達成した結果より、新たにできるようになった事を褒めるべきという話
成長意欲を掻き立てる動機づけの話
そこのお前は外資系企業所属です。
つまり、何でも定量化して数字目標を作り、結果で人を評価します。
個人評価もそうですし、チームとしての評価や会社としての評価もすべてそうです。
結果を達成したかしなかったか。
基本的には結果にかかる比重は大きく、非常に重視されます。
もちろん、単なる数字だけでなく、結果としてどのような貢献がなされたかを定性的に評価するケースもあるわけなんですが、基本的には結果的にどうだったか?という点で評価されます。
まぁいい方によっては冷たい評価方式です。
ですが、それは仕方がありません。
ビジネスをやる以上、どんなことがあっても数字に反映されなければ立ち行かなくなってしまいます。
が、実際に中で人が働く上では少し違う考え方をした方が気持ちがいいと思うんです。それを痛感した初歩的な話をします。
そこのお前が初めての海外勤務にぶつかった壁の話
そこのお前にとっての初めての海外生活
ヨーロッパですら、慣れない時は非常に心細いものです。
最初は慣れるまでに時間がかかりました。
英語も思ったように出てこないし、表現力がない。
英語での思考が遅い分、テンポも悪い。
自分でももどかしさを感じる日々が続きました。
こんなスタートでした。
もちろん、時間を使うことで克服できるほどの地力はあったわけですが、それでも周りからは不十分であると思われていました。
毎日、劣等感と悔しい気持ちに溢れた日々を送っていました。
それは新入社員として入社した時の自分の無力さを容赦なく叩きつけられていた時期のことを鮮明に思い出させました。
そこのお前の脳裏には1年目に最低評価を取ったというトラウマが蘇りました。
社会人として慣れてくるとそんな気持ちを忘れてしまうものです。
ですが、ある程度鼻っ柱ができたころにへし折られることで気が付きました。
自分自身に自信が持てない時に何がその状況を打破したか。
- 誰かからの成長や努力の称賛
- 結果を達成し、それが何によってもたらされているかがわかっている時
この2点でした。
このうち、2に関しては最後に達成できるまではわかりません。
それに、いい状態であればわざわざ悩まずともできるわけです。
問題は、
自分に自信が持てない時に、正しい努力を継続する強さを持てるかどうか?
という点です。
ここにおいて、誰かから成長や努力の跡を見てもらっているという事実は非常に大きな効果を持ちます。
そこのお前も最終的にはコミュニケーションのスキルも非常に高まり、英語でのスピード感のある会話もできるようになってきました。
もちろん日本語でやるには遠く及びませんが、それでも少しずつ精度とスピードは上がってくるものです。
結局、英語に関して言えばやればやるほどできるようになるわけです。
その過程を欧州の上司がよく見ていてくれました。
最初のころよりも圧倒的にできるようになってきている
当初は心配したけど、出来るようになった。
まだまだ最高レベルとは言えないけど、十分に実力がついてきた。
元々の実力に加えて、足りなかった部分に力をつけてきているのは見ているよ。
と。
正直、欧州での良評価を得るにはあと一歩足りないものがその点だったわけだが、それでもその努力と成長の過程をしっかりとコメントしてくれました。
これを聞いた時に、そこのお前が経験した1年目の苦しい時期を思い出した。
正反対だった外資系企業1年目の経験
一年目の時には成長過程は特に着目してもらえませんでした。
やっていることや取り組んでいることが正しいのかどうかもわからない日々が長く続きました。
それと共に、結果が伴っていないことだけは知っていたし、その指摘だけは受けていました。
当然結果は出なかった。
が、今回は違いました。
自分ができなかったことができるようになったという事を見てもらうことができました。
それがそのまま自信につながり、積極性を生み出しました。
そこのお前のようなビビりには何よりも大切な言葉だったと思います。
外資系企業にあって結果にのみ執着しやすい環境の中で、ここの部分を見てもらえていたことは非常に稀有な事象だと思います。
これで自分の向いている方向性が正しく、取り組み内容も間違っていないと自分で自分を安心させることができました。
迷いがなくなったことで、自分の身の入り方がわかり、成長速度にもいい影響を感じるようになりました。
やはり人間である以上、論理だけでは動けない時があります。
