【進路】コンフォートゾーンを抜け出そうとすると働く慣性の話【成長】
人間関係の無意識の慣性の話
人はどこで大化けするかわからないけれども、今ある人間関係がそれを妨げることがあるという話です。
子供時代、どうしても理解できなかったことがある。
小学校の時は特に気にならなかったが、中学校=>高校と進むにつれて増えるこの現象。
何だろうと思った。てか、なんでだったっけ?
試験前になれば「全然勉強してないわー」が流行語になる現象。
周囲をけん制しているのか、自分が低いスコアをとった時の保険をかけて自己を保っているのか、それとも周囲に合わせて浮かないようにただ言っているだけなのか、個人の「勉強した」といえる基準が鬼高いのか。
とにかく、異常な空気になる。
もう一個、テストの点数が判明した後、点が高いことになぜか罪悪感を覚える人
なぜか、あんまり高い点には拒否感を覚え、そこそこの点数で収まってほしいと思っている生徒すらいた。
もちろん、そういうふりをしているだけかもしれない。
ある人は点数が高かったことを褒めたり、称賛が集まってもひたすらに謙遜(むしろ卑下に近い)を繰り返したり。
いい点数を取っている子が、テストをもらった瞬間から点数が書いてある部分をがっつり折り曲げ、万全のガードを引く場面も。
そこのお前はたいしていい点も取らなかったし、特に何も考えていなかったので、そのままフルオープンでしたが、逆にそれも変にみられましたね泣
こういう状況って結構普通ですか?笑(それとも、ゆとり世代限定とか?)
とはいいつつも、あれは何だったのかと思う。
今思うと、本当に勉強しなくて低いなら隠したい気持ちもわかるが、十分高い点数を取ったのなら胸を張ればいい。
平均は超えた!とか今までで一番いい点を取った!とかでも。
それを自分の自信にして、前向きになればいいと思う。
が、なぜだったか。。。
・・・
・・・
・・・
だが、確かに、そういえばあった。
テストの点数が急に高くなると、学校でいつもつるんでいる連中から点数高くなりやがってとか言われて僻みまじりの疎外感を受ける場合が。
どうも仲間意識の中にテストの点数が関係しているのか、仲良しグループで我こそはリーダーと思って取り仕切っている子のプライドを傷つけるのかそれが起こる。
こんな風に純粋な向上心や努力に励むことを阻む要因がそういえばあった。
今から見れば、そんなくだらねぇ仲間意識やひがみなんてぶち破れって簡単に言うこともできるが、確かに当時の状況を考えると結構恐怖心を覚えるはずだ。
実際、多くの大人たちが小中学校もしくは高校の友人関係なんざ何の役にもたちゃしないと言ったりもしている。(※過激なだけで、必ずしもそうではないのでだが。)
ただし、これは結構的確で、今の日本の受験および学歴構造だと、年齢が上がるにつれて、全員等しく、一定のタイミングで必然的に同じ程度の学力(試験結果)のグループでまとまるようにフィルタリングがかかる。
フィルタリングがかかったグループでレベルが変わり、グループ内でもさらに差別化された取り組みがなされるので、同じグループ内でもその差はジリジリと開いていくし、違うグループだったりするともっとガバガバ開いていく。
これを後から取り返し、下克上をかけていくのは子供の力だけでは結構難しかったりする。
だが、その差をベースに社会人のスタートも決まりやすいため、最終的には小学生や中学生のころに同じグループでもフィルタリングが積み重なり、別ルートに乗った場合、全く違う人間になっていたりする。
もともと違うということを本人同士が認識したうえで関係が成り立っているのであればいいが、ほとんどの子供の友人関係なんて一緒に何をしたとか席が近かったとかクラス・部活が同じとか家が近所とかっていうちょっとした共通点をもとに出来上がるため、環境に左右される関係が多い。
するとそういった共通点を失った途端に関係は維持しにくくなる。
それぞれ次の環境で同じように新しい関係を築くことになる。
実際、そういった人間関係の新陳代謝が起こることは問題ないし、人がきちんと友人関係を維持できる数にはある程度限界がある。
ただし、同じ集団に属している間は違う。
関係を維持する力を働かせる子供たち。
関係を維持する。彼らにとってはそれが最善の選択肢なのだ。
さもなくば、もしかしたらいじめの対象になったり、昨日まで楽しくしていた人が自分から離れる恐怖を味わうのだ。
特にクラスの一年の期間を大人よりもずっと長く感じる年ごろにおいては恐怖心はさらに高まるだろう。
この吸収力が高く、取り返しが利く時に新しい環境や大きな変化、成長・ステップアップに踏み出すことを阻害する要因があらゆる所にあったように思う。
ヤンキーグループから足を洗うとか、同じグループで強固につるんでいるなど、いざそこから抜け出そうとした時にかなりキツい慣性の法則が働く。
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人間関係に働く慣性
要は同じグループに居続けようとする作用のことを「慣性」と便宜上呼んでいるが、この力が独立心や向上心が芽生えてもその着火したまだまだ小さな火を守る人がだれもいない。それどころか消そうとするやつのほうが多いんじゃないかっていうこと。。。
後から見ればさっさと断ち切ってしまえばいい未練も、その時の慣性がいろいろな迷いを引き起こす。
子供にとって、それは自覚している場合もあれば、無自覚に感情の濁流を避けて泳いでいる場合も多い。
子供は子供でその環境で日々異なる刺激を受けながら成長を遂げているので、その成長を楽しんでいることも多い。
