確率は上がっているのです。
同時に転職市場の活発化は内定を得た後に無理して我慢の末に企業に尽くす価値も相対的に減じているので、一つの企業に拘る意味は薄れています。
そのため、よりしっかりと自分自身を理解するほうに比重を置いた方が結果的に満足できる選択につながりやすいと感じています。
つまり、就活は内定を得るよりも自分自身の市場価値を理解し、かつ自分自身がどこで売れるかという事を考える最適な場所になったわけです。
さて、そんな就活ですが、そんな本質的な成長の機会であることはあまり強調されません。
だって学生にとって耳が痛くて、わかってはいるけど受け入れにくい話だから。
企業の様々な学生向けのマーケティング
就活に一般的な正攻法があるかのように宣伝する就活塾が出てきたり、就活関連のSNSが存在します。
就活プラットフォームを持つサイトも人気や収入、離職率、社員満足度、有休・育休取得率など様々な指標でランク付けし、企業側もそれを売りにします。
あたかも入ったら必ずそのランキングにたがわぬ人気で高い収入やよい福利厚生・満足度で転職を考えることなく満足なキャリアを送れるというかのように。
おそらくある程度のベンチマークにはなりますが、100%保証するものではありません。
それに期待してしまう学生の心理もわかりますが、もっと現実は残酷であることを同時に考えねばなりません。
何ならランキング指標だけよくて、中身が伴わない企業すら存在します。
実際問題、就活サイトは就職後の面倒は見てくれませんし、最初はお客様扱いをしてくれる企業も入ってしまえば一番末端としてキャリアがスタートします。
そのため、企業に入ってからしばらくは自分の思い通りにできる部分は非常に限定的になることも多いです。
そういう時期も含めて会社に入った後にどのような生活を辿るかどうかという点を考える必要があります。
が、実際にはそこまで考えた就活をできている人はそう多くないと言えます。
学生サイドには時間や情報量と内定後の未来の想像が可能な範囲に限りがあるため、「内定」取得に注力してしまうのは避けられないことです。
内定後に会社と個人がマッチしないという話は聞くモノの、内定がなければ未来もありませんね。
なので、先のことまで考える余裕もなくなりやすいことは確かです。
むしろ内定の為に非常にシンプルで迷いなく行動することが必要な瞬間もあります。
ですが、これは自分自身をしっかり理解している状況である限りは有効ですが、知らない間に自分を偽ることは避けた方が得策と思います。
(※就活時間が短い人にはかなり酷な課題ではありますが。。。)
自分を偽るというハリボテ
自分を偽るというのは主に企業側の求める人物像に寄せ、自分軸の2点を無視した自分を作るととここでは定義します。
まぁそれはそれで一種の処世術であって、カメレオンのように変わることができるのはむしろ一つの長所になりえます。
それができる人は企業側の2点にギンギンに寄せてもいいかもしれません。
ハリボテも極めれば立派な城になります。
(※それに抵抗がない人は問題ありません。それに抵抗がある人や苦手な人は会社に入ってから苦労します。)
実際、そこのお前のようにそれが得意ではない場合は、周りに合わせようとしすぎるとあまりいい将来が待っていなかったでしょう。
とはいっても、
そうでもしないと企業に取ってもらえないんじゃないか?