自分のやっていることが正解であると信じられない時もあります。
特に難しいことや新しいことに挑戦する場合はそうなんじゃないかと思います。
そういう中で常に自分を信じることができることが理想ですが、誰もが獲得できる能力ではありません。
しかし、それは他人からでもサポートできる内容なんです。
結果ではなく、個人が辿っている過程をきちんと把握することで人は自分で自分に行うよりも強い効果で誰かに自信をつけさせることができるです。
大人になっても新しいことや難しいことに挑戦をする時は子供が育つ過程と構図はそう変わらないと言えます。
今より一歩を踏み出す時に失敗を恐れる心や自信がない不安を取り払うには結果による評価だけではありません。
自分自身への自信や恐怖感を抱かなくて済むと思える安心感も強い効果を持たせられるのです。
下手に褒めて油断したらどうしようと考えるのは損です。
人が迷っているのであればその迷いを確信に変えなければなりません。
この感覚を人に与えられる人間でありたい
管理職としてキャリアを歩む以上、結果につながることをやらなければいけないのは当然だが、人がそれだけでは構成されていないことをきちんと理解しなければなりません。
ロボットではない故に様々な迷いを生みます。
が、ひとたび自分の中で心が宿れば進化と成長が始まり、新しい可能性を生み出すことができるようになります。
それを的確につかみ、観察できる人でありたいと思っています。
人の進化や成長をコントロールできるとは思わないが、常に適切に刺激し続けられる人間でありたいわけです。
これに直接効くのは、
出来たことの評価ではなく、出来るようになったことの評価
だと思います。
だって、それを重ねてきたことが今の自分を支えているのですから。
そして、自己成長や変化は人が内発的動機を生む一番の起爆剤ですから。
【キャリア】外資系企業の洗礼を受けた話【現実】
そこのお前は一年目はいわゆる落ちこぼれでした。
当時は目だないどころか、悪目立ちするほどに周囲からもネガティブな認識を持たれていました。
ですが、そこから10年弱ほど経った今では幸いなことに順調なキャリアに変化しています。
外資系企業らしい派手な洗礼。
まぁそれが逆に気持ちを盛り上げる要因にはなったわけですが、その時は本気で転職を考えました。
具体的に何が洗礼だったのかというと、評価の付き方です。
1年目で早速、悪評価を付けられました。
会社の査定とは不思議なもので、一度ついてしまうとその評価を知っている人には強い何らかの先入観を植え付けます。
しかもそれが次の査定タイミングである1年後まで続くわけですから、結構長期にわたります。
そんな悪いレッテルをばっちり一年目から背負わされたという話なわけです。
大きく分けて2点あります。
- 評価期間の無視
- スキル・専門性の無視
評価期間の無視
通常、新卒で入社する場合のタイミングは4月が一般的ですが、その後の諸研修を経て、晴れて配属されるのは7月~9月程度になるものです。
そこのお前の場合は7月からの配属になりました。
というわけなんですが、評価の切れ目は1月~12月になります。
その年12か月の評価で個人査定が決まります。
新卒に限らず、年の途中で仕事をスタートさせる場合は基本的に不利です。
ましてや、他のチームからの異動でない場合、前からの積み上げもありません。
前任者の仕事次第ではありますが、他の人に比べて期間が短く、慣れることにも時間がかかることから、多くの場合は成果が出にくいわけです。
スキル・専門性の無視
そこのお前の場合は上記に加えて新卒です。
当然、周辺知識も少なければ、社内人脈もない「右も左もわからない」状態です。
そこに若いチームに入れればよかったですが、経験者で固められた専門スキルがものをいうチームの配属でした。
自分を除いた最若手でも30代後半、上は50代中盤というスペシャリストチームでした。
スペシャリストチームに所属する上において、未経験であることは致命的です。
そもそもそこに配属する神経が知れませんが、研修目的にしても酷すぎます。
そんな中、22~3の若造がたった半年間でそんな彼らと対抗せねばなりませんでした。
まぁ当然勝ち目がないわけです。
もちろん、自分でやってても至らなさを感じるわけですし、日々無力感に苛まれ続けるわけです。
ストレスも一時的に増しました。
結局、そのまま何の下駄も履かされずに評価され、結果はぼろ負け。
