【海外赴任】ぶつかった壁と人見知りの限界【英語】
海外生活でぶつかった最も大きな壁の話
か、敵わねぇ。。。
最も悔しい根元からボッキリとイキそうな挫折がそこにはありました。
そこのお前は欧州本社機能での勤務にていくつか悔しい想いを経験しました。
個人的には日本人が海外に出ても案外普通にやってけるよねって日本人にも外国人にも思ってもらうことが人生における一つの大きな目標です。
人見知りの日本人でも世界的に独特な日本人でも普通に世界に混ざっていけるという風に思える世界にしたいわけです。
そんな中で、味わった思い通りにならない現実の話をします。
コミュ障がぶち当たった限界
そこのお前は人見知りです。
そこのお前は表現が拙いです。
そこのお前は面白くない人間です。
そこのお前は昔からあまり話がうまくありません。
そこのお前は話題に乏しい人間です。
そう、日本語ですら。
日本にいる時からいつもおとなしい方、喋らない方というキャラの人間です。
そんなんなので積極的に自分のテリトリーを広げられないという弱点があります。
それに欧州では周りからも日本人という事で良くも悪くも様子見されます。
欧州ではこの弱点がもろに出ました。
この弱点のもたらす機会損失をまざまざと見せつけられ、過去のコンプレックスから劣等感から一気にゴリッとほじくり返されました。
日本を出ることでぶつかった壁
基本的に企業においてはより目立つ人間の方がいい仕事を得ます。
とりわけ外資系企業なんかはそうです。
より周りによく知られている人の方が評価を得やすくなります。
これは人見知り・ビビり・臆病・つまらないを兼ね備えたそこのお前にとっては残酷な現実です。
そのため、非常に際立つわけです。
自分の存在感の無さが。
欧州という彼らのホームグラウンドにいるわけです。
決して最高とは言えない英語力で。
初めての海外生活で。
そんなハンデを背負いながらでは会話も下手になりますし、かゆいところに手が届かないもどかしさが続くわけです。
これは堪えました。
劣等感をギンギンに掘り起こす強い体験でした。
特に何が苦手って感情表現が恐ろしくへたくそなのです。
喜ぶのも悲しむのも。
対して欧州の人は非常に感情表現が豊かです。
比較的わかりにくいと言われる北寄りの人たちですら日本人に比べると非常に豊かです。
たぶん、同じ言語レベルだったとしても彼らの方が表現力は上、話もうまく、話題も豊富。
そんな気がするのです。
これを苦も無く順応できる人は本当にすごいと思います。
短期間の間には克服しきれませんでした。
かなり手探りでの体験を繰り返しながら、少しずつ上達はしましたが、奇跡はおきませんでした。
そりゃあ、日本の中で日本語を使っても十分ではないのに、慣れない英語でしかも欧州の人相手には敵う訳がありませんね。
笑い話やバカ話での存在感がゼロ。
面白くない人がもっと面白くなくなったら待ち受けていた現実は悲惨な物でした。
面白い話の一つや二つもできないのか。。。と自分で思いながらタイミングを合わせて笑ったりリアクションをするという超絶消極的な状況でした。
会議でも場を和ませることもできなければ、わかりやすい説明ができるわけでもありません。
電話会議ではもっと苦労します。
そもそも顔も見えず、ジェスチャーも何も伝わらない中で言葉だけですべてを伝えようとするわけです。
そんなもんだから人脈が広がらないわけです。
一度仕事をすれば信頼してもらえますし、きちんとした質のものは出せます。
ですが、困ったことにいい評判が広まらないわけです。
簡単に言えば、めちゃくちゃ面白いブログを書いているのに世間的認知度がめちゃくちゃ低い!
みたいな話な訳です。
これ、まぁ損なわけです。
それに、悔しさの残る損なわけです。
敗けていないのに敗けたみたいな。
そう!自分たちのサッカーができなかった日本代表と同じです!!