とか
社会人の人に評価されるほどの自然にできた軸なんてない。。。
と不安になる人もいるとは思います。
この場合でもなおさら不安に駆られると空回りします。
結局のところ、よっぽど自分を作りこめないと企業側の担当者はごまかせないわけです。
不安だから企業がいいと思ってくれるような人を演じようとするのはどうしても違和感がにじみ出てしまいます。
むしろそれでごまかせてしまうような企業に入ることは危ういかもしれません。
結局、よく見ていないということなので。。。
実はそれは日系大手企業で100人規模で採用する場合なんかは十分に起こりうる話です。
そこのお前も最終面接が集団面接という驚くような採用現場も通過しました。
この場合、何かがわかるというよりはもはやギャンブルに近いような状態です。
本当に自分が入っていいのか逆に不安になります。
結局、何が見られているのか。
加えて、企業も今の時点での完成度だけを見ているわけではありません。
重要なのは、現時点での完成度ではありません。
伸びしろがあると期待感を持てる要素がいくつあるか?です。
ここがわかっていないと、いくら面接のテクニックや適性試験成績が万全でも決め手を欠くことになります。
人前で目立つ力なのか、コミュニケーション時の表現力なのか、過去の経験なのか、または考え方なのか。
場合によってはウチにあってるな!なんてフィーリングで終わってしまう世界です。
これらに光るモノ、感じるモノがあったほうがずっと取ってくれます。
そこのお前も結局最終的な決め手は
やってきた事が多岐にわたって取っ散らかってるけど、面白そうだから採った。
なんていう訳の分からない内容でした。
これは事前に予測できず、新しく自分で作れるようなものでもありません。
そのため、自分が何をしてきたか、何がしたいか。
について、非常に強く分析することが必要になります。
具体的にしたいことがなくたって、今ままでやってきたことは何で、出来ることが何です。
というアピールだっていいわけです。
とにかく、企業と自分がマッチしているか判断できる程度の自己理解と企業理解ができている企業に入ったほうがいいという事です。
そういった企業に入り、かわいがってもらい、育ててもらえれば後から収入や肩書がついてきて、期待した以上の人生に化ける可能性だってあります。
逆にいい企業に入っても、かわいがってもらえなかったり、強化育成対象から外れたりした場合は思い描いた人生を下回る可能性もあります。
だからこそ、就活の軸がハリボテだとキャリアがハリボテになり、期待外れにもがく可能性が出てくるのです。
就活の前から考えていればOKですし、就活終わってから考えても遅くはありません。
ですが、就活と同時に自分と向き合うのが一番抵抗なくやれる機会だとは思います。
ので、企業の売り込みや自分と違う人間の成功事例をまねするよりも自分で自分を決めるという過程を楽しんでみてください。
ではでは
【外資系】グローバルエリート養成プログラムというハリボテの話【就活】
多くの人が就活の中で見落としがちな点
そもそも企業が欲しい人材のことを正確に把握できてない場合があるという事だ。
この話は特に就活生に読んでほしいし、中途転職する人も最後の決断においてちょっとでも参考になればと思う。
就職活動者の保持資質・希望職種 X 企業側の希望資質・保持職種
新卒の就職活動の本来の構図は上記のとおりである。
まぁどちらが希望する側でどちらが保持する側かというと、常にこの構図である。
人が実力や才能を保持し、会社が職を保持する。
人が職を希望し、会社が実力や才能を希望する。
この関係によって企業と個人のマッチングは成り立っている。
これらが高い精度でマッチした時に採用するというのが基本だ。
極限までシンプル化してみたが、相思相愛度が高ければ高いほど双方にとってマッチすることはわかると思う。
意外と見落とす落とし穴
就活生が自分の資質を理解していない場合
企業が企業の保持する職種を理解していない場合
この2点だ。
双方とも自分の希望は整理できる。
個人側であれば、お金が欲しい。やりがいが欲しい。この仕事がやりたい。
企業であれば、優秀なタレントが欲しい、頭がいい人が欲しい、外交的な人が欲しい。
などなど
だが、就活生が自分自身を、企業が企業自身を理解していない場合には非常に苦しむ。
今日は就活生が自分を理解していないケースはいったん無視する。
もっと残酷な企業が欲しい人材をわかっていなかった話
もうだいぶ昔の話だが、会社として一時期、かなりハイスペックな人材を募集していたことがあった。
これは日本だけではなく世界的にも行われたプログラムなのだが、日本支社としてもそのプログラムを採用した。
人事も非常に力を入れ、学歴的にも積み上げた実績にもかなりハイレベルな人材を募集した。
外資系企業としてのグローバルスケールの宣伝や、海外の事例などを駆使しながら、夢のある企業像を演出した。
もちろん、ただやみくもに募集したわけではなく、日本から海外に日本のエリートを送り込み、日本の存在感を強めるといった狙いもあったのだが、とにかくハイレベルな人に集中して集めた。
確かに集まった。
本来であれば外資系コンサルや金融業界に行くような優秀な新卒学生が集まった。
が、彼らは入社後に恐ろしい勢いで会社を去った。
入社3年以内の離職率は50%を超えていた年もある。
なんなら2年で50%が抜けた年もある。
えげつない話である。
転職の多い外資系と言えど、この結果には大いに焦った。
転職先としてもキャリアアップを意識した非常にエッジのきいた転職が多かった。
コンサルに転職する人もいれば、金融機関に行く人もいた。
起業する人もいれば、全く違う業界に飛び込む人もいた。
会社としては取った人材がどんどんやめていくことに関しては心を痛めていた。
なんせ彼らは優秀だったから。。。
さて、なんでだろうか。