挽回する間もなく、評価タイミングでは悪い評価をいただきました。
そうこうしている間に、同じようにキャリアをスタートさせて良い評価を得ていた同期とはある程度差をつけられました。
それもあって、どこに行っても引け目を感じる。
そんな1~2年目でした。
何の考慮もなく、そのまま悪評価
新人に容赦なく悪評価をつけるのが外資系企業の現実だと思い知らされました。
(※どうやらそうではないらしいが笑)
やってくれたな。
正直な感想はこうでした。
それが一年目の外資系キャリアの洗礼でした。
正直、入社を後悔した瞬間もありました笑
結果的にがっつりボーナスも削られ(むしろ次月給料から天引き)、昇給もせず、他の同期に評価・給料が追い付くのに数年を要しました。
それでも数年で済みました。
ズルズルと沈み込んでチャンスも与えられないということはなく、その後のチャンスを着実にモノにすることで悪影響を最小限にとどめました。
理想は自分自身で克服し、勝ち取った逆転劇といいたいわけですが、まぁそんなことはありません。
基本的に若い時のキャリアはその変動幅も大きく、逆転・どんでん返し・大転落いろいろありうるわけです。
様々なラッキーと向こう見ずな反骨心が自分を支えてくれました。
もちろん自分自身がなければ何も起きないわけですが、最終的にはたくさんの人からの理解や助力がなければ同じく何も起きません。
結果的に研修期間としては通常通りの任期を終えて、次の異動に進んだことが好転のきっかけでした。
そこはそこのお前に向いているチームで、やりやすい状況が回ってきました。
やはり、落ちこぼれはいる場所や一緒にいる人によりけりだと思うのです。
世の中のほとんどの人は自分だけではない何かに作られながら生きていると言えるわけです。
そういった周囲の環境を気にせず突き破れる稀有な才能を持っている人もいますが、そういう人だけで世界が構築されていることはありません。
そんなそこのお前の逆転に際して深く感じたことですが
悪い評価を覆す
これに非常に苦労しました。
そこのお前に限らず、結構これに苦しむ人は多いと思います。
良い仕事をするとかいい印象を与えるということには特に不安感等はありませんでした。ただできることを全力でやるだけだと割り切っていたので、特に変わることはありません。
ただ、この悪印象を払拭するということに非常に大きな不安を抱えました。
同時に、飲まれないように自らを鼓舞することにエネルギーを必要としました。
役者の世界でもそうですが、
悪役のイメージが付くとなかなかいい役で出にくくなる
とか
一度抜群に目立つ主人公のイメージが付くと他の作品に出にくくなる
とか
デビュー作のイメージが強く残りやすい
などといわれたりします。
要は、一度キャラが付くとそれを払しょくするには最初のキャラ付けに比べて時間と労力を必要とします。
それは逆もしかりです。
いいイメージが付けば多少の現実には目をつぶってもいいイメージが付きやすく、それだけで得をするわけです。
特に最初に悪い評価をもらうと一層悪いイメージが付きやすいわけです。
第一印象は30秒で決まるなんて言われたりしますが、ちゃんとした印象を持ちなおしてもらうには30秒では足りません。
面接ですら挽回するにしても30秒どころではすみません。30分ぐらいかかりますし、その間に面接は終わってしまいます。
それと同じ構図なわけですが、1年かけて張り付けられた悪い評価のイメージはその後覆すことに苦労しました。
2年以上かかったでしょうか。
2年かかってフラットな状態に戻し、そこから2年かけてよい方に転じさせて、もう2年かかって安定させたというところでしょうか。
強調したいのは、その時点で3年近くのビハインドが生まれるということです。
たられば論は不毛ですが、最初からいい評価を同じ勢いで得続けることができたとすれば、3年の間に既にいい評価の安定期に入っているということになります。
残酷な現実です。
が、幸いだったのはその悪評価がそこまで広まらなかったことでした。
今となっては若干の恨み節を持ったぶっちゃけトークとしてはうってつけのネタにできていますが、当時は本気で自分自身を心配しました。
挽回にあたっては特に以下に苦労しました。
- 悪評価を付けた上司
- 悪評価であることを知っている他の管理職連中・チームメンバー
- 悪評価であることを偶然知ってしまった他のチームの人
この3つのカテゴリーの人の印象を覆すことに大きな時間を必要としましたし、エネルギーも消費しました。