また、その過程でどんどん新しい方向に踏み出していける子供も当然いる。
それらの方向性や内容が親の希望や期待と離れてくると親子関係は少しぎくしゃくし始めるものの、そういう子は成功や失敗などをいろいろ繰り返しながら、個人の生きるべき道を決められる。
問題は停滞感を感じていて、それでいて抜け出す糸口や出方がわからない子
これは今考えてみると結構根本的な問題だと思う。
そこのお前も高校受験に入るまでは本当に停滞感の塊だった。
この停滞感を察すると親は環境選びに必死になるし、子供はその意味を完全には理解できないから温度差が生まれる。
実際、リスクはあるが、コンフォートゾーンを飛び出し、新しい行動や今より違うステージに踏み出したら全く新しい人間関係やグループに入っていくことができることを大人は子供より経験的・体感的に知っている。
そして、多くの大人はどういった形で立ち回ればリスクを減らせるかもそれぞれが自分なりのスキルとして身に着けている。
その幅は明らかに子供より広く、先が読めているからこそ、恐怖心を抑えていける。
ただ、子供ながらに、こういう話を親とする時にはどういう恐怖心があるか、どんな糸口を欲しがっているかをある程度把握されなかった時はどんどん殻に閉じこもったなぁと今振り返ると思う。
大人の考える合理的な選択肢で納得を得られない場合、そこには子供の人間関係が関わっている場合が往々にしてあると知っておいた方がいいんじゃないかと。
元々の友達やたまたま一度できた友達などは純粋でいい面もあるだが、この慣性が子供の思考を曇らせ、選択の幅を偏らせる場合があるということを理解したほうがいいと思った。
そして、それは実は大人の社会でもそうだったりすることも。
健全な成長感や発展していく充実感が得られない環境では、よりギラついた空気と共に他人が自分よりも良いところに行こうとする動きを阻止する。
これはもはや慣性というよりもただの泥仕合だが。
よく目立つ「いじめ」が大きく取沙汰され、大きな問題になっているが、実はこういった面での成長の可能性を摘み取られている、または逃している子の方がいじめを受けている人間よりも多いのではないかと感じる。
多対1で囲って攻めるのが多くのいじめだが、この個人の成長の芽というのは一人一人が持つもので、集団を必要とするいじめよりもはるかに母数が多いはずだ。
ちなみに、アメリカなんかはこういう場合でのスポーツや学業におけるフィルタリングを年齢問わずがっつり行う仕組みが整っている。
実際、同じ大学や高校の中でもなるべく多様性を確保するような環境を用意しているようだ。故に飛び級や特別な英才教育などで大きな差が出ることもある。
(※同時に、多様性がある環境がゆえにスクールカーストもそれぞれの集団の個性がはっきり違うため、逆に際立つようだ。)
欧州がどうか詳細はわからないが、少なくとも有名な大学であればあるほど欧州全域を含む、世界中から留学生が集まってくる仕組みとなり、学びなおす人も多いため、自然と年齢も国籍もより多様な構造になる。
もちろん一定の基準はあるわけだが、日本よりも基本的に受験における学力だけが子供の各段階での環境選びを左右する一極集中な仕組みではない。
より大きな変化を促してくれる環境が揃っていることは素晴らしいなぁと思う。
偶然の要素に左右されるため、完璧に変化や成長をコントロールできるものでもないから難しいけれども、いくつになっても自分が変わる時ぐらいははっきり意識しておきたい。
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さて、長くなりましたが、今日のメッセージは
コンフォートゾーンを抜け出そうとした時に、自分自身の心と共に周囲の人間関係も新陳代謝していくことを理解し、同時に変化するために自分に働いている慣性を意識し、律するべし
ということです。
それでは
【裏技術】グループディスカッションの立ち回り・駆け引きの話【就活】
どーも、そこのお前です。
最近就活関連の記事を書いていたらいろいろ思い出してきました。
そこのお前、グループディスカッションでは無敗でした。
事実、グループディスカッションをするステージで落ちたことは一度もありませんでした。
(※正直、外資戦略コンサルの採用終盤でのグループワークは経験していないので、そこには見劣りするかもしれませんが、その他外資系・大手日系では一度もグループディスカッションでのお祈りは食らったことがありません。)
ただ、グループワークも多様化していて、ただ単に問題と答えを議論するだけのものから、それぞれが発表し、各人がお互いにフィードバックを与え合うもの、役割が与えられてその通りに行動して全体の場の成立レベルを見るなど多岐にわたります。
それら全てに対して話をするには曖昧過ぎるので、今回は最もオーソドックスな設問に対して全員で答えを導き出す形式のものについて書きます。
必勝法というほどのものでもありませんが、少なくとも他人に足を引っ張られない技術です。
グループディスカッションとは
正直、そこのお前、個別面接よりもそちらの方が自分にとって有利なフィールドだと思っていたので、割と自分に自信を持って臨むことができていました。
自信を持つということも案外重要なのですが、根拠のない自信と共に集団の中での立ち回りだけが上手い人もたくさんいました。
まぁいわゆるスタンドプレーのことですが、これで実力が確かなら素直に脱帽なんですが、単なるアピール目的だとどうもやりにくい感じがありました。
グループワークで出没する困ったちゃん
いるんです。こんな人が。特に未経験の人は要注意です!