実はこれには様々な理由が絡んでいるので、短絡的に論じれるものではないが、一つ若手の離職率と大きな相関関係のある点がある。
人事が募集する人材が会社が提供できる職種とかけ離れていた。
この点である。
つまり、会社の入り口では、グローバルエリートを目指してギンギンに出世街道をばく進させんと言わんばかりの宣伝をかましていた。
が、職場がその方針についてこれなかった。
彼らの爆速昇進や彼らに合う仕事の育成プログラムを組むことができず、当初のプログラムは煙となって消えた。
若手は幻滅した。
彼らも優秀なわけだが、その有り余る実力を活かすフィールドが十分になかった。
同時に、肩透かしを食らったわけだ。
彼らは彼らで、冒頭のグローバルエリートを目指して来た。
そして、それに恥じない才能を持ち、努力を重ねた人たちだったが、それに見合う器が企業になかった。
これがグローバルエリート育成プログラムの顛末だ。
実はこれは日本だけの話ではない。
実は海外でも割と同様のことが起こっていたことを知ったのは最近の話。。。
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企業が自らがとるべき人材を正しく認識できていない
会社に入ってから感じたのは、就職希望者が強くなってきたこの時代において、表面よりも企業自体の企業理解の精度が低いことが最も恐ろしい。
会社に入って分かったことだが、「企業が求める人材像」の認識が
「職場に適合できる人材」
と
「実際に募集する人材」
が一致しない場合がある。
これは人事と現場で一致しないというケースもあれば、現場自体が正しく現状を認識できていないという事もありうる。
そこのお前の事例の場合は人事と現場で一致しなかったケースだ。
多くの場合、就活生は人事部が公式情報とする欲しい人材像や会社の目指すビジョンも参考情報の一つとして自分自身の行先を決める。
だが、この事実を考慮に入れると、入ってからを具体的にイメージするにはOB訪問等を駆使してよりリアルな状態を知っておいた方が相思相愛度が高い。
本質的な企業研究
企業の外側をざっくり見渡すだけでは働く人になるにあたっては不十分だ。
投資家になるのであればそれでもかまわないが、中で働く場合には異なる考え方を必要とする。
特に居心地がいい環境かどうかは人のパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。
それに、企業の規模が大きければ大きいほど、いくら新しい風を吹かせられる人を取っても、少数で空気を変えるのは至難の業である。
だから就活生は自己分析をする。
自分が入る環境を間違えないように短い期間であっても自分を見つめ、志望企業に断られるという屈辱を受けることまありながら就職先を選ぶ。
ここで、もし仮に自己分析がパーフェクトな就活生がいたとしても、企業側が本当は欲しくない人材を欲しいと偽っている場合、問題である。
学生と会社のミスマッチどころか人事と現場のミスマッチ
この企業内ミスマッチの裏には以下のジレンマがある。
これはグローバルのハリボテプログラム故の理由ではない。
多くの企業で大なり小なり起こりうるものだと思う。
というのも、人事としても会社の看板を背負って就活生に会社を売り込む以上、魅力的に見せる必要がある。
ゆえに、生々しい現実をそのまま宣伝文句として使ってしまっては見劣りする可能性がある。
叱られても叱られてもへこたれない根性がある人がいいです!
なんて、本音では思っていても口が裂けても言えない。
会社の異動命令にも従順で、どんなローテーションもいとわず、やる気を失わない人材が欲しい!
なんて言おうもんならブラック企業と言われかねない。
いかなる予想外にも対処でき、理不尽なことも理解した上で、会社のために尽くす人がいいです。
なんて言おうもんなら多くの就活生は逃げていく。
耐えて耐えて耐えれば乗り越える日が来るかもしれない。我慢力のある人間が欲しい。
なんて言おうもんなら企業の安定性自体が疑われる。
それでは競合する企業や他の業界に人材が流入してしまう。
だから、人事は学生と向き合うだけでなく、競合会社よりも魅力的に見せるために社内や競合会社、あるいは業界とも向き合わなければならない。
一部の非常に実力がある優れた職場環境や文化を持つ会社は偽る必要もないし、ありのままで勝負することができる。
例えば、
イノベーションを起こすための未来志向で先進的マインドセットを持つ人
経験や知識をどん欲に吸収し、実行に移せる人
論理的で高い分析力と既存の常識にとらわれない柔軟な発想を持った人
などなど大きな高望みをしても人が来る。
が、これを押し出すべきなのは実際にその特徴の人が最も活躍できる環境を用意できる企業だけだ。
しかし、すべての企業がそうであることは決してない。
ただ、新卒就活市場における企業のマーケティングとは恐ろしいもので、質のいい就活生を集めた企業の手法は多くの企業がマネをする。
就活生だって過去に通過した先輩のエントリーシートを参考にしてエントリーシートを書くように企業もある程度“参考”にすることがある。
企業も同じように苦心している
素晴らしい企業たちが優秀な人材を集めているということがわかれば、後塵を拝してでもやり方を参考することがある。
会社側の現状とは少しかけ離れていても、流行りの優秀な人材を欲しがっていることを標榜することもある。
すると、本当に会社のビジネスが求めている人材とは異なる人材を集めてしまうことがある。
これが恐ろしい。
会社が欲しいと公式に表明しているものと現場が真に必要としている人材。
これが掴めていない自己理解が不足している企業に入ってしまうことが非常に問題になる。
就活生だけでなく中途転職でも同じことが起こりうる。
だからこそ、きちんと企業の正体を掴む必要がある。
そして、企業が本当に欲しがっている人はどんな人なのか?