あと一つ相手に切り込むことができないという非常にもやもやの残る敗けです。
全く歯が立たずに完敗したわけでもなければ、全て出し切って負けたわけでもありません。
人に影響を与えるパワー
そもそも、そこのお前は日本人としてもあまりトーク力がない自覚があるわけです。
致命的に無いとは言いませんが、弱いです。
欧州の人たちはその技術が恐ろしく高い。
議論や会話を通して人に働きかけていくことが非常にうまいです。
どうやってギリギリセーフなレベルにしたかというと、大学時代に周りから大学デビューだ!などと揶揄されながらも積極的にコミュニケーションが取れるようにするように進化を図った時期があります。
かなり苦しかったですが、とにかく人と関わる、とにかく人と話す、とにかく自分を表現する。
これを無心で繰り返しました。
今となっては黒歴史的な部分もあるわけですが、量をこなしたことで少なくとも致命的な弱点である状態からは脱却したわけです。
技術的にマネしやすい部分までは何とか習得できた程度
まだまだ周りの上手い人に比べるとダメダメなわけですが、それでも何とか社会的にやっていけるレベルにまではなったわけです。
それでも営業ができる自信なんてありませんし、雑談からぐいぐい相手の心を引き寄せていくなんてこともできません。
なんだかんだ話が上手な人は強い
英語の慣れの問題もありますが、本当に話がうまくないことで苦労しました。
英語での議論や対話を繰り返すことである程度克服できる技術的部分ではありますが、本質的にはセンスの問題です。
相手にうまく伝えるシンプルさ
相手の思考を読み取る観察眼
要所でジョークやたとえ話を挟む機転
抑揚の付け方や話の展開力
これらは練習しようと思って練習できるかというとそう簡単ではありません。
身の回りにお手本があればマネすることができますが、日本にいながら独力で身に着けるのはそう簡単ではありません。
親が外国人とかパートナーが外国人とか親友が外国人ってレベルまでいかないと難しいわけです。
なんなら口説く技術とかモテトークをする技術とも似ています。
日本の教育ではそんなこと教えてくれません!!
純ジャパで外国人を英語で口説き落としたことなんてありません!!!
(※日本語でも別にうまくねーだろって話ですが。)
まぁそう言うわけで貧弱なボキャブラリーと貧弱な説明テクで戦うわけです。
みんなが機関銃を持って戦争している時代に気の棒っ切れもって相手陣地まで突撃に行ったようなもんです。
頼れるのは己の頭脳と実力のみという状況です。
ぼろ負けです。
苦しい状況からひっくり返すみたいな粘り腰はほとんど作れません。
それも仕事ですから、負ければアウトなわけです。
単なる英会話や雑談と違って、きちんとした質が求められる高い壁です。
気の利いた返しもできません。
議論における反応スピードも英語の時に比べると格段に下がります。
感覚的には70%ぐらいでしょうか。
どうしても反応が遅れてしまいます。
英語でやろうとすると脳での処理上で手数がかかります。
英語で聞くー>日本語脳に日本語で流し込むー>日本語脳で思考するー>日本語脳から英語脳に流し込むー>英語でしゃべる
日本語でやった場合は
日本語で聞くー>日本語脳で思考するー>日本語でしゃべる
たったこれだけです。
このサイクルを繰り返すわけなんですが、結構な手数の差が出ると思いませんか?