A,自分の発言を通すことに躍起になって、人の話が聞こえなくなってしまう人
B,自分が目立ちたいからなのか、ひたすらに先走って周りがついてこれないようにする人
C,ほかの人が優勢とみるや急にその人に対して粘着したり対抗してくる人
そこのお前は法学部出身のため、論理的思考に関してはそこそこ頑張ってきたつもりでしたが、こういう展開の中で危うくやられてしまいそうになったことが何回かありました。
逆にこういう人はお手上げです。
周りの誰よりも早く論を練り上げ、文句のつけようのない正解にたどり着き、それを非常に簡潔に説明したうえで、あえて周りの人に欠点を指摘させ、弱いところを調整・補強して最終アウトプットをグループでの結論としてまとめ上げる人。
こんな人には敵いませんし、そういう場合はこの人の手のひらでうまく踊ってナンバーツーぐらいを目指した方が結果はうまくいきます。
ベストパフォーマンスが出てもこんな立ち回りできるかどうかわかりません。
これができる人は是非、外資コンサルやインセンティブギンギンな会社の営業になってほしいものです。
ですが、今日の主題はこれです。
グループワークで暴走する個人を止める駆け引きの裏技術
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です。
グループワークが成立しない個人主義の人を抑える時や個人狙い撃ちでつぶしに来られた場合の対策です。
彼らが自分の状況を踏まえておとなしくしてくれるのであればいいですが、空回りしていたり、焦って輪を乱し始めると困りますよね。
ここで振り回されて自分も冷静さを失うと本当にいいことがありません。
悪目立ちしますし、その人との対決で泥仕合になった場合ほかのメンバーが蚊帳の外になりますし、置いてけぼりです。
そうなると採点する側は確実に低い評価を付けます。
そして、何よりグループで一定の結論に至らなかった場合はさらに低い評価が付きます。
かといって暴走機関車を放っておいたら、そのまま地獄行きの列車が猛スピードで不合格という地獄へ爆走します。
こういう困った状況を抜け出すないしは未然に防ぐ技術の話をします。
ビビりでもできる技術です。
逆にこれらをうまく使えば駆け引きすらできるようになるかもしれない笑
悪用厳禁です。が、正々堂々とか倫理的にどうなの?とか人としてどうなの?と気にしない人は逆手にとって使ってみると優秀な人を引きずり下ろすことができます。
要は
目的は明らかにゴールとはかけ離れたところに執着してしまっている困ったちゃんを抑える技術
です。
彼らは正攻法では突破できない時にこういった暴走をしがちです。しかもこれ、自覚してやっているというよりは余裕がなくなって焦りから行動しています。
その時には冷静に立ち止まることを負けだと思ってしまうのか、意地でも暴走を止めようとはしません。
ここで、間違っても相手のペースに乗ってアツくなってはいけません。
感情的な反論やケンカっぽいノリでのディスカッションになると共倒れです。
みんなの犠牲になるのが好きならばいいですが、無駄死にです。間違いなくグループ全員死にます。
そこで重要なのが、
相手の行動のペースを乱し、つまずかせて自滅を狙う
ということです。
これは、いかにも相手を仕掛けてひっかけて抑えました!といわんばかりに振舞うと性格悪く見られるので、冷静にやったらたまたまこうなった!結果、相手も踏みとどまってくれたという風に演じなければなりません。
基本戦略は
- あえて泳がせて、相手がぼろを出すのをじっと待つ。(※応用系、相手がぼろを出すように誘導する。)
です。
基本的に彼らは多少のぼろはお構いなく突き進みます。とりあえずノリと勢いでごまかそうとしますが、どこかで息切れします。
一個を指摘しても、効果は薄いので2個か3個程度たまるまで待ちます。
ぼろが溜まり、さらに相手の勢いが落ちてきた時を狙ってボロをまとめて指摘し、そこから相手の正しかった部分は賛成!という立場をとりつつそのまま引用し、ボロを修正して自分の論に持ち込む。