という目を養い続けることは就活だけでなく今後のキャリアにおいても役に立つ。
そんな観点で就活をしてみたらどうだろう。
たくさんの企業に触れる意味も増してくるんじゃないだろうか。
自分だけ必死になっているのではなく、企業も余裕なふりして必死なことがわかると思う。
このプログラムの形骸化を見て、そう思った。
問題はどのようにしてリアルを知るか。だが、まずはその視点を欠かしてはいけないと思う。
【キャリア】 外資系への就職は勝ち組か?【就活】
勝ち組と聞いて何を想像しますか?
莫大な不労所得を保持している状態?
玉の輿婚?
超有名企業に所属すること?
まぁ、人によって答えは様々だと思います。
が、ポイントは
人の人生に勝手に特定の指標を持ち込んで勝ち組と負け組を分ける
という風潮があるという事です。
ただ、何を持って勝ちや負けとするのかはわかりません。
収入なのかパートナーとしての素晴らしさなのか、はたまた社会的ステータスなのか。
また、日本人特有なのかどうかは不明ですが、所属によって勝ち負けを判断するというのも非常にポピュラーな基準といえます。
とかく、何かの比較可能な基準に基づいてジャッジしたがる人
学校でも会社でも友達内でも何かしら差が出るところに火種が生まれます。
さて、社会人界隈でもどこの企業にいるかで勝ち組や負け組を判断したがる人が一定数存在します。
自分に自信がないから何か自分以外にその自信付けを求めるのか、本当に所属する企業が人生の価値を決めると思っているのか、単なる話題の賑やかしかは様々ですが、どの企業に在籍しているかという話に強い関心を抱く人はいます。
企業だけでなく、学歴もそうなわけで学歴コンプレックスとかいう現象も一般的によく知られていますね。
気にしてしまう時期は必ずありますが、これほど自分自身を幸せにしにくい判断基準も他にありません。
だって、上には上がいるんだから。
どんなに上っても上がいますし、自分を基準に自分より上とか下とか図れるほど人の人生は単純ではありません。
また、その基準を使いこなすどころか自分自身がその基準にとらわれてしまいかねません。
外資系が勝ち組だという幻想
この判断は個人的には短絡的でナンセンスだと思っています。
ですが、実際のところ、企業の看板を掲げることで社会的ステータスを感じたり、ベネフィットを得ることができる状況は少なからず存在します。
所属する企業によって個人の人生が左右されることは間違いない
同じ仕事でも給料が天と地ほど違う会社もあります。
一つの仕事がもたらす社会的な影響が全く違う企業間の差も存在します。
が、本当に「所属」だけが勝ち負けを分けるか。
会社では職場環境に大いに差が出るケースもあります。
同じような業界の会社でも文化が違ったり仕事のスタイルが違ったりします。
同じ会社でも活躍する人と活躍できない人には差が出ます。
同じ会社所属でも人や業務によって違いが出ることもありますね。
なので、所属を持って一概に勝ち負けを決するにはちょっと不確定要素がありすぎるものだと思っています。
所属がすべてを決めるには勝ち組集団は常に負け組集団よりも上回っていなければなりませんが、現実問題そういう風に超えられない壁があるケース全てではありません。
そんな中で「外資系」とくくられる企業に所属することが勝ち組かどうかについてをもう少し掘り下げます。
就活生や若い世代に読んでもらいたい話
内定を得た企業とか入った会社ですべてが決まったような気分になりやすいこの世代の人たちに、キャリアはもっとずっと長い果てしないいろいろな起伏がある道のりだということを見直すきっかけにしてほしい記事です。
さて、この外資系企業
一言で言うと勝ち組というにはあまりに差がなさすぎますし、安定的ではありません。
実力がある人だろうという推測はあながち間違っていないかもしれませんが、それも永続的な話ではありません。
個人的には
外資系企業勤務を継続すること自体が「勝ち組」であることを放棄しているキャリア
だと思っています。