結構なタイムロスが生まれていると直感的に理解できると思います。
特に日本語で思考した内容に英語のボキャブラリーやフレーズが対応していないとさらにスピード・クオリティのロスが発生します。
なんならどれぐらい遅くなるかについて測ってみたいぐらいです。
文書で表現する場合はまだ問題ありません。
考える時間があるわけです。
(※そこのお前は文章もそんなにうまくありませんが。。。)
が、書くだけで終わるわけありません。
多くの場合はしゃべって伝えなければなりません。
しゃべってしゃべってシンクロ率を上げなければなりません。
これに積み重ねが少ない経験不足の壁を感じました。
思ったことが言えないもどかしさやイライラ
これって子供の時に持つ言葉にならない時の感情的衝動と同じなんじゃないかと思ったりします。
伝えられた時の喜びたるや言いようがありません。
だからこそ、また挑戦したいと思う訳なんですが、同時に自分が限界を感じる部分でもあります。
もちろんこの1年でかなり上達したことは間違いありません。
最初よりは格段にしゃべれるようになりましたし、最初よりはずっと思ったことを伝える精度も上がりました。
ですが、理想とするレベルには程遠く、このままでは勝てない。と限界を感じたわけです。
それでも評価的には問題なく張り合える評価をもらいましたし、戦力としては十分機能していたわけですが、それでもスターにはなれませんでした。
誰もが認める素晴らしい人材となるには至らなかったわけです。
日本でやるようにはできなかったわけです。
最後に及ばなかったのが、人見知りでコミュ障という30年近く抱えてきた弱点という事にそこのお前自身の限界を感じたわけです。
もうできるところまでやってダメなら力及ばずでした。
って悔いなく諦められるのですが、まだ限界までは挑んでいません。
まだまだ長い人生やり返すチャンスとやり残した努力がある
だからこそ、もう一度壁にぶつかっていこうと思うわけです。
この挫折を糧にして改めて日本語における日本人としての人格も英語におけるコミュニケーション力もさらにワンランク上へのレベルアップを図っていきたいものです。
純ジャパなりのささやかな反骨心です。
【転職】収入で企業を選ぶときは上限を見てみようって話【キャリア】
活発なキャリアを歩む若い世代に読んでほしい話
特に収入向上を求めて転職を視野に入れる方に考えてほしい話
収入向上が転職のすべてではありませんが、収入の高さを最優先に決める人もいると思います。
今日の話は収入が全てじゃない人向けではありません。
収入が全てじゃない人向けの話は他の記事でいくつか触れていますので今回は割愛します。(※下記記事参照)
転職における収入の話
具体的な話ができるのは非常に後の段階になってからですが、その前段階としていろいろな情報収集をすると思います。
場合によっては転職エージェントから、場合によっては転職サイトから、時には会社で働く人から。
収入も入った時の提示額だけが重要なわけではありませんよね?
今もらえる収入と最終的に到達するであろう収入を見極めてある程度長期間での総合収入を判断すると思います。
管理職・非管理職問わずで、転職後に収入増や昇進機会を狙う場合は平均収入と同時に見たほうがいい部分があります。
職位における収入上限値(理論値Or現実的上限)
最大値の達成条件(仮想条件または現最高収入者の特徴・根拠)
実際問題、入社時の話が全てそのまま現実になるとは限りませんが、判断する上では非常に参考になる指標です。
要は入社後の収入の伸びしろを計算するにあたって、どこまで行けるのかということを判断する必要があります。
平均じゃなくて上限を見る
同じ職位、一つ上の職位など自分が歩むであろうキャリアを見た時に、得うる最大の収入はどれぐらいか?
という点を確認しておいて損はないと思います。
全てを明確にしてくれるとは限らないですし、口を濁す企業の方が多いかもしれませんが、これがわからないと収入の最大化につながりません。
平均と最大値に開きがある企業
平均と最大値の開きがない企業
これを把握しておくことが重要です。
特に成果主義を導入する企業だったりすると、平均収入ゾーンに属する人が少なくて上下にバラついている場合もあります。
歩合制を引いているところなんかはそういうバラつきが大きかったりしますね。
逆にその開きが少ない企業はいずれ仕事をつづけたとしても魅力的な収入増に届かない場合があり得ます。
平均収入では劣る企業も最大値では勝っている可能性がある
または企業がルールとして用意してはいるけど、出したことがないゾーンも存在します。
いわゆる立ち入り禁止区域です。
これについて顔を真っ赤にして批判しても意味がなく、そういうもんだと受け入れるしかないのですが、そういう場合は現実的な上限ないしは現在の最大値達成者のモデルを確認できるとさらに良いです。