偏見というほどではありませんが、やはりネガティブな先入観が頭にある分、良い仕事を積み重ねても上記1~3以外の人と比べてどうもよいイメージが定着するまでに時間がかかりました。
少しでもミスがあると、やっぱり悪評価を取った理由があるんだな。
とちょっとのミスでも根が深い悪いものとして捉えられやすくなってしまいます。
逆にいい評価を受けていた同期なんかは、ミスすることもあるんだね!なんていう非常に暖かい目線をもらっていたそうで、不平等感は否めませんが、現実を思い知らされる結果となりました。
そんな中、
- 悪評価だったことを知らない他チームの人
- 悪評価だったことを知らない中途転職で来た人
- 悪評価だったことを知らない社外の人
これらの方々とは非常に仕事がやりやすかった感覚があります。
特に悪評価というレッテルが上塗りされなかったため、仕事上の成長と共にきちんと合わせてよく見てもらえました。
そのため、その人たちとの関係を手厚くして、周りから自分の評判がきちんと広まるように意識しながら仕事をしました。
どうせ色眼鏡かかった人たちの評価を独力でひっくり返すのは難しいわけです。
周りの人が褒めているという事実が伝わって客観性が出るまではおとなしくしていました。
一度色眼鏡がかかっては自分の力だけではコントロールができません。
本当にじっくりと勝負する選択をしたわけですが、結果的にはこれが功を奏しました。
今ではこの経験が逆に自分を逆境に強くしてくれた出来事になっています。
外資系の洗礼を受けたわけですが、それでもたくましく生きることはできています。
悪い評価を取ってもすぐにクビにはなりません。
後からどうにでも取り返すことができていますし、会社も今ではそこのお前を大切に扱ってくれています。
本当に評価は不平等だと思うものですが、後からでも取り返しが利くのは外資系でも同じなのです。
むしろ取り返しやすい環境かもしれません。
若手の内に評価が上がらないからと言ってすぐにその企業を諦める必要はないなぁと感じています。
キャリアは短期決戦ではなく長期戦ですから!
「就活の軸」がハリボテだとキャリアもハリボテになるかもしれない話
社会人として思う、考えておけばよかった「就活の軸」
就活は試験勉強のように美しい物ではありません。
勉強すれば点数が上がる、点数が上がれば合格する。
といったような種類の試験ではありません。
人が人を選ぶ世界、100社100様の基準
ともすれば学生側からは全く理解できない選考基準な場合もあります。
ホームランバッターが欲しい会社もあれば、足の速い人が欲しい会社もいます。
守備の上手い選手や球の速い選手が欲しい場合もあります。
本当に企業の好みとその時の状況次第だったりします。
採用側も常に100%正しい判断ができるわけではありません。
そんな残酷で理不尽な世界の中でよい縁を手繰り寄せなければならないのです。
そんな就活における個人の心の在り方を長らく考えていましたが、早いものでそこのお前も学生を選ぶ側に回る立場になりました。
徐々に就活関連のイベントに呼ばれることも少なくなり、当時の記憶も薄れてきた中で、遅まきながらも長らく鬱々と考えてきたことについても一定の答えが出てきたのでここで書いておきます。
自分の120%を引き出し続けてくれる企業を選べ
といったところでしょうか。
サラリーマンをやるならば会社内だけでなく、世間に通用する人間にしてくれるかどうかのイメージが湧く会社が理想形だと思います。
就活の“軸”
当時はこの言葉を聞くたびに軽い寒気と借り物の概念の薄っぺら感を感じていて、口に出したくない言葉でした。
どうも多用されすぎて元々使われていた意味が拡大解釈されてぼやけてしまっている気がします。
内定を取るためのキャラ付け
この意味に勘違いをしやすい状況になっているんじゃないかと感じています。
ただ、これはある程度仕方がないことだとは思います。
日本での一般的な就活はいわゆる「受験」のような要素を多分に持ちます。
将来のキャリアよりもまず「内定」という関門を通過することが重要だという考え方になりやすい環境です。
これは昔からの終身雇用慣行の考え方の名残なのか、会社に入ったらあとはもう変えられる可能性が低いから入り口にすべてを賭けるという考え方と言えます。
そのため、より成功率の高い行動を組み合わせて軸とするというようなアプローチが多いです。
これが就活生からいつも聞かれるどんな「就活の軸」がいいですか?
