そこのお前の外資系勤務と与太話ブログ

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【進路】コンフォートゾーンを抜け出そうとすると働く慣性の話【成長】

人間関係の無意識の慣性の話

人はどこで大化けするかわからないけれども、今ある人間関係がそれを妨げることがあるという話です。

 

子供時代、どうしても理解できなかったことがある。

小学校の時は特に気にならなかったが、中学校=>高校と進むにつれて増えるこの現象。

 

何だろうと思った。てか、なんでだったっけ?

 

試験前になれば「全然勉強してないわー」が流行語になる現象。

周囲をけん制しているのか、自分が低いスコアをとった時の保険をかけて自己を保っているのか、それとも周囲に合わせて浮かないようにただ言っているだけなのか、個人の「勉強した」といえる基準が鬼高いのか。

とにかく、異常な空気になる。

 

もう一個、テストの点数が判明した後、点が高いことになぜか罪悪感を覚える人

なぜか、あんまり高い点には拒否感を覚え、そこそこの点数で収まってほしいと思っている生徒すらいた。

もちろん、そういうふりをしているだけかもしれない。

 

ある人は点数が高かったことを褒めたり、称賛が集まってもひたすらに謙遜(むしろ卑下に近い)を繰り返したり。

いい点数を取っている子が、テストをもらった瞬間から点数が書いてある部分をがっつり折り曲げ、万全のガードを引く場面も。

 

そこのお前はたいしていい点も取らなかったし、特に何も考えていなかったので、そのままフルオープンでしたが、逆にそれも変にみられましたね泣

 

こういう状況って結構普通ですか?笑(それとも、ゆとり世代限定とか?)

 

とはいいつつも、あれは何だったのかと思う。

今思うと、本当に勉強しなくて低いなら隠したい気持ちもわかるが、十分高い点数を取ったのなら胸を張ればいい。

平均は超えた!とか今までで一番いい点を取った!とかでも。

それを自分の自信にして、前向きになればいいと思う。 

 

 

が、なぜだったか。。。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

だが、確かに、そういえばあった。

 

テストの点数が急に高くなると、学校でいつもつるんでいる連中から点数高くなりやがってとか言われて僻みまじりの疎外感を受ける場合が。

どうも仲間意識の中にテストの点数が関係しているのか、仲良しグループで我こそはリーダーと思って取り仕切っている子のプライドを傷つけるのかそれが起こる。

 

こんな風に純粋な向上心や努力に励むことを阻む要因がそういえばあった。

今から見れば、そんなくだらねぇ仲間意識やひがみなんてぶち破れって簡単に言うこともできるが、確かに当時の状況を考えると結構恐怖心を覚えるはずだ。

 

実際、多くの大人たちが小中学校もしくは高校の友人関係なんざ何の役にもたちゃしないと言ったりもしている。(※過激なだけで、必ずしもそうではないのでだが。)

 

ただし、これは結構的確で、今の日本の受験および学歴構造だと、年齢が上がるにつれて、全員等しく、一定のタイミングで必然的に同じ程度の学力(試験結果)のグループでまとまるようにフィルタリングがかかる。

 

フィルタリングがかかったグループでレベルが変わり、グループ内でもさらに差別化された取り組みがなされるので、同じグループ内でもその差はジリジリと開いていくし、違うグループだったりするともっとガバガバ開いていく。

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これを後から取り返し、下克上をかけていくのは子供の力だけでは結構難しかったりする。

だが、その差をベースに社会人のスタートも決まりやすいため、最終的には小学生や中学生のころに同じグループでもフィルタリングが積み重なり、別ルートに乗った場合、全く違う人間になっていたりする。

 

もともと違うということを本人同士が認識したうえで関係が成り立っているのであればいいが、ほとんどの子供の友人関係なんて一緒に何をしたとか席が近かったとかクラス・部活が同じとか家が近所とかっていうちょっとした共通点をもとに出来上がるため、環境に左右される関係が多い。

 

するとそういった共通点を失った途端に関係は維持しにくくなる。

それぞれ次の環境で同じように新しい関係を築くことになる。

 

sokono-omae.hatenablog.com

 

 

実際、そういった人間関係の新陳代謝が起こることは問題ないし、人がきちんと友人関係を維持できる数にはある程度限界がある。

ただし、同じ集団に属している間は違う。

 

関係を維持する力を働かせる子供たち。

関係を維持する。彼らにとってはそれが最善の選択肢なのだ。

さもなくば、もしかしたらいじめの対象になったり、昨日まで楽しくしていた人が自分から離れる恐怖を味わうのだ。

 

特にクラスの一年の期間を大人よりもずっと長く感じる年ごろにおいては恐怖心はさらに高まるだろう。

 