これにより、今の収入または企業から提示されている新収入との開きを見ることができます。
また、現実的に獲得可能な収入モデルを確認することで、入社後の想定外や不満を解消することにもつながります。
最大値の達成条件
こちらも非常に重要です。
出来ないものに挑んでも意味がありません。
歩合制だったりすると最大値がなかったり、とんでもなく高い天井だったりしますね。
そうすると最大値はあまり参考にならないので、どちらかというと現最高収入者のモデルを見ることになるかと思います。
歩合給に関わらず、通常給与でもどのような活躍や仕事を果たせばどう変動するかについては聞ける限り詳しく聞いておく必要があります。
それに、いくら収入が高い企業にいても、自分が勝てない分野での勝負を強いられると平均どころか下のゾーンに追いやられる可能性すらあります。
下のゾーンに追いやられるとかなりのビハインドを喫します。
成果主義であれば給与水準を取り戻し、追い越すにはより大きめの成果を上げなければならないかもしれません。
どういう状況であれば高い収入や昇給に結びつくのかを吟味する必要があります。
外資系企業なんかは格差を大きめにつける傾向にありますのでこの部分は要確認です。
上限の理論値や現実的な収入増の条件があまりに非現実的な場合は戦略的撤退を決断したほうがいい場合もあります。
この考え方、大手日系企業の転職時にはあまりなじまない考え方です。
年功序列賃金であれば簡単には埋められない差が出ます。
そう簡単に個人の昇給ができるようなシステムではありません。
収入を短期間でアップさせていくには外資系企業や一部のベンチャー企業の方が可能性は高いと言えます。
中間管理職を超えてくる(部長以上)とだんだん給与ゾーンではなく個別化された待遇のすり合わせで進むことが多くなるので上記の考え方は当てはまりません。
というか、そこまで行ったら十分稼げているはずなのでそんなに収入に振り切らなくてもいいんじゃないかと思いますが。。。。
世の中の仕事には様々な仕事があります。
それには報酬という形で値段が付けられています。
冷酷な現実ですが、その値段は全国にあるコンビニやチェーンのレストランのように常に値段が均一ということはありません。
企業それぞれが様々な値段で労働力やスキル・経験を買おうとします。
それは時期によっても高かったり、低かったりしますし、買ってもらえるかどうかは時の運です。
それゆえ、収入を求めて転職することは悪いことはありません。
お金に執着している、意地汚いと思われる方もいますが、そんなことはありません。
プロフェッショナルとして自分が最も高く売れるところで多く稼ぐというのは当然の話です。
伝え方や見せ方は気を使う必要がありますが、お金を気にしてはいけないなんてことはありません。
転職を決め込んだ諸先輩方も圧倒的な率で強気の給与交渉に出ています。
多少ハッタリをかます事もありますが、基本的には正直に希望を伝えながら交渉に臨みます。
もちろんほしい金額を言うだけなく、どれぐらいのパフォーマンスをどう評価するかという点を確認する過程で企業側から引き出すというイメージです。
転職するのであれば終身雇用制度に基づく企業と言う家の子供ではありません。
自分の食い扶持は自分で責任をもって稼ぐ必要があるのです。
虚偽・不正や違法なことをしてお金をもらうことはもちろん意地汚くて、醜い行為です。
それに反していなければ、獲得する側と応募する側がルールにのっとって合意できる範囲であれば好きにやればいいのです。
それがマーケットバランスであり、自分自身のマーケティングです。
これが、日本が寄せていこうとしている欧米の労働文化です。
そんな考え方をもとに自分を高く売る人はぜひ売り方を考えてみてください。
結構面白いですよ!
サラリーマンも捨てたもんじゃありません。
ではでは
【外資系企業】外国人で中間管理職を務めるのは非常に難しい話【海外】
外資系あるあるなのですが、頻繁に海外支社や海外本社から外国人が派遣されてきます。
ですが、海外の人がローカルの中間管理職(例えば課長級)をやるのは非常に難しいです。
どんな外国人がやってくるのか
彼らが日本に縁やゆかりがあることは非常にめずらしく、基本的にはどこか日本以外で非常に大きな結果をたたき出している海外のスター株が彼らのキャリアの一部としてやってきます。
彼らは基本的に非常に優秀です。
外国人でもハードワーカーであり、非常に強いエリート意識を持っています。
そのポジションが部長以上なら純粋な頭の良さや同じくグローバルから来た管理職・役員達やグローバル本国の上司などより馴染みやすい環境で仕事できる部分が多く、まだ戦いやすいと思います。