という質問でした。
個人的には就活における優先決定要素ぐらいで認識していましたし、実際その程度のものです。
「自分が一番ノビノビ働ける場所に行こう」っていう程度に決めていました。
他の人にその呼び方で話をすると伝わらないのでここでもわかりやすく“軸”という言葉を使います。
この就活の軸を決めるにあたって、大まかに2軸を考える必要があります。
自分軸
(自分が)何がしたいか?
(自分が)何ができるか?(または何をやってきたか)
企業軸
(企業から)何が求められているか?
(企業で)何をすることになるか?
この4点を主な要素として就活における取捨選択をすることが重要なわけですが、このバランスを間違えるといい選択をしにくくなります。
そこのお前でいえば、自分が一番ノビノビできる場所は
- 数字や論理で勝負できる環境
- チームで何かの目標に向けて努力するチーム仕事
- 日本以外の環境が身近なところ
この3点が自分が一番やる気が出る場所と思っていたので、これらを高い割合で満たす場所を探しました。
収入や休日、福利厚生については付随的な物だったので、あんまり参考にはしませんでした。
結局、配属されたチームや業務内容によっても変わるのであまりアテにならないなぁとは思っていたので。。。
(※実際、残業していないように見せかけたり、休んでいるように見せかける社員も多くいるようですしねぇ。。。)
とは言っても、新卒で入る会社にすべてを賭けていたわけではありません。
なぜかというと。。。
平成が終わった時代の就活
すでに平成が終わった時代、終身雇用制度も少なくなり、第二新卒やキャリアチェンジも非常に活発になりました。
もちろん、新卒で自分の望む企業に入り、きちんと自分の望むキャリアになればいいです。
が、それが叶わない場合に自分を支えるのは企業ではなく自分自身となる時代になりました。
一度、入る会社に失敗しても後で取り返しが利く可能性は十分に高くなっているのです。
現代では就活はすでに「新卒として入社する企業の質」に全身全霊をかけるよりも、自分自身と向き合い、理解し、社会や会社を分析して考える「過程とその精度自体」の方が意味がある時代に変わったんじゃないかと思っています。
ちょっと前の就職氷河期と言われたような内定率が非常に低い場合ならいざ知らず、現在のように大学生の内定率が90%を超えてくるような世界ではますます企業側に寄せることが重要な戦略であるとは言えない状況になってきました。
内定を得やすくなったことで、むしろ、わざわざ企業にすり寄らなくても内定を得る確率は上がっているのです。
同時に転職市場の活発化は内定を得た後に無理して我慢の末に企業に尽くす価値も相対的に減じているので、一つの企業に拘る意味は薄れています。
そのため、よりしっかりと自分自身を理解するほうに比重を置いた方が結果的に満足できる選択につながりやすいと感じています。
つまり、就活は内定を得るよりも自分自身の市場価値を理解し、かつ自分自身がどこで売れるかという事を考える最適な場所になったわけです。
さて、そんな就活ですが、そんな本質的な成長の機会であることはあまり強調されません。
だって学生にとって耳が痛くて、わかってはいるけど受け入れにくい話だから。
企業の様々な学生向けのマーケティング
就活に一般的な正攻法があるかのように宣伝する就活塾が出てきたり、就活関連のSNSが存在します。
就活プラットフォームを持つサイトも人気や収入、離職率、社員満足度、有休・育休取得率など様々な指標でランク付けし、企業側もそれを売りにします。
あたかも入ったら必ずそのランキングにたがわぬ人気で高い収入やよい福利厚生・満足度で転職を考えることなく満足なキャリアを送れるというかのように。
おそらくある程度のベンチマークにはなりますが、100%保証するものではありません。
それに期待してしまう学生の心理もわかりますが、もっと現実は残酷であることを同時に考えねばなりません。
何ならランキング指標だけよくて、中身が伴わない企業すら存在します。
実際問題、就活サイトは就職後の面倒は見てくれませんし、最初はお客様扱いをしてくれる企業も入ってしまえば一番末端としてキャリアがスタートします。
そのため、企業に入ってからしばらくは自分の思い通りにできる部分は非常に限定的になることも多いです。
そういう時期も含めて会社に入った後にどのような生活を辿るかどうかという点を考える必要があります。
が、実際にはそこまで考えた就活をできている人はそう多くないと言えます。
学生サイドには時間や情報量と内定後の未来の想像が可能な範囲に限りがあるため、「内定」取得に注力してしまうのは避けられないことです。
内定後に会社と個人がマッチしないという話は聞くモノの、内定がなければ未来もありませんね。
なので、先のことまで考える余裕もなくなりやすいことは確かです。
むしろ内定の為に非常にシンプルで迷いなく行動することが必要な瞬間もあります。
ですが、これは自分自身をしっかり理解している状況である限りは有効ですが、知らない間に自分を偽ることは避けた方が得策と思います。
(※就活時間が短い人にはかなり酷な課題ではありますが。。。)
自分を偽るというハリボテ
自分を偽るというのは主に企業側の求める人物像に寄せ、自分軸の2点を無視した自分を作るととここでは定義します。
まぁそれはそれで一種の処世術であって、カメレオンのように変わることができるのはむしろ一つの長所になりえます。
それができる人は企業側の2点にギンギンに寄せてもいいかもしれません。
ハリボテも極めれば立派な城になります。
(※それに抵抗がない人は問題ありません。それに抵抗がある人や苦手な人は会社に入ってから苦労します。)
実際、そこのお前のようにそれが得意ではない場合は、周りに合わせようとしすぎるとあまりいい将来が待っていなかったでしょう。
とはいっても、
そうでもしないと企業に取ってもらえないんじゃないか?