重要なのが、ここではあえて自信なさげな状態を演じて入ることです。
自信なさげに周囲の他の人を見ながら少しずつ同意を取り付けて外堀を埋めていくのです。
待ってましたとばかりに反撃に転じるのではなく、思ったんですけど~ぐらいのテンションで入っていく。
そして、周囲に問いかけながら、同意を求めつつ、相手の暴走論を折る。
それができたら、比較対象として自分の論をはさみつつ、自分の論が着実に味方を得る。
そして、最後の結論部分だけを最も自信満々に述べればいいのです。
ですが、時間が残り少なくなってきていた場合やぼろを出すどころじゃなくボロボロでとりとめもない場合、こんな悠長なこともやっていられません。
その場合は、
2、相手の思考を邪魔するようなバズ質問や情報を入れまくって、相手の思考とリズムをかく乱する。
この論は主題に対しての答えになっているのか?
とか
最終的な成果の定義はなんだ?
などの非常に根本的で大きな問いを挟みます。
同時に、ここまでで相手が使っていない情報を出して、考える必要ありませんか?と横やりを入れたり、相手の論の望む結果の逆の結果になる可能性を指摘してする。
などなど、とにかく相手の思考の想定外の部分、視野に入っていない部分を突きまくって、彼らの思考を止めることが重要になります。
(応用編としては、相手がどんどん自滅していったときには周囲にどういうことわかります?とか聞いてみて、「いや~ちょっと。。。」と疑問を呈させるか無駄すぎるフォローをさせるのも手です。)
同時に、採用担当者へは答えを導き出す中での全体像を見ているアピールすることが重要です。
問題文に着目した質問や与えられた情報を考えてみるなどの向こう側が用意した資料を活用した質問ができるとよいです。
その上で自分がスタートポイントを作り直して、後は1と同じステップです。
(※もしくは、自分の論がない場合は「仕切り直しましょう」とリセットをかけて、周りに振っていくのも手ですが、むやみにやるとただの「振り出しに戻る」現象になっちゃいます。)
ちなみに、もう一歩踏み込むと、周囲に同意を求めていく際に、暴走機関車に振るのをあえて最後にまわして反対しにくい空気を作る。という手があります。
あるいは、相手が自論や代替案もなく、基本的に粗探しでこちらのリズムを乱しにきた場合は
- 相手の粗探しの乗っかったふりをして、その粗があった場合どんな悪いことが起きますかね?なんてすっとぼけて聞いてみる。
- あるいは、粗によるデメリットを防ぐためにはこんな方法が考えられるけど、それをやった時のほうがデメリットを生む(メリットが縮む)ということをあえてショボめの代替方法を例に出してあげて、自分でつぶして、芽を摘み取る。
その時になんでもいいからトンデモ解決策を一つか二つ混ぜながら3つのぐらい代替案が考えられるけど全部だめ!って自分で切ると相手にボールを渡さないで済みます。
別のやり方としては、たいていのグループディスカッションの選択肢やオプションにはそれぞれデメリットがあるからこそ議論になるので、全部のありうるオプションのデメリットを比較して、どれが一番マシですか?と相手に言わせるのも手です。
すると攻守が入れ替わり、こっちが相手の回答に突っ込める構図に変わります。結局、こういう結論や先の展開がない粗探しをしてきたときは無理して突っぱねようとせず、逆に一時的に主導権を渡して、相手にリードさせればいいのです。
すると、自分の芯がない粗探しマンは短い間に勢いがしぼみます。
その時に堂々と主導権を奪い返せばいいのです。
(※ここも、ほら見ろといった態度ではいけません。あくまでやっぱりこっちに戻りますかね~ってしれっと持っていってください。)
最後に、ここから先は少し印象が悪くなるリスクのあるやり方ですが、もし、下記のような、何とかして相手を退けなければならない場合の最終手段です
これが使えるのは、すでにグループでの結論が大方決まっており、ここから再度ひっくり返すには時間が足りない、またはひっくり返してもいい答えが生まれない場合でも相手が自分の論にこだわってきた場合です。