全てが良くも悪くも安定しない外資系企業では既得権益という甘い汁を吸える場面はほぼありません。
社内のそういうものは海外本国が独占していますし、国内では外様扱いなので日系企業に比べて希少です。
給料も比較的高いとは言われていますが、楽で高いわけでは決してありません。
金融・IT・法律事務所・コンサルなど様々な分野で魅力的な給与体系を持つ会社はありますが、何もしなくてもずっといい給料をもらうことができる企業は非常に少数です。
年功序列賃金でない分、さらに質が悪い
成果主義をより徹底していますので、良い上昇曲線に乗ればいいですが、全員がそうなれるわけではありませんし、一度上昇しても降格のリスクは日系企業よりも高く持っています。
歩合制なんかの場合はダイレクトに収入が変わります。
事実、外資系企業の中でもくすぶってしまう人は数多くいる。
純粋な実力以外にも様々な要素が絡んでいますが、皆が皆ばっちり高給取りというわけにはいかないのは悲しい現実です。
むしろ、多数の人間はその上昇曲線にも乗らずに脱落するか平均的な上昇に落ち着く可能性の方が高いわけです。
結果を出し続けることによる上昇率が比較的魅力的だけで、なるべくできる人に集中して報酬を出し、格差を広げて競争をあおる主義な分、高い部分が目立ちますが、低い部分にはそれなりの厳しい現実が待ち受けています。
もちろん、
そういったチャンスをつかめること自体が恵まれていることだ。
という考え方もありですが、基本的に安心を得うることはないわけです。
努力を継続し、結果のために努力してようやく「勝ち組」に見える人生の上昇曲線に乗るわけです。
それは決して何もしなくてもということはありません。
まぁ仕方がない現実です。
一方で、人のパートナーを指して、外資系に勤めるパートナーがいるなんて勝ち組じゃん!
というのは誉め言葉なケースもありますが、本当に雑なレッテル張りです。
やはり、外資系に入ったから勝ち組というには非常に短絡的。
外資系のキャリアにおいて第一線で活躍するためには往々にして非常にタフであり、常に厳しい戦いを求められる場所に身を置かねばなりません。
場合によっては恐ろしいぐらいのハードワークもあり得ます。
それは日系企業で強く昇進を目指す事とも一緒といえると思いますが、加えてメインの土俵が日本国外なわけです。
キャリアにおける昇進の難易度も一気に上昇します。
つまり、勝ち組と聞いて一般的に思い浮かべるようなレベルでの昇進を達成することは異様に難しくなるわけです。
そのため、若い時はある程度勝ち組的な要素を持つかもしれませんが、その後においては勝ち組と文句なく言えるほどの状況に持ち込むことは難しいわけです。
むしろそれを勝ち取ったとすると勝ち組というよりはキャリアという意味では掛け値なしに勝者です。
ということで、
外資系に入ること=勝ち組と結論付けるのは無理がある
といえます。
こう考えるとあまり外資系企業がよく見えなくなるかもしれませんが、個人的には好きです。
自分を勝ち組と思ったことはありませんが、それでも若い時に在籍するには最適な場所だと思っています。
若ければ若いほどキャリア戦略上で重要な意味を持つ確率は高くなるという風には感じています。
努力が実り、成果が出れば比較的短いタイムラグでよい給料を手にすることができますし、年齢に関係な価値のある仕事をすることができるのでキャリアにおける成長のスピードを速める可能性は格段に高いと言えるでしょう。
もちろん、企業次第・運次第な部分は少なからずありますが、勝ち組だと驕ったり油断したりすることがない人にとっては最適な環境です。
勝ち組負け組と考えるよりも今取りうる選択肢をいかに多くするために努力できるかを考え続けたほうが圧倒的に豊かだとそこのお前は思います。
そうでないと、常に何かの勝ち組を求めてさまよう他力本願になります。
自分ではどうしようもない部分もありますが、自分なりの勝ち切り開くことを考えていくことこそが勝ち組への正攻法であり、近道だと思うんです。
ほいでは