とか
社会人の人に評価されるほどの自然にできた軸なんてない。。。
と不安になる人もいるとは思います。
この場合でもなおさら不安に駆られると空回りします。
結局のところ、よっぽど自分を作りこめないと企業側の担当者はごまかせないわけです。
不安だから企業がいいと思ってくれるような人を演じようとするのはどうしても違和感がにじみ出てしまいます。
むしろそれでごまかせてしまうような企業に入ることは危ういかもしれません。
結局、よく見ていないということなので。。。
実はそれは日系大手企業で100人規模で採用する場合なんかは十分に起こりうる話です。
そこのお前も最終面接が集団面接という驚くような採用現場も通過しました。
この場合、何かがわかるというよりはもはやギャンブルに近いような状態です。
本当に自分が入っていいのか逆に不安になります。
結局、何が見られているのか。
加えて、企業も今の時点での完成度だけを見ているわけではありません。
重要なのは、現時点での完成度ではありません。
伸びしろがあると期待感を持てる要素がいくつあるか?です。
ここがわかっていないと、いくら面接のテクニックや適性試験成績が万全でも決め手を欠くことになります。
人前で目立つ力なのか、コミュニケーション時の表現力なのか、過去の経験なのか、または考え方なのか。
場合によってはウチにあってるな!なんてフィーリングで終わってしまう世界です。
これらに光るモノ、感じるモノがあったほうがずっと取ってくれます。
そこのお前も結局最終的な決め手は
やってきた事が多岐にわたって取っ散らかってるけど、面白そうだから採った。
なんていう訳の分からない内容でした。
これは事前に予測できず、新しく自分で作れるようなものでもありません。
そのため、自分が何をしてきたか、何がしたいか。
について、非常に強く分析することが必要になります。
具体的にしたいことがなくたって、今ままでやってきたことは何で、出来ることが何です。
というアピールだっていいわけです。
とにかく、企業と自分がマッチしているか判断できる程度の自己理解と企業理解ができている企業に入ったほうがいいという事です。
そういった企業に入り、かわいがってもらい、育ててもらえれば後から収入や肩書がついてきて、期待した以上の人生に化ける可能性だってあります。
逆にいい企業に入っても、かわいがってもらえなかったり、強化育成対象から外れたりした場合は思い描いた人生を下回る可能性もあります。
だからこそ、就活の軸がハリボテだとキャリアがハリボテになり、期待外れにもがく可能性が出てくるのです。
就活の前から考えていればOKですし、就活終わってから考えても遅くはありません。
ですが、就活と同時に自分と向き合うのが一番抵抗なくやれる機会だとは思います。
ので、企業の売り込みや自分と違う人間の成功事例をまねするよりも自分で自分を決めるという過程を楽しんでみてください。
ではでは
【外資系】グローバルエリート養成プログラムというハリボテの話【就活】
多くの人が就活の中で見落としがちな点
そもそも企業が欲しい人材のことを正確に把握できてない場合があるという事だ。
この話は特に就活生に読んでほしいし、中途転職する人も最後の決断においてちょっとでも参考になればと思う。
就職活動者の保持資質・希望職種 X 企業側の希望資質・保持職種
新卒の就職活動の本来の構図は上記のとおりである。
まぁどちらが希望する側でどちらが保持する側かというと、常にこの構図である。
人が実力や才能を保持し、会社が職を保持する。
人が職を希望し、会社が実力や才能を希望する。
この関係によって企業と個人のマッチングは成り立っている。
これらが高い精度でマッチした時に採用するというのが基本だ。
極限までシンプル化してみたが、相思相愛度が高ければ高いほど双方にとってマッチすることはわかると思う。
意外と見落とす落とし穴
就活生が自分の資質を理解していない場合
企業が企業の保持する職種を理解していない場合
この2点だ。
双方とも自分の希望は整理できる。