・極端な限界事例を出して、それを考えさせる。
=>その後、議論しているフリをしながら、今ある論と比べた時に何をどう比べたら新しいアイデアがいいと思ったのかについて逐一詳細に質問する。結論に至らないように議論を引き延ばし、検討不十分で最後に落ちるようにする。
(※タイムキーパー役や進行役がいるのであれば、少し早めに切り上げさせて最終検討に入るように促させるのもアリ)
・相手がぽっと投げてきたアイデアのタネをあえて議論で育てさせずに、矢継ぎ早に質問をかけて答えに窮するまで全部説明させる。
=>普通は議論の過程でキャッチボールを繰り返して論を練り上げていきますが、そうではなく、質問を浴びせまくって、一人で論を育てさせるのです。
終盤苦し紛れのポッと出のもので質が低ければ低いほど、最後の結論まで行くのが難しくなりますし、ちゃんとした論でも全部の質問をかわして最後まで冷静に一人で論を成立させることは格段に難しいです。
ざっとこんな感じです。
不安をあおるような書き方をしていますが、平和なグループディスカッションでちゃんと結論に落ち着く回も多くあります。
ちゃんと全員の意思が統一に至る、淀みも衝突もない合意形成は普通にできます。
ただし、気合が入りすぎているのか、そもそも性格が歪んでいるのか、どうしても空回りしたり、グループワークを勘違いする人はたまにいます。
それが就活生全体の10%程度の割合だったとしても、単純な確率計算では5人のグループワークを2回すれば必ずどちらか回で1人は困ったちゃんが紛れ込む計算になります。
なので、キレイゴトを抜きにすると、グループディスカッションには必要な裏技術があります。
正攻法できちんと立論し、説明できる余裕のあるよいグループだといいですが、足を引っ張りかねない輪を乱す人間をどうやって制するかという技術です。
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一生を分けかねない場面で変な人に邪魔されてはたまりませんよね??
どうしても様々な人が一斉に就活をする故、中途半端な敵は敵ではありませんが、中途半端な見方がむしろ敵になってしまう場面が必ず出てくるのです。
そこで、熱くなってリズムを乱されないためにもきちんと大人の戦い方をしてみてください。
そんじゃ
【就活】グループディスカッションで勝つきっかけをくれた本について
就活のグループワークの話
グループディスカッション。グルディス・グループワーク・GD・ジーディー・Etc Etc。。。
様々な呼び名で多くの企業が実施が実施する。
対策本も溢れ、様々なアドバイスが玉石混交で乱れ飛ぶ。
当初導入した時の本来の目的は忘れ去られ、独特の作法とテンプレ・ルールにのっとった採用過程を勝ち抜く過程で攻略する中ボスみたいなある種のゲームと化している場面すらあります。
就活生も一生に一度しかない就活の機会だけではなかなか本質をつかめないためになんとなくでクリアしようとします。
グループディスカッションという就活ゲームの1ステージ
リーダーがいて、タイムキーパーがいて、書記がいて・・・・うんぬんかんぬん。
なぜか、集団でよりいい結論を出すという最終目的からずれ、いわゆる基本テンプレにのっとた形を目指し、空気が読めないやつをハブき、何かを言っているようで何も言っていない中身の薄い内容をそれっぽく見せるためにアピール合戦をして、目立つ。
いきなり始まる謎の役割椅子取りゲーム、役割に無事滑り込んで満足する仕組み。
誰に指定されなくてもなぜかリーダーとか書記とかタイムキーパー(これ、いるか??)が決まり、大して賛成もしていないのにここぞとばかりに頷いたり、ワイプ芸のごとくリアクションをかましたり。
多少目立った方がいいからと自分の考えが甘くても先に何かを言って場を制する。
これ、本当に採用過程のとして機能しているのか?って思ったことありません?
やってみてアホらしくなったことありません??