この吸収力が高く、取り返しが利く時に新しい環境や大きな変化、成長・ステップアップに踏み出すことを阻害する要因があらゆる所にあったように思う。

ヤンキーグループから足を洗うとか、同じグループで強固につるんでいるなど、いざそこから抜け出そうとした時にかなりキツい慣性の法則が働く。

 

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人間関係に働く慣性

要は同じグループに居続けようとする作用のことを「慣性」と便宜上呼んでいるが、この力が独立心や向上心が芽生えてもその着火したまだまだ小さな火を守る人がだれもいない。それどころか消そうとするやつのほうが多いんじゃないかっていうこと。。。

 

後から見ればさっさと断ち切ってしまえばいい未練も、その時の慣性がいろいろな迷いを引き起こす。

 

子供にとって、それは自覚している場合もあれば、無自覚に感情の濁流を避けて泳いでいる場合も多い。

 

子供は子供でその環境で日々異なる刺激を受けながら成長を遂げているので、その成長を楽しんでいることも多い。

また、その過程でどんどん新しい方向に踏み出していける子供も当然いる。

 

それらの方向性や内容が親の希望や期待と離れてくると親子関係は少しぎくしゃくし始めるものの、そういう子は成功や失敗などをいろいろ繰り返しながら、個人の生きるべき道を決められる。

 

問題は停滞感を感じていて、それでいて抜け出す糸口や出方がわからない子

これは今考えてみると結構根本的な問題だと思う。

そこのお前も高校受験に入るまでは本当に停滞感の塊だった。

この停滞感を察すると親は環境選びに必死になるし、子供はその意味を完全には理解できないから温度差が生まれる。

 

実際、リスクはあるが、コンフォートゾーンを飛び出し、新しい行動や今より違うステージに踏み出したら全く新しい人間関係やグループに入っていくことができることを大人は子供より経験的・体感的に知っている。

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そして、多くの大人はどういった形で立ち回ればリスクを減らせるかもそれぞれが自分なりのスキルとして身に着けている。

その幅は明らかに子供より広く、先が読めているからこそ、恐怖心を抑えていける。

 

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ただ、子供ながらに、こういう話を親とする時にはどういう恐怖心があるか、どんな糸口を欲しがっているかをある程度把握されなかった時はどんどん殻に閉じこもったなぁと今振り返ると思う。

 

大人の考える合理的な選択肢で納得を得られない場合、そこには子供の人間関係が関わっている場合が往々にしてあると知っておいた方がいいんじゃないかと。

 

元々の友達やたまたま一度できた友達などは純粋でいい面もあるだが、この慣性が子供の思考を曇らせ、選択の幅を偏らせる場合があるということを理解したほうがいいと思った。

 

そして、それは実は大人の社会でもそうだったりすることも。

健全な成長感や発展していく充実感が得られない環境では、よりギラついた空気と共に他人が自分よりも良いところに行こうとする動きを阻止する。

これはもはや慣性というよりもただの泥仕合だが。

 

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よく目立つ「いじめ」が大きく取沙汰され、大きな問題になっているが、実はこういった面での成長の可能性を摘み取られている、または逃している子の方がいじめを受けている人間よりも多いのではないかと感じる。

 

多対1で囲って攻めるのが多くのいじめだが、この個人の成長の芽というのは一人一人が持つもので、集団を必要とするいじめよりもはるかに母数が多いはずだ。

  

ちなみに、アメリカなんかはこういう場合でのスポーツや学業におけるフィルタリングを年齢問わずがっつり行う仕組みが整っている。

実際、同じ大学や高校の中でもなるべく多様性を確保するような環境を用意しているようだ。故に飛び級や特別な英才教育などで大きな差が出ることもある。

(※同時に、多様性がある環境がゆえにスクールカーストもそれぞれの集団の個性がはっきり違うため、逆に際立つようだ。)

 

欧州がどうか詳細はわからないが、少なくとも有名な大学であればあるほど欧州全域を含む、世界中から留学生が集まってくる仕組みとなり、学びなおす人も多いため、自然と年齢も国籍もより多様な構造になる。

もちろん一定の基準はあるわけだが、日本よりも基本的に受験における学力だけが子供の各段階での環境選びを左右する一極集中な仕組みではない。

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より大きな変化を促してくれる環境が揃っていることは素晴らしいなぁと思う。

偶然の要素に左右されるため、完璧に変化や成長をコントロールできるものでもないから難しいけれども、いくつになっても自分が変わる時ぐらいははっきり意識しておきたい。

 

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さて、長くなりましたが、今日のメッセージは

 

コンフォートゾーンを抜け出そうとした時に、自分自身の心と共に周囲の人間関係も新陳代謝していくことを理解し、同時に変化するために自分に働いている慣性を意識し、律するべし

 

ということです。

 

それでは

 

 

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