個人側であれば、お金が欲しい。やりがいが欲しい。この仕事がやりたい。
企業であれば、優秀なタレントが欲しい、頭がいい人が欲しい、外交的な人が欲しい。
などなど
だが、就活生が自分自身を、企業が企業自身を理解していない場合には非常に苦しむ。
今日は就活生が自分を理解していないケースはいったん無視する。
もっと残酷な企業が欲しい人材をわかっていなかった話
もうだいぶ昔の話だが、会社として一時期、かなりハイスペックな人材を募集していたことがあった。
これは日本だけではなく世界的にも行われたプログラムなのだが、日本支社としてもそのプログラムを採用した。
人事も非常に力を入れ、学歴的にも積み上げた実績にもかなりハイレベルな人材を募集した。
外資系企業としてのグローバルスケールの宣伝や、海外の事例などを駆使しながら、夢のある企業像を演出した。
もちろん、ただやみくもに募集したわけではなく、日本から海外に日本のエリートを送り込み、日本の存在感を強めるといった狙いもあったのだが、とにかくハイレベルな人に集中して集めた。
確かに集まった。
本来であれば外資系コンサルや金融業界に行くような優秀な新卒学生が集まった。
が、彼らは入社後に恐ろしい勢いで会社を去った。
入社3年以内の離職率は50%を超えていた年もある。
なんなら2年で50%が抜けた年もある。
えげつない話である。
転職の多い外資系と言えど、この結果には大いに焦った。
転職先としてもキャリアアップを意識した非常にエッジのきいた転職が多かった。
コンサルに転職する人もいれば、金融機関に行く人もいた。
起業する人もいれば、全く違う業界に飛び込む人もいた。
会社としては取った人材がどんどんやめていくことに関しては心を痛めていた。
なんせ彼らは優秀だったから。。。
さて、なんでだろうか。
実はこれには様々な理由が絡んでいるので、短絡的に論じれるものではないが、一つ若手の離職率と大きな相関関係のある点がある。
人事が募集する人材が会社が提供できる職種とかけ離れていた。
この点である。
つまり、会社の入り口では、グローバルエリートを目指してギンギンに出世街道をばく進させんと言わんばかりの宣伝をかましていた。
が、職場がその方針についてこれなかった。
彼らの爆速昇進や彼らに合う仕事の育成プログラムを組むことができず、当初のプログラムは煙となって消えた。
若手は幻滅した。
彼らも優秀なわけだが、その有り余る実力を活かすフィールドが十分になかった。
同時に、肩透かしを食らったわけだ。
彼らは彼らで、冒頭のグローバルエリートを目指して来た。
そして、それに恥じない才能を持ち、努力を重ねた人たちだったが、それに見合う器が企業になかった。
これがグローバルエリート育成プログラムの顛末だ。
実はこれは日本だけの話ではない。
実は海外でも割と同様のことが起こっていたことを知ったのは最近の話。。。
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企業が自らがとるべき人材を正しく認識できていない
会社に入ってから感じたのは、就職希望者が強くなってきたこの時代において、表面よりも企業自体の企業理解の精度が低いことが最も恐ろしい。
会社に入って分かったことだが、「企業が求める人材像」の認識が
「職場に適合できる人材」
と
「実際に募集する人材」
が一致しない場合がある。
これは人事と現場で一致しないというケースもあれば、現場自体が正しく現状を認識できていないという事もありうる。
そこのお前の事例の場合は人事と現場で一致しなかったケースだ。
多くの場合、就活生は人事部が公式情報とする欲しい人材像や会社の目指すビジョンも参考情報の一つとして自分自身の行先を決める。
だが、この事実を考慮に入れると、入ってからを具体的にイメージするにはOB訪問等を駆使してよりリアルな状態を知っておいた方が相思相愛度が高い。
本質的な企業研究
企業の外側をざっくり見渡すだけでは働く人になるにあたっては不十分だ。
投資家になるのであればそれでもかまわないが、中で働く場合には異なる考え方を必要とする。