課長クラスや部長クラスを部下にするのはまだ難易度が低い方な訳です。
なぜかというと、課長・部長であればローカル所属の管理職であっても、会社の中である程度選抜された優秀層です。
また、気に入らなければ自分の好きな部下を海外から引っ張ってきてポジションを挿げ替えることもできます。
問題は外国人中間管理職
ですが、課長以下となってくると海外で活躍するのは非常に難しいと言えます。
なぜなら部下管理により濃いローカル性を求められるからなんです。
日本だったら日本語が喋れないだけで大きなハンデになりうるし、現地の商慣習にも詳しくないといけません。
その場合、微妙な人間関係の機微や文化的適応から始めなければならないわけです。
部長連中や経営陣だったら現場に任せてかわすことができるような問題にも対処しなければなりません。
部下への指示一つとってもゴリっと押し込んでいいのか、いろいろと配慮して仕事を振らなければならないのか。
非常に細部における理解が要求されます。
日本なんかでは関連するステークホルダーのコントロールがロジックや数字のみではない繊細な感情的機微の理解がより重視されます。
それに既に出来上がっているビジネス網の一部になるべく、社内でも社外でもゼロの状態から始めなければなりません。
実は、これは中途採用の管理職にも当てはまります。
殊に中間管理職という職業は会社内部のことやチームの歴史的な流れをよく知っていた方が役に立つ場合が多いです。
それができないと後れを取ったり、不十分な状況に気が付かない場合が生まれる可能性が高くなります。
大なり小なり社内の政局は存在するもので、そこに対して配慮できる人の方がやりやすい。
特に持つ権限が限定されている場合はその政局に影響されやすいと言えます。
そこのお前がいたヨーロッパ本社にはより豊富な事例があるのでちょっと一例を出します。
そもそもチームメンバーが全員違う国籍。
他には社外からやってきたばかりの新中間管理職。
などという超絶エグい環境に放り込まれて機能不全を起こした管理職もいました。
ヨーロッパ本社はローカル昨日はないわけですが、それでもあまりの違いで管理職としての役割が果たせない場合がありました。
中にはそこでもうまくやれる人もいます。
が、多くの場合でサイコパス気味なぐらい攻撃的で自信家、表現上手な人が多いです。
チームが機能しているのかは不明ですが、少なくとも上司としての威厳とプライドは保てている状況を作ります。
が、グローバルでもローカル機能に外国人中間管理職を置くというケースは非常に稀です。
さすがにそこまではやらないし、あまりメリットが見いだせない。
外国人に管理職が務まるケース
社内にこれ以上偉い人が少ない階層にいる場合
部長・役員クラスになってくると社外から招へいしたり、外国人を入れても機能する場合があります。
これはひとえにポジションパワーと最も近いステークホルダーが上記の点を解消しうるからだといえます。
ただし、問題点は以下
外国人管理職や中途管理職が自分の利益のためにすべてを犠牲にする場合、それを止めるすべがないということだ。
彼らの在任期間だけのことを考えて最適化した戦い方を編み出してきます。
彼らの任期の期間だけ走り切れるように設計し、離脱した後にどうなったかは知らないと言わんばかりに短距離走を要求する海外管理職もいます。
特に成果主義を導入する場合には避けられない問題かもしれません。
アスリートでも単年や一定期間のハードワークがキャリア全体に悪影響を及ぼすことがあるように、部下をギンギンに走らせて酷使し、精魂尽き果てるまで走らせたときに後々のキャリアで消耗してしまう可能性があり得ます。
上記のように、ある時は社員を限界まで酷使します。
すると、サラリーマンの蓄積疲労はまだそこまで本格的に議論されていませんが、非常に恐ろしいです。
一度酷使ゾーンに入ると、一回できたなら次もできるだろう!という思考が安易に働くようになり、止まらなくなることがあります。
そして、一度壊れた場合は回復にものすごい時間がかかるか戻らない場合すらあるのです。
ですが、そこでさらに外国人が中間管理職だった場合、そのサインを読み取ることが難しい。
気が付かない間に既に手遅れというケースもあります。
また、ある時は取引先を圧倒的に酷使します。
たった数年ですべてのこれまで培ってきたビジネス基盤や良好な関係・持ちつ持たれつの深い関係を一方的に濫用し、破たん寸前まで追い込んでギリギリで逃げていく。
こういうことをしょっちゅうやるのが外資系企業というイメージもあり、うさん臭く思われる場合もあるんです。
残った結果は焼け野原のような大炎上だったりします。
ただ、それは彼らも苦し紛れの行動であることが多いんです。
本国からのプレッシャーと思い通りにいかない現実。