実際、上に書いたことをやったから就活で成功するということは全くありません。
あくまで一つの外さないモデルであって、合格するための方法ではありません。
いわゆる就活本に書いてるもう出回った攻略法をわかりやすい指標でまとめると
- 発言数が多さ
- 周りに話を振った数の多さ
- 正解っぽい回答を出す人に付和雷同する速さ
- 意味がありそうな役割に自ら立候補する積極さ
この4つでしょうか。
これらの演技力だけで騙せる時もあるでしょうが、競争の激しい企業での実技となってくるとそうはいきません。
一般的な対策本に書いてあることって、減点されない要素ってだけで、決定的な加点評価ポイントにはなりえません。
全就活生向けの超一般化された曖昧で概要だけ書いてある就活本は本質的に学生のためにならない攻略法を指南し続けていますが、実情は違います。
企業一社一社、やり方も違えば、見ている人も違います。同じ業界でも人材の好みは大きく分かれますし、年によって採用するタイプを変えてくる企業もあります。
ですが、就活本はより多くの人をターゲットにしたいため、あまりニッチな攻め込み方はできず、大ヤケドはしないものの、特に大ウケもしない内容しか書けないのです。
要はピントがぼやけてしまうのです。
就活本をマネすると最後の人押しが足りないボヤけた人になる
実際の採用過程での勝ち方は人それぞれですし、同じやり方をやる人が増えれば増えるほど個人は相対的に埋もれてしまい、勝てる可能性を失っていきます。
指定がない限り、リーダーや各役割を作る必要もないし、必ずしも一番多く発言しなければならないこともないです。
最後までグループに反対し続けて、その場では浮いていたけど、実はそれが正解だったからその学生だけ合格したなんてこともあります。
全力を注いで就活本やネットの浅いアドバイスに合わせるべく、その身を削っている方には申し訳ありませんが、これは実力が100%だとすると最後の5%を加えるかどうかというだけの些末な話になります。
学生と違って採用する側の多くは何年かにまたがって採用に臨む。
なので、そういった就活っぽい風な行動に合わせてきたことには驚きも感動もしませんし、加点もしません。
そういうテクニックは残り5%での差しか生み出しません。
もちろん、ある程度の基本的な丁寧さとかちゃんと相手の目を見て話すなどは必要です。
逆に不自然に大きな返事や頷き・相槌や宝塚歌劇団ばりの極端なしゃべり方など変に就活ナイズドされた行動は一部ニッチな企業を除いて、マイナス評価を食らいかねないですし、コピーしたように就活寄りに合わせていくほど没個性化します。
むしろ、場合によっては、自分の良さをぶっ潰します。
じゃあ残りの95%は何なのか?というと普通に実力です。
というか上記のテクニックよりも先に身に着けるべき技術の積み上げです。
1、与えられた議論のテーマを理解し、設問が最後に出してほしい結論が何かを理解する。
2、与えられた情報を素早く読み取り、結論を出すにあたっての論理的整合性と使うべき情報を使った上での最適な検討をする。
3、そして、最後にそれをグループに対してわかりやすいように言葉にする。
ディスカッションという皮をかぶっていますが、論を議するのが議論ですので、議する前に論を立てることができていなければそもそもアウトです。
極端な人では、論よりも対人駆け引きを使って相手の主張をつぶしたり、他が活躍しないシステムを作り上げて、一人総どりを狙ったりする意識の人もいます。
が、そもそも最後に出る結果としても立論がしっかりしていないとグループごとノックアウトを食らいます。
逆に全員考えずに持論を持たないままでディスカッションに臨めば何も生まれずに迷走して終了します。
そのため、変な役割取りやマウンティングに終始するよりも、考える時間をなるべく多くし、集中して確保したほうが得策なのです。
グループディスカッションの本当の相手は採点する人。
あくまで採点者が通過の可否を決めます。
なので、相手にすべきは周りの同じテーブルに着いている学生たちではなく、採点する人です。
この採点する人に対して、自分(達)はわかっていること、きちんと目的に向かって進んでいることをアピールせねばなりません。
(※他の優秀な人が議論を引っ張っている場合はその人の考えにただ賛成するだけではなく、意図や論理を理解していることをアピールせねばなりません。)
ちなみに、採点者は決してその場をディベートとは捉えていません。なぜなら会社に入ってからディベートっぽい状況に入ることってあんまりありません。
それを勘違いして入社後に会議でケンカ腰でぶちかますと痛い目を見ますし、そういう人をとりたがる業界・企業は少ないです。法曹にでもなって下さい。
故に、問題の趣旨を理解すること、それに基づいてスタートとゴールをつなぐ論理を構築することに集中すればいいのです。
それができたら次にグループでの議論が多少ごたついたとしてもそれぞれの考えを整理できていることをわからせていければよいです。
議論のごたつきの整理の仕方と周囲の制し方についてはまた違う章で書きますが、今日はまず与えられた情報や結論における立論部分についてを書きます。
主題の就活の時に読んだ本の話
就活中に読んだことでものすごく役に立った本があります。
それ以降もいろいろと考えるきっかけになった本があります。