特に居心地がいい環境かどうかは人のパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。
それに、企業の規模が大きければ大きいほど、いくら新しい風を吹かせられる人を取っても、少数で空気を変えるのは至難の業である。
だから就活生は自己分析をする。
自分が入る環境を間違えないように短い期間であっても自分を見つめ、志望企業に断られるという屈辱を受けることまありながら就職先を選ぶ。
ここで、もし仮に自己分析がパーフェクトな就活生がいたとしても、企業側が本当は欲しくない人材を欲しいと偽っている場合、問題である。
学生と会社のミスマッチどころか人事と現場のミスマッチ
この企業内ミスマッチの裏には以下のジレンマがある。
これはグローバルのハリボテプログラム故の理由ではない。
多くの企業で大なり小なり起こりうるものだと思う。
というのも、人事としても会社の看板を背負って就活生に会社を売り込む以上、魅力的に見せる必要がある。
ゆえに、生々しい現実をそのまま宣伝文句として使ってしまっては見劣りする可能性がある。
叱られても叱られてもへこたれない根性がある人がいいです!
なんて、本音では思っていても口が裂けても言えない。
会社の異動命令にも従順で、どんなローテーションもいとわず、やる気を失わない人材が欲しい!
なんて言おうもんならブラック企業と言われかねない。
いかなる予想外にも対処でき、理不尽なことも理解した上で、会社のために尽くす人がいいです。
なんて言おうもんなら多くの就活生は逃げていく。
耐えて耐えて耐えれば乗り越える日が来るかもしれない。我慢力のある人間が欲しい。
なんて言おうもんなら企業の安定性自体が疑われる。
それでは競合する企業や他の業界に人材が流入してしまう。
だから、人事は学生と向き合うだけでなく、競合会社よりも魅力的に見せるために社内や競合会社、あるいは業界とも向き合わなければならない。
一部の非常に実力がある優れた職場環境や文化を持つ会社は偽る必要もないし、ありのままで勝負することができる。
例えば、
イノベーションを起こすための未来志向で先進的マインドセットを持つ人
経験や知識をどん欲に吸収し、実行に移せる人
論理的で高い分析力と既存の常識にとらわれない柔軟な発想を持った人
などなど大きな高望みをしても人が来る。
が、これを押し出すべきなのは実際にその特徴の人が最も活躍できる環境を用意できる企業だけだ。
しかし、すべての企業がそうであることは決してない。
ただ、新卒就活市場における企業のマーケティングとは恐ろしいもので、質のいい就活生を集めた企業の手法は多くの企業がマネをする。
就活生だって過去に通過した先輩のエントリーシートを参考にしてエントリーシートを書くように企業もある程度“参考”にすることがある。
企業も同じように苦心している
素晴らしい企業たちが優秀な人材を集めているということがわかれば、後塵を拝してでもやり方を参考することがある。
会社側の現状とは少しかけ離れていても、流行りの優秀な人材を欲しがっていることを標榜することもある。
すると、本当に会社のビジネスが求めている人材とは異なる人材を集めてしまうことがある。
これが恐ろしい。
会社が欲しいと公式に表明しているものと現場が真に必要としている人材。
これが掴めていない自己理解が不足している企業に入ってしまうことが非常に問題になる。
就活生だけでなく中途転職でも同じことが起こりうる。
だからこそ、きちんと企業の正体を掴む必要がある。
そして、企業が本当に欲しがっている人はどんな人なのか?
という目を養い続けることは就活だけでなく今後のキャリアにおいても役に立つ。
そんな観点で就活をしてみたらどうだろう。
たくさんの企業に触れる意味も増してくるんじゃないだろうか。
自分だけ必死になっているのではなく、企業も余裕なふりして必死なことがわかると思う。
このプログラムの形骸化を見て、そう思った。
問題はどのようにしてリアルを知るか。だが、まずはその視点を欠かしてはいけないと思う。