だって、縁もゆかりもないのだから、最後、自分の首と日本の未来を天秤にかけたら自分の首を取るに決まってます。
そもそも、ずっといるわけじゃないってハナから思っているから、10年先など特に興味がないんです。
最後は日本はおれがいなくてもなんとかなるよ!なんて言いながら颯爽といいポジションを得たら去っていきます。
あるいは、難しい手綱取りにさじを投げ、足早に撤退を決め込む外国人管理職も生まれます。
役員クラスの人がそういった短距離走を決め込むと全員疲弊します。
が、在任期間だけはいい成績を残せるから、結果的には外国人役員が成績を引き上げたように見えます。
これが非常に難しい部分で、これに味を占めた本国は次々と外国人を送り込んでくるわけです。
そこのお前の外資系企業経験の中で、日本語が喋れない外国人で中間管理職として抜群の評価を得た人は一人もいません。
理由は上記で述べた通りですが、依然大きな壁が立ちはだかっています。
ローカル機能の強化の観点からも、彼らを登用しなければならない必要性は薄いと言えます。
せいぜいグローバルとの連関が強いことが価値をもたらすケースのみです。
中間管理職の場合はあくまで現状維持か悪い評価の獲得が関の山なのです。
逆に部長以上であればもう少し高い評価を得やすい状況
割といい評価を得る部長クラスもいれば、海外から日本へのテコ入れ人員として強烈に日本を支配した社長だっていました。
だが、その裏には中間管理職以下ビジネスの現場・前線の希望がしっかりしている場合に限ります。
だからこそ、中間管理職に外国人を入れるのはどこの国でもそう簡単なことではないといえます。
いくら外資系企業であっても日本ローカルでの前線に近いところに外国人を置くことは成功率の高い策とはいえません。
たまに謎の采配で外国人中間管理職が誕生することもあるが、非常に大変そうです。
部下も上司も苦労していました。
双方にとっていい経験ではあるのですが、結果にむずびつかないとどちらもトクをしないのが外資系企業なのです。
そうして、どうしてもどこか物足りない部分を感じやすいのは世界共通の現象のなのです。
実は外資系企業はこのようにグローバル本国への中央集権化とローカルへの分散化を歴史的に繰り返しているのです。
企業によって今どちらのフェーズにあるかという事は変わるので、外資系への就職転職を考えている方は自分の好みに合ったスタイルの方の企業を選ぶことをお勧めします。
ではでは
達成した結果より、新たにできるようになった事を褒めるべきという話
成長意欲を掻き立てる動機づけの話
そこのお前は外資系企業所属です。
つまり、何でも定量化して数字目標を作り、結果で人を評価します。
個人評価もそうですし、チームとしての評価や会社としての評価もすべてそうです。
結果を達成したかしなかったか。
基本的には結果にかかる比重は大きく、非常に重視されます。
もちろん、単なる数字だけでなく、結果としてどのような貢献がなされたかを定性的に評価するケースもあるわけなんですが、基本的には結果的にどうだったか?という点で評価されます。
まぁいい方によっては冷たい評価方式です。
ですが、それは仕方がありません。
ビジネスをやる以上、どんなことがあっても数字に反映されなければ立ち行かなくなってしまいます。
が、実際に中で人が働く上では少し違う考え方をした方が気持ちがいいと思うんです。それを痛感した初歩的な話をします。
そこのお前が初めての海外勤務にぶつかった壁の話
そこのお前にとっての初めての海外生活
ヨーロッパですら、慣れない時は非常に心細いものです。
最初は慣れるまでに時間がかかりました。
英語も思ったように出てこないし、表現力がない。
英語での思考が遅い分、テンポも悪い。
自分でももどかしさを感じる日々が続きました。
こんなスタートでした。
もちろん、時間を使うことで克服できるほどの地力はあったわけですが、それでも周りからは不十分であると思われていました。
毎日、劣等感と悔しい気持ちに溢れた日々を送っていました。
それは新入社員として入社した時の自分の無力さを容赦なく叩きつけられていた時期のことを鮮明に思い出させました。
そこのお前の脳裏には1年目に最低評価を取ったというトラウマが蘇りました。
社会人として慣れてくるとそんな気持ちを忘れてしまうものです。
ですが、ある程度鼻っ柱ができたころにへし折られることで気が付きました。
自分自身に自信が持てない時に何がその状況を打破したか。
- 誰かからの成長や努力の称賛
- 結果を達成し、それが何によってもたらされているかがわかっている時
この2点でした。
このうち、2に関しては最後に達成できるまではわかりません。
それに、いい状態であればわざわざ悩まずともできるわけです。
問題は、
自分に自信が持てない時に、正しい努力を継続する強さを持てるかどうか?