超絶タイムリーにドンピシャにそこのお前にとって役に立つ情報と考え方を補強してくれました。
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本当にそうかはわかりませんが、そこのお前的にはこの本を読んだおかげでタフなGDやケースの採用過程を突破できたんじゃないかと思っています。
まぁ、一般的に見れば大したことない話なんですが、ざっくり説明すると、身の回りの数字または情報の限られた数字自体をきちんと読み込むにあたってどういった点を見て思考を展開させるべきかということを書いてくれています。
具体的な例を挙げながら、数字やデータの取り扱い方を教えてくれる本でした。
数字やグラフ上でわかる背景推測の仕方やこの数字が表している事実はここまでだが、それ以降で勝手に脳が先入観をもとに判断している情報がある場合、どのように直感に気をつけて見極めていくかだったりとか、どういった点に着目してみればよいかなどを解説してくれるわかりやすい本です。
そんなに専門的な内容ではなく、もっとシンプルに心構えや考え方を指摘してくれています。
なので、これを読んでケースやグループディスカッションに臨んだ時に、今までよりもより力強く論を展開できるようになり、ひいては問題や場をコントロールすることができるようになりました。
正直、日常的にグラフを見ているまたはグラフをもとに思考や論を展開する練習ができている人には今更な本ですが、文系等の人でグラフを読み慣れていない人にはお勧めの本です。
特に1時間を超えるような長いグループディスカッションや重ためのケーススタディをやる時には数字やグラフが出てきますし、難易度が上がるほど山ほど出てきます。
そして、その数字自体をどうこねくり回しているかよりも、そのグラフが出てきていることでどういう回答に誘導しようとしているのかを察する力だったり、背景知識を組み合わせることでどういう使い方をして議論を構築してくるかを見られるようになります。
(※20分やそこらグループディスカッションではおそらくそこまで見られません。その程度の場合は集団でのキャラや雰囲気や頑張り方を見られています。)
まぁあの就活の場のグループディスカッションは非常に複雑でいつもと違う雰囲気があるので、その中で自己を保つのは少し大変ですが、こういった自ら考える力を補強することで周囲に振り回されない強さを獲得できます。
個人の地頭云々であきらめずに、こういった考え方や見方のうち、好きなもの一つか二つ仕入れて使いこなせるようにすると強い武器になります。
元々の頭の回転だけでは負けるかもしれない場でも戦っていくことができます。
難しくない本なので、数字に苦手意識がある人、今から就活に臨む人は出版社の撒き餌である就活本につられずに、こういう種類の本を読んでみると、就活に染まらずにその場で際立つパフォーマンスを出しやすくなります。
なんだかんだ、企業は何か目立ついいポイントがある人を探していて、あまりにも自分を抑えすぎると本当に埋もれます。
そこのお前は何か光る物事の考え方や数字の扱い方をこの本から得ることができてよかったなと思っています。
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ぜひ、周りに惑わされず、自律的に論を作り、場をうまく主導することを目指してください。
ではでは
【英語】たった1点、早期に英語を始めた方がいいと痛感した話【挫折】
そこのお前は純ジャパである。
どの記事でも繰り返しているが、帰国子女でもなければ短期留学すら言ったことがない。
まぁそういう意味では、そのプロフィールで突入する海外赴任経験は日本の英語教育が試される試験体のようなものだ。
どの言語でも最初は同じだが、常にもどかしさとの闘いである。
が、やってやれないことはない。
そんな、そこのお前が日本にいたころは以下の英語教育論をよく耳にした。
1、英語教育の早期化は不要
2、日本語とは別の英語脳を育てよ
1、英語教育の早期化は不要
英語教育は日本語の素地ができるまでは不要だという話がある。
その後からでも十分英語学習は間に合うという説である。
まぁその通りだと思う。
実際、今はそういう領域に到達した感覚も出てきた。
英語をかじりだしたのは小学校高学年、ちゃんとやったのは大学からである。
後からでも遅すぎるという事はないというのは間違いないだろう。
これらに関する研究や本もたくさん出ているし、あとからメソッドも溢れている。
が、絶対的正解も不正解もないと思う。
ただ一つ確かなのは「よりたくさん英語に触れよ」
これだけである。
多くの人の期待を裏切って申し訳ないが、失敗も含めて数多く接したもの勝ちだ。
英語に限らず、あらゆる言語はそう。
効率の良しあしももちろんあるが、量の多寡が圧倒的に成果を左右する。
だから、何も考えずに英語を使う練習するということしかない。
巷にあふれる英語教本は「英語に触れる機会がないけど英語ができるようになりたい人」に売り込むのに必死である。
本とか方法自体を論じるよりもどれぐらい量を積めるかを見るしかない。
すると量を積むには幼少期の方が適しているから、英語ができるようになりたければ早くから英語をやった方がいいことは間違いない。
量をこなすには最もまとまった時間があり、かつ、余計な癖もついていない効率的な環境でできるからだ。
だが、成長に合わせて英語力を鍛える環境がなければそれも意味がない。
それを考えると、日本で英語を徹底的に触れられる環境は限られている。
その上で高いレベルでの頭脳的処理や思考と英語を両立できるところはさらに限られている。
要は伝達する言語としての教育しかしない。
それでは結局英語教育レベルの最大値が上がらず、どんなに早くしても無駄になってしまう。
最大値の到達するのが早いだけで、その後の更なる育成の扉が開かれない。
だから、長期間留学や仕事でもしない限り、頭脳的処理や思考と英語の両立に関する最大化が図られない。
それが必要ない日常会話レベルならば、あとからでも十分巻き返せる。
逆に日本国内で純粋培養するならば、日本語で高度な頭脳的処理と思考を先に学び、後から英語に変えていく方がまわりまわって効率がいいというのは的を得ている。
日本の英語教育の現場が変わらない限り、この傾向は続くだろう。
2、日本語とは別の英語脳を育てよ
これもその通りだと思う。
最近になってようやくはっきりと日本語脳と英語脳が違うことを意識的に識別できるようになった。
純ジャパそこのお前の英語脳は大学在籍時以降で形成された。
正直、高校ではTOEICで300点台をたたき出すような人間だったが、それでも間に合うものである。
英語を早くから始めたことで何かが変わったかどうか?という問いについては正直答えかねる。
そこのお前も人生は1回だけなので、どっち良いかを身をもって体感したことはない。
が、一回だけ強烈に早く英語を始めていればと思う瞬間があった。
英語脳、確かに後からでも作ることはできるのだが、それでは遅い決定的な理由を痛感させられた。
日本語の議論よりも圧倒的にパフォーマンスが落ちるのだ。
これをもう少し説明する。
先ほどの英語脳は後からでも作れるという話にはもう一つ先がある。
日本語脳と英語のは脳のエリアの中で異なるエリアを使っていることが研究で判明している。
つまり、同じ部分を違う使い方をしているのではなく、そもそも違う部分だという話なのだ。
ここからはやや感覚論だが、上記の研究結果を考えて、明らかにパフォーマンスが落ちたという欧州に行ってから抱き続けた違和感の答えが出た。
言語はあくまで手段であり、言語を使って何をするかが重要になる。
そこまでは理解していたが、
言語の果たす役割は単純ではない。
しゃべる(伝達)・聞く(認識)・読む(認識)
以外にも、
思考する、記憶する、イメージする、理解する
これらの要素が加わってくる。
つまり、同じ人でも日本語で思考するのと英語で思考するので思考結果が異なるし、英語で覚えていることと日本語で覚えていることは同じではないということだ。
言語による理解も片っぽの言語で理解したら両方の言語で理解できているというわけではない。
過去に積み上げた抽象的な思考や感覚・経験の言語化は日本語では終わっているが、英語脳にはその蓄積がないため、即座に出てきにくい。
つまり、英語脳を駆使して英語を英語のまま理解し、英語で返そうとしている時にはせっかく日本語脳にしこたま蓄積してきた思考や概念理解がフル活用されないまま来ているのである。
これは結構深刻な問題である。
新たに積み上げた学習領域であればいいが、日本時代に無意識に獲得してきた膨大な量の思考の結晶は一から英語脳に互換性のある形で変換してやらないと出せるようにはならないのである。
英語で学習し、英語でアウトプットすることで英語脳ができる。
が、通常の純ジャパであれば日本語で過去に積み上げたものを英語でアウトプットするには日本語脳と英語脳の両方をフル活用しなければならない。
これを外国人やネイティブスピーカーに負けないスピードで精度高く出すには限界がある。
そして、そこのお前はそこまで頭がよくなかった。
これが英語流の表現力とは別にあと一歩議論で踏み込めなかったり、言い返す力が足りなかったりする原因だと思う。
長年使ったiPhoneの簡単なデータ移植だって結構手間と時間を要するのにそれを全部iOSからAndroidに移植するようなもんだ。
しかも人生丸ごと。
人生数十年分の英語脳への移植なんて考えただけで震える。
無理やな。って思う。
これがまだ10年以内で済んでいたらどんなに楽だっただろうか。と思ったりする。
やっぱり早いうちから日本語脳と英語脳をリンク・同期する状態にしておく訓練が必要だと唯一思った瞬間だった。
ボキャブラリーやリスニング能力だけではない。
言葉を扱う時に起きる感覚と思考を英語で持っていないと海外ではフラストレーションがたまる。
日本語での思考が重要なのは言うまでもないし、そこをおろそかにしては全く意味がない。
また、両方の言語でギンギンに深くまで思考できるようになれという話ではない。
ただ、ひとつ思い知らされた。
日本語脳を鍛えても英語脳の作動中には即座には呼び出せない。日本語脳を鍛え、英語脳を鍛え、相互に脳のデータを共有するようにしなければならなかったようだ。
だったら英語を早くやっておけばよかった。。。
思考や感覚、概念を移植するトレーニングを。。。
そう思った。
これからは単なる伝達するための英語だけじゃなくて、この議論におけるスピードと思考の速さに対するアプローチを真剣に考えようと思った。
純ジャパは純ジャパなりにあがくとします。