という点です。
ここにおいて、誰かから成長や努力の跡を見てもらっているという事実は非常に大きな効果を持ちます。
そこのお前も最終的にはコミュニケーションのスキルも非常に高まり、英語でのスピード感のある会話もできるようになってきました。
もちろん日本語でやるには遠く及びませんが、それでも少しずつ精度とスピードは上がってくるものです。
結局、英語に関して言えばやればやるほどできるようになるわけです。
その過程を欧州の上司がよく見ていてくれました。
最初のころよりも圧倒的にできるようになってきている
当初は心配したけど、出来るようになった。
まだまだ最高レベルとは言えないけど、十分に実力がついてきた。
元々の実力に加えて、足りなかった部分に力をつけてきているのは見ているよ。
と。
正直、欧州での良評価を得るにはあと一歩足りないものがその点だったわけだが、それでもその努力と成長の過程をしっかりとコメントしてくれました。
これを聞いた時に、そこのお前が経験した1年目の苦しい時期を思い出した。
正反対だった外資系企業1年目の経験
一年目の時には成長過程は特に着目してもらえませんでした。
やっていることや取り組んでいることが正しいのかどうかもわからない日々が長く続きました。
それと共に、結果が伴っていないことだけは知っていたし、その指摘だけは受けていました。
当然結果は出なかった。
が、今回は違いました。
自分ができなかったことができるようになったという事を見てもらうことができました。
それがそのまま自信につながり、積極性を生み出しました。
そこのお前のようなビビりには何よりも大切な言葉だったと思います。
外資系企業にあって結果にのみ執着しやすい環境の中で、ここの部分を見てもらえていたことは非常に稀有な事象だと思います。
これで自分の向いている方向性が正しく、取り組み内容も間違っていないと自分で自分を安心させることができました。
迷いがなくなったことで、自分の身の入り方がわかり、成長速度にもいい影響を感じるようになりました。
やはり人間である以上、論理だけでは動けない時があります。
自分のやっていることが正解であると信じられない時もあります。
特に難しいことや新しいことに挑戦する場合はそうなんじゃないかと思います。
そういう中で常に自分を信じることができることが理想ですが、誰もが獲得できる能力ではありません。
しかし、それは他人からでもサポートできる内容なんです。
結果ではなく、個人が辿っている過程をきちんと把握することで人は自分で自分に行うよりも強い効果で誰かに自信をつけさせることができるです。
大人になっても新しいことや難しいことに挑戦をする時は子供が育つ過程と構図はそう変わらないと言えます。
今より一歩を踏み出す時に失敗を恐れる心や自信がない不安を取り払うには結果による評価だけではありません。
自分自身への自信や恐怖感を抱かなくて済むと思える安心感も強い効果を持たせられるのです。
下手に褒めて油断したらどうしようと考えるのは損です。
人が迷っているのであればその迷いを確信に変えなければなりません。
この感覚を人に与えられる人間でありたい
管理職としてキャリアを歩む以上、結果につながることをやらなければいけないのは当然だが、人がそれだけでは構成されていないことをきちんと理解しなければなりません。
ロボットではない故に様々な迷いを生みます。
が、ひとたび自分の中で心が宿れば進化と成長が始まり、新しい可能性を生み出すことができるようになります。
それを的確につかみ、観察できる人でありたいと思っています。
人の進化や成長をコントロールできるとは思わないが、常に適切に刺激し続けられる人間でありたいわけです。
これに直接効くのは、
出来たことの評価ではなく、出来るようになったことの評価
だと思います。
だって、それを重ねてきたことが今の自分を支えているのですから。
そして、自己成長や変化は人が内発的動機を生む一番の起爆剤